2羽 あかりの手料理とカラメルのような甘い生活
本屋でのバイトを終えて家路につくのは、いつも二十時過ぎくらい。
桜咲駅から歩いて十五分のところにあるマンションのエレベーターを登り、七階に降り立ったときの胸の高鳴りには、この生活が始まってから二か月が経った今も慣れないでいる。
それどころか、本当に結婚したのかすら疑わしくなっていた。
「いくら生き延びるためと言ってもなぁ……」
部屋の扉まで続く廊下を歩きながら、こうして独り言を呟くのもいつものことだ。
そうこうしているうちに、自宅の扉の前に辿りついた。
二か月前まで自分で開けていたインターホンを鳴らす。
すぐに『はーい、いま開けるね!』と元気な声が聞こえてきた。ガチャリという音がして、玄関が開かれる。
淡い水色のエプロンを身に着けたあかりが出てきた。
笑顔と共に広げられる純白の大きな翼。
背中には真っ白い美しい翼があり、頭の上には輝く輪っかがある。
「ただいま」
「おかえりなさい、けいくん! あっ、コートもらうね!」
「ああ、ありがとう」
軽く埃を払ってから、脱いだコートをあかりに渡す。
「ちょうどご飯できたところだから、一緒に食べよ?」
温かみを帯びた室内の明かり、漂ってくる美味そうな匂い、何より少し顔を赤くしたあかりの笑顔。
まるでどこかのラブコメみたいな光景だ。
そんなことを考えながら、俺はリビングへと向かう。
「今日は何作ったの?……オムライス?」
「えへへ、頑張っちゃった♪」
エプロン姿のまま、嬉しそうに微笑むあかり。
テーブルの上を見ると、そこにはケチャップでハートマークが描かれたオムライスがあった。
どうやら俺の大好物を作ってくれたらしい。
「ありがとな。すげぇ嬉しい」
素直に感謝の言葉を述べると、あかりの顔はさらに赤くなった。
「そっ、そうだよね! やっぱりこういうのって好きな人のために作るものだもんね!?」
慌てふためくあかりの姿が何とも可愛らしくて、思わず笑みを浮かべてしまう。
その様子に気付いたあかりは、恥ずかしさを誤魔化すようにスプーンを手に取った。
そしてオムライスを掬うと、それを俺の方に差し出してくる。
「はい、あ~ん」
「お、おう……」
差し出されたスプーンを口に含む。
「ど、どうかな……?」
上目遣いに見つめてくるあかりに、「美味しいよ」と答えると、彼女はホッとしたような表情を見せた。
「よかったぁ……。けいくんの好物を作った甲斐があったよぉ……」
安堵の声を上げるあかりを見て、俺も自然と頬が緩んでしまう。
そのままあかりの手料理を食べ進めていると、ふと、違和感を覚えた。
「俺、あかりが作ったこのオムライス食べたことあったか?」
「あ、あったと思う……よ?」
あかりは何だか気まずそうにしている。
だが、思い出せないものは仕方がない。
多分どこかで口にしたことがあるんだろう。
にしても、俺が口にした好物を覚えていてくれたなんて。
俺はオムライスを味わいながら、テーブルの向かい側に座って、幸せそうにオムライスを食べる彼女の顔を見る。
一人暮らしをしていた頃とは全然違う。
孤独とは無縁の、温かな暮らしがそこにはあった。
あの日失った、大切な人との幸せな日々。
やっぱり俺、夢でも見続けているんじゃないだろうか。
手を止めて、ふとそんなことを考えていると、俺に気付いたのか、あかりが不思議そうな視線を送ってくる。
「けいくん、私と結婚したの、嫌だった?」
「へっ……!?え、えーと……」
いきなり不安そうな声で訊かれて、俺は言葉に詰まってしまう。
「……じゃあ良かった」
安心したように笑うあかり。
「いや俺まだ何も言って……」
「大体わかったもん」
あかりは悪戯っぽく微笑みながら続ける。
「けいくんから欲しい返事がもらえるように、私、もっとたくさん償っていくね」
「……!?」
――その日から俺の意思とは関係なしに償いとは名ばかりの、カラメルみたいに甘くて焦れったい新婚生活が始まった。
どうしてこうなったのか。
そう思った瞬間、すべてのきっかけとなったあの日の記憶が蘇ってきた。
彼女の償いが始まった日、それは二か月前まで遡る――。
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