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紅に染む  作者: かこ
秋人
9/12

捌  決意

 雪が溶け、新たな命が芽吹く。

 世界が明るい色に変じる中、美冬は以前の調子を取り戻していた。屋台の店主に、どうして、こんなにぼったくるのかと平気でのたまい、冬眠明けの蛇に落ち葉をかけたらもう一度冬眠するかを試す。学校では優秀な成績を修めるのに、奇抜な問題児として通っていた。

 年を追うごとに名家、岩蕗家の子女という壁ができていく。美冬は表面的な笑顔を向けられたら同じ顔で返した。明らかに胡麻をする者や子供だと見下す者には辛辣な言葉で切りつける。

 中には恐れ知らずの者が大きな口で美冬をからかうが、彼女に効くわけがなかった。猿のようだと言われれば、お前は豚ね、食べてもおいしくなさそうだけどと返し、鬼のようだと罵られれば、本当の鬼をけしかけましょうかと冷笑する。母ちゃんが死んだんだろと罵声を浴びせられても、昔のように殴りはしなかった。お前もいつか死ぬのよ、殺してあげましょうかと睨み返され、蛙のように固まったガキ大将に秋人が鉄拳を振るった。

 反対に、秋人には誰も話しかけてこない。例え、声をかけられたとしても、決まって言葉を発さず、礼をするだけだ。授業の朗読の時だけ声を出すので、誰かが腹話術をしていると噂された。

 美冬のどの表情にも影が見え隠れすることを誰も指摘しない。執事と伯母が困ったような顔を見せたぐらいだ。無理に笑う美冬に秋人は相変わらずついていく。


 戦争の幕が閉じられたのは、年が明けてからの春だ。

 躑躅(つつじ)が咲き終わる頃、帝都一の駅の乗降場は帰還兵と出迎える者で溢れていた。

 美冬はひときわ屈強な体を見つけると、一目散に飛びつき父の体に顔をうずめる。

 疲れが見える父の顔がとろけた後、周りに視線を泳がせた。右に左に動いた目で執事と秋人を映す。何処か悟ったような目を落とし、娘のつむじを撫でた。

 歓喜の声が沸き上がる場内で、なぜか父の声はよく通る。


「美幸は、逝ったか」


 重みが違ったのかもしれない。


「昨年の末に」


 執事の言葉に、そうか、手紙もまともに届かない所だったからなと父は独りごちた。娘を抱き上げ、父はゆるやかに笑う。


「美冬、母様に会いに行ってもいいか」


 美冬は父の首に腕をからめ、泣き出しそうな顔を隠してわずかに頷いた。

 執事が運転する車中での会話はなく、墓所の石畳を手を繋いで歩く姿は物悲しい。親子の久しぶりの再会よりも影の存在は大きかった。ついていく秋人の足も重くさせる。

 岩蕗家の墓にはみずみずしい花が供えられ、石もきれいに拭き清められていた。梅辻夫人がよく来てくださいます、と執事が木桶を置きながら報告する。


「礼を言わないとな」


 野太い声も覇気がなければ、弱々しくなるものだと秋人は初めて知った。

 娘と二人、墓の前で立ち尽くした父の背がひと回りもふた回りも小さく見える。

 綺麗な墓の掃除を形だけ行い、線香に火をつけた。


「待たせて、悪かった」


 低く呟いた男は姿を変えた妻に手を合わせる。三人もそれぞれ手を合わせ、秋人、執事、美冬の順に顔を上げても父は動かなかった。手を合わせた姿勢で、二人にさせてくれないかと言葉が落ちる。

 執事は何も言わずに木桶を持ち、秋人は固まる美冬の手を引いた。

 美冬は父の横顔に名残惜しそうに視線を送る。しぶる娘も父の頑なな表情に折れるには、そう時間はかからなかった。


「父様、車で待っているわ」


 そう声をかけ、美冬と秋人は連れだって離れる。

 椿、萩、藤などが柵で区切られて並ぶ道を進んだ。満開の花もあれば、散った花もある。季節おりおりの顔を見せる道も、晴れ渡る空も味気なく見えた。奉上された神花の下や脇を抜け、本堂の横を過ぎる。

 生まれた人にあわせて植えられた神花はその者が亡くなった際、亡骸と共に燃やされることが多い。だが、魂の拠り所として、墓所の決められた区画に植えることも許されていた。

 母の神花の行方は帰ってきた父に委ねられるだろう。若くして亡くなった者の木は、偲ぶように庭に残すこともよくある話らしい。もしかしたら、父が死んだ時に一緒に燃やすかもしれない。そう、女中達が噂する声を思い出した秋人は意味のあることなのだろうかと不思議に思う。

