蓮の花びら
思わぬ報告に、ミロクは目を見開いた。ヒカを振り返って睨みつけると、彼女は何度も首を横に振った。
「わ、私ではありません。急に、こちらにルテン様がいらして。それで」
「ルテンだと?」
ミロクの毛が逆立つ。ヒカは短く悲鳴を上げて、後ずさった。
ルテンは、ヒヨクを一方的にライバル視している科学者だ。純粋に技術で競争すれば良いのだが、彼はヒヨクの技術を盗みだし、ヒヨクをいかに陥れるかだけを考えているらしい。レイだけを連れ去ったことを考えても、|ろくなことをしないと容易に想像できる。
「落ち着け、ミロク」
ミロクとヒカの間に立ったレンリは、そのままシエンを見た。
「ルテンの居場所は分かるか?」
「すぐに突き止めよう。こちらが迷惑を掛けている以上、全員を無事に帰さないとね」
シエンは通信機を取り出すと、ルテンを探し出すよう指示をし始める。
「ルタとフェイファは、ホウガ達を外へ案内してやってくれ。外にいる軍人に声を掛ければ、港まで送ってもらえるだろう」
「分かった。俺が先に行って、声を掛けてこよう」
一足早く、ルタは廊下を歩いていく。フェイファは部屋の中に留まっている女達を見ると、笑って手を振った。
「じゃあ、みんな。俺に付いてきてほしいっす」
フェイファが歩きだすと、次々と女達も部屋を出てくる。三十人ほどいるだろうか。ヒヨクの身勝手な装置のおかげで、研究所の上階に所属する人間の姿は無い。疲れた顔をしている者もいるが、全員怪我は無いようだった。
ミロクは、いまだにつなぎを掴んだままのホウガを見下ろす。
「ホウガも、みんなと一緒に行け」
「そんなこと言って。ちゃんと冷静でいられるの?」
眉を吊り上げるホウガに、ミロクの目が思わず泳いだ。レイのこととなると、自分を見失う時があるのは自覚しているのだ。
「自信は、無い。が、セハルとレンリがいるから、なんとかなるだろ」
ふと、セハルと目が合った。セハルは驚いたように、こちらを見ている。「セハル?」と問うと、はっと我に返ったセハルが力強くうなずいた。
「俺がいるし、ちゃんとレイは助けてくる。だから、安心してほしい」
ホウガに話す顔は、どことなく嬉しそうだ。ホウガは「ミロクくんが、レンリさん以外の人をここまで信頼するなんて」と、訳の分からないことを小声で呟いている。
「分かった。先に行って待ってるから。くれぐれも気を付けてね」
彼女は小さく手を振ると、足早にフェイファ達の後を追った。
「ったく、なんなんだ」
ミロクは乱暴に髪をかき上げる。ふと、視界の端で刃物がきらめくのが見えた。
「レンリッ」
両手にナイフを持ったヒカが、ホウガ達を見送るレンリの背後に迫る。ミロクの呼び声で、レンリが振り返った。
刃物を視界に捉えたレンリの瞳が、五色の光に揺らめく。と同時に、ナイフの切っ先が赤く光り、真っ赤な蓮の花びらへと変わった。見る間に光は柄まで広がり、花びらとなって散っていく。
赤い輝きはナイフだけに留まらず、ヒカの手にも移った。
「ナイフを放せっ」
「だめ。放せませんっ」
ミロクの声に、ヒカは恐怖で顔を強張らせながら首を横に振った。放せないのは、自分の意思ではないようだ。指が、手首が、花びらへと変わっていく。
助けに入ろうとしたセハルの腕を、ミロクが掴んで止めた。
「待て。おまえまで花びらになるぞ」
「だけど」
言い募ろうとするセハルを片手で押さえたまま、ミロクはポケットに入れっぱなしになっていたリキッドの空き瓶をヒカの手元に投げる。瓶はヒカに振れた途端に赤く輝き、蓮の花弁となって散ってしまった。
「もう、どうしようもねえ」
「シエン様っ」
ミロクの言葉が聞こえたのだろう。悲痛な表情を浮かべて、ヒカはシエンに助けを求めた。
対して、シエンは微動だにしなかった。ヒカの肩が赤く輝いても、腕が花びらとなって散っても、表情を動かすことはなかった。
「シエンさ」
ついに全身に赤い光が回ったヒカは、蓮の花びらへと姿を変えてしまった。ミロクとセハルは、呆然とヒカがいた場所を見つめる。大理石の床に、赤い花びらの山ができていた。出入り口から来るそよ風で、山の一部がむなしく揺れている。
レンリさえ黙って花びらの山を見つめる中、シエンだけが違った。
「レンリ。君は、いったい何者だい?」
レンリを見つめる彼の表情に、哀しみの色は一切ない。さすがに、レンリも眉をひそめた。
「言うことは、それだけか?」
「責めてほしいの? そんなことをしても、ヒカは帰らないよね? それくらい理解しているよ」
首を傾げるシエンの言葉には、非難する色もない。ただ純粋に、疑問を発しているだけだ。
「それに僕の興味は、君の存在にしかないんだ」
レンリはしばらくの間、信じられないものを見るような顔をしていた。しかし、諦めたように息を吐く。
「一刻も早く、レイを見つけるべきだな。私が何者なのかは、道すがら話してやる」
その言葉を聞いて、シエンの顔がぱっと輝いた。
「分かった。そういうことなら、さっそく車に乗ろう。車の中の方が話しやすいだろうし、連絡がきたらすぐに動けるからね」
ミロク達に背を向けて建物の外へと向かうシエンは、幼い子供のように無邪気に見える。彼に見向きもされなかった蓮の花びらを、セハルが一枚摘まみ上げた。
