人魚と問答をすること
これまでのあらすじ
故郷が滅び、敬するケンタウロスと戦い、愛する家族との悲しい別れを経験したバンジィ。
故郷を離れて河を下るバンジィは河の主の怒りを買い、水中に引き摺り込まれる。
息が続かずピンチに陥ったバンジィを助けたものは、両親の残した魔法の指輪であった。
形勢を逆転したバンジィは、見るも美しい人魚を捕らえる。
「バンジィ、わたくしを、わたくしのあるべき場所に解放しなさい」
人間の上体と、魚体の下体を持つトロジェン河の主は毅然と言い放った。
河の主の言葉には、陸海空の生き物を、意のままに動かす魔力があった。
しかしバンジィは動かなかった。
「やはり、もうわたくしの言葉には従いませんか」
河の主は投げ遣りそうに言った。
河の主は水揚げされて、体を縄のロープで縛られていた。
「この指輪が、僕を守っていてくれますからね」
バンジィは河の主の独り言に、律儀に応えた。
バンジィは河の主を、彼女の王国に帰したくはなかった。
しかし、彼女の機嫌をできることなら、損ねたくなかったし、むしろ気に入られたかった。
バンジィは河の主の綺麗な肉体と二面性のある精神を気に入っていた。
バンジィは河の主に好意を抱いたのだった。
「そのような秘密を、わたくしに伝えてもよろしいの」
河の主は呆れながら会話を続けた。
「いいんですよ、僕は少なくとも貴女よりも強い男ですから」
バンジィは己の強さを河の主に見せるために、鉈を振る。
その素早く、力強いスイングは岸に因って建つ堅牢な松を両断する。
バンジィは、彼女は強さを示せば自分に靡くと信じていた。
なぜなら、彼女はモンスターであるからだ。
モンスターは、強弱が絶対的な序列である。
余程の上位者に命じられなければ、自分よりも強いものには刃向かわない。
そのような臆病さを持っている。
そして一度は河の主を屈伏させたのだ。
それにもう、バンジィには魔性の声は効かない。
指輪から顕れる金色のオーラを纏ったバンジィの肉体は、並大抵の生き物には傷つけることができない。
「そのようですね」
河の主は諦めを漂わせながら応えた。
日はもう沈みかけていた。
染み渡るような茜色の空を背に、キラキラと輝く水面に目を落とす愁いた顔から、バンジィは眼を逸らすことができなかった。
「バンジィはなぜわたくしを斬らずに、捕らえたのですか?」
バンジィは返答に詰まった。
素直に自分の思いを言葉にすることに抵抗を覚えた。
「貴女と、お話がしたかったんです。
僕は貴女の、大切な侍女を殺めてしまった。
そのことについては謝りません」
バンジィは、なんとか言葉を紡いだが失言をした。
己の命のために他の命を喰らうことは良いことだと想ってはいても、言わない方が良いことだった。
河の主は顔を歪ませた。
「でも僕は寂しかったから、お人形遊びみたいな馬鹿なことをして、彼女の遺骸を辱しめてしまった。
してはならないこと、取り返しのつかないことをしてしまったんです。
謝ってすむことじゃないけど、ごめんなさい」
バンジィは、なんとか考えを伝える。
改めて思い返すと、本心からそのように思えた。
「大切な、大事な存在を失って、悲しんでいる貴女を殺したくはなかったんです」
二人の間に沈黙が流れる。
バンジィは自分が、河の主に惹かれた本当の理由に気付いた。
それは大切な存在を失って悲しんでいる、怒り狂っているその姿に、自分の姿を見いだしたことであった。
話すことで無意識的に出てきた言葉であった。
もう日が沈みつつある。ふたりを載せた丸太船は、河の流れに身を任せて、静かに進んでいった。
「わたくしはセティアと申します。
バスレルキ大河を治めるアルダバラン大王によってトロジェン河の太守に任じられました」
日が完全に沈んだ頃、沈黙を破って、セティアが淡々と自己紹介をした。
もう縄のロープは外されていた。
バンジィは縛られるセティアを見ることが堪えがたくなっていたからだ。
「もう僕の名前を知っているみたいですけど、改めて名乗らせてもらいます。
僕はバンジィです」
バンジィも自己紹介をした。
バンジィはセティアからの許しを得たと思った。
バンジィ家族以外との交流の薄かったし、彼は彼の両親と同じく情は深いが怒りや恨みを長く抱ける人間ではなかった。
故に他者も自分のような気質の人間だと思い込んでしまうのも、無理のないことだった。
そして、さりげなくゴツゴツとした手を差し出した。
「僕の過ちを許して貰えて幸いです。」
一瞬、セティアは体を強張らせた。
しかし、浮かれていたバンジィは、そのことに気が付くことができなかった。
セティアも陶器のように繊細な手を差し出した。
「バンジィさんも反省していることですし、仕方のないことでもありますから」
セティアは優雅に微笑んだ。
「セティアさんもお魚を頂くんですね」
バンジィとセティアは岸で夕食を共にしていた。
バンジィは、魚しか食べるものが見当たらないので遠慮していたが、セティアは、自分が魚を食べることが出来る旨を伝えて、彼を食事に誘った。
「人魚だって生きていますから、お腹も空きますわ」
セティアは脂の乗った魚の腹を頬張りながら応えた。
脂がセティアの薄いもも色の唇を伝って、蠱惑的な鎖骨をてからせる。
バンジィは焚き火に照らされて、怪しく光る胸元から、目を離すことが出来なかった。
誰もが眼を離せない光景であると思った。
「わたくしたちと魚類の関係は、捕食者と被捕食者の関係しかありませんから」
セティアは恥ずかしそうに口を拭いながら、話を続けた。バンジィはその行為に釘付けであった。
「セティアさんは侍女の為に、あんなに悲しんでいたじゃないですか」
バンジィは反論した。
セティアの、そのような自嘲は聞きたくなかった。
「わたくしにも情と言うものがあります。
しかし所詮、魚類は捕食対象なのです。
彼女はわたくしの囁きによって動かされていたに過ぎません。
あの激情は、一時的な気の迷いです。
トロジェン河の太守としては相応しいものではありませんから」
セティアは意見を翻さなかった。
セティアは頑なだった。
人魚が魚類のために、怒ったり、悲しんだりすることは、恥であると、バンジィに言い聞かせているようであった。
「そう、ですか」
バンジィは押しきられた。
彼はしぶしぶ意見を受け入れるしかなかった。
しかし、彼の直感は、それは虚偽であると警告を発していた。
彼女の意見にはなにか別の意図があると感じていた。
二人の晩餐会は幕を閉じた。
セティアはトロジェン河に戻っていった。
バンジィは引き留めることが出来なかった。
こんなことはいままでになかった。
彼はいつだって自分に素直な男であったからだ。
不味いものを食べれば、不味いとはっきりと言い放つ、無神経な男であったのだ。
しかしバンジィは、セティアの行動に口を挟むことが出来なかった。
まだ、ここに居て欲しいと伝えることは出来なかった。
次回予告
語り合うバンジィと美しき人魚、セティア。バンジィは徐々にセティアに心が惹かれていた。
バンジィもセティアも親しい存在を失ったものたちであった。
夕食を共にするなかで、バンジィはセティアの自身の悲しみを否定する態度を目の当たりにする。
しかし、セティアは悲しみを忘れてはいなかった。
激情に駆られたセティアは策を用い、バンジィから彼の身を守る指輪を奪い取る。
その時、セティアは己の感情に気づく。
次回もまた見てください!