オリンピック万歳
美しい祭典
自己紹介をしよう。R、二十五歳。十七歳にて、ブリュッセル・オリンピック柔道六十キロ級チャンピオン、四年後のジャカルタ・オリンピックも金メダル。輝かしい時代が続き、この階級では敵なしだった。メディアに持てはやされて、金メダルをかじり、歯を傷めたりもした。そして、今回のポドゴリツァ・オリンピックでは、晴れて日本選手団のキャプテンに指名されたのだ。
今、思えば甘く見ていた。キャプテンといっても、開会式に日本国旗を持って選手陣を先導する程度のものという認識だったからだ。だから、キャプテンとしては何も準備をしていなかった。もっとも三連覇に向けて、柔道の特訓に明け暮れていたのは言うまでもない。が、しかし、それにしても、あんなに国旗が負担になるとは想定外だった。
「では、こちらを持って入場してもらいます。速度は横にいる担当委員が合図をするので、それに従ってください。」
本番入場前、一連の流れについて現地の委員から説明を受けた。わたしは、みなぎる鼓動を胸に、
「イエス、アンダーストゥッド」
と得意の英語で言いのけたのだ。キャプテンたるもの堂々としていなければならない。
他競技の日本メンバーも、興味ありげに国旗を見に来た。
「けっこう重いじゃない、これ。」
「持たせてください」
「へえ、すごい。」
という歓喜の声が飛び交った。
そして、そこにはイメルダさんもいた。イメルダさんは、ケニアと日本のハーフで、陸上走り幅跳びの選手だった。わたしは、モンテネグロへの出発前に行われた壮行会で、一目彼女を見たそのときから、完全にやられてしまった。丸みのある大きな瞳に、スラッと伸びた手足、何よりもくしゃっとした笑顔とギャップのある高い声が魅力的だった。年齢は二十三歳くらいだろうか、わたしはどうにか彼女と話がしたくて仕方がなかった。
すると入場直前、なんと彼女がすぐそばに来て、
「思ったより旗大きいねえ」
と言って、こちらに向かってにこやかにほほ笑んだのだ。わたしは思わず、
「うん、持ってみる?」
と言って彼女に旗を持たせた。
彼女は、
「うわ、これ持って行進するの。私なら無理。さすがRさん。かっこいいね」
と無邪気にはしゃぐのだ。
この姿を見たわたしは、「ああ、これは運命なのかな、イメルダさん」と確信して、
「これくらいの重さだったらトラック五十周しても大丈夫ですよ」
と、彼女が重そうにしていた旗を受け取ると、右手一本で力強く持ち直すのであった。
日本の入場行進は、アルファベット順で最後方のため、日本選手団は控え通路で待機することになった。待機スペースは各国のアスリート混み合っているため、わたしは常に旗を直立させておかないといけなかった。また、国のシンボルである日本国旗なので、その辺に立て掛けておくわけにもいかない。仕方がないが、待機の段階からすでに行進の姿勢で国旗を掲げるのであった。
ようやく行進の時間になった。
「ジャパン!」
品のあるアナウンスがスタジアムにこだまする。わたしは輝かしいフラッシュのなかスタジアムに入っていく。なんたる名誉だろうか。日本選手団のキャプテンとして、今二十五歳のわたしが堂々と日本国旗を掲げているのだ。ママ、パパ、見ているかな。僕はアスリートの頂点だよ。ええと、あと、みんな見ているだろうか。わたしを拒絶した数々の女性たちよ。見ているか。わたしがRだぞ。そう思いながら顔を左右に動かして、スマイルを振りまく。
圧倒的なフラッシュのなか、わたしの隣には副キャプテンのアズサがいる。アズサは競泳平泳ぎの前回大会金メダリストだ。わたしがキャプテン、彼女が副キャプテンというわけだが、これがまた性格がまるで合わない。わたしは、どちらかというと実直で真面目なのだが、彼女はインタビューでもいつも素っ頓狂なことを吐いて、周りを狼狽させてきた。それはそれで彼女のキャラクターというやつで、熱狂的なファンもいることだし構わないが、わたしは、その振る舞いにいらいらさせられてしまう。。
というわけで、わたしたちはお互い入場前からほぼ会話を交わさない。だいたい今は彼女の後ろにいるイメルダさんが気になってそれどころではないのだ。だから、内心この目障りなアズサではなくて、イメルダさんが隣にいればなあ、なんて思ったりした。
