戦場と僧衣の男
真っ白であるはずの研究所の壁が、薄い紫色に染まる。レンリが窓の外を見ると、世界は紫色の光りに包まれていた。窓の近くにいた研究者からざわめきが広がり、居合わせた者が次々と窓の傍に寄っていく。
窓と研究者達とを遠巻きに見ていたレンリを、部屋に入ってきたシエンが呼んだ。
「戦場で何かが起こったらしい。カメラの番号を指示するから、モニターに映してくれるかい?」
「分かった」
レンリは室内で一番大きなモニターを立ち上げると、シエンの指示通りにキーボードを打った。真っ黒だった画面が、輝かしい紫色へと変わる。最前線にいる部隊が持たされたカメラのようだが、人も車両も視認することができない。
窓に寄っていた研究者達も、モニターの前に集まってくる。みなが興味津々で画面を見ている中、レンリだけは目を逸らした。
「強い光だな。あまり見続けると目が焼けるぞ」
「いや。もう治まりそうだよ」
シエンの言葉を受けてレンリが画面に視線を戻すと、徐々に眩さが消えていった。窓の外を確認しても、世界を染めていた紫色が霧のように薄れていっているのが分かる。
「とりあえず、兵士達はみんな無事のようだけど」
人も車両も、まだ影ではあるが確認することができるようになった。それと共に、僧衣をまとった男の姿も見えてくる。
「彼は、誰だろうね? なぜ戦場に,、僧侶なんているんだろう?」
問うシエンは、楽しそうにモニターを眺めている。僧侶と、彼の周囲を囲う重火器という不釣り合いな組み合わせに、研究者達も訝しむように画面を見つめている。
離れている場所でも怪訝に思っているのだ。現場に居合わせた者達に動揺が広がるのは、当然のことなのかもしれない。耐えきれなくなった兵士の一人が、僧侶に向けて銃を放った。銃弾は、僧侶の左肩を貫通したように見えた。
だが、彼は倒れなかった。
兵士達の間に、更なる動揺と恐怖が伝搬していったようだ。四方八方から、僧侶は撃たれた。それでも彼は倒れずに、静かにその場に佇んでいる。
「何者だ、あいつは?」
「化け物か?」
研究所内も騒がしくなり、あちこちから憶測が飛び出す。レンリは横目で、室内で最も冷静でいるらしいシエンを見た。
「あいつを保護した方が良いんじゃないか?」
「興味があるのかい? レンリ」
「無い、と言えば嘘になるだろうな」
「君が、そう言うのなら。ドゥルガーに連れていかれても、厄介なことになりかねないしね」
ふふっと笑ったシエンは、通信機を取り出した。
「こちら、シエン。第十三部隊に告げる。僧衣の男を保護せよ。必ず、父ではなく、僕のところに連れてくるように」
果たして、男の保護は想像以上に速やかに行われたらしい。というのも、男はただ立ち尽くしているだけで、抵抗らしい抵抗も見せなかったというのだ。
保護された男は、翌日にはシエンの前に突き出された。場所は、光を見た時と同じ、研究所の一室。レンリはもちろんのこと、ヒヨクや他の研究者達も居合わせていた。男の姿を改めて見た彼等は、一様に目を瞬かせた。まとう僧衣も、目や髪の色も、濃淡はあれど全てが紫色だったのだ。
「彼こそ『シエン』といった感じだね」
思わず、といったようにシエンが苦笑する。レンリは首を傾げた。
「異国の言葉か?」
「紫色の炎のことだよ。炎色反応で、最も高い温度のことさ」
「僕には、青色に見えるけど。ああ、いや、彼のことじゃ、なくて」
珍しく口を挟んだヒヨクは、首がどうにかなってしまうのでは、と疑うほど勢いよく横に振った。シエンが彼の旋毛を抑えると、首の動きがピタリと止まる。愉快そうにシエンは笑った。
「博士は、僕と同じ種類の人間なんだね。興味があることにしか知識を得ようとしない。色というものはね、全ての人が等しく見えているわけではないんだよ」
「そ、そうなんだ」
長い袖を口元に当て、上目づかいでシエンを見るヒヨクは幼子のようだ。そんな彼にうなずいてから、シエンは全身紫色の男を見た。
「さて。君、名前は? 突然、戦場に現れた理由についても、話してもらいたいのだけど」
男は、問いに応じる気はあるようだった。しかし、口から出てくるのは「あ」だの「う」だの言葉にならない声ばかり。これには、シエンも目を丸くした。
「口がきけないのか?」
「場に慣れていないだけではないか?」
小首を傾げて男を観察していたレンリは、「どれ」と言って彼の前に立った。それから、手のひらを男の口の前にかざした。
「落ち着け。ただ、声を並べていけば良い」
男は一度瞬きをすると、口を開いた。
「なまえはない。なぜあそこにいたのかも、おぼえていない」
「良い子だ。おまえは綺麗な目の色をしているな」
レンリはかざしていた手を下ろすと、男の目を覗き込んで笑った。
「極楽浄土でも見てきたのか?」
問いに、男の反応は無い。研究者達は「何を言っているんだ?」だの「極楽浄土とはなんだ?」だのとささやき合っていたが、レンリは全て無視した。
「極楽浄土、か。かつての宗教の言葉だったかな」
シエンが呟いたが、レンリはそれさえも無視して、ただ笑みを深める。
「では一つ、私がおまえをこの世界に縛り付けてやろう。これからは『ミロク』と名乗るが良い」
「みろく……?」
男は、無表情のまま反芻した。レンリは、満足そうにうなずく。
「そうだ。名を持てば、おまえはこの世界から認識されるようになる。おまえの世を生きてみろ」
やはり研究者達が訳が分からないとざわめく中、シエンだけが愉快そうに二人を眺めて笑っていた。




