魔導探偵サラディンと濃霧の山
「いつになったらたどり着くんだ?」
歩いても歩いても同じような苔まみれの木と霧と顔のないサルがいるだけ。頼みの綱の方位火針もこの山に入った途端に気が狂ったように回り続けるだけになってしまった。戻ろうとしても、もう戻れない。俺は完璧に遭難していた。
ことの始まりはこの依頼だった。
「そうなんです。ですから探偵様になんとかお願いしているのです」
探偵の依頼としてはよくあるものだったが、場所が問題だった。人探し。雲霧連山と呼ばれる山に入ったきり帰ってこない息子を探してほしい。最悪、遺品だけでも持ち帰って欲しいということらしい。
目の前の豚のように太っていて額から大粒の汗を流している貴族様を見定めながら俺はざっと算盤をはじいた。
「まっ、任せてくださいよ。こちらもプロですから」
まず格式のある貴族ならば、いくら俺が都で名の売れている探偵だとしても、決して自分から顔を出したりはしない。代理人が来るか、こちらが呼び出される。そして格式のある家の貴族は太っていないことが多い。このように太っていて、しかも貴族としての立ち振る舞いがなっていないが貴族の地位を持っているやつは間違いなく金で貴族の地位を買っただけの商人だ。となると貧乏で気位が高いだけの血統書つきの貴族よりもふっかけられる。それにここまで汗をかいていることからも相当焦っていることがうかがえる。ということでこの値段設定だ。
「前金20万ダラク。発見報酬は100万。遺品ならその半分、50万。どうです? 息子さんが100万で帰ってくると思えば」
正直、生きているとは思えない。この焦りよう、溺愛していたのだろう。若気の至りか、賭けで負けたのかどうかは知らないが、山に入って生き残れるとは思えない。
「は、はい。なにとぞ、なにとぞよろしくお願いします!」
ということで俺は件の雲霧連山へ向かうことになった。都から乗り合い馬車で揺られて1週間。そこから更に近くの村で馬を借りて3日歩いた先に雲霧連山に最も近い麓の村がある。道中までは遠くにある山が見えていたが、もうここまでくると背の高い木々に邪魔をされて山の姿は見えない。
村の中までもうっすらと霧がかかっている。道中見てきた村よりもやはり皆痩せているような雰囲気すらする。こう霧もでていれば作物も病気になりやすいだろう。それとどことなく子供の元気がないようにすら思える。これも食料不足によるものだろうか。
もうちょっと国はこの村を支援した方が良い気がする。雲霧連山は希少なサルやリスの他に食えばどんな病気でも治ると呼ばれる霊草や、病気や怪我によく効く薬草など、反社会的勢力にとってはまさに天国だ。それをここで食い止めているといっても良いのに。
村には宿がないので村長の家に泊まることになる。ここまで来て金目当てに殺されてしまった可能性もあるが、それならこの陰気な山に入らなくてすむので万々歳だ。
「ああ、その人ですか。確かにやってきました。理由は深くは聞きませんでしたが。どうしても入らなければならない理由があるとか」
聞きづらい共通語だが、このようなことを言っていた。少し様子がおかしく、金払いもよかったので深く詮索はしなかったらしい。だが、ここに来たのは確実なようだ。嘘をつく理由はどこにもない。
俺は村長の馬小屋の藁の中で一夜を明かした。慣れていない人にはゾッとする体験だろうが、心地よく過ごす術を知っていると普通の安宿よりも居心地の良い空間となる。残念ながら夜更けに襲ってくるということはなかった。俺は礼として卵を渡した。こういう場所では金よりも物の方が喜ばれるということを知っている。何か加護でも施すか、医療術でも学んでいたら少しは役に立ったのかもしれないが、俺の専門ではない。
久しぶりに柔らかい藁の中で眠れたので俺の頭は冴えきっていたが、相変わらず外は霧に包まれていた。雲霧連山と呼ばれるだけはある。村長によると霧は滅多に晴れることがなく、村の狩人でも気を抜くと方向がわからなくなり、そのまま遭難することもあるという。
さて、ようやく俺、魔導探偵の仕事が始まる。最後に放蕩息子が訪れたのがこの村。ここから足跡をたどる。人が歩いた以上、そこには匂いというものが残る。人が足を踏み入れないようなこの山では特にだ。
「ほら、行け」
腰から線虫瓶を取り出して、地面にバラまくと真っ白で細い紐のような線虫達は地面に染みこんだように見えたが、すぐに一つの場所に集い始めた。奴らには依頼人から貰った服の匂いを覚えさせている。
