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人魚に惑わされること

 これまでのあらすじ


 敬するケンタウルスの悲しい習性、愛する家族との悲しい別れを経験したバンジィ。

 彼はすべてのケンタウルスを討ち、潰滅した故郷を後にした。

 もう何日も、バンジィはトロジェン河をただひたすら丸太船で下っていった。

 子供の頃、両親からトロジェン河は大いなるバスレルキ大河に繋がっており、その先に、悪徳の都である、彼らの故郷、帝都ダンボーイがあることを聞かされていた。


「この河をいつまで下れば人に遇えるんだろう」


 バンジィはひとりごちた。

 ただ孤独に天球に存在し続ける太陽と、静かに穏やかに決められたレールを走る丸太船のなかで、バンジィは自分が人恋しくなっていることに気がついた。


「僕はいつまでもここで漂い続けるのだろうか」


 バンジィは心が弱っていた。

 彼は何日も獲物を追跡して、ひとり孤独に森のなかで生き抜くことには馴れていた。

 しかし、バンジィがあの薄暗い針葉樹林のなかで孤独に耐えることが出来たのも、帰る場所があるからであった。

 父も、母も、距離は置かれていたがルトガール村の皆も、もう話すことは出来ないのだ。

 蒸発した両親は大気に宿り、バンジィといつまでも共にあることがわかってはいても、バンジィは寂しかった。

 いつまでも達観した境地には居られないものである。


 「君のその透き通るような鱗、本当に綺麗だよ」


 寂しさに耐えかねたバンジィは、釣り上げた魚に話し掛けるようになっていた。


「ありがとう、ございます。

 私も貴方のような強くて、優しくて、あたたかい人に釣られて本当に良かった」


 魚の口をパクパクと動かす。

 すかさずバンジィは声色を変えて言葉を紡ぐ。

 この流域は巨大な魚が入れ食いであった。

 力強い太陽のひかりによって逞しく水草が繁茂していた。

 バンジィはそれを見ると、タフでガタイの良い魚がなぜ沢山居るのか納得ができた。


 「君はとりわけ体躯がしっかりとしていて、背ひれや胸ひれの形がいい、この河の主だったのかい」


 ぽかぽかとあたたかい陽気な風を感じながら、バンジィが再び話しかけた。


「いいえ、彼女はわたくしの大切な侍女なのです」


 水深があり、まわりと比べて黒く見える水域から突如囁くに 、しかしよく耳に残る声が聞こえた。


「それは、貴女に対して取り返しのつかないことをしてしまいました」


 申し訳なさそうに、バンジィが応える。

 バンジィは水中から聞こえる奇妙な声に対して、なにも警戒を抱かなかった。

 また生き物は互いを喰らい合う宿命を持っているのだから、捕らえた獲物に対して罪悪感を持たないよう、バンジィの心は形作られているのに、彼はいま自分が命を奪った魚に罪悪感を抱いていた。