「やったことは許せないが、浮かばれないな」
「ああ。せめてものってだけにはなるが。シショクの奴等に頼んで、瓶詰か香り袋にでもしてもらうか」
ミロクの提案に、レンリがうなずく。
「自室に置くよう、シエンに言おう。あんな男でも、ヒカとしては傍にいたいのだろうからな」
花びらの山の前に膝をついたセハルは、丁寧に花びらを両手で掬った。掬いきれなかった花びらを、ミロクが集めて持ち上げる。それでもなお、すくいきれなかった花びら達が風に揺れている。ミロクの手の中にある蓮の花びらは大きく厚みもあるが、それでも軽い。
建物の外に出ると、すぐにフェイファが駆け寄ってきた。
「ミロク兄。セハル君も。酷い顔してるっすけど、なんかあったんすか?」
「ああ、いや。ホウガは、いるか?」
ミロクのごまかしを追及することなく、フェイファは島の女達の集まりを振り返ると「ホウガのねーちゃーん」と大きく手を振る。誰かと話していたらしいホウガは、人を押し避けて小走りで近寄ってきた。
「なあに、フェイファくん?」
「ミロク兄が、用があるって」
「ミロクくんが?」
ホウガはきょとんとミロクの顔を見上げた後、手元を見た。次いで、セハルの手も見ると瞬いた。
「二人とも、どうしたの? 花びらなんて大事そうに持って」
「ああ。これで、瓶詰なり何なり作ってもらえねえかな」
ホウガの目が、ますます丸くなる。らしくないことを言っていることは、ミロク自身も自覚している。
「いいけど。作って、どうするの?」
「あいつに、くれてやろうと思ってな」
追いついたレンリが、高級車を顎で示した。既にシエンが乗っているはずだが、車外からは窓が黒塗りに見え、中を窺うことはできない。それでも何かを察したのか、ホウガは口元に手を当ててニヤニヤと笑った。
「なるほどねー」
「そういうことではない」
レンリの眉間に皺が寄るが、「またまたー」と言いながらポケットからハンカチーフを取り出したホウガは、まるで気にしていない。彼女が広げた大判のハンカチーフは、柔らかなスミレ色だ。
「それも、ホウガが染めたのか?」
「うん、そう。この色大好きなの。ミロクくんにも似合いそうね」
右肩に、柔らかい布が当てられる。その色はミロクに複雑な思いをもたらしたが、「そうか?」と聞き返すだけに留めた。うなずいたホウガは、再びハンカチーフを広げなおす。
「包んで持っていくから、この上に乗せて」
言われるままにミロクが花びらを乗せると、横からセハルも手を伸ばした。蓮の花びらの山を、ホウガは潰さないよう柔らかく包み込む。
「日持ちさせたいなら、ただ瓶に詰めるより乾かした方が良いかも」
「その辺りは、ホウガに任せる」
「分かった」
ホウガは大事なものを抱えるように包みを持つと、シショクの仲間たちの元へ帰っていった。二言、三言話した後、こちらを振り返る。見習いの二人が手を振るので、ミロクも振り返してやった。
「さっき、こっちの王様が、みんなに先に島に帰ってるように伝えてたっす。ミロク兄達は、別に用があるからって」
「その方が良いだろうな。みな、早く帰りたかろう。ルタとフェイファも先に戻れ。観測区は浜に近いが、それ以外は足が必要だ。誰かしら捕まえろ。それに、あの軍艦では浜に直接寄せることはできん。小舟を出すことになるだろうから、乗り降りを手伝ってやってくれ」
「分かったっす」
レンリの指示にフェイファは大きくうなずくと、ルタのところまで走っていった。身振り手振りを交えながら、指示を伝えているのだろう。手足を動かすフェイファにルタがうなずきながら、時折こちらを見てくる。
「さて。我々も車に乗り込むか。あいつがお待ちかねだし、早いところレイを助けてやらねばならん」
「そうだな」
ミロク達はフェイファとルタに手を振ると、シエンが待つ車に乗り込んだ。最奥に座る男は、優雅に足を組んでいる。
「花びらを加工したものを後で送る。部屋に置いてやれ」
「ふうん。良いけど」
シエンは組んでいた足を解放すると、腰を下ろしたレンリに顔を近付けた。
「そんなことより、話してくれるんだよね?」
目を輝かせるシエンの肩を、レンリは鬱陶しそうに押して遠ざける。向かいに座ったミロクとセハルをちらりと見ると、口を開いた。
「私は、何者でもない存在だ。何千何億とも知れぬ『世界』と名の付いた箱庭を見守り、興味が湧けば人間でいう髪の毛一本をその世界へと送り込む。私がこの世界に来たのは、人が人でないものを造り上げようとしていたからだ」
「何者でもない?」
シエンの問いに、レンリはうなずく。
「実体も無ければ、名も無い。思念体、とでも言おうか。人は、私を好きなように名を付け、崇めるが。『レンリ』という名も、人でないものを造り上げた男の名に沿ったものだ」
「ヒヨク博士だね」
シエンの確認に、レンリは再びうなずいた。
「パーパの研究所に入り込みはしたが、特にこれといって何もしていない。基本的には世界に干渉せず、ただ見守るのみを通す。ただ、パーパとドゥルガーが戦争になり、激化していく中で思わぬことが起こった。戦場のど真ん中に、突如そいつが現れたのだ」
レンリの瞳が、真っ直ぐにミロクを捉えた。




