アウシュニャ村
軍の命令で、荒野に立っている。こうしていればレイを助けてくれると言うので、盾となっている。
立ち始めた頃は、どれだけ銃弾を受けても平気だった。服や体に穴が開いても勝手に塞がっていくし、痛みも感じなかった。それが徐々に傷が増え、痛みも感じるようになっていった。
見目麗しい紫色の髪からは、根元から色素が抜けていった。それと反比例するかのように、周りの感情が伝わるようになった。狂気と恐怖が、荒野に同居していた。
敵は今日も、銃弾と共に戦神と呼ばれる人間を送り込んでくる。戦神には、くせ毛で常に笑っている青年と黒髪の表情に乏しい少年の二種類がいる。味方の銃弾を浴びて逃げ帰ることが多い彼等だが、この日は黒髪の少年がミロクの横をすり抜けて、背後で隊列を組んでいた軍に迫った。
狙いを定められた若い軍人の顔が、恐怖で歪む。いつかの夕飯時に、かわいい妹が名門の高等学校に受かったのだと写真を見せながら自慢をしていた男だ。妹は、どことなくレイに似ていた。
レイの顔が思い浮かんだ瞬間に、氷柱が戦神を襲っていた。乾いた荒野に突然現れた氷柱に、軍人達が一斉にどよめいた。襲われた戦神は、左の二の腕を右手で押さえながらミロクを振り返り見た。犯人はおまえだとばかりにミロクを睨みつけた後、土を蹴った。
ミロクと少年の距離が、一気に縮まる。その間も、氷の礫がいくつも少年にぶつかった。少年は顔に数カ所傷を作りながらも、ミロクを蹴り上げた。宙に浮いたミロクは、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。
倒れたミロクを目掛けて、更に少年の足が振り下ろされようとしていた。
しかし、実行される前に横槍が入った。体格が良い男が少年を殴りつけ、更に銃を放つ。少年が距離を取ったところで、男はミロクの手首を掴んで引っ張り上げた。
「ほら、立て。帰るぞ。許可ならシエンに取ってある」
王子の名を呼び捨てにする不遜な男は、ミロクの顔を見て、「直にレンリが迎えにきてくれるぞ」と言って笑った。
木で組まれた素朴な桟橋に、船体が徐々に近付いていく。妙な夢を見たせいで眠い分、より慎重になる。ぶつかることなく停止した船は、錨とロープによって固定された。
「あんた、意外に器用なんだな」
船を手際よく着岸させたミロクに、セハルが感心したように言う。さすがに船舶を運転できるとは思っていなかったようだ。
「たまーに、諜報部の奴等の送り迎えをすることがあってな。特に、ヒガンは揺らすとうるせーから練習した」
ドゥルガー出身のあの男は、趣味が嫌味を言うことかと思うほど、人の失敗に対して生き生きとするところがある。しかも、ニヤニヤと笑いながら、しつこい。怒ってもらう方が、まだマシだ。
ミロクは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、髪をかき上げた。着岸したところは、島よりも濃い色の緑が鬱蒼と茂っていて、湿度も温度も高い。指を滑らせた頭皮も、既に湿り気を帯びている。
「ヒガンがいれば、誰よりも適任だったんだけどね」
ルタが腕にとまった虫を叩きながら言う。
諜報部員達は、スクラップ市が終わって数日後には各々の任務地へと散っていったようだ。島を出る前日にふらっとミロクの家を訪れたヒガンが、「ミロクの船でシュスまで送ってもらいたかったなー」と心にもない言葉を口にしていたので、ヒガンが出発した日と行先だけはミロクも知っている。シュスは遥か東の国にある港町で、幸か不幸かドゥルガーにヒガンはいない。
「いないものは仕方があるまい。それより、虫が多いな。フェイファ」
しかめ面をしたレンリは、両手で細かい虫を追い払っているフェイファを見た。フェイファはベストのポケットから緑色の棒と火打石を取り出すと、ルタに放り投げる。
