やがて数秒後
第18章第22節の辺りで俺の世界は完全に書き換えられた
他人事だと思ってとんでもないこと言ってくれたもんだ
聖書にあんな馬鹿馬鹿しい記述がなければ
俺はもっと気ままに生きていられただろうに
そうだったら世界そのものが違っていただろうが
俺は別に苦しむことなく生きていたんだろうなあ
俺は幸せに生きられていたのだろうか
俺個人が幸せかどうかは別として
あるときそういう関係は特殊なものだと
無理矢理カテゴライズ、そして今に至る
それまでのんびり生きてたっていうのに
急に聖書だの神だのを利用し始めた
同性同士の関係はそれこそ昔からあって
それを“同性愛”と名づけたことからおかしくなった
僕らは発見されたものではなく創作されたもの
特殊な関係の罪人と
性的指向と性的嗜好は何が違うのだろう
“何が違うのだろう”とは何を導くのだろう
男女が愛し合うのはなぜだろう
単に子供を作るだけなら愛はなくていいはずだ
俺が君を愛することに何か理由はあるのだろうか
もしも全ての物事に理由があるのなら
そもそも僕らは何を求めているのだろう
僕らは他人が幸せになることの何が気に入らないのだろう
日本は昔、同性愛に寛容だった
男同士のセックスが浸透してただけだ
キリスト教が入るまでは寛容だった
つまりそれからはそうじゃないわけだ
江戸時代までは寛容だった
なぜそこまでしか遡らない?
明治、大正、昭和、平成、令和
ずっと“そこ”にいるのに
日本は昔から同性愛に寛容だ
とにかく間違ってるけど、要は、
“自分は寛容な人間だ”と言っている
寛容ねえ




