七
「では、参ります」
四人で、再び中庭に立ち、由良を中心にして、飛翔の術を発動させる。
病院の中庭から四人の姿が消え、目の前には巨大な木の生えた、やはりどこかの庭のような場所へと姿を現した。
ゆっくりと目蓋を開けた由良は、大きな木の存在に、思わずため息をこぼしていた。
「これは…杉?」
四人が並んで立ちはだかってもなお横幅のある大樹は、樹齢も想像がつかないほど長そうだ。
「…あそこに建物がありますね。訪ねてみましょうか」
素早く辺りを観察していた千隼が、目敏く見つけた木造の建築物を指差した。少し距離があり、人気もない。しばらく行くと、鈴も賽銭箱もないが、神社の拝殿らしいことに気が付いた。正面の格子の扉を透かして、祭壇が見える。
「こういう神社には、近くに、管理者の住む社務所か住宅があるはずです」
由良が、慣れた様子で、拝殿の出前奥を目指した。果たして、そこに住宅と呼べる家はあった。平屋の大きな邸宅で、朱雀神社の社務所にも劣らずの構えだった。
古い家屋には不似合いな、カメラ付きのインターフォンが付いていたので、千隼が代表して押してみることにした。
「はい」
涼やかな女性の声が、反応した。
「すみません、お伺いしたいことがありまして」
「何でしょう?」
「青龍の神社は、ここで合っているでしょうか」
相手の女性は、一瞬の沈黙の後、インターフォンを切ってしまった。
「あれ、切られた」
「怪しいな。押し入ってみよか?」
「やめなさい」
道也の悪乗りを、千隼がすかさず止める。
「何か都合の悪いことでもあるのでしょうか」
由良が喋っていると、玄関の鍵が中から開く音が響いた。
「失礼しました。青龍神社をお尋ねですか?」
扉を開けて出てきたのは、中年というには若そうな、美しい女性だった。化粧っ気がなく、服装も無難なシャツとデニム姿で、髪を短く刈っていた。誰かを彷彿とさせる顔立ちに、由良は眉をひそめた。
「はい。実は、我々一同は、麒麟の神子の使いでして、青龍の神子をさがしております」
大胆に名乗る千隼に、ほかの全員がぎょっとするが、女性は困ったように微笑むと「ひとます中へ」と、招き入れてくれた。
茶の間らしき畳の部屋へ通された一同は、お茶を出す間待たされたものの、すぐに女性が、対応してくれた。
「神社は、現在廃止されております」
「そうなんですか」
「はい。神子をおさがしとうかがいましたが、我らが主である青龍は、三百年以上前から、御神木の姿になったきりと言い伝えられております」
「御神木?」
「はい。社の裏の杉の木でございます」
「さっきの大きな木ですね…」
由良が納得したように頷く。確かにあの木から感じるオーラのようなものが、ほかの勾玉と共鳴しているように感じたからだ。
「神子候補は、いるにはいるのですが…」
「神子候補とは?」
「御神木様と心を通わせることが出来る少年、私の甥です」
「その甥っ子さんをここに呼ぶことはできますか?」
千隼が頼むと、女性はお待ち下さいと言って部屋を出て行った。
「どういうことだろう?神子ではなく神子候補とは?」
女性が席を外した途端、皆が一斉に喋りだした。
「青龍の神子が木だなんて、びっくり」
「御神木のままじゃ、勾玉を取り出すにもやっかいやな」
「その甥って人が、御神木から勾玉を取り出す方法を知っているかも」
「そう上手くいくやろか」
「あの!」
素っ頓狂な声を上げて、由良が皆の注目を集める。
「…あの女性の顔立ち、どこかで見覚えがある気がするのですが」
「ああ、そう言われると、僕にも覚えがあるよ」
千隼が応えると、道也と圭斗は首をひねる。
「そうか?かなりの美形やが、俺は初対面や」
「おれも知らない」
「いえ、僕もあの女性とは、初対面ですけど…」
千隼が続けようとした時、襖が開き、女性と共に若い男が茶の間に入って来た。
「あ!」
「やっぱり君は!」
由良と千隼の反応に、男はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「朱雀神社の人には世話になった。ありがとうと伝えてくれ」
