一
東京都内にある古い小さな神社。黄金神社の朝は早い。
今年で十七歳になる中野由良は、正式な、はたまたアルバイトの巫女でもないのに、神主である養祖父に付き合わされて、毎朝四時に起きて雑務をこなしていた。
由良に本当の両親はおらず、祖父もまた血はつながっていない。それでも、二人仲良く、慎ましく暮らしていた。
由良は朝食の準備を終えて、社務所兼住宅の、茶の間のテーブルにご飯茶碗などを並べていると、祖父から声が掛けられた。
「ちょっと話があるのだが、本殿に来てくれないか?」
「はい。わかりました、お祖父様」
由良は、素直に祖父の言葉に従った。
渡り廊下を進むと、祖父はすでに神主の装束で祭壇の前に座している。由良も、高校の制服に身を包んでいて、ゴム手袋とエプロンを外してから、祖父の正面に座った。
「話ってなんですか」
祖父がそう躾けた訳でもないのに、由良は自宅でも丁寧語で話した。
「時が来た」
長い間の後、祖父は藪から棒に口を開いた。
「はい?」
「由良、そなたは将来巫女になりたいと言っていたな」
「はい、家のお手伝いが出来ればいいなと思っています」
「実は、お前はすでに神子なのだ」
「は?」
「みこと言っても、神の子どもと書いて、神子と読む。お前は、麒麟の神子なのだ」
「キリン?」
「そうだ、八百万の神を統べると謂われている聖獣麒麟の、その神子なのだ」
「はあ…」
由良は、理解不能といった顔で、とりあえず頷いた。
「というわけで、そなたには麒麟を召喚して貰いたい」
「………はい?」
由良の頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「召喚って、どうやって?何のために?そもそも私は普通の女子高生ですけど?」
「普通ではないだろう。その帯電体質」
「あっ」
由良は常に全身に静電気をまとっており、携帯電話は壊れてしまうので持てず、家電一般に触れるにも、ゴム手袋が必需品だった。
「でも、静電気なんて、誰でも多少は…」
「代々神子は、生まれた時に両親と死に別れる定めがある。子の力の大きさに両親共に耐えきれず死んでしまうのだ。由良は知らんと思うが、先代の麒麟の神子の傍系が、お前の母親だ」
「ソウデスカ」
自分が、血の繋がらない老人に引き取られて育てられた子どもだとは知っていたが、突然出生の秘密を知らされて、驚きよりも呆気にとられる由良だった。
「ここからが本題だ。実は、さるご令嬢が、未知のウィルスに感染してしまったようなのだ。そのご令嬢は尊い血筋にあり、麒麟の涙が万能薬になり得るとお告げがあったのだ」
「お告げ?誰がそんないい加減なことを言い出したのですか」
「馬鹿者。お告げをいい加減とは、なんたる暴言。それが神に仕えることを目指す者の言うことか!」
「すみません。言い過ぎました」
「…まあ、儂もお前を名指しされるまで、半信半疑ではあったのだが。お告げをくだされたのは、通称『桜の君』と呼ばれる大神官様だ。噂では、陰で世の中を操っているとまでいわれておる」
「ふうん、じゃあ、今回の感染騒ぎを引き起こしたのも、大神官様のご意向な訳ですか」
由良は、皮肉を込めて、鼻で笑った。
「そんなことがあるわけないだろうが!誰にも想定外のことは起こり得るもの。話を逸らすでない!」
「ごめんなさい」
殊勝に謝る由良に、老神主はため息を一つついて、頷いた。
「お前には、今日から学校を休んで、全国を巡る祈祷の旅に出てもらう」
「えっ!祈祷?今日から?」
「そうだ。ご令嬢の容体がいつ急変するやもわからん。急いだほうがいいのだか、何か不都合があるのか?」
「今日は、中間テストの最終日で、学校は午前中で終わります。それに、明日からはちょうどお休みですし」
「うむ…本当に午前中で帰るのか?」
老神主は、顎髭を撫でながら、考え込む。
「はい」
「わかった。それならば午後一番で出発することにしよう」
「その…ご祈祷すれば、麒麟が呼び出せるのですか?」
「そのようだ。因みに…」
老神主は意味深に声を潜めた。
「…お前はまだ恋人などおらんのだろうな?」
「ええっ?いません!そんな…気軽に話せる友達だっていないのに…どうして?」
由良はモゴモゴと言葉を濁す。
「これは大事なことなのだ。神子としての力がふるえるのは、処女童貞に限られるからな」
「そうなんですか」
由良は、真っ赤になって応えた。
「くれぐれも麒麟を呼び出すまでは、潔斎して置くように」
「わかりました」
神妙な老神主の物言いに、由良も真面目に頷いた。