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呪いの名



 顔が整った男じゃなきゃダメ! なんて言う気はないけれど、やっぱり顔面は凶器だ。目を引く華やかさとか、見とれてしまう造形は存在すると思う。その顔で真摯に見つめられれば、慣れないのだから赤面もする。

 まともに顔を動かせるのなら挙動不審に顔を揺らしていた自信はあるし、うーとか、あーとか言って、困り果てる確信がある。だけど顔すらまともに動かせないし、言葉が詰まるのも体調の所為だと言えるからありがたい。


 だけど冷静になってみれば、自分を見つめる視線が敬愛とか、崇拝とか、ましてや色恋のソレではなくて、私の態度は不釣合いだと気付く。

 影を作るまつ毛を持つ男――美形だからというより、近距離の異性に慣れないから、一点を見つめて誤魔化すことは許して欲しい――は、意は決しているけれど、タイミングを計っているようだった。だから促すように視線をやれば、剣を鞘ごと腰から抜いて捧げるように持って、口を開いた。



「身勝手なお願いで恐縮ですが、私を側においては頂けませんでしょうか?」



 またも身体が動かなかったから、外見上の動揺は少なかったと思う。

 強い意思の人だと思った相手が、その強い意思のまま見つめて来て、なんでもないふりが出来るほど経験値はない。それは誤魔化しきれたと思えるけれど、盛大に勘違いした自分自身への恥ずかしさは誤魔化しきれない。

 彼の目には、()は映っていなかった。

 赤面したのが馬鹿みたいだ。いや、最初から馬鹿だったんだけど。



「ご、ご無理はなさらず」



 とりあえずこのままの体勢で相対したくなくて、身体を支えようと立ち上がる。

 ダフィートがそれを助けるために立ち上がって、しかし身体に触れて良いものか悩むように手を彷徨わせていたから、ねめつけて断る。そういったことをして欲しくなくて、身体を起こしたのだ。対等にはなれないかも知れないけれど、()()()()()()()



「……理由を聞かせて」



 動くときに頭は痛んだけれど、一度体勢を決めてしまえば身体を起こした方が楽で助かった。

 命を救った私ではない、私の側にと願う理由。

 命を救って欲しいなどと思っていない男だったから、命を救った私など軽いものなのかもしれないが、これならまだ救ったことを憎んでくれた方がマシだった。

 だってこの男の瞳にあるのは、敬愛とか、崇拝とか、ましてや色恋ではなく――殉教だ。



「私は交戦中のザルヴァルト帝国の血が混じる、混血です」



 理由を隠し立てする気はないのか、ダフィートの口は滑らかだった。

 敵国との混血。それがなにを意味するかは平和ボケした私にだって分かる。私は私の倫理観でもって、ダブルとか、どちらでもあるとか、そう言ったことを口にしたかったけれど、返す返すもここは異世界だ。黙って彼の言葉に耳を傾ける。



「私は祖父が王命によりザルヴァルトの血を娶ったために混血となりました。ですので、恵まれている身ではあります。ですが多くの同胞の状況は凄惨です」



 凄惨、に含まれる具体的なことは口にするつもりはないようだった。聞けば答えてはくれるかもしれないけれど、聞いたところで私は何も出来ない。

 それよりも、出来ることがあるらしい先を待った。



「現在、大魔導士殿はエルスラムの奪還に向かわれてます。この街はかつて融和の街、と言われていました」

「どちらのルーツもある人たちが住んでたのね?」

「はい。その殆どは混血の住民ですが、帝国に占領された際に我が国へ逃げてまいりました」

「どちらでもあるのに、帝国領になったらそこに居れなかった理由は?」



 動きの鈍い頭で必死になって質問をしているのは、ダフィートがどこまでならば私に話して良いか逡巡しているようだったからだ。隠し立てするというより、箱入り娘だと思われているのだろう。あれだけ血みどろの戦場を走っていたのに、と思わなくはないが、そこでの行動こそが甘ちゃんのお嬢様に映っていたのかも知れない。

 それは概ね正しいし、私の想像以上に大魔導師の弟子という立場は高いようでもあったから仕方がない。



「……帝国は純血主義なのです。我が国だったからこそ混血の街が生まれたと言っても過言ではありません」



 懸念は当たったみたいで、私の質問に間を置いてから答えたダフィートは、一度そこで私の表情と体調を観察してから続けた。



「逃げ遅れた住民は、殺されていることでしょう」



 息を呑んでしまったし、ショックはショックだった。

 でも想像していた通りだったから、大きく息を吸ってから先を促す。

 そんな私に、ダフィートも安心したようだった。



「本来、大魔導師殿の参戦はエルスラム手前までの予定でした。ですが聖女がごとく戦場で敵味方なく癒やしの術を施されるお弟子様のご様子に胸を打たれたと、エルスラム奪還を自ら申し出て下さいました」