座卓を挟んで、座り際にそう声を掛けてきたのは、碓氷巽だった。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私は碓氷晴子。こっちが甥の巽よ」
「巽です。どうぞよろしく、神子様方」
終始笑顔の巽の態度に不気味なものを感じながら、それでも千隼は礼を尽くす。
「ご丁寧にどうも。僕は南条千隼。こちらが中野由良、隣が北原圭斗、その隣が佐伯道也です。どうぞよろしくお願いします」
紹介ごとに、小さく頭を下げる一同の内、道也と圭斗の二人が、不審そうに由良と千隼の様子をうかがっていた。
「知り合いか?」
道也が尋ねると、由良が小さく身じろぎする。
「…強姦魔」
ぼそりと呟く声が、小さ過ぎて周囲には届かない。
「由良と一緒に、僕の神社に飛んできた男だ。由良とは無関係だというから、朱雀神社に置いてきたのだが…無事に、ここまで帰って来られたのだね」
「神社の人たちが、住所を教えてくれれば、送ってくれると申し出てくれたから、実家の住所を言った。四神を訪ねる旅なら、いずれここまで辿り着くだろうとおもってね」
「朱雀神社の方ですか。巽がお世話になりました」
すかさず晴子が千隼に礼を述べる。それをきっかけにして、千隼はさっそく本題に入ることにした。
「君は、神子候補と聞いたけれど、どういうことだろう?」
「俺には、勾玉がない。が、直系の神子の血筋だ。その証拠に、両親は俺が生まれると同時に他界している。それから、爺様…御神木が、俺の先祖であることも明かしてくれた」
「にわかには信じられないのだか、どうやって青龍が御神木になったんだ?」
「約三百年前、自分の子供が生まれる際に、死の呪いから逃れるため、嫁に封印を施してもらったらしい。木の姿として。その嫁が、当時の麒麟の巫女だったらしくて」
「へえ」
道也が相槌を打つ。圭斗が首を傾げた。
「死の呪い?」
「神子の末裔とその妻は、直系の男子が生まれる際に、必ず死んでしまう。血の呪いによって」
「そうなの?」
怖がる圭斗に、千隼は気まずそうに頷いた。
「だけど、麒麟の巫女は代々、この呪いをものともしない強い力を持つ。だから、子孫繁栄のため、四神の神子に嫁ぐことが多かったみたいだ」
「じゃあ、おれのお嫁さんは、由良しかいないね」
にこにこ顔の圭斗の軽はずみな意見に、男達がぎょっとする。
「ふざけるな!由良は、俺が最初に見付けた、俺の嫁だ」
巽が、座卓に両手をついて反論する。湯呑みがひっくり返りそうな勢いだったので、全員が慌てて湯呑みを支える。
「巽、落ち着いて。由良さんが誰に嫁ぐかは、由良さん自身が決めることよ」
晴子の言葉に、巽はぐっと息を飲み込む。
それまで成行きを見守ってきた由良が、素っ気なく話題を切り替えた。
「そんなことより、さるご令嬢を助けるために、麒麟を喚び出すことが先決です。御神木を見た感じ、勾玉はありませんでした。巽さん、どうすれば、勾玉を取り出すことが出来るでしょうか」
「…それは、爺様に聞いてみないとわからない。行ってみよう」
巽が立ち上がると、つられるようにして晴子以外の全員が、御神木の前へと向かった。
聳え立つ御神木は、さらさらと葉擦れの音を鳴らして、皆が来るのを待っていた。
「爺様、今日は麒麟の神子を連れてきた。懐かしいだろ?」
巽が開口一番に由良を紹介する。由良は何を言っていいかわからず、とりあえず頭を下げて巽に合わせた。
「由良です。よろしくお願いします」
『麒麟の神子だと?相変わらず美しいのだろうな。見ること叶わず残念だ』
頭の中に直接声が響く。その声が聞こえたのは、由良だけではなさそうだった。
「声が聞こえた!この木が喋ったの?」
圭斗が驚きの声を上げる。他の二人も驚いている様子から、この場にいる全員に御神木の声が届いているようだ。
「ほかにも、四神の神子が勢揃いしている」
『ならば、儂の生涯もついにここまでか』
御神木の声が震えている。怖がっているようにも泣いているようにも聞こえた。