「とりあえず、煙で虫を避けててほしいっす。俺は、おばちゃんから車借りてくるんで。行くっすよ、ミロク兄」
名前を呼ばれて、ミロクは目を丸くした。
「俺もか?」
「俺、運転できねーっすもん」
「しょーがねえなあ」
ミロクはため息を吐くと、フェイファの後を追った。小柄な体は、道なき道を慣れた様子で進んでいく。その手には、ポケットから出した小型のサバイバルナイフがあった。生い茂った枝をナイフで払い、時には折って道を作ってくれるので、後ろをいくミロクは苦も無く歩くことができた。
熱帯地方の森林を抜けると、小さな集落に出た。フェイファとウーゴウの出身地で、アウシュニャという名前の村だということはミロクも事前に聞かされている。ここで移動手段を確保する計画だ。
ミロクは、物珍し気に周囲を見回した。どの家にも、枝と蔓で組んだ庇と雨水を貯める樽が付いている。小さな集落でも上水道が敷かれていたパーパと違い、端々まで開発が進んでいないことが分かる。舗装をされていない道は石ころだらけで、手のひら大の石もそのまま転がっている。
少し気になったのは、地面から生えている煙突のようなものだ。集落とそれを囲う森林の境目辺りに、隠すようにしてある。パーパとの国境が近いことから地下に避難場所があり、その通気口なのかもしれない。
ともあれ、こんなところに移動手段があるのか疑い始めたミロクは、一台の灰色のトラックを見て安堵した。フェイファの足は、トラックが停まっている家の前で止まった。目印なのか、庇から釣り下がった蔓に、褪せた黄色い布が結ばれている。
「ビーショウおばちゃん、いるー?」
大声でフェイファが呼ばわると、薄っぺらい木のドアが割れそうな勢いで開かれた。のしのしと恰幅の良い女性が出てくる。白髪混じりの黒い髪を後ろで一つに束ね、左手首には木彫りの腕輪を付けている。
ビーショウは元々丸い目を、更に丸くした。
「フェイファッ。あんた、いったいどこに行ってたんだい? 今まで、何をやってたんだい? ウーは、どうしたんだい? 体に異常はないだろうね?」
フェイファに負けない大声で矢継ぎ早に質問しながら、肉付きの良い手でフェイファを抱きしめた。小柄なフェイファは埋もれるようにしながらも、ビーショウの脇腹に腕を回す。
「今は、島で暮らしてるっす。ウーも元気だし、仕事にも困ってない」
「そうなのかい? わたしゃ、もう心配で心配で」
ビーショウはフェイファを解放すると、両手で溢れる涙を拭った。拭っても拭っても追いつかず、大粒の涙が頬を濡らしている。
「あんたの仕事場が戦に巻き込まれたと聞いた時は、どうなっちまったのかと。今や、世界中に毒が蔓延してるっていうし。ああ、無事で良かった」
「おばちゃんは痩せちまったっすね」
二人を見守っていたミロクは、唖然とする。しかし、二人は彼の様子にまるで気付かない。
「これも毒のせいかねえ。村のみんなも、昔に比べて元気が無くなっちまった」
フェイファは、村を見回した。ミロクもわずかに首を動かして、様子を窺う。人口の少なそうな集落ではあるが、それにしても静かだ。畑を耕す者や衣服を干す者の姿はあるが、話声は一切聞こえてこない。
「ほんとだ。俺が知ってる村と違う」
しょぼくれるフェイファの頭を、肉付きの良いビーショウの手が優しく撫でる。
「そんなことより、何か用があって来たんじゃないのかい? 単に、戻ってきたわけじゃないんだろう?」
「そうだった」
フェイファはビーショウから離れると、トラックのボンネットを叩いた。
「おばちゃんに頼みがあって来たっす。このトラックを貸してほしいんすよ」
「こいつをかい?」
トラックの傍に寄って車体を撫でるビーショウに、フェイファはうなずいた。