「あの人はそんな男じゃない」



 思わず口をついた私に、ダフィートは複雑な顔をした。それは、私の言い分を肯定しながら、色々なものを飲み込んだ表情だった。



「ですが聖女とまで目されたお弟子様の側に混血の私があること。その意味は決して軽くはありません」



 私にはその軽さとやらは正確には分からないけれど、ダフィートの願いに矛盾はない。

 たった一杯の水ですら、人を動かす。現に動かされた私はチョロイのかもしれないが、動いてしまったのだから仕方がない。多分、人なんてそんなもんなのだ。


 だから命を救われたとなったらどれだけのものなのか。


 しかしこの男は死にたがっていたはずで、私は彼の意思に反して生かした悪魔か何かだと思われた。だから唐突な変わり身に、困惑していた。

 だがその理由が明らかになれば、納得しかないものだった。

 私でなくても良いけれど、私を求める理由。どいつもこいつも身勝手だ。



あの男(師匠)はなんと言っていたの?」

「お弟子様が良いのなら、と」



 そして最もな質問の答えに、誰が一番身勝手なのかを痛感する。

 勝手に私を呼び出して、勝手に街を取り戻そうとしている男。別に人を救いたいとかじゃない。結果的に救われる人はいるけれど、あの男はあの男の行動理念でしか動かない。



『この戦争には終わりがあるの?』



 そう聞きたい気持ちを抑えて、私は了承を口にした。

 戦争を終わらせるなんて理由で、あの男は戦闘継続を口にしない。なのにダフィートも私も、あの男の手の上だと歯噛みしながら、選べる道は一つしかなかった。


「ありがとうございます……!」



 私の了承に、ダフィートは感極まった表情をなんとか堪えようとしながら礼を言った。対する私は、溜息をつきたくなるのをなんとか堪えていた。

 まったく、なにひとつ、感謝に足ることが出来てるとは思えない。それでもそれは、私が見た彼の表情の中で、一番輝かしいものだった。



(こいねが)うお方に仕えられること。騎士にとって、これ以上の栄誉はございません」



 堪えきれなかったとばかりに喜びがこぼれ落ちる。思わずと言った喜びは、騎士然として引き締まっていた顔を幼くみせた。

 その表情に足るものなのか知るためにも、大魔導師(無責任野郎)はまったく語ってくれなかった世界情勢について聞くべきなのだろう。だけどそこまでの気力も体力もなくて、私は必要なことだけを問う。



「戦況……というか、今後の見通しを聞かせて下さい。あなた方の街の奪還には、どれほどの時間がかかるの?」



 人を一人異世界から呼び出した男だ。聞けばあいつしかその偉業が成せないから、私は他に頼ることも出来ずに大人しく庇護下にあった。それほど力がある男だし、短いながらもあの性格と暮らした結果、あいつが『やる』と言ったのなら、やる。

 だから奪還の可否自体は疑ってはいなかった。



「お身体に障りはありませんか?」



 出来る、という前提で問いかけた私に、ダフィートは体調を確認してきた。そこに答える意思が垣間見えていたから、私は場違いにも安堵していた。

 誤魔化しや煽り散らかすことで煙に巻くことを前提とせずに、この世界に来てまともに話が通じる相手に出会った気分だ。



「身体を起こしている方がまだ楽なので平気です」

「でしたら、地図をお持ちしますね」



 そう言って廊下に居る誰かに一言声をかける様子は、命令しなれていた。お持ちするじゃないくて、持ってこさせるだろう、と思ったけど、この些細な違いが上流階級というやつなのは、私にだって分かっている。

 食べられなくはないけど、喜んで飲み込みたくはない味を口にしたように、暗澹とした気持ちで口を噤む。そんな私に耐えられなかったのか、世間話のように何個かの街の名を知っているか確認したダフィートは、探るようにその質問をした。



「あの、リモリ、と言う響きをご存じですか?」



 ずっと知らないと答えていた私だけど、それは分かる。彼が意を決したのも分かったから、私は嘘を吐かなかった。



「私の家名」



 分からないだろうと思いながらも、利杜(りもり)って指で空中に書きながら答える。

 弟子入りした魔法使いは、家名を捨てて、師匠の名を冠する。なので私を紹介する時にその名が使われることはない。私はカークライトと紹介されるし、名乗る。

 だから聞き覚えがなくても納得な答えに安堵したように、意を決していたダフィートは表情を和らげた。


 だが、私は別だ。


 本気でムカつくが、私がこの世界に来たのは、この名字が原因だった。利杜はリズとも読める。当然ながら私は利杜一族で、他にも利杜の女は何人もいたのに、何故か私だった。ちくしょう。

