六
三人が現れたのは、消毒用アルコールの匂いが充満する場所だった。緑の術服を着込んだマスク姿の団体が、腰まである高さのベッドを取り囲んでいる。
「ここは…?」
手術室のようだ。辺りを見回す三人の目に飛び込んできたのは、横になっている人物の胸にある黒子のようなものに、今まさにメスを入れようとする医者の姿だった。
「あー!」
「だめ!」
道也と由良が同時に声を上げる。
「なんだね?君たちは?」
メスを操る手を止め、医師が三人をみとめる。すぐ隣にいた助手の一人が三人に近づき、先ずは由良を捕まえようとする。
「どこから入ってきた!部外者は立ち入り禁止だぞ」
由良の前に素早く立ち塞がった千隼は、助手の手を掴み、逆に捻り上げる。
「すみません。その患者に用があって来ました。手術は、中止してください」
「そんな勝手なことを!早く出て行き給え」
不利な体勢にもかかわらず、助手はにべもない。しかし、執刀医はすぐにメスを置いて、ライトを消した。
「みんな、今回の手術は中止だ。このままでは、雑菌の問題も出てくる。とりあえず、三人を患者の病室に連れて行きなさい」
「はい」
返事をしたことで、千隼の手から逃れた助手は、渋々執刀医の指示に従い、三人を手術室から追い立てるようにして下がらせた。背の低い看護師が先頭に立つと、三人の後から、式布を取り掛布を被せられた患者のベッドを押して、一緒に運んでくる。
ベッドを病室にセットすると、助手達は速やかに出て行った。
麻酔で眠っているらしい患者と三人だけにされて、手持ち無沙汰で辺りを見渡す。
「北原圭斗って名前らしいな。十三歳。男。AB型。…若いな!」
道也が、ベッドの柵に取り付けられた名札を見つけ、読み上げる。ベッドサイドの机には、花はおろか花瓶さえ乗っていない。病室は完全個室になっており、着替えなどの荷物は全てクローゼットに収納されているのか、余計な物が何一つ見当たらなかった。
「何も無い部屋やな。入院せずにいきなり手術ってあるか?」
「どうだろう?最近は日帰り入院とかも聞くが、その日の内に、勾玉を人工的に取り出そうとするのは、よほどのことが無い限りあり得ないな」
千隼は応えながら、そばにあった一つだけのパイプ椅子を引き寄せて、由良に座るよう促す。あまりにも自然な振る舞いに、由良は何も考えることなく、椅子に腰掛けていた。
「圭斗くん本人の了承を、きちんと得たのでしょうか?」
その時、先程の執刀医が、着替えた後らしく白衣姿で病室に入ってきた。
「ようこそ、北原病院へ。ここは、北原一族が個人経営する病院だ。私は北原和志。この子の…圭斗の遠い親戚筋に当たる」
北原和志は、眼鏡を掛けた柔和な表情の男だった。思ったより若そうだ。
「さっきの君の問だけれど、残念ながら、ノーだ」
「どういうことですか?」
由良が尋ねる。
「了承を得たかという質問だよ。圭斗は、産まれた時から胸に埋め込まれている鉱物の影響で、心臓が弱く、絶対安静を余儀なくされた子だった。その鉱物さえ取り除けば、普通に生活できると踏んで、強制的に手術に踏みきったのだよ」
「強制的に…。圭斗くんは、鉱物を取ることを嫌がっていたのですか?どうして?」
「それはよく分からない。手術が怖かったのかも知れないが…君たちにも駄目と叫ばれた。これは、何かあるなと思ってね」
「先生は、その鉱物に直接触れたことはあるんか?」
勾玉の秘密を知る道也が尋ねる。
「いや、患者に触れる時は、必ず手袋をしてるから、直接触れることは、看護師にもいないと思うよ」
ほっと息をつく道也に、由良が温かい視線を送る。
「北原さんが圭斗くんの親戚筋ならば、玄武の神子について、なにか耳にした事はありませんか?」
千隼の問い掛けに、由良と道也は焦るが、北原医師は落ち着いて応える。
「元々北原家は、神社を経営していたらしいね。それが玄武神社だったって話かな。圭斗は、その家系の末端に当たるらしいが、両親共に早くに亡くしているし、可哀想な子だよ」
その時、ベッドから甲高い悲鳴が上がった。
「いやぁぁぁ!止めてくれ!」
麻酔から目覚めた圭斗が、叫びながら頭を抱えて、蹲っている。
「圭斗、落ち着きなさい」
三人がビクッとするほど、北原医師が、太い声で声がけをした。
「うっ…!痛い、痛いよぅ…!」
胸を押さえる圭斗と、あらかじめ用意されていたらしい点滴のパックを確かめ、彼の腕に針を刺す北原医師のやりとりを、三人はハラハラと見守ることしかできなかった。
