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蓮の箱庭  作者: 朝羽岬
終章 蓮の箱庭
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蓮の箱庭

 潮風が、横髪を揺らす。今日のレンリは、横髪はそのままに後ろ髪だけを団子状にまとめていた。


 船上では、ミロクとセハルとレイが何やらはしゃいでいる声がしている。昨晩はシエンの計らいで城の一画に泊まったが、あまりの広さと豪華さのおかげで興奮が冷めやらないようだ。


「朝から元気なことだ」


 肩をすくめるレンリは、桟橋でシエンと肩を並べている。


「来てもらったかいがあったというものだね」


 あはは、と声を上げてシエンが笑う。昨日は、城にセハルが来たことで一悶着あったのだが、それも彼は楽しそうに対応していた。トラブルが起こると、ていの良いおもちゃを見つけたかのように目を輝かせるのは昔からだ。


「この騒動が無ければ、休戦協定を結ぶために城を訪れるつもりだった。ドゥルガーの使者としてな」


 シエンは笑うのを止めると、きょとんとレンリを見た。


「君がかい? なぜ?」


「ドゥルガーの王の願いを聞いてみたくなった。あまりにも純粋な少年だったのでな」


「おやおや。それは妬けてしまうね」


 シエンの手が、レンリの横髪に伸びる。


「僕の願いは、聞いてくれたことがないくせに?」


「願ったこともないくせに、よく言う」


 レンリは笑顔で、シエンの手を払いのけた。


「神なんて、一度も信じたことがないからね」


 シエンも笑顔で、肩をすくめる。


「良いよ。帰ったら、ドゥルガーに連絡を取ろう。ドゥルガーにも神にも興味は無いけど、君のことは気に入っているからね。それに」


 ちらり、と目だけで船上を窺う。騒いでいるミロク達は、気が付かない。


「もうしばらく、『ミロクの世』を見ていたくなった。そうなると、何かと争っている場合じゃないよね。ただ、おとなしく見届けたら、願いを一つ叶えてもらえると嬉しいかな」


 シエンはレンリを見て、ほほ笑んだ。


「願い?」


「そう。もし生を終えたら、君のところに連れていってはもらえないだろうか? これ以上、輪廻を巡るのは真っ平ごめん、だからね」


 まるで、これまでの前世を覚えているかのような口振りだ。レンリは、盛大にため息を吐いた。


「輪廻の外も楽しくはないかもしれんぞ? それでも、おまえは心から望むのか?」


 シエンは柔らかく笑って、「そうだよ」と告げる。レンリは目を閉じて眉間に皺を寄せると、こめかみの辺りを指で何度もほぐした。


「一応は、覚えておこう」


「ふふ。願いを受け止めてもらって嬉しいよ」


 それはそれは嬉しそうに、シエンは笑った。何が起こっても楽し気な男ではあるが、これほど顔を緩ませるところをレンリは見たことが無い。


「おーい、レンリ。そろそろ島に戻るぞ」


 船からミロクの呼び声がする。目の色も、レンリへの態度も、すっかり元通りだ。ただ、毛先だけは紫色が薄っすらと残っている。


「世界から少しだけ毒が無くなるのかな」


 毛先の紫色に、シエンも目敏く気付いたようだ。「さあな」と、レンリは肩をすくめる。


「では、私は行く。なるべく長生きしろよ、シエン」


「レンリには敵わないな。まあ、努力はしてみるよ」


 シエンは困ったような笑顔で胃を押さえ、空いた手をひらひらとレンリに振ったのだった。





 浜に置きっぱなしだった車に積もった砂と塩を軽く払い、ミロク達は街へと急ぐ。ミロクがセハルと出会った頃よりは日が長くなっているが、それでも日没が近い。


 にも関わらず、レイが「停めて、停めて」と騒ぎ出す。ミロクが口元を引きつらせながらバックミラー越しにレンリの様子を窺うと、「停めてやれ」との返事がきたため道端に車を停車させる。


