職人街
街中の大通りは平たい石を敷き詰めて舗装されているが、橋を渡って森に入ると土を踏み固めただけの道となる。島を走る車の台数は多くないが、轍ができていた。今日は晴れているから気にならないが、雨が降れば水が溜まる。洗車するだけの時間も水も確保が難しいため、運送班が使う車はどれも泥はねだらけだ。
窓を閉めたレイは、ご機嫌に歌っている。選曲は適当で、ゆったりとした曲を歌っていたかと思えば、テンポの速い曲を歌いだす。島の公用語はパーパとドゥルガーという二つの国の言語だが、たまに異国の言語の曲も混じる。島で暮らす人間の多くはパーパの出身だが、異国の人間もちらほらといる。基本的に人見知りをしないレイは、ミロクが知る以上の人間から歌を教えてもらっているようだ。
レイが歌うのに飽きた頃、車は小さな集落に着いた。島中の服や雑貨の制作を一手に引き受けるこの集落は『職人街』と呼ばれている。ミロクは職人街の役場の前に車を止めた。
二階建ての役場は、一階の壁は鉄板、二階の壁は木の板、という一風変わった佇まいをしている。その時、調達できた資材を適当に使った結果できたものらしい。
「こんにちはー。リキッド、持ってきましたー」
大きな声で中へと呼びかけたレイは、かかとを上げ下げしたり、体を右に左に揺らしながら待っている。その隣りで、ミロクは注文票を確認する。今日運んできたものは一種類しかないし、箱数に間違いはない。
うなずいたところで、中から青年が姿を現した。
「悪い、テンガ。遅くなっちまった」
「大丈夫だよ。連絡は貰っていたしね」
テンガは、ミロクとレイにほほ笑んだ。見ている者が安心感を得るような、柔らかく不思議な笑顔だ。ミロクは島外で、過去に忘れ去られた仏像というものを見たことがあるが、その顔にどことなく似ているかもしれない。
そんな彼の後ろから、更に男が二人出てきた。どちらもきっちりとボタンを留めていて、生真面目を絵に描いたような人物だ。
「テンガさん。荷物運びは私達に任せてください」
男の申し出に、テンガは「ありがとう」と短く礼を言った。
「お言葉に甘えて、僕たちは見回りに行こうか」
「やったー。見回り、見回り」
「おい、レイ。遊びじゃねえんだぞ」
はしゃぐレイに、ミロクは苦い顔をする。テンガは、「まあ、いいじゃないか」となだめた。
食料代わりのリキッドを集落へ運び、近況をとりまとめて研究所に報告するのがミロクの仕事の一つだ。集落の代表者と共に集落を見て回り、変化や要望を聞き取りする。集落の代表者は研究所が指名しているため特に揉め事はなく、荷運びが腰に負担が掛かるものの気楽な仕事だった。
集落はさほど広くもなく、ミロクでも迷うことなく歩くことは可能だ。それでもテンガに付き従う。職人街は常に、人の声や木を削る音、機を織る音、金属を打つ音など、様々な音で溢れている。
「ここ半月は人の移動も無かったし、特に変化は無いよ」
ミロクとテンガは、島に在中する前からの知り合いだ。テンガは力むことなく、世間話をするかのように報告する。
「それより、医師の派遣を希望してるけど、まだ叶いそうにないかい?」
「レンリが上層部を何度かつついてくれているが、難しそうだな。どこも人手不足だし、医師となると人材が限られるし。腕の良い奴なら、ここにいるんだ。我慢してくれ」
テンガは物腰の柔らかさからは想像もつかないが、元軍医だ。怪我にしろ、簡単な内科の症状にしろ、経験は豊富にある。
ミロクがテンガの肩を軽く叩くと、彼は恨みがましい目でミロクを見た。
「ヒヨクお抱えの整形医を回してくれたって良いと思うんだけどな」
「あいつは美容専門だぞ?」
「医者であれば、それなりに勉強はしてるよ。助手くらいにはなってくれるはずだ」
「まあ、一応はレンリに言ってみるが。ヒヨクが手放さないんじゃないか?」
「言ってみただけで、期待はしてないよ」
テンガはため息を吐くと、前方を指差した。集会所として使われる一画だ。と言っても、角材の柱と波打つトタン屋根だけの、簡単な建物だ。屋根の下には三十人ほど入ることができるが、悪天候時は雨風を凌げそうにない。
「そういえば、広報をお願いしたい事があってね。来月の三日から五日にかけて、スクラップ市をやる予定なんだ」
「分かった。てことは、また休みなしか」
ミロクは空を仰いだ。島にある車の台数は限られているし、運転できる者もやはり限られている。仕事ではリキッドと報告を持って走り回っているが、休日も催し物がある度に誰かしらの足として使われるのだ。
嘆くミロクに、テンガは「ふふっ」と笑い声を漏らした。
「べつに嫌じゃないくせに」
「まあ、運転は嫌いじゃないけどな」
