八
由良にとって見慣れた社務所兼住宅の家屋の前に、五人は瞬間移動していた。由良が呼び鈴を押すと、しばらくして中から鍵が開けられ、老神主が顔を出した。今は、きちんと神主の装束を身に纏っている。
「思いの外早かったな」
空はうっすらと夕闇に染まり始めていた。雨が降った様子はない。
約二日で四人もの神子を見つけられたのは、僥倖だった。
「なるべく急がないと。ご令嬢の容態も気になります」
由良が応えると、老神主も頷いた。
「こちらもなんとか調べがついたところだ。あとは、ことが済み次第、専門の機関の人間に、迎えに来てくれるよう、手配するだけだ」
「勾玉の扱い方がわかったのですか?是非教えて下さい!」
千隼が身を乗り出して尋ねる。
「大人数だな。茶の間では狭いから、本殿へ来なさい」
「ただいま帰りました」
遅ればせながら、由良が挨拶をする。口癖のようなものだ。
他の四人は、口々にお邪魔しますと頭を下げると、社の本殿へと通された。
床張りの本殿には、木製の椅子が並べられている。各々好きなところに腰掛け、老神主の話を待つ。徐ろに語られたのは、信じられない言葉だった。
「勾玉を持った神子と契りを結ぶ事で麒麟になれる」
「は?」
由良がわが耳を疑う。四神の神子達の間にも、動揺が広がった。
「…そうこの文献に書いてあったのだ」
かろうじて読めそうな糸綴じの本を、老神主は指し示した。
「お借りしてもよろしいですか?」
千隼が本を受け取ると、早速ページをめくった。漢字だけが並んでいるものだが、千隼は速読する。
「概ね合っているようです。この本の出自は、大陸からのもののようですが」
「そうだな。元々麒麟などの神獣信仰は、中国のものだったらしいからな。日本に渡って来て、独自の歴史を歩んできたようだ」
「…ただ、この本では、麒麟が宣言したことをそのまま書き留めてあるだけで、実際に勾玉を使って麒麟を喚び出すことは、行われたことが無いみたいですね」
「へえ…」
「そんなウンチクはこの際どうでもいい。誰が由良を抱くかが問題だろう」
巽が立ち上がり、口を挟む。
「おれがする!」
圭斗が挙手して立ち上がった。そのまま由良の前に行き、その手を取る。
「由良、おれと抱き合うのじゃだめ?」
ウルウルの瞳に絆されそうになりながら、由良は首を横に振る。
「圭斗は、まだ中学生でしょう。こんな話にまじるのも、教育的によくないくらいだよ」
「そんなことない!ちゃんと授業で習ったし」
由良は、圭斗の目を見て、きっぱりと宣言する。
「ごめんなさい。圭斗のこと、嫌いじゃないの。でも今は、そういう意味で圭斗のことを見ることはできないわ」
「うっ…」
泣きそうになる圭斗の頭を、道也がぐしゃぐしゃにかき混ぜる。
「大丈夫、今はまだ無理なだけで、お前が大人になったらまた口説けばいいさ」
「そんな悠長なこと言っていられないだろうが、今は特に」
千隼が注意する。
「因みに、僕はまだ死にたくないから、なるべくなら辞退したい。神子は、子供が出来たら死ぬって、皆、覚えてる?」
「それな。俺は由良を抱くのはやぶさかではないが、それはちょっと躊躇する要因やな」
道也が腕組みして応える。
「俺は、元から承知の上だ。由良、俺にしとけ」
巽が、道也と圭斗を押しのけて、由良の前に進み出る。
「巽こそ、私なんかでいいの?友達もいない、何の取り柄もない、神子である以外は普通の女なのに」
「正直、最初は、麒麟の神子って色眼鏡でみてた。でも、か弱そうに見えて、実は強いところが好きだ。会っていきなり襲ったこと、謝らせて欲しい。すまん」
「…うん、許す」
由良が手を差し出す。巽が手を握り返したところで、老神主が皆に告げた。
「纏まりかけたところ恐縮だが、一つ提案がある…」
「提案?」
由良が小首を傾げる。
「白虎の眷属の話を聞いた時に思いついたのだが、すでに不貞の者に勾玉を持たせてみてはどうだろう?麒麟に似た神獣になることができるのではないだろうか。さすれば、由良が純潔を失わずに済む」
「でも、不貞の者って、どう見極めれば?」
「うむ、実は、ちょっとしたつてがあって、執行猶予中のレイブ犯を呼び出しておいた」
レイブ犯と聞いて、神殿内がざわついた。
しばし待たれよと言い置いて、老神主は室内を出て行く。間もなく戻って来た時には、後ろに二十代半ばくらいの、ヘラリとした笑みを浮かべた男がついてきていた。
「へえ、美男美女揃いだな。楽しくなりそう」
男がぽつりと漏らした一言に、由良は背筋をぞっとさせる。何かが危険だと本能が告げていた。
「由良、勾玉を見せてみよ」
老神主の言葉に渋々従い、首飾りのようにしていた勾玉の連なりを、手の平にのせる。赤、白、黒、青、四つの勾玉が、光を反射して、きらめいていた。
「きれいだね。これに触ればいいのかな?」
男が手を伸ばすと、反射的に由良は後退りしていた。その由良の肩を、巽が後から支えるように掴んだ。
「こんなことする必要はない。俺が由良を抱く」
「まあまあ、ものは試し。ちょっと触るだけだって」
男は軽いノリで、しかし強引に由良の手を勾玉ごと握りしめた。
「いや!」
由良が手を振り払う。と、同時に。
ドンと低い地鳴りが響いた。