 それでも選ばれたのが私だったから、私は遠すぎる地で、世界で、カークライト一門になっていた。

 名前は教えてない。本来の名前までこの地に縛られてしまったら、戻ることが壊滅的になる。そして信じられない男と――世界相手に口に出来るはずもないから、この地に来て一度だって名前を口にしてはいなかった。



「ではリモリ様、とお呼びしたほう……」

「その名で呼ぶなっ!」



 生理的嫌悪を催して、反射で叫んでいた。リズなどという勝手に付けられた名前で呼ばれるのは我慢出来る。だけど、知られているものとはいえ、本来の音でこの世界で呼ばれることは我慢ならなかった。

 だが子供っぽい衝動に自己嫌悪かか反省かを呼び寄越す前に、ダフィートが首を押さえて喘いでいて、それどころじゃなくなっていた。



「かはっ……」



 目は見開かれ、身体が倒れるのを寸でで耐えているが、強靱な精神力がなければすぐにでも事切れそうだった。あれほど私のベッドに触れることを躊躇っていたのに、今はその余裕もないのか倒れ込み、身体の感覚が鈍い私でも分かるほどにベッドが沈んでいる。



「平気。大丈夫。私は拒否してない!」



 その状況がなんなのか分かった私は、だけど対処法が分からない。

 制約の魔法。

 私の嫌悪に反応して発動した魔法は、ダフィートが私に縛られ、私の意に沿わないことは何一つ出来ないことを意味していた。しかし術者ではないから、解除法どころかこの苦しみを取り除く方法すら分からなかった。



「あのクソ野郎、魔法で縛ったな!」



 だからリモリの音を知っていたのだ。当然だが、私はリズ・カークライトであった時よりも、利杜であった時間の方が長い。より強固に私を触媒として強制力をもたすのならば、そちらの名を使った方が効果は段違いだ。それをこうもあっさりと行使する。だからあのクソ野郎に、この世界に、名を知られるのが嫌なのだ。

 制約の魔法に呪文として組み込まれたから、ダフィートはリモリの名を知っている。だがそれだけでは、ここまでの強制力は生まない。



「あんたもなんで受け入れた! その様子なら、合意がなければ縛れないはずだ!」



 魂に根付いていると言って良い、かなり強靱な魔法だ。

 私の嫌悪に反応してこれほどまでに害を及ぼした。ならば私の声と名乗りを合わせれば、彼の行動すべてを強制出来るほど強いと考えられる。

 私は魔法を使うのはからっきしだが、知識はそこそこあるのだ。やることがなかったから、大魔導師野郎(世界最高峰)の蔵書を手当たり次第に読んでいた。



「くっ……はぁ……はぁはぁ……」



 だけど知識は知識だけだから、苦しみもがくのを楽にはしてあげられない。

 せめて嫌悪はないと自分に言い聞かせるように唱えながら、ダフィートの背を擦って上げるくらいなものだ。だがそれでも効果はあるようで、息は少しだけ快方に向かっていた。


 大丈夫。大丈夫。


 私にも、苦しむ背中にも言い続けていれば、症状は収まった。それに安堵したのは私だけで、まだ完全に整ってはいない息で、ダフィートは律儀に私の質問に答えていた。



「大魔導士殿からリズ様の御身をお預かりする条件でしたので」

「預かる?」

「はい。お身体が回復し安全な移動が可能になりましたら、大魔導師殿が戦場を離れるまで、御身を当家でお守りすると約しました」

「だから制約を受け入れたの」

「当然かと。この通り、私はあなた様を害することは出来ません」



 そして問いかければ嘘もつけないから、確かに私の身は安全だろう。



「本気の命令ならば、ある程度は行動も強制出来ると聞き及んでおります」



 知っている。何かを止めさせるのは簡単でも、何かをやらせるのは難しい。止めるのは停止だけで良いが、やらせるのは複雑な命令になる。それが出来てしまうから、それほどまでに強い魔法――呪いの類なのだ。

 なのに目の前の男は朗らかに笑って見せる。



「ですのでどうぞ安心して、ご静養下さい」



 心からそう願う笑顔こそが、私を地獄に突き落としていた。


 黙りこくった私に、ソワソワと気を揉んで気遣われているのが分かる。

 だけど『お前の嫌悪で人が死ぬ』。そんな事実を突きつけられて、朗らかに笑っていられるほど私は強くなかった。自分でも強ばっていると思う表情を取り繕えるほど図太くもなくて、嫌な沈黙がある。


 これまでは身体が動かないからと誤魔化せたことが誤魔化せない。愛想笑いの一つでも出来れば良いけど、ダフィートはダフィートで、私の機嫌を損ねた理由が分からないようで困り果てている。