スタジアムを三分の一も過ぎた頃だろうか。わたしの手首に異変が起きた。どうにも告白したくはないが、旗が重い。単純に重い。待機中もずっと掲げていたので、手首から肩にかけて、疲労が蓄積されて全身に響いている。こんなことはまったく予期しなかった。もはや、イメルダさんどころではない。ただ日本国旗を掲げることに集中するだけで精いっぱいだ。額には汗が滝のように流れ出した。
「うぐぐ、スーハー」
と呻きの声が口から洩れてしまった。
「はーふいー」
とどうしても声が漏れる。
しかし、どうしようもない。手首も震えてきた。まだ行進も半分くらいだろう。これは果たして保つのだろうか。
さすがに隣にいたアズサがわたしの異変に気がついた。
「ちょっと、Rさん腕が震えているけど大丈夫?」
さすがに見兼ねたのだろう。普段ふざけてばかりいるアズサも、この時ばかりは本当に心配そうだった。
「うん、大丈夫。大丈夫」
これを言うのが精いっぱいだった。それでもアズサは、わたしの言葉を信用できないのか、目を見開いてこちらを凝視している。
はっきり言ってもはや限界だった。国旗がこれほどまでに私を疲弊させるとは思わなかった。この時初めて日本国旗の重みを実感したのだ。国をなめていました、ごめんなさい。もう肩から指先まで感覚がない、いつ落としてもおかしくない。今はもうかろうじて残した精神力で国旗を掴んでいる有様だ。背中にもこれまで感じたことのないピキンとした痛みが走る。
「もうダメだ」
わたしは、音にもならないつぶやきを残すと、国旗を下に下ろそうとした。
しかし、その寸前に近い未来が頭をよぎった。そこには日本選手団キャプテンにもかかわらず、行進中に国旗を真っ赤なトラックに放り出し、へたりこんだわたしがいた。テレビを通じてこの光景が全世界に流れる。日本国民はどう思うだろうか。
「あいつは売国民だ」
「なんたる侮辱、国旗を放るとは」
「キャプテンのくせに開会式からやらかしやがって」
「アイツの家族みんなさらし者だな」
そんなネット民の声が頭のなかでこだました。わたしは、かすかに意識を取り戻すと、前方に倒れかかった国旗を少し立て直した。ネットで叩かれるのはいやだ。怖い。でも、今はありがとうネット民。なんとか立て直したよ。そんなことを朦朧とした意識のなか反芻しながら前へと行進した。
だが事態は一向に改善されなかった。なんとかネットで叩かれたくないという、ただその一心で旗を立っているだけで、手首を中心とした痛みは増すばかりだ。全身の毛穴という毛穴から滝のように汗が噴出するおかげで手元もすべる。
全体の四分の三は過ぎただろうか。とうとう肉体的な限界がきた。
「腕が痛い!」
会場にわたしの声が大きくこだまする。アズサを中心に周りの選手が唖然とした表情でこちらを見ている。
「Rさん、大丈夫?」
「Rさんを、みんなで支えてあげよう。もう国旗を渡してください」
後輩である柔道重量級のA太が声をあげた。他の後輩たちもその一声で勢いがついたのか、わたしの周りを取り囲む。
その瞬間、わたしの何かに火がついた。
「うるさい!黙れ。最後まで持つ!」
あまりの剣幕だったのだろうか、周りの選手は一歩引いた。
「でも、やはり腕が痛い!」
強がっても相変わらず、痛みの声だけはすぐに張り上げてしまうのだ。
そして、また周囲が支えようと近づくと、
「うるさい、やめろ、最後まで持つ!」
とわめくのだった。
周りもどうしてよいのか分からずあたふたしている。視界に入るイメルダさんも、困惑した表情でこちらを見ている。あとから聞いたところによると、このシーンは日本国民にとっては感動の嵐だったそうだ。なにせ三連覇のかかるキャプテンが涙を流しながら、国旗を倒さんばかりにはためかせて行進していたのだから。
そんなことは露知らず、わたしは国旗をトラックに投げ出したい一心のまま、あと一歩、あと一歩、と進んだ。相変わらずゴールは遠い。幻覚でも見ているのだろうか。ゴールだと思いその場に立ちつくすと、まだその先に行進スペースがあるのだ。そのたびに全精力を振り絞って次なる一歩を出す。ああ、愛しのオアシスよ、あなたはいずこに行ったのだろうか。ラクダとお水を頭に浮かべながら、うだるように前に進む。
そんなことを繰り返してようやく、わたしは整列場所に辿りついた。国旗を投げ出すように、日本の理事員に渡すと、その場に崩れ落ちた。仰向けになって、泡を吹いて倒れたのだ。タンカーが急いで呼ばれて、スタジアム内の医務室へと直行した。運ばれているときにわたしの視界に入ったのはイメルダさんだった。彼女は哀れそうに流し目をくれていた。その残像を最後にまたもや気を失ったのだった。