 秋人の手から細い手が離れた。

 美冬は漂うように奥へと進んでいく。


「車で待つのでしょう」

「ちょっとだけよ」


 背にかけられた秋人の小言に美冬が素直に頷くわけがない。

 周りに注意を払いながら秋人は続いた。

 柵で区切られた庭園には、さまざまな花が植えられている。枯れかけているものもあれば、芽の出ていないもの、蕾のものと足を揃えることはない。雑多に見えて、きちんと管理されていることがわかるのは、土が花に合わせて耕されいるからだ。初代の帝が建てたと言われる寺の庭師は格別なのだろう。芽が出ていないものも、札が立てられ何が咲くのかを知らせてくれた。丁寧な仕事ぶりを思わせる。

 黄色い花をつけた水仙、小さな蕾の立葵、池から顔を出す蓮は葉ばかりだ。

 天帝から神力(しんりき)と神花を与えられたのは数千年前に遡る。八百千の神力を一族に一つずつ受けた彼らは花族と呼ばれ敬われた。異なる神力を持つ両親から新たな力が生まれることもある。各家に引き継がれる神力とは別に、花族とは縁もゆかりもない者が神力を持つこともあった。神の(いと)し子と呼ばれる者達だ。

 繁栄や衰退を繰り返し、様々な種類が生まれ、変化するので、総じて『異能』と呼ばれるようになったのは文明開化後のことらしい。

 秋人が文献で調べようといろいろあたっても、『異能』の説明は曖昧で、ややこしいものばかりだった。特に古書は堅苦しい説明が多く、独特の言い回しでなかなか読み進められない。そして、どの文献にも力の使い方については口承だと書かれていた。

 秋人が自身と向き合う気になっても、周りに手掛かりがない。

 美冬が足を止め腰を落とした。膝を抱え、咲きかけのような花を一心に見つめる。

 斜め後ろに立つ秋人も同じ花を見下ろした。花を知らなくとも、岩蕗家の神花だ。見間違えようがなかった。

 花の背は膝ぐらいの高さ。蕾が開きかけたような花はそれで十分に咲き終えていた。(がく)から顔を覗かせた白い綿毛はまだまだ背を伸ばし、時が来たら種を飛ばす。二十ぐらいの花が隙間なく束になって空を仰いでいた。

 神花に言って聞かせるように、ぽつりぽつりとこぼれる昔話は秋人が知らないものだ。


(ふき)はね、雪にも負けず、芽を出す花だから、うちの神花になったらしいわ。屈強な冬の戦士であれと与えられたの。小さい頃、見た目がこれだから、地味でつまらない花、と言ったら、父様は美しいだけが花じゃないと言ったわ」


 美冬の手のひらは握りしめられ、着物にしわができていた。顔は髪に隠れ、秋人からは見ることができない。いつも通り、無言のまま続きを待った。

 次にこぼれた声は肩と同様に震えている。


「花は次に繋ぐために生まれるものだって」


 笑うか、言い負かすか、こき落とすかがほとんどだった口が嘆いている。

 初めて、秋人は彼女から嗚咽を聞いた。今まで泣かなかったのに、どうして泣くのかと戸惑う。父が関係するのだろうか。手を伸ばしかけ、己自身の行動に驚いた。何もできないのに、何をするつもりだったのか、秋人には見当がつかない。わからない感情が濁流のように困惑を飲み込み、悲鳴のような声が鼓膜を震わす。


「花なら、散らない花がいいわ」


 春風が吹き、花をゆらした。穏やかな風景には似つかわしくない音が途切れ途切れにこぼれる。

 秋人は咲く前にしぼみかけている姿を見守ることしかできなかった。

 ただただ時間が過ぎる。

 娘を呼ぶ声が聞こえ、世界が茜に色付いていることに気がついた。昼過ぎに駅にいたことを考えると、かなりの時間が過ぎていたらしい。

 美冬は涙の扱いがわからないようで、目を何度も瞬かせた。その度に滴が落ちていく。父に見つけられた時もまだ泣いていた。

 娘の様子に父も面食らったようで、しばらく押し黙る。二人だけにしようと秋人が踵を返す前に、ほろ苦く笑った父は娘の涙を指の腹でぬぐった。


「泣けなかったのだろう。枯れるまで、泣けばいい」


 父の言葉が秋人の中でもぴたりとはまった。

 秋人は父が娘の頭を撫でるのを遠くの風景のように眺める。

 父がいると泣くことができて、秋人は関係ない。この大きな違いに、自分は頼りにならないのだと秋人の足場が崩れていくような気がした。

 茜が紫に変わり、冷えるからと父が娘を促す。

 美冬は素直に頷き、呆然と立つ秋人に振りかえった。


「秋人、行くわよ」


 いつもはうれしいと思う言葉が秋人の心に素直に入ってこない。

 美冬は気にもせず、父と足を進めた。

 二人の微笑み合う横顔は何処かぎこちなく、傷の大きさを物語っている。

 大切な人を失くしたくない、と秋人は強く思った。病や事故と手に終えないことはいくらでもあるだろう。それでも、自分の手が届くのであれば守りたい。

 彼女の心を守りたいと強く願った。




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