Beautiful Days
寛容といえば寛容なのだろう
あらゆる人に対して
同性愛者にも、障害者にも、外国人にも、
女性にも、子どもにも、貧困層にも、非正規社員にも
だって深い議論をしないんだもの
そこに差別があることを“気にしない”
こだわり始めると面倒臭いから
だからなあなあの態度で済ましてる
寛容といえば寛容なのだろう
だから一度トラブルが起きれば全力で封じ込める
和を乱すことは許さない
ただそれは一部の人がそうするだけじゃない
大多数の“触らぬ神に祟りなし”がそれを生み出す
味方だと名乗れば自分も攻撃されるかもしれない
だから何も言わなければ加害者にもならないと思ってる
そうして静かに人を殺してる
人権がない、ということは
強姦されても文句が言えない、ということ
殺されても何も言えない、ということ
何をどうぐちゃぐちゃにされてもどうしようもない、
ということ
差別の問題を考えることに抵抗感を抱くのは
“それ”に自分も関わっていると気づきたくないから
そしてこれまでそれを考えずに済んでいたことへの
罪悪感を覚えてしまうから
見たくないものには消えてほしい
見えなければないのと同じ
見えてしまったら消さなければ
だって“みんな”がそれを望んでる
“弱い”人たちがそのままなのは「かわいそう
」
でも権利を求めた途端に「お前のくせに生意気だ」
やっぱり知らず知らずのうちに見下しているのだろう
ある特定の条件下でしか応援をしないこと
それって差別と同じこと
そこに差別があるのを認めない
意地でも認めたくない
だって認めたら“美しく”なくなるから
だから何かの問題が起きたときは個人の問題にする
そうすれば自分たちは美しいままでいられる
そう私たちは美しい心を持っているのだ
だってここに差別はないから
そんな醜い世界はここにはないから
味方だと名乗り出れば自分も攻撃されるかもしれない
だから何も言わなければ加害者にもならないと思ってる
そうして静かに人を殺してる
ありえたかもしれない自分
ありえるかもしれない自分
彼が救われることであなたも救われる
彼女が苦しむことで
結局はあなたも苦しむことになる
どんな「クズども」でも
どんな「社会のお荷物」でも
“そうならないで”楽しく生きていられる世界
それって良いことだと思わないかい
思わないのかもしれない
だってあなたは“美しい”から
何をどうしたところでも変わらないのかもしれない
それが明らかな差別でも
あなたに“そのつもり”がないのなら