「ビンゴ」
人が踏み入れないからか、ずいぶん前の足跡が残っていた。そこに線虫はたまっていたが、ジワリジワリと新しい匂いの方へ向かっていく。俺は喜び勇んで山の中を進んでいった。
雲霧連山の下調べは既に済んでいる。希少なサルやリスはペットして高く売れる。他にも薬草や霊草の産地としても有名だ。そして危険な大型肉食動物や毒蛇や毒虫がわんさかいる危険な山だ。その生物相の頂点に君臨するのが黒竜と呼ばれる竜種だ。エンルの湿地から遥々やってきた黒竜の幼体はこの地で育ち、また湿地に帰っていく。積極的に狩りをしないので近づかなければ全く害はないが、依頼人の息子が間違えて近寄ってパックリいかれた可能性もあるだろう。その場合は遺品もないだろうから、完全に赤字だ。
しかし俺は死んでいる可能性は低いと考えている。事前調査の一環として依頼人の息子の身辺調査を行ったのだが、親父を反面教師にしたのか。好漢だったという。剣の腕もあり、8級だが魔導士としての資格も持っている。何よりも、出奔する直前まで特に変わった様子は見られなかったということだ。計画的なものだったと考えられる。ならばこの山の危険性もわかっているだろう。幸い、虫は多く食料が切れても食事を選ばなければ生きていけそうだ。何らかの原因で山籠もりをしているか、山の奥のどこかへ向かっていたのだろう。あの貴族、息子には貴族らしく教育をさせていたらしい。
線虫は匂いの強い、すなわち新しい足跡の方へ向かっていく。俺は夢中でその足跡を追っていて、気づけば自分が今どこにいるのかもわからなくなっていた。
太陽がでれば自分の位置も確認できるのだが、霧が濃く空は見えない。
見えるのは苔むした木とその木の枝を上からこちらを見ている顔のないサル。そして霧の中から聞こえるクスクスという笑い声だけだ。笑い声は精霊の一種だろう。何が面白いのかわからないが、精霊の思考は人間には理解しがたいことが多い。
俺の使っている方位火針も電離体を司る精霊を利用したものだ。なかなか珍しい品なので知らない人も多いだろう。電離体を司る精霊であるサラマンダーが北へ向かうという特性を活かして作られたものだ。
サラマンダーは光るトカゲのような姿をしている精霊で火の中に現れることが多い。このサラマンダーは火から火へと移りながら北へ向かい、太陽も沈まなくなるほどの極北の地へと至ると、巨大な龍へと姿を変え、天に上るということが報告されている。これが彼らにとっての成長過程だと推測されている。
とにかくサラマンダーは北に向かおうとする。そしてこのガラスの中にはサラマンダーが閉じ込められていてそれに反応して発光する仕組みがある。サラマンダーは北へ向かおうとするが、外には出られないので常に一番北に近いところへ向かおうとする。この光でどちらが北かわかる。少々値が張り、サイズも大きいが便利な代物だ。
遭難しているが、まずはあのドラ息子を見つけるのが先だ。怪我や病気をしているかもしれないし、飢えているかもしれない。まず見つけて、それからどうやってこの山を下りるかを考えよう。
また顔のないサルがいた。自分以外の生物がいることが感じられ、ホッとした。のっぺりとした顔には大きな丸い目が2つあるように見えるが、そこは実は鼻の穴なのだ。だがどこかコミカルで安心できる。あの大きな鼻で霧の中の魔力だけを吸って生きている、ここにしかいない珍しい生物だ。鼻の中には鼻毛がびっしりと詰まっており、それで異物を除いて純粋な魔力だけを吸収しているという。鼻毛は高級ブラシとしての需要があるらしいが、俺はハンターでもないし、どうすればいいのかもわからないから放置だ。
線虫は迷いなく足跡を追っていく。一か所にとどまって休んだ形跡もない。俺のように何かを追いかけていたか、どこかに向かおうとしていたか。一体どこへ向かおうとしたのだろう。こんな山の奥に、一体何があるというのだ。
「戻れ」
俺が瓶の蓋を開き、地面に置くと強い匂いに惹かれた線虫達は瓶の中に戻っていった。
貴族の息子がなぜ突然旅にでたのか。ここは行楽地でもなんでもない。ただの危険な山だ。そこに登る理由。今までは大事に籠の中で育てられてきた貴族の息子が山にこもり、自分の力を試したくなった程度のものだと思っていた。貴族にありがちな危険を楽しむ心だ。
だが、この足跡には迷いが見えない。一体彼は何を求めてこの山に入ったのだろう。