「貴方は、わたくしの忠実な、彼女を奪いました」


 彼女の声は相変わらず小さかったけれど、強い感情が籠っていた。

 波ひとつなかった鏡のような水面が泡立ち、揺れ始める。


「命をもって償いなさい、バンジィ」


 その彼女の冷たく、命じるような声を聞いた瞬間、バンジィは丸太船から水中に、人形のように飛び込んだ。


 「ゴボォ、ゴハァ」


 バンジィの体から空気が漏れ出ていく、バンジィの顔が苦悶の形相を浮かべる。

 しかしバンジィは苦しくても、自分の侵した罪への罰なのだからと体を動かす気にはならなかった。

 波打つリズムにしたがって水草が優雅に揺れる。


「ゴ、ボ」


 バンジィの肉体に残る空気はもうわずかとなっていた。

 バンジィの肉体はゆっくりと、河の最深部に落ちていった。


「さぁ、苦しみなさい、バンジィ」


 バンジィの眼に長い髪を逆立て、嘲笑をうかべる女性の顔が映った。


「丘で散々に苦しんだ彼女の苦しみを味わいなさい」


 彼女はスレンダーな上半身をくねらせて、笑い始めていた。


「貴方の体ね、その薄汚い毛皮のように黒くなってね」


 彼女はなめらかな真紅の、魚の下半身を手で叩いた。


「そうしたらね、貴方の苦労して鍛えた体ね、ぶよぶよの肉塊になるのよ」


 水中に赤いもやが漂った。

 バンジィのケンタウルスに付けられた傷口が開いたのであった。

 黒い楕円がバンジィに近付く、その漆黒の楕円は口を開け、びっしりと生えた小さく尖った歯でバンジィの傷口を食い千切り始めた。


「あらあら、醜い肉塊になる前に骨になってしまうわね」


 赤いもやが濃くなってきた。

 バンジィの頭は重く、意識は薄れていた。

 空気が、血が枯渇する。

 眼の前が真っ暗になっていく、バンジィの肉体と精神はもうまもなく分裂する。

 そのとき両親の残した白金の指輪が黄色く光り輝いた。


「ハッ、ハッ、ハッ」


 バンジィの体は優しく力強い黄色いもやに包まれた。

 黄色のカーテンに抱かれたバンジィは懐かしさを感じていた。

 バンジィの肺は空気を求め、黄色いもやはバンジィに空気を授けた。

 バンジィは浅く、痙攣しながら息を吸った。


「バンジィ、水のなかで陸のものが息を吸うことは道理ではありません、即刻、やめなさい」


 彼女はすべての生き物を従わせる美しい声で囁いた。


「スゥー、ハァー」


 しかしバンジィは呼吸をやめない。

 体が呼吸を止めない。


「声が聞かない、まさかッ、大気霊様、なぜバンジィを守るのですかッ」


 バンジィの体に空気が行き渡る。

 バンジィは頭が軽くなり、精神に気力が戻りつつあった。


「河川の鱗蟲よッ、肉を食い破りッ、骨とせよッ」


 河の至るところから魚類がバンジィのもとへ向かう。

 鋭い歯でバンジィの肉体を削ぎ落とさんとする。

 しかし金色のオーラはそれを許さない。


「近寄るなよッ、醜き人間ッ」


 バンジィが彼女に向かって泳ぎ始める。

 まるで怪我なんてしていないように力強く着実に、彼女に近づいた。


「何でッ、どうしてよッ」


 彼女の体は、蛇に睨まれた蛙のように、動かない。

 彼女は眼をつぶった。それでも体が水の流れを感じる。

 自分の近付く恐ろしい何かを感じる。

 彼女の肉体は突如上昇を始めた。女は気を失ったのだ。


 「陸でも、息を吸えるみたいだな」


 バンジィは彼女の胸が上下するのを、チラリと確認した。

 バンジィは彼女を鉈で切らず、丸太船に引き上げた。

 バンジィは金色で腰にかかるほどの長い髪、鎖骨まで伸びるシュッとしたもみあげ、形の良い薄い緑色のくりくりとした瞳、気の強そうな整った輪郭、スレンダーで美しい上体、艶やかな緋色の魚体、そして優しさと嗜虐癖の入り交じった性格に惹かれてしまった。

 孤独なバンジィは話し相手を欲っしていたのだった。

 それからバンジィは指輪について考えた。

 バンジィは長考の末に自分のために魔法は掛けられたのだと結論を出した。

 両親はきっと指輪をバンジィが見付けるだろうと期待して、最後の時に大気霊に祈ったのだ。

 バンジィは愛の魔法が掛けられた指輪を見た。

 そして彼女を起こさないよう小声で囁いた。


「いまに天空に御座します大気霊よ」


「この度の御助力を感謝いたします」


 バンジィは指輪を撫でた。

 愛しい人を思い出す、さわり心地であった。

 次回予告


 河を下るバンジィは河の主の怒りを買い、水中に引き摺り込まれる。

 息が続かずピンチに陥ったバンジィを助けたものは、両親の残した指輪であった。

 形勢を逆転したバンジィは、見るも美しい人魚を捕らえる。

 人魚の容姿に、性格に惹かれていくバンジィ。

 そしてはバンジィは、人魚の悲しい宿命を知る。

 次回もまた見てください!

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