「こいつで、島の博士を政庁まで運ぶっす。博士は王様の依頼で、毒の無いリキッドの説明をするために来てるんすよ」
「博士って、まさかこの方かい?」
ビーショウが眉間に皺を寄せて、じろじろとミロクを見る。博士に見えるとはミロクも思っていないので、不躾な視線も特に気にならない。
「俺は運転手だ。博士は森の中で待たせてる。小さな村に、急に大勢で押し掛けたら迷惑だろうからな」
「そりゃ、お気遣いありがとうよ。でも、驚いて騒ぐ奴なんているかねえ。この通り、ほとんどの人間が無気力になっちまったからね」
ビーショウは苦笑いをしながら、力なく首を横に振った。それを見て、フェイファは両手を強く握りしめる。
「交渉がうまくいったら、毒を食べなくて済むようになるっす。そしたら、元の村に戻るかもしれない」
「ああ、そうだね。うまくいくように祈ってるよ」
ほほ笑むビーショウだが、希望を抱いているようには見えない。毒と共に暗い影が、人々の心に蔓延しているようだった。
「トラックは自由に使いな。鍵は差したままになってるから」
「ありがとう」
トラックを借りることはできたが、セハル達が待つ場所へは道なき道しかない。ミロクが集落の外へトラックを移動させる間に、フェイファがセハル達を呼びにいくことにする。
フェイファは少ししょぼくれながらも、走って森の中へと戻っていった。
「ありゃ、あんたの心を察してるな」
「あの子には悪いが、仕方ないさ。神様に願ったって、どうにもならないんだから」
「神様、ね」
ミロクは頭を掻きながら、村を見回す。村の中心には、小さいがどこの家より太い柱と厚い板材の屋根が付いた祠があった。元々は、強い信仰心があったのだろう。今は見向きもされないようで、祭壇には何も飾られていない。
「神様は願いを叶えることは滅多にない。過ぎた願いは、ただ受け止めるのみ、だそうだ。何かを成すのも、責任を負うのも、その地に生きる者達でなければならない、らしい」
『生まれたて』の頃、語って聞かせてくれた人を思い出す。あの時の瞳は、慈愛の色を帯びていた。必要以上に干渉することはない。しかし、完全に見限ることも、また無いはずだ。
「受け止めるのみ、かい。まあ、一方的に願いを押し付けるなんざ、失礼極まりないのかもね」
ビーショウは笑うと、運転席のドアを開けた。
「さあ、乗った乗った。あんた達は、何かを成して責任を負おうってんだろう? 帰ってくるまで船の番くらいは、しておいてあげるよ。フェイファを頼んだよ」
厚い手に背中を押されて、ミロクは転げるようにトラックに乗り込んだ。椅子に座り直すと運転席の周囲を見回して、チェンジやミラーの位置を確認する。普段乗っている車より三十センチほど長いが、機能面はさほど違いが無く、慣れれば運転できそうだ。
「フェイファは、あの一際背の高い木のところから出てくるはずだよ。さあ、行きな」
言い終わるなり、ビーショウはドアを閉めてしまう。ミロクは息を吐くと、エンジンを掛けた。一応、整備はされているらしい。エンジンが止まることなく、フェイファが出てくるという木の近くまで走ることができた。
ミロクはトラックを降りると、改めて外観を一通り確認する。給油口はあるが、太陽光パネルなどの発電装置は無い。近くに燃料を補給できる場所があるのだろう。
再び中に戻ってカーステレオをいじりだしたところで、レンリ達を引きつれたフェイファが戻ってきた。道中で、フェイファの話を聞いたのだろう。一様に、陰りのある表情を見せている。
特に、同じドゥルガーの田舎町出身のルタは、重く受け止めたのかもしれない。政庁に向かう前に、実家に寄りたいと希望した。あくまでミロクの依頼者はレンリであり、決定権は彼女にある。ミロクが寄って良いか尋ねると、彼女は無碍に断ることをしなかった。