「大丈夫だ、爺様。こいつらも別にとって食うつもりはないよ」
『いや、儂もだいぶ生きた。そろそろ潮時だ』
「爺様、なぜそんな弱気なことを言う?」
『儂の封印を解きに来たんだろう?そうしなければ、麒麟の力のかけらを取り戻すことは出来ないからな』
「力のかけらって、勾玉のことですか?」
由良が口を出す。御神木は、頷く代わりにざわりと枝葉を揺らした。
『麒麟の神子よ。儂は二重の封印がなされておる。先ずはこの姿から解放し、次の神子から勾玉を回収しておくれ』
「解放って、どうすればいいですか?」
『簡単なことだ。儂に雷を落とせばいい』
「簡単じゃないです!」
由良が悲鳴に近い声を上げる。巽も慌てて言い募った。
「駄目だ!そんなことしたら、爺様は死んでしまうじゃないか!」
『だから言っただろう、潮時だと』
「そんな…!」
それまで黙って成り行きを見ていた千隼が、由良に一歩近づいて言った。
「由良、今の君なら出来るかも知れない。落雷の術を教えよう」
「え?だけど、でも…」
「僕が教えられるのは、型だけだ。力が振るえるのは、麒麟しかいない」
「やめてくれ、由良。この通りだ」
巽が両手を合わせて、由良を拝んでくる。その両肩を羽交い締めにしてその場を離れていくのは、道也だった。
「とりあえず安全なところまで避難や。圭斗も来い。千隼、後は任せた」
「了解。任された」
三人を見送る千隼に、由良が恐る恐る声を掛けた。
「本当にやるのですか?」
千隼は事も無げに頷いて見せた。
「さるご令嬢のためにも、急がなきゃ。由良が言い出したことだよ?」
「それは、そうだけど…」
「さあ、覚えて!」
千隼は、飛翔の術とはまた違う、両手を複雑に組み合わせるポーズを取った。
「…勾玉に意識を集中して、腹の底から力を出す感じ」
しばらく逡巡した由良は、覚悟を決めた顔つきで、千隼に頷いてみせた。
「行きます!千隼さんも離れていてください」
千隼が側を離れて、藻掻く巽を抑えている道也と圭斗の元へ駆け寄る。
「雷よ!来い」
由良のかけ声と落雷の術のポーズと共に、頭上の空に暗雲が立ち込め、一条の光が御神木に落ちてきた。御神木は、真っ二つに裂け、そこから青い鱗が輝く竜が姿を現した。しかし、その姿に実体はなく、あっという間に天空に上り詰め、消えてしまう。
青龍が消えた空の先から、再び閃光が差し、暴れるのをやめていた巽の右手を照射した。
「うわあぁぁっ!」
巽は、自分の右腕を左手で掴みながら、痛みをこらえるかのように、地面に両膝をついた。その勢いに手を離してしまった道也は、あ然と成り行きを見守っている。
「あつっ…!」
その時、巽の頭の中に、のどかな田園風景が浮かんだ。立派な屋敷の一室に、花嫁姿の由良が澄まして座っている。
「由良?」
巽が声を掛けると、由良は不機嫌な顔になる。
「弥太郎様、さっそく浮気ですか?私は里華です。こんな日に、寝ぼけないでください」
「里華…」
そうだった。弥太郎は、今日、念願の花嫁を娶ったのだ。
「…夢みたいだ」
弥太郎は、爺様の名だ。巽はそこで、青龍の記憶を夢という形で追体験していることに気が付いた。
「夢ではありません。私が来たからには、碓氷家は安泰です」
里華は、覚悟を決めた顔で、そう言い放った。
「家はどうでもいい。俺はただ、お前を愛しているだけの男だ。それでもいいか?」
「弥太郎様…!」
潤んだ瞳で見上げてくる里華に、弥太郎はやや乱暴に唇を寄せた。
巽は、我にかえる。目の前が暗い。唇に柔らかな感触があって、なんだろうと舌先を伸ばしていた。
「弥太郎様…もっと…」
唇がずれた隙に、声が漏れ聞こえた。やけにリアルに聞こえて、わが耳を疑う。
「…由良?」
顔を離すと、いつの間にか腕の中に普段着姿の由良がいた。
「…え?やたろ…う…?」
由良のぼうっとした顔は、まだ夢の中にいるような気配を残している。由良も、巽に引きずられて、夢の追体験をしていたようだ。
「はなれて!いつまでくっついてるの!」