背負い鞄からランプを取り出して火をつける。クスクスという精霊の笑い声は火におそれをなして去っていった。ランプの灯の中に虹色の目を持つトカゲが見える。特殊な気体に満たされたこのランプは精霊除けも兼ねている。
精霊は摩訶不思議な存在だが、その中でも比較的よく知られている精霊がいる。固体、液体、気体、電離体を司る精霊だ。これらは他の精霊と比べて圧倒的に数が多いため四大精霊と呼ばれている。その中でも、サラマンダーと呼ばれる電離体を司る精霊は他に比べて自然で目にすることは少ない。だが四大精霊入りしている理由としては地上から離れれば離れるほど空気中に存在するサラマンダーの量が多くなることにある。空気が薄くなるほど高所に存在しているサラマンダーは地上のときとは似ても似つかない巨大な龍となる。
その巨大なサラマンダーが雷として地へとくだり、何かを燃やす。その火の中に生まれたサラマンダーはまた北を目指し、極北へたどり着いたサラマンダーはまた天に上る。こいつほどはっきりとした生態がわかっている精霊は他にはいない。これもサラマンダーが人の手で生み出せる唯一の精霊だからだろう。人造精霊とはまた別の存在だが、遠い昔から人と一緒にいた精霊だ。俺も仕事の役に立つだろうと研究している精霊の一つではある。
俺も専門ではないし、ここら辺でやめておこう。
「やれやれ」
独り言がでそうになるのを抑える。山の中、しかも視界の悪いときの独り言はもってのほかだ。何かが自分に話しかけられていると勘違いするかわからない。
小休止のあと、俺はまた立ち上がり、線虫を開放した。
獣が襲ってこないのは俺の運の良さだろうか。しかし鳥やトカゲなどの小動物も一切見かけないのが不気味だ。何かに襲われないにこしたことはないが、ここまであのサルしか見ないのは不気味だ。ここら一帯の生態系は一体どうなっているんだ?
顔がないサルだけいるってのが妙だ。何かの脅威がここにいるんだとしたら、あのサルもいないはず。単純に餌不足か? いや、それにしても虫は飛んでいるしな。
何が理由で消えたんだ? 植物に異常は見られない。虫も精霊もいる。なぜサル以外の動物がいないんだ?
そこには真っ白な線虫に覆われた服だけがあった。剣やアクセサリー、荷物が転がっている。ここが匂いの終着点だ。なぜ服だけ? 何かに騙されて服を脱いで行ったのか?
その考えを即座に頭から振り払う。線虫は最も強い匂いへと向かっていく。服を脱いで飛んで行ったのでもなければ、ここにいるということだ。嫌な予感がする。
服を取り上げてみると透明な粘液が地面に落ちた。
「これは!」
自分の喉の奥に手を突っ込んで腹の中のものを吐き出す。
俺の口からドボドボと吐き出されたのは服にまとわりついていたのと同じ、透明な粘液。
「趣味がわりぃな」
なぜ精霊が俺を見て笑っていたのかわかった。俺が死にかけているのに気づかなかったが面白かったのだろう。俺の口から出てきたのはスライムだ。相当に質の悪い種類の。あのドラ息子は一体全体どこでこんなものを拾ってきたんだ?
こいつは水に紛れて人を食う生物だ。水を媒体として増えるのも十分厄介だが、こいつの質が悪いのはある程度成熟すると空気中でも感染すること。卵を無数に空中に放出して生物を片っ端から襲う。これが流行った地域では動くものがいなくなるという。二種病原体に登録されているこいつの名は「脳喰粘菌」。脳喰の由来は罹患すると脳がこいつに置き換えられるからだ。症状が進むとこいつみたいに全身が粘菌に置き換える。
顔がないサルと虫しかいなかった時点で気づくべきだった。
「仕方ない」
なぜ依頼人の息子がここにきたのかはこれでわかった。
雲霧連山の霧は特殊だ。魔力そのものが漂っていると言っても良い。精霊がそこら中におり、特殊な動植物もたくさんいる。
この山に自生する植物の中の一つに不死草と呼ばれるものがある。名前が特徴的なので名前だけなら知っている人も多いだろう。不死草といっても不死になるわけではなく、その草が持つ毒により絶命した後に生き返ることができるという代物だ。全然不死でも何でもないが、昔の人は死んだあとに蘇ってくるのを見て、不死になる草だと思ったのだろう。
病気や怪我などは死んでも治らないことが多いが、呪われた時や寄生された時には特効薬として使われる。強力な毒によって体についているものごと死ぬか、死後も効果を発揮し続ける呪いは少ないからだ。おそらく大分、症状が進行しており、この草に一縷の望みをかけてやってきたのだろうが、間に合わずに粘菌が脳まで達し、死亡したのだろう。
