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蓮の箱庭  作者: 朝羽岬
第4章 戦場と僧衣の男
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戦場と僧衣の男

 真っ白であるはずの研究所の壁が、薄い紫色に染まる。レンリが窓の外を見ると、世界は紫色の光りに包まれていた。窓の近くにいた研究者からざわめきが広がり、居合わせた者が次々と窓の傍に寄っていく。


 窓と研究者達とを遠巻きに見ていたレンリを、部屋に入ってきたシエンが呼んだ。


「戦場で何かが起こったらしい。カメラの番号を指示するから、モニターに映してくれるかい?」


「分かった」


 レンリは室内で一番大きなモニターを立ち上げると、シエンの指示通りにキーボードを打った。真っ黒だった画面が、輝かしい紫色へと変わる。最前線にいる部隊が持たされたカメラのようだが、人も車両も視認することができない。


 窓に寄っていた研究者達も、モニターの前に集まってくる。みなが興味津々で画面を見ている中、レンリだけは目を逸らした。


「強い光だな。あまり見続けると目が焼けるぞ」


「いや。もう治まりそうだよ」


 シエンの言葉を受けてレンリが画面に視線を戻すと、徐々に眩さが消えていった。窓の外を確認しても、世界を染めていた紫色が霧のように薄れていっているのが分かる。


「とりあえず、兵士達はみんな無事のようだけど」


 人も車両も、まだ影ではあるが確認することができるようになった。それと共に、僧衣をまとった男の姿も見えてくる。


「彼は、誰だろうね? なぜ戦場に,、僧侶なんているんだろう?」


 問うシエンは、楽しそうにモニターを眺めている。僧侶と、彼の周囲を囲う重火器という不釣り合いな組み合わせに、研究者達も訝しむように画面を見つめている。


 離れている場所でも怪訝に思っているのだ。現場に居合わせた者達に動揺が広がるのは、当然のことなのかもしれない。耐えきれなくなった兵士の一人が、僧侶に向けて銃を放った。銃弾は、僧侶の左肩を貫通したように見えた。


 だが、彼は倒れなかった。


 兵士達の間に、更なる動揺と恐怖が伝搬していったようだ。四方八方から、僧侶は撃たれた。それでも彼は倒れずに、静かにその場に佇んでいる。


「何者だ、あいつは?」


「化け物か?」


 研究所内も騒がしくなり、あちこちから憶測が飛び出す。レンリは横目で、室内で最も冷静でいるらしいシエンを見た。


「あいつを保護した方が良いんじゃないか?」


「興味があるのかい? レンリ」


「無い、と言えば嘘になるだろうな」


「君が、そう言うのなら。ドゥルガーに連れていかれても、厄介なことになりかねないしね」


 ふふっと笑ったシエンは、通信機を取り出した。


「こちら、シエン。第十三部隊に告げる。僧衣の男を保護せよ。必ず、父ではなく、僕のところに連れてくるように」


 果たして、男の保護は想像以上に速やかに行われたらしい。というのも、男はただ立ち尽くしているだけで、抵抗らしい抵抗も見せなかったというのだ。


 保護された男は、翌日にはシエンの前に突き出された。場所は、光を見た時と同じ、研究所の一室。レンリはもちろんのこと、ヒヨクや他の研究者達も居合わせていた。男の姿を改めて見た彼等は、一様に目を瞬かせた。まとう僧衣も、目や髪の色も、濃淡はあれど全てが紫色だったのだ。


「彼こそ『シエン』といった感じだね」


 思わず、といったようにシエンが苦笑する。レンリは首を傾げた。


「異国の言葉か?」


「紫色の炎のことだよ。炎色反応で、最も高い温度のことさ」


「僕には、青色に見えるけど。ああ、いや、彼のことじゃ、なくて」


 珍しく口を挟んだヒヨクは、首がどうにかなってしまうのでは、と疑うほど勢いよく横に振った。シエンが彼の旋毛(つむじ)を抑えると、首の動きがピタリと止まる。愉快そうにシエンは笑った。


「博士は、僕と同じ種類の人間なんだね。興味があることにしか知識を得ようとしない。色というものはね、全ての人が等しく見えているわけではないんだよ」


「そ、そうなんだ」


 長い袖を口元に当て、上目づかいでシエンを見るヒヨクは幼子のようだ。そんな彼にうなずいてから、シエンは全身紫色の男を見た。


「さて。君、名前は? 突然、戦場に現れた理由についても、話してもらいたいのだけど」


 男は、問いに応じる気はあるようだった。しかし、口から出てくるのは「あ」だの「う」だの言葉にならない声ばかり。これには、シエンも目を丸くした。


「口がきけないのか?」


「場に慣れていないだけではないか?」


 小首を傾げて男を観察していたレンリは、「どれ」と言って彼の前に立った。それから、手のひらを男の口の前にかざした。


「落ち着け。ただ、声を並べていけば良い」


 男は一度瞬きをすると、口を開いた。


「なまえはない。なぜあそこにいたのかも、おぼえていない」


「良い子だ。おまえは綺麗な目の色をしているな」


 レンリはかざしていた手を下ろすと、男の目を覗き込んで笑った。


「極楽浄土でも見てきたのか?」


 問いに、男の反応は無い。研究者達は「何を言っているんだ?」だの「極楽浄土とはなんだ?」だのとささやき合っていたが、レンリは全て無視した。


「極楽浄土、か。かつての宗教の言葉だったかな」


 シエンが呟いたが、レンリはそれさえも無視して、ただ笑みを深める。


「では一つ、私がおまえをこの世界に縛り付けてやろう。これからは『ミロク』と名乗るが良い」


「みろく……?」


 男は、無表情のまま反芻した。レンリは、満足そうにうなずく。


「そうだ。名を持てば、おまえはこの世界から認識されるようになる。おまえの世を生きてみろ」


 やはり研究者達が訳が分からないとざわめく中、シエンだけが愉快そうに二人を眺めて笑っていた。


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