「大丈夫、いつもの鎮静剤だ。興奮しないで、落ち着いて…」
圭斗は、押さえていた胸にいつもの石があることを確認して、深いため息をつく。
「その石がそんなに大事?」
由良が思わず声をかけると、圭斗はビクリと跳ね起きた。
「あ、あんた…誰?」
圭斗が、びっくりした目をして、凝視してくる。
「はじめまして、圭斗くん。私は中野由良。由良って呼んでください」
由良は立ち上がり、はにかみながらぎこちなく微笑む。
「俺は、佐伯道也。白虎の神子や」
由良の前に立ちはだかるようにして、道也が前に出て、自己紹介をする。
「僕は南条千隼。朱雀の神子だ」
由良の隣から、ついでのように千隼も声を上げる。
「あ、あんた達、何者だ?」
千隼と道也の存在に、今気付いたとばかりに、圭斗は叫ぶ。
「あ?ちゃんと聞いとらんかったのか?俺達は、お前と同じ神子仲間だ」
「神子?神子ってなに?」
「そこからか…」
道也のため息に、圭斗がびくりと肩を揺らして反応する。
「道也だって、最初は知らなかったくせに」
千隼の指摘に、由良がクスリと笑みをこぼす。そんな由良の様子を、圭斗が再びじっと見つめ始める。
「あんたもなんかの神子なのか?」
「私?私は麒麟の神子っていわれています」
「おれも何かの神子なのか…?」
圭斗の質問に、千隼が念のため、北原医師に確認をする。
「ここは、北海道であっていますか?」
「え?ああ、そうだね」
「じゃあ、君は玄武の神子だ」
「玄武!玄武…って、爬虫類の化け物…?」
圭斗の言葉を聞いた由良は、室内の温度が急激に下がったような錯覚を覚えた。
「…それ、誰が言ったのですか?」
由良は、怒りを抑えて、静かに問いかける。
「死んだおばばが言ってた。おれの胸の石を取りに来る奴がいるって。取られたら最後、玄武っていう爬虫類の化け物になってしまうって」
「そんな迷信を信じているのか!」
意外にも、声を上げたのは、北原医師だった。北原医師は、由良たち三人の醸し出す雰囲気をものともせずに続ける。
「あの老婦人は、君の本当のお祖母さんじゃないと何度も言っただろう。信心深い方だったが、変わり者でも評判だった。そんな人のいうことを鵜呑みにしてはいけない」
「…先生、圭斗くんを外に連れ出すことは、可能でしょうか?出来れば、四人だけで話したいのですが」
由良の厳しい表情に、北原医師は、一瞬戸惑い、立ち竦む。
「あ、ああ、かまわないよ。今、車椅子を用意させよう」
由良の迫力に圧されて、北原医師は許可を出す。しかし、念を押すのを忘れなかった。
「ただし、くれぐれも圭斗を興奮させないようにね」
玄関を出たところで、看護師にかわって由良が車椅子を押す。しばらく歩いて、人気の無い、中庭の広場へと辿り着いた。
「車椅子って、操作がなかなか難しいのね!」
「おれが自分で操作すればよかった。慣れてるし」
「でも、私も慣れてきたよ」
石畳の上で、車椅子ごとクイックターンしてみせる。
「すごいや、由良!もっとやって!」
「いいわよ」
「こら!二人とも、遊んでないで話をしましょう。もうすぐお昼になってしまう」
千隼に叱られて、由良はしゅんとする。それを見た圭斗は、由良を庇うように口ごたえしてきた。
「別に遊んでない!話なんて、特にする必要ないっしょ」
「いや、俺達には、あるんや。おばばとやらの話、お前は迷信だと思うか?」
道也が尋ねる。
「別に!迷信だとかじゃなくて、おれが、おばばの言う事を聞かない時に、おどされ続けてきたから…」
「圭斗くんは、爬虫類が嫌いなの?」
今度は、由良が尋ねる。
「嫌いだよ!特に蛇なんて、みんなから嫌われてるっしょ!そんなものの化け物なんて、誰もなりたくないに決まってる!」
「取り消して!」
圭斗の言葉に被せるようにして、由良は強い口調で言った。
「え?」
怒った由良の表情を初めて見た圭斗は、焦り、戸惑う。
「化け物って言葉、二度と口にしないで!」
三人から、冷たい視線を送られて、圭斗はさらに戸惑った。
「ある意味化け物かも知れないけれど、神獣って呼ばれているのだよ、これでも」
千隼がため息をつきながら、あっという間に靴を脱ぎ、服を脱ぎ捨てて、朱雀に変化した。
「え?」
「しゃーないな。俺も、サービスしましょか」
道也も、同じく脱ぎ始めると、素早く白虎の姿に変化して見せた。
「えっ!」
「圭斗くん、もう一度言うけど、私達はそれぞれ朱雀の神子、白虎の神子、麒麟の神子。私が麒麟を喚び出すには、圭斗くんの持っている勾玉が必要なの。これ…」