圭斗が、嫉妬に駆られた表情で、由良と巽を引き剥がそうとしている。我に返った由良は、慌てて巽から距離を取ろうとするが、意外としっかり腕を回されていて、逃げられずにいた。
「見せつけてくれるやん」
抱き合っている二人のすぐ近くから、道也が声を掛ける。
「コホン!そういうことは、人目のつかない場所でやって下さい」
少し離れた場所から、千隼が咳払いをした。
「やだ!」
今度こそ全力で抵抗する由良は、真っ赤になりながら、巽の腕の中から逃れた。
「爺様…」
巽が顔を上げる。御神木の立っていた場所は、これでもかというくらい何も無くなっていた。むき出しの土が、丸く広がっているだけだ。
パラパラと雨が降り出した。
「巽…泣いているの?」
由良が心配して声をかける。
巽は何も答えない。代わりに、右手を由良に突き出した。その手の甲には、青い石が鎮座していた。
「…いいの?」
由良は、おずおずと手を取り、尋ねる。巽は、黙って一つ頷いた。
由良も頷き返して、甲の石にそっと触れた。するりと石が手の甲から浮かび上がり、勾玉の形が顕になる。
由良は、それをキャッチして、巽の手を離す。すると、巽の身体が大きく膨れ上がり、青龍へと変化する。
先程空へと舞い上がった実体のない竜と寸分違わぬ、青い鱗の細長い胴体。長い髭にたてがみ。先の割れた角が二本に、大きく割れた口に鋭い牙が覗いている。空想上の生き物とされているものが、実物としてここにいる。
危機を察知した千隼、道也、圭斗が、由良と青龍の間に立ちはだかるが、不思議と由良に恐怖心は沸き起こらなかった。
「ありがとう、巽。これで四つ揃いました」
由良が微笑みかけると、青龍は浮かんでいた身体を着地させ、両足で地面に踏ん張り、空に向かって咆哮を上げた。
雨がいよいよ勢いを増し、本降りになる。
その勢いに圧されるように、青龍の身体も萎んでいき、元の巽の姿に戻った。服は破れてしまったので、由良がカーディガンを脱いで渡す。巽はそれを受け取って腰に巻き、なんとか体裁を保つと、三人に守られていた由良の手を取り、本家へと走り出した。
舞い戻って来た五人を、晴子は快く迎えた。全員分のタオルを手渡しながらも、巽が裸同然な姿で戻った経緯を、深くは追求しようとしない。
「夕飯の準備をするから、食べて行きなさい」
晴子の申し出に、由良が申し訳なさそうに辞退する。
「せっかくですが、急ぎ旅なので、巽さんの用意ができ次第、東京の実家に戻ろうと思います」
「でも…」
晴子が引き留めようとするのを、巽が遮った。
「すぐに着替えてくる。ちょっとだけまっていてくれ」
巽は、本当にすぐに服を着て戻って来た。長く伸びた髪もそのまま、着の身着のままという感じで、手荷物は全部ポケットで事足りるようだ。
「どうやって東京に戻る?新幹線か?高速バスか?」
「いや。君にも飛翔の術を覚えて貰いたい。慣れれば一人でも移動できるようになる便利な技だ」
千隼が巽にも術の型を一通り教え込む。
「目の前で消えた技だな。使う場所にも気を遣いそうだ」
「先導は由良に任せよう。神主様が、麒麟の喚び出し方を調べてくれているはずだ。さすがの僕も、勾玉をどう扱うかは、初めてのことでよく分からないからね」
千隼の言葉に、由良が意外そうに頷く。
「千隼でも分からないことがあるのね」
「あ!今、千隼って名前呼びした!」
圭斗が目敏く指摘する。
「え?そうだった?」
「由良、おれのことも名前で呼んでよ!」
「あれ?いつも名前で呼んでいるはずよ?圭斗くんって」
「くんは、いらない!」
「そやな、面倒だし、全員名前呼びに統一してもらおか」
道也が横から口を出す。
「道也、ずるい!おれが先に言ったのに」
「そうそう、その調子で頼んだで、圭斗」
豪快に笑い飛ばす道也に、圭斗は納得いかない顔つきになる。
「外は雨だから、玄関先から飛ぼう」
千隼の提案で、晴子を除く全員が玄関に移動し、靴を履く。
「準備はいいね?それじゃ由良、先導を頼む」
「分かりました。行きます!」
由良は頷き、全員でポーズを取ると、五人の姿が玄関口からいっぺんに消えた。