息子がこんなものに寄生されていると知られたらお家取り潰しはもちろん、何人かが責任を取って処刑されていてもおかしくなかった。何に手をだしてこんなものに寄生されたのかはわからないが、死ぬ前に自分が寄生されていることに気づけたということは本人も何も知らない被害者というわけではなかったのだろう。
俺も魔道士の端くれだ。貴族のドラ息子よりかは遥かにこういったピンチに慣れているが、今回ばかりは難題だ。脳喰粘菌に寄生されたら一貫の終わりというわけでもない。
体がどのぐらい侵食されているかにもよるが、こうして思考ができているうちは問題ない。胃の中から出た量からするとまだ1日ほど。村に入った時点で寄生されていたか。となるともうあの村は駄目だな。それどころか、都からここまでで感染している人もいるかもしれない。どこかの水源が汚染されていたら、被害者の数は計り知れないほどに増えるだろう。もはや災害だ。
とんだものを運んでくれたものだ。
不死草があれば食べたいが、そんな特殊なものを持ってきているわけもない。ただ腹の中にこんなものを抱えたまま都に帰っても、魔導協会に殺されるだけ。俺ごと消毒されるだろう。
この状況を解決するといっても俺の手元で役立ちそうなものは簡単な治療用の巻物しかない。自決手段ばかり豊富に持っている。こんな事になるんだったら研究素材一式でも持ってくれば良かった。
バッグをひっくり返しても役に立ちそうなものが一つもない。
「タバコタバコ……」
タバコを探し、ポケットをまさぐった俺の手に触れたのはガラスの小瓶だった。
「サラマンダーの卵」
知り合いの飛行士と共に成層圏へ行ったときに採取してきたものだ。俺の魔力だけを与え続けて俺と俺以外のものを識別できるサラマンダーを作ることができるかという実験の途中のものだ。実験が成功すれば俺以外のものを燃やすサラマンダーが生まれるはずだった。
これを飲み込んだらどうなるのだろう。俺以外のものを燃やすことができるのだろうか。副作用は確認していないし、どうなるのかもわからない。しかしどうせ死ぬんだ。魔導協会宛に事の顛末を記した手紙を送ってからこれを食べよう。
俺が生きて帰るころには依頼人は責任を取らされて死んでいるだろうから……とんだ割に合わない仕事だったことになる。魔導協会にごねても代わりに依頼料を払ってくれるとも思わない。
走り書きで今起きていることと俺がやろうとしていることについて手紙を送っておく。俺がサラマンダーの卵を食って焼死したのも、これからの魔導技術の発展に役立つことだろう。
薄っすらと光を放っている半透明な青い卵は真空のガラス瓶の中に入っている。そこらにあった石でガラス瓶を割り、手に取ると仄かな温もりが感じられた。
「では、いただきます」
噛まずに卵をごくりと飲み干す。すぐに酸素と反応して激しく発火を始めるだろう。
体の芯から温まる。いや、温まるどころじゃない。熱い。喉の奥がベロベロに火傷しているのがわかる。熱いだけで痛みはないが、目の焦点が合わない、発汗などの異常な症状が出ている。
俺の肉体だけが燃やされてそのまま死ぬ気がプンプンするが、腹に粘菌を抱えた状態で不死草を探すよりもこちらの方が良かった。俺は間違っていない。運に任せて探し回るよりも自らの研究仮説を信じろ。
俺はついに平衡感覚を失い、そのまま前に倒れ伏すと、そのまま意識を手放した。
「最っ悪だ……」
俺が起きるとそこには何もなかった。俺の体の半分はボロボロとした炭屑のようなものに覆われている。あそこまで鬱蒼と茂っていた森の全てが消えて、今見えるのは禿山ばかりだ。遠くの方で幾筋もの煙が上がっている。まだ消毒の途中なのだろうか。
重酸性の雨でも降ったか、全てが燃えたかのような惨状だ。あれほど濃く立ち込めていた霧もなくなっている。生物さえいなければ粘菌は繁殖することもできない。理にかなった対処方法だ。
「うわ、なんで裸なんですか?」
くぐもった声の方を向くと、そこにはいかにも協会直属の魔女といった格好をした奴がいた。しかしその特徴的な三角帽の下には顔の全面を覆うマスクがつけられている。
「お前らが俺以外の全てを消毒したからだろ」
おそらく俺のように何とか生き残った感染区域にいた魔導師を始末するための魔導師だろう。その証拠に彼女の手には炎の塊が見える。