ミロクは乱暴に頭を掻いた。指の間から、肩まで伸びた髪が流れ落ちる。ろくに手入れをしていない、藁色の髪だ。
「スクラップ市も嫌いじゃない。拾う場所のことを思うと複雑だけどな」
「うん。僕ももう、あの場所には立ちたくないかな」
島内で使われている金属類は、全て島外から持ち込まれたものだ。ミロクが乗る車も、元々打ち捨てられていたものを修理して、どうにか使用している。それらの多くは戦場だった場所か、戦争によって滅んだ集落で拾われていた。
軍医時代を思い出したのか、テンガの黒い瞳は哀しみの色を帯びている。人前では冷静でいたテンガが暗い廊下で一人苦しんでいる姿を、ミロクも一度見たことがあった。経験豊富ではあるが、看取った命もまた多いのだ。
金槌の音が響く中、不意にレイがテンガの腕に抱きついた。テンガは目を丸くすると、彼女の丸い頭を優しく撫でる。ミロクよりも更に色素の薄い真っ直ぐな髪が、手の動きに合わせて揺れる。
「大丈夫だよ。レイは、優しい子だね」
「俺に似てな」
「ええ? そうかな?」
笑うテンガの瞳からは、もう哀しみの色が消えていた。大丈夫だと悟ったのだろう。レイはそっと腕を解放する。
テンガはもう一度レイの頭を撫でてから、ミロクに向き直った。
「そういえば、ホウガが優しいミロクに用があるって言ってたよ」
「優しいとは言ってないだろうな。用も、俺の車にあるんだろ」
ホウガの名前を聞いた途端に、ミロクは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「シショクに寄るのは面倒なんだが」
ミロクは、あらゆる糸や布地を扱う通りに目を向ける。いつから様子を窺っていたのだろう。半開きにした木戸に両手を掛けたホウガが、満面の笑みを浮かべている。
「ミロクくーん。レンリさんに、渡してほしいものがあるんだけどー」
「ほらな」
肩をすくめるミロクに、テンガが笑った。ホウガの元に走り出したレイの後を、二人でゆっくりと付いていく。店から出てきたホウガは、両腕でレイを抱きとめた。
「何をお渡しすれば、よろしいので?」
「これよ、これ。新色のお試し品」
レイが離れると、ホウガは前掛けのポケットから端切れの束をミロクの胸に押し付けた。ミロクは押し付けられた束を、何の気なしにめくる。植物の柄や幾何学模様の端切れがある中で、一枚の無地に手を止めた。
「これ、発色が良いな」
ミロクの手を止めたのは、鮮やかな山吹色の端切れだった。
「でしょでしょ? 新色の中でも、かなりの自信作。数年、研究したもの」
ホウガは、自信作に負けないほど鮮やかな笑顔を見せる。彼女の生成り色の前掛けは、様々な色に染まっていた。
「これは、レンリも気に入りそうだな」
仕事中は白衣をまとうレンリだが、実はかなりの衣装持ちで、変幻自在とばかりに姿を変えることを趣味としている。ただ、柄物を来ている印象は無い。無地を重ね着し、色の組み合わせを楽しんでいるようだ。
「ミロクくんが言うなら間違いないわね。レイちゃんも、どう?」
ホウガは、ミロクの手元を覗いているレイに話しかけた。レイは目を輝かせながら、ホウガを見上げる。
「とってもきれい」
「ふふっ。ありがとう」
嬉しそうに目を細めるホウガの両肩に、二人分の手が乗った。手はホウガを後ろへと押しのける。ホウガが何か言う前に、二人の女性がミロクとの間に割って入った。
「ちょっと、ミロクくん。この前来た時も、レイちゃん、同じ服着てたじゃない」
「新しいの、仕立ててあげなさいよ」
眉をつり上げる二人に、ミロクは顔をしかめた。
「うるさいな。今は、仕事中なんだよ」
「良いじゃないか。もう終わりに近いし、寄っていけば」
二人への思わぬ援護射撃に、ミロクは勢いよくテンガを振り返る。「裏切り者」と罵ってみるが、彼の穏やかな笑顔は崩れない。ちらりとレイを見てみると、彼女は何を期待するでもなく、ただ純粋にミロクを見上げていた。
ミロクは、盛大にため息を吐く。
「ったく、しょうがねえな」
折れたミロクに、シショクの娘達が顔を見合わせて笑った。
「さ、レイちゃん。さっそく中に入りましょうね」
レイは二人に言われるがままに、店の中へと入っていった。「じゃあ、僕は役所で待ってるから」という言葉を残して、テンガは歩いていってしまう。忙しいのもあるが、かしましいのが苦手なのだ。
「ほらほら、ミロクくんも。悪いようにはしないから」
促すように肩を叩くホウガに、ミロクは「当たり前だ」と返しながら、渋々店内へと足を踏み入れた。中には見習いの双子もいて、「こんにちはー」と声を揃えて挨拶してくる。それに、片手を上げることで応じた。