「みんな、降りて。はーやーくー」


 レイは言うだけ言うと、すぐさま車から降りた。腰のあたりまで伸びた草をかき分けて、躊躇(ちゅうちょ)なく進んでいく。


「追った方が良いんじゃないか?」


 セハルの言葉にため息を吐いて、車を降りる。セハルとレンリも、レイに従うようだ。三人で、かき分けられた草の間を歩いていく。


 レイは、色とりどりの花畑の前で足を止めていた。車に乗っている間に見つけていたのか、誰かから聞いていたのかは分からないが、こういったものには相変わらず目敏い。


「見て。花の海っ」


 三人に振り返って両手を広げる彼女は、満面の笑みを浮かべている。レンリが、やれやれといったように息を吐いた。


「あんなことがあったというのに、元気なことだ。おまえは、この世界が嫌いにはならないのか?」


「どうして?」


 レイは、ことりと首を傾げる。


「ちょっと怖かったけど、助けに来てくれるって信じてたもん。お花畑は綺麗だし、ミロクもセハルもレンリ博士もいるし、この世界、好きっ」


 両手をめいっぱい伸ばして花の中を駆けていく彼女の後ろ姿を見て、ミロクは吹き出した。


「こんな世界でも、好きって笑えるなら。まあ、いいんじゃないか? なあ、レンリ」


「ああ、そうだな」


 どこかほっとした表情を浮かべるレンリの肩を、ミロクが笑いながらポンポンと軽く叩く。


「あんた、そんな顔もできるんだな」


 声を漏らしたセハルは、なぜか面食らった顔をしている。


「あんたって?」


「ミロクのことだよ」


 ミロクは「俺? そんな顔?」と言って、自分の頬を指で摘まんだ。


「なんて言うか、緩んだ、顔。生きてる感じがする。世界を遠巻きにしか見れないのかと思ってた」


「それは、レイのおかげであり、おまえのおかげでもあるだろうな」


 レンリが訳知り顔で口を開く。


「おまえの素直な心や言動が、こいつに良い影響を与えているようだ。保護者として礼を言う」


 頭を下げるレンリに、セハルは焦りながら「いや」だの「素直って」だのと単語を並べている。終いには「先に行く」と言って、背を向けてしまった。


 そんな彼の背中に、ミロクは思い立ったように言葉を投げかける。


「あ、なあ、セハル。頼むから、過去なんか思い出してくれるなよ? おまえとは、争いたくないからな」


 戦場で出会ったのが、目の前のセハルかどうかはミロクには分からない。ただ、戦神だった時の記憶さえも忘れて、レイと笑っている方が『らしい』と思ったのだ。


 「はあ?」と言いながら振り向いたセハルは、言っている意味が分からないと言いたげな顔をしていた。どうやら覚えていないらしい、とミロクが思っている内に、「もう、行くからな」とセハルは歩いていってしまう。


 「俺だって『もう』おまえとは争いたくないよ」という言葉は、ミロクの耳には届かなかった。ただ、レンリだけが「やれやれ」と言って、苦笑いを浮かべていた。


 そよ風が、花の甘い匂いをミロクの元まで運んでくる。毒が蔓延する『ミロクの世』など嘘のようだ。


「なあ、レンリ。結局のところ、俺は菩薩なのか?」


 世界中に毒を撒くような奴が菩薩なのか。ミロクはただ素朴な疑問を投げかけたつもりだったが、目の前に立つレンリは盛大に顔をしかめている。


「おまえが菩薩だって? 馬鹿も、休み休み言え。菩薩というものは、慈悲から生まれるんだ。おまえが現れたのは戦場だろう。戦場のどこが慈悲だというんだ。そもそも、名付けたのは私だ」


「た、たしかに」


 あまりの剣幕にミロクが上体を後ろに退けると、レンリは長く息を吐いた。


「自分の存在のあり方など、深く気にしなくても良い。大抵の奴は、そんな大層なことを考えながら生きてはいない。おまえと同じ、私の欠片であるヒガンの祖父とてそうだろう。『種の保管計画』などと立派なことをやっているように聞こえるが、所詮は自分の考えを推し進めたにすぎないんだ」


 レンリが、ミロクの目を覗き込む。彼女の瞳は榛色のままだったが、ミロクはその瞳から視線を逸らすことができなかった。


「おまえはレイに、哀しみも憎しみも与えたくはない、と言うのだろうな。そういった世界を作ることは、実は簡単なことなのだ。楽以外の感情を捨てさせれば良い。たとえ大事なものが奪われようと、心が楽しか生まなくなるのだからな。しかし、それは心が壊れているとも言えよう。それは、おまえが望むことか?」


 ミロクは即座に、首を横に振った。それを見て、レンリが小さくうなずく。


「負の感情は、乗り越えることが可能だ。さっきのレイを見ただろう? 悩む前に、信じてやれ」


 すっと、レンリが花畑の中央を指差す。ミロクが視線で追うと、満面の笑みを浮かべたレイがミロクを呼んでいた。


「ほら、呼んでいるぞ。早く行ってやると良い」


 「ああ」と返事をしたミロクは、レンリに背を向ける。


「今、行くから待ってろよ」


 「うん」と返事をしたレイは、先にやって来たセハルと共にその場でしゃがみ込んで、花を愛でながら笑顔で話し合っている。兄と妹のような二人へと向かうミロクの足も、段々と速くなっていった。


 そんな三人を見て、レンリはほほ笑みを浮かべた。


「おまえが菩薩かどうかなど、既にどうでも良いことだ。愛しい箱庭の一つとして、おまえの世を見守ってやるとしよう」


 レンリの体が五色の光りに包まれて、消えていく。


「何か言ったか? レンリ」


 ミロクが振り向いた時には、淡く光る五つの球が浮いているだけだった。それもまた、泡のように弾けて消える。


「レイッ。セハルッ。レンリが消えたっ」


 花畑に向かって、焦ったようにミロクが叫ぶ。しかし、レイもセハルも「レンリ? 誰それ?」と言って、首を傾げるばかりだった。







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