「あの雨から生き残るなんて何をやったんですか? どうでもいいですね。貴方はパンデミックを引き起こしかねないのでここで処分します」
物騒だが言っていることは正しい。消毒というものがどれほどの時間でなされたのかはわからないが、脳の一部を侵されかけてもう助からないだろう。
「何故俺が生きているのかはわからないが、俺の仮説では俺はもう寄生されていない。君じゃわからないだろうから専門職を呼んでくれ」
俺のことを信用してくれたのか、マスクを外した魔女は知り合いだった。二級魔導師のクラマ。年下ながらも魔導の腕は冴えており、若いながらに二級の腕前を持っている。彼女の研究レポートは俺も見たことがある。
俺は準二級だが、精霊の卵を食したことを研究成果として提出すれば二級に上がれるだろう。いや、もしかすると準一級まで上がれるだろう。上がるデメリットが大きすぎるので研究成果は一つとして渡さないが。
魔導協会は魔導師たちがお互いに牽制しあうためだけに作ったシステムなので上に上がれば上がるほどいらない責任や実務を一方的に押し付けられ、様々な義務が生じるようになる。その分、金や名誉は手に入るのだが、魔導探偵という楽しい仕事で金も名誉も得ている俺にとってはなるべく関わり合いになりたくない組織だ。だが好き好んでこんな組織に所属しているような奴もいる。彼女もその類だ。
「第一発見者って貴方のことだったんですね? 良いでしょう。担当者がくるまでここでじっとしてください」
見つかったのが二級相手で良かった。もし一級相手だったら、自動術式で何もなかったように殺されて終わりだっただろう。
さて、俺の体はどうなっているのだろう。精霊の卵を飲み干して生き残った唯一の人間。体が変質していてもおかしくない。それに俺が何故消毒から生き残ったのかも疑問だ。サラマンダーの卵だ。
魔力の状態を確認するため、手に魔力を集中させてみると、手が燃えた。比喩ではなく、手が炎と化した。
「なるほど」
予想していなかったわけじゃない。頭の片隅にはあった考えだ。確かに俺の魔力になじませ続けた精霊の卵は俺の魔力以外のものを焼き尽くした。そう、俺の肉体もだ。従来、切っても切り離せないほど密着しているはずの肉体と魔力なのだが、綺麗に肉体の部分だけを焼き尽くした。普通に考えれば肉体がなくなれば魔力も空気中に拡散してしまうと考えられるが何故かここに残っている。精霊の卵の作用か、肉体を内側から綺麗に消すことができれば魔力は消失せずに残るのか。
脳が思考を司っているという説が全否定された瞬間だ。どうやら定説通り、脳とはただの魔力増幅回路であり、思考とは魔力に宿るものらしい。
それにしてもとんでもない存在になってしまった。このままだと検査のときに魔導協会の連中にバレて、等級が上がってしまうので今すぐに逃げ出したいが、ここで逃げ出すと等級が上がるどころの騒ぎではなくなる。上がるとしたら準一級どころじゃない。一級もありえるだろう。
人が精霊に憑依されたり、肉体が精霊と混じり合ったりする現象を魔人化現象を呼ぶが、体が炎になる現象はそれに似ている。魔人化すると精神に異常をきたすのだが俺は大丈夫だ。卵だったからだろうか。
下手したら世界初の魔人化の成功例となってしまう。そしてそうなった時に魔人化を悪とする聖教会の存在がある。二級以上になると強制的に押し付けられる魔導協会からの依頼。実験体にしたくて迫ってくる研究者たち。数々の面倒ごとが押し寄せてくるのは目に見えている。
「あの時、死んでいれば良かったなぁ……」
魔導探偵としては当分の間、休業しなければならないだろう。貴族のネコを探したり、不倫現場を突き止める楽な仕事とももうお別れだ。色々なところへの根回しも必要だ。これからの生活を考えたら首をくくりたくなるが、もう俺は首をくくっても死なないだろう。それどころか、この山が更地になるほどの攻撃を受けても死なない。専門の術式でも組まない限りは死なないだろう。不老不死を専門にしている人達から嫉妬の目で見られるだろうが、俺が望んでこうなったわけじゃないから許してほしい。
都に帰ったら……とりあえず聖教会に貯金の全部を献金して自我を持っているから神の教えを理解できるアピールでもするか。
俺はその場で寝転がり空を仰いだ。
ゆっくり眠れるのはしばらくさっきのが最後になりそうだ。
2年ほど前に書いたものをたまたま見つけたので投稿してみました。
拙い部分には目をつぶってください。