男の身体が変容し、一気に膨らんでいく。ついには神殿の一部の壁と屋根を破壊し、巨大な生き物へと変体した。神子達は全員で、瓦礫の破片から由良の身を庇う。
上半身は男の姿のまま巨大化したものだったが、下半身は牛であろう獣の格好をしていた。どう見ても、想像する麒麟の姿には、ほど遠い。
「ひゅ〜!見晴らし最高」
男は片手を額につけ、遠くを見渡す仕草をする。夕闇に染まる空に星は見えず、それでも街明かりで燦然と輝いている。
「お祖父様!この事態をどうする気ですか!」
立ち上がった由良の叫びに、老神主は、無事だった壁にかけられていた長刀を取ってきて、構えた。
「儂が全責任を取る」
「お祖父様!一人では無理です。それに、あの人を殺す気ですか?」
「…これは、別の本に載っていたのだが、神獣のきもを喰らえば、不老長寿になれるということだ」
「喰らう?冗談じゃありません!」
「ああ、冗談ではないさ」
「お祖父様!あれは神獣ではありません。口にするのは危険だと言っているのです」
由良と老神主の言い合いに、道也の呆れた声が飛ぶ。
「親子喧嘩はそれくらいで、速やかに避難してくれや」
今にも崩れそうな本殿の壁に、ぎくりとしながら老神主が飛び出す。
ケンタウロスに似た獣は、早足で街中を駆け回っていた。住民の中には、獣の姿が見える者もいて、パニックになって無茶苦茶に走り出していた。
「面白い!人が蟻みたいだ。蟻の行列って、思わず踏み潰したくなるよな」
興奮気味のケンタウロスもどきは、四つの蹄で街の住民たちを追い詰め、踏み潰していく。
その寸前。
風がケンタウロスもどきの足下を掬い、転倒させた。
「痛え!な、なんだ?」
道也が、両手を前に突き出し、突風を操り出して攻撃していた。
「型通りとは行きませんが、なんとか技を会得しているようですね」
千隼も、炎の矢をダーツの要領で次々と投じる。炎は皮膚の表面の体毛を焼いただけで、致命傷には至らない。
今度は、圭斗が、石礫を当てる。それに合わせて巽が、集中豪雨を降らせた。今度は効いたようで、ダメージと共に倒れ込んだ。
「行ける!皆、聞いてくれ」
千隼が声を上げて、一同を集める。
「今の技を全員で揃えて、奴の頭部めがけて一気に叩き込もう」
「もう一度?」
圭斗が不安そうに聞き返す。
「奴を放置することは出来ない。やれるな?」
真剣な千隼の眼差しに、圭斗がこくりと頷いた。
「うん」
「じゃあ、いくぞ。せーの!」
風、水、火、土の一斉攻撃に、後方からの電撃も加わる。由良が前に教わった落雷の術を放ったのだった。
倒れ込んでいたケンタウロスもどきの頭部を、全員の一撃で粉砕した。
ピクリとも動かなくなった獣に、素早く近づく人影があった。老神主は、構えた長刀で頭部を失った獣の胸を切り裂くと、心臓を鷲掴みして取り出し、歯を立てた。
「お祖父様!」
駆け寄ろうとする由良が止めに入る間もなく、老神主は心臓の一部を飲み込む。
すると、瞬く間に老神主が小さな小猿に変化してしまった。
「お祖父様…!」
由良は、小猿を捕まえようと手を伸ばしたが、素早い動きで逃げられてしまう。
ドン!と。
突然、雷が落ちた。それは、ケンタウロスもどきの死体に落ちて、流れ出た血ごと、跡形も無く消し去ってしまった。
「死体を放置するから、そんなことになるのです。詰めが甘いですね、由良」
涼やかな男性の声が響く。車から降りてきたばかりの体裁で、神通力を発揮した謎の男性は、髪の短い由良の顔そのものだった。
「由良がもう一人…?」
圭斗が驚きの声を上げる。
「いや、あれは男やろ?」
道也が共に驚きながらも、否定する。
「お前は誰だ!」
巽が、由良と謎の男性の間に立ちはだかるようにして、駆けつける。
「私は、由良と同じ麒麟の神子だよ。正しくは、麒の神子。麟の神子の双子の姉弟にして、番でもある」
「番?」
巽が険のある眼差しを送るが、麒の神子は難なく躱して、由良の前へ進み出る。
「双子のきょうだい…?」
由良の問いに、麒の神子は静かに頷く。
「私は、由良の弟ということになるね」
「あ!名前は…?」
「私に名前は無いのだ。ただ、周りからは『桜の君』と呼ばれている」
「桜の…?」
由良の記憶に引っかかる何かがあった。
「桜の君!麒麟の涙のお告げをした大神官!」
「正解」
ニッコリ笑むと、ますます由良と顔立ちがリンクする。
「とりあえず移動しようか。ここは場所が悪い」
周囲には、人集りが出来つつあった。何があったかも知らずに通り過ぎる人もいれば、遠巻きに、興味津々でこちらを見てくる人の姿もあった。
車には、人数制限があったので、もう一台を呼び、道也と千隼と圭斗の三人が、後から合流する流れとなった。
由良と巽が、桜の君と共に、先の車に乗り込む。その時、どこに隠れていたのか、小猿が走って来て由良の腕にしがみつき、一緒に乗り込んだ。
「…お祖父様、ですよね?」
由良が小首を傾げると、小猿も首を傾げ、目を瞬かせた。
「自業自得だ。放り出せよ」
巽の冷やかな視線に気付いた小猿は、歯をむき出しにして、威嚇してみせる。
「連れて行きます。いいですか?」
由良が助手席に座る桜の君に確認を取ると、彼は快く了承してくれた。
「もちろん、いいですよ」
桜の君が、出して下さいと運転手に向かって言うと、車はスムーズに走り出した。