由良は、紐で括られた二つの勾玉を取り出して、圭斗に見せる。
「二人から回収した、麒麟の力のかけら。神子の力の封印にもなっていたのね」
圭斗は、二柱の神獣に目を吸い寄せられたように、じっと見つめて逸らさない。
「ましてや、圭斗くんの勾玉は、身体の健康にも支障をきたしているみたいだから…私に預けてもらえないかな?」
由良の説得に、圭斗はハッと我にかえったように由良を見る。そして、ぷるぷると首を横に振ったかと思うと、自信なさげに視線を落とした。
「でも、二人はカッコいいけど、おれは、玄武だろ…いやだよ、そんな…化けも…むぐっ」
由良が、圭斗の口を手の平で塞いだ。
「それ以上は、言わせません!」
圭斗は呆然と由良を見上げた。
由良は神獣達に振り返り、元に戻るように頼んだ。すると、二人は大人しく人の姿に戻り、各々服を着直す。
由良は再び圭斗に振り向き、告げる。
「神獣でも、ちゃんと言葉も通じるし、落ち着けば、自分の意思で人の姿に戻ることが可能です」
己も辿るかも知れない、変化の術に対する恐怖心に負けないよう、自分に言い聞かせるように。由良は、圭斗にも言い聞かせた。
「圭斗君の場合、心臓に食い込むという、肉体的に不都合な場所に勾玉があるのだから、早く由良に渡したほうがいいよ」
千隼が、駄目押しのように言う。
「そうそう。興奮しない生活ってことは、女の子とエッチなことも出来ない身体ってことやろ?そんなん辛すぎるわ」
道也の言葉に、圭斗は顔を赤らめる。
「道也!セクハラ発言は慎めと言ったのに!」
千隼が真面目に怒っている。
「千隼こそ、年上に対する態度があかんで」
圭斗はしばらく逡巡した後、由良を見つめた。
「…どうすればいいですか?」
「え?」
「勾玉を渡すには、おれは、どうしたらいいですか?」
「あ、そうね。勾玉に触らせて下さい」
真っ赤なままの圭斗につられて、由良もほんのり赤くなる。
圭斗は、甚兵衛型の病院服の前をはだけさせ、胸の石を晒した。
「じゃあ、触ります」
圭斗が頷くと、由良は手を伸ばして、そっと黒い石に触れた。由良の指先の動きと連動して、黒い石が圭斗の身体から、ふわりと浮かび上がる。それをすかさずキャッチして、勾玉の形を確認した。
「これで三つ目が揃いました。ありがとう、圭斗くん」
にっこりと微笑む由良を見て、圭斗はぼんやりとする。
千隼と道也が駆け寄り、素早く由良を圭斗の前から避難させる。
「…変わらない?」
由良が千隼の肩越しに、圭斗を見る。
「うん、なんともない」
圭斗は、自分の両手を見ながら、開いたり閉じたりを繰り返す。最後に、もう何の形跡もない胸元を撫で下ろし、由良を見上げた。
「おれ…」
「よかったね、強い思いが、通じたのかも」
「うん、やった!」
圭斗は喜んで、車椅子から飛び上がった。その拍子に、ポンと音を立てて、玄武へと変身していた。
圭斗の玄武は、体長二メートル弱と、先の二人に比べて小ぶりで、亀の甲羅を持ち、鋭く尖った牙を持つ蛇の頭をしていた。
本人はパニック状態で、短い両の手足と尻尾をジタバタさせながら、鎌首をめちゃくちゃに振っている。
玄武の手足の動きに合わせて、激しい地震が起こった。三人はその場に立っていられずに、必死に地面に縋り付く。
「圭斗君!落ち着いて!元に戻るようにイメージして!」
千隼が声を張る。が、地鳴りが激しく、声は届かない。
庇われていた千隼の腕の中から、由良が抜け出し、玄武の首筋に飛びついた。
「圭斗くん!大丈夫、こわくないよ!」
すると、あっという間に、圭斗は人の姿に戻った。同時に、地震も収まる。
ほっとする由良に抱き込まれていた圭斗は、甘えるように顔を由良の肩口に乗せ、こわごわと呟いた。
「…気持ち悪くない?」
「カッコいいよ!」
「ふふ…ありがとう、由良」
立ち上がった千隼と道也は、視線を合わせ、やれやれというように笑い合った。
地震の規模は、それほど深刻ではなさそうで、四人は病院内の食堂で昼食をとることができた。圭斗は、北海道に置いていこうという案も出たが、本人たっての希望で、四人で次の目的地である青龍の神子さがしに飛ぶことになった。
圭斗は、普段着らしい恰好にきちんと着替えていた。元々長かった髪は、更に膝下まで伸びていたが、器用な北原医師の手によって、あっという間に短くされていた。むやみに玄武に変身するのを避けるため、圭斗は、やっぱり興奮しない生活を送る事になりそうだ。
「もう慣れてるし」
強がりにも、諦めにも聞こえる口調で、圭斗はそう嘯いていた。