1/世界
日々は淡々と過ぎていった。
身体が動くようになると、私に対する周囲の反応は腫れもののような扱いより恐怖が目立って、動けるようになる身体と反比例して病室に閉じこもりがちにになった。聞けば大魔導士様を良く知る者たちにも驚きの御活躍を大魔導士様が見せているため、それに伴って私の扱いにも日に日に困っているらしい。
伝説は聞いていたけど実際に目にすると驚きが違う、とかそんな感じで、尊敬が畏怖に塗りつぶされていき、私が意思を持てば持つほど恐怖の相乗効果を生んでいるようだった。
「……そんなに私は愛されているように見える?」
病院着っぽい簡素な服だけで過ごす時期が過ぎた。だからと用意された服は、私から見ても高級品と思えるものばかりで、気の使われっぷりが凄まじい。ダフィートが用意してくれたのかと問えば、自分ではこの短期間にこれほどのものを用意出来ないと言われて、そう問わずにはいられなかった。
あいつに愛されているなどと思われたくなくて、せめてもの抵抗でふざけた問いかけにしたのに、苦虫を潰したような表情で頷かれる。
その表情が表情だったから、推測に過ぎなかったものが信憑性が高まっただけだった。
「こちらに運ばれた時のお召し物に合わせると、最低でもこの辺りを揃えることになるかと」
知らぬ間に簡易クローゼットみたいな家具が持ち込まれて、数着の着替えが架っている。それとは別に、私が戦場で来ていたワンピースが壁に丁寧にかけられていて、そちらに目をやる。
大魔導士様自らが清めたらしく、戦地での汚れなど存在しないかのように綺麗だった。
「あいつのところから出た時に、周囲に馴染むようにって適当に渡されたのに……」
ピクニックに行くにしても躊躇するような真っ白さに、色を考えろよと思わなくはなかったけれど、渡した張本人も上から下まで真っ白だったから、そんなもんかと受け入れた。
魔導士の制服とかそんなものだと思うには女性的ではあったけれど、シンプルなワンピースだからTPOを考えなければ抵抗のあるものではなかったから大人しく着たのだが、多少は物申した方が良い一品だったらしい。
「フランツィスクス家がご用意されたのではないかと。最高級の絹糸と一級品の織の技術ですので、王命が下ってから用意するには個人では時間が足りなかったと思われます」
いかに権威があるにしても、普段は引きこもっている男に出来ることは限られているのかもしれない。自分では用意出来ないとまで言い切ったダフィートの意見を取り入れて、それでも私は不満だ。
「多少起き上がれるって言ったって、基本的に寝間着なんだから気を使わなくても良いのにね。入院着だって縫製が丁寧なのか着心地良かったし」
必然的に話し相手がダフィート一人しかいないから、今までだったら口にしてなかった不満を口にして、早々に身の振り方を決めなければと思案する。
与えれた選択肢は三つで、このまま病院の周辺に残る、王都に行く、ダフィートの故郷へ行く、の中から選ぶのが妥当だろうというところまで絞れていた。ダフィートの故郷というのは彼の家が代々守って来た領地だそうで、改めて彼も貴族なのだと感じたのは数日前だから、ここまで絞るのに数日も使ってしまった。
なお王都もダフィート一家が王都に滞在する時に使う家らしい。どちらにせよ正式な所有者である両親はどうするのかと言ったら、私の身の安全の確保より、両親の対応の方が楽だと言い切られてごもっとも過ぎてお世話になる身でそれ以上は何も言えない。
軍からのお誘いもあるけれど、こちらも止めて欲しいとダフィートに言い切られてしまい、可能な限り私の意思を尊重する姿――例えそれが、自身の命を人質にされているとはいえ――を考えると大人しく従った方が良いだろう。
大魔導士の弟子、養い子、もしくは聖女、と認識され始めている身とすれば、政治色の強いところからは距離を置いてもおきたい。自分がどれだけの価値があるかなんて知らないけれど、病室から出ることすら躊躇してしまう状況なのだからと、三択を吟味する。
「なに?」
だけど気になる視線を受けて、吟味を中断せざるをえなかった。
会話を重ねることで少しずつ気負いが薄れていったダフィートは、視線の種類を増やすようになっていた。
今は、なんていうか、こう、甘やかな感じで、思わずぶっきらぼうになる私の声は不問に付して欲しい。
「それなら私にも用意出来そうで良かったと」
消極的な選択で増えた会話だというのに、ダフィートは視線を反らすことなく本心を差し出す。嬉しいという気持ちが明け透けな笑みは、騎士然とした表情ばかりをしていたのと違っていて、ダフィートの方でも気安さを覚えてくれた様子なのは有り難い。
ダフィートしか無条件で信じられる相手が居ないことと、世界分の一の憎悪が呪いにどう作用するしか分からなくて、ならいっそ世界への嫌悪を切り離せるくらいダフィートを知れば良いと思ったこと。
そんな自分本位な理由で交流を増やしたが、命を握られているダフィートは病院関係者以上に恐怖を抱いてもおかしくない交流だった。なのに誠実に対応してくれる姿に、早々に世界と切り離されて、一個人として好感が持てたから罪悪感を感じている。本当に自分勝手だとは思う。
「リズ様の望みは、可能な限り叶えて差し上げたいのです」
真正面から見た瞳と同じ感情の乗った声で言われて、その声も私を不愛想にさせる。
まるで宝物を貰ったかのようにその名を口にするのだけれど、それは私の名前じゃないし、私に相応しい名前じゃない。
少なくとも、私が救いたかったダフィート以外の命がどうなったかを確認することが出来ずにいるような人間に向ける声でも瞳でもない。
それは事実で、私が避けてはいけないことではあったけれど、思考がネガティブの範囲を超えて卑屈に一歩踏み入れてもいて、様々な思いを呼び起こす綺麗な瞳から逃げるように目をつぶる。そして深呼吸と、自分の中の感情とだけ向き合った。
自分を守るために必要だったから判断したはずなのに、見も知らぬ異世界に名前を差し出したから気が滅入っているんだと思う。これではダメだと言い聞かせて、前向きよりも攻撃的な気持ちを呼び起こして選択肢を選び取る。
「私としては無理はしないって約束して欲しいところだけど……とは言え、領地でお世話になれればって思うから、何にせよ迷惑はかけちゃうんだけど……」
私の選択に柔らかな色合いの綺麗な瞳が見開かれて、優しい曲線を描く。それを今度は真正面から見据えて、やっぱり弱腰に迷走してしまった言葉を締めくくる。
「どうぞ宜しくお願いします」
可能な限り誠実でありたくて、精一杯の気持ちを込めて頭を下げた。