 だが今、口を開かれたら、漠然と名を呼ばれたことではなく、ダフィートという個への嫌悪が発露する。誰かに宛てた嫌悪じゃなくても反応する呪いがどんな形で相手に襲いかかるか分からなくて、黙っていろとばかりに奥歯を噛みしめて睨み付けていた。



「っ」



 そのお行儀の悪い視線に息を呑まれる。すでに言葉遣いが丁寧ではないのは露呈しているのだ。私のことをお姫様か何かだと思っていたかも知れないが、知ったことか。それよりも、誰も傷つけないことの方が大事だった。


 なのにダフィートは、睨まれたというのに花が綻ぶように微笑んだ。騎士然とした男性に使う形容じゃないかもしれないけれど、困り果てて悲壮感すら漂わせていた表情がふわりと柔らかくなった様子は、そうとしか呼べなかった。

 彼は笑う。私の怒りを、愛しいように。



「魂が縛られていることを、言う気はなかったの?」



 その笑みに怒りは増したけど、嫌悪とは違う。それに少し安心して問えば、ダフィートは私の気持ち一つで死ぬことなんて気にすることなく答えた。



「……大魔導士殿からは、契約のことを話せば側にあれる確率はほぼないから、黙っていろとご指示はありました」



 あの男のやりそうなことだ。真実を覆い隠して、相手に自分に都合の良い方を選ばせる。

この呪いを知ったなら、私は対象であるダフィートと距離を取るし、嫌悪する必要がないよう存在を忘れる努力を全力でする。関わりをなくすのが一番の方法で、その次にやるのは偉大なる大魔導師サマに詰め寄ることだ。


 今の私なら、戦場だろうと追ったかも知れない。出来るか出来ないかはともかく、聞いた瞬間走り出すくらいのことはしそうだった。

 実際には身体が動かなくて出来なかったけれど、少しでも自由になれば自分がどんな行動を取るかは分からない。

 ただ確かに言えることは、あの男の読み通りダフィートからは逃げるということだった。



「ですが私個人の意思で、リズ様に語るつもりはございませんでした」



 ダフィートを見返す目に力がこもる。目つきが悪いと実の母親にまで言われた反抗的な目をしていると思う。なのにやっぱり柔らかく目元を緩めて、ダフィートは穏やかだった。



「あなた様に助けられた命だと、その思いに嘘偽りはありません」



 だけど私を無視しているわけではない。リズ様、と、他人の名で呼ばれることに慣れていない私の睨み以外の表情を読み取って、修正を加えている。

 少しずつ、少しずつ、彼の言葉にささくれる気持ちが萎んでいく。



「私は戦場を駆けるあなたの怒りと、優しさを知っております。こんな魔法がなくても、私の行動は変わらない」



 言葉には慈しみの中に、彼自身の芯の強さがあった。死する最後まで顔を上げている、私が初めて見た彼の姿がそこにある。

 あの時と違うのは、彼は血まみれではなくて、私と同じ高さに視線があることだった。私に想いを伝えようと真摯に対応するダフィートは、私が見下ろす格好になるのを好んでいないのを察したようで、膝をつく方がよっぽど楽だろうと言いたくなる中途半端な中腰の姿勢を維持していた。


 私の肩と背中の力が抜けて、丸まった背中分の数センチ下がった視線にもついてきた。私を見下ろすのは断固として拒む頑固さと、中腰の滑稽な姿は笑ってしまいそうだ。

 明らかに私より背が高いのにこの態度では、一緒に並んだときにはどうするつもりなのだろう。少しだけ彼といる未来を想像してしまって、苦い気持ちになる。

 こんな形じゃなかったら、この世界に来て唯一楽しいと思えた未来予想だったのに、と怒りではない感情が生まれる。だけどこんな形だから、私は一言も発せずにダフィートを見返す。



「私が死ぬようなことがあれば、それは私が悪かったのでしょう。この魔法がなくとも、あなたの不興を買うことは、私には死と変わりません」



 彼の態度を殉教者だと思った。その気持ちは今も変わらない。

 だけどそれだけではないと、真摯な瞳と、こちらの意図を汲もうと伺っているのに不躾ではない態度が物語っていた。

 卑屈になったり、取り入ったりとは違う、好意に似たもの。

 それが含まれているから、少しだけ、ほんの少しだけ私は救われていた。



「私自身には、あってないようなものです」



 その言葉に嘘偽りはないのだろう。

 魔法――あんなものは呪いだ――があってもなくても、彼の態度は変わらない。だけど私は違うから、はいそうですか、とは答えられない。

 文字通り命をかけてしまえる世界で、私の倫理観や価値観は可哀想なくらいボロボロだ。そんなボロボロな価値観を後生大事に抱えているのだから、私だってボロボロだった。



「自由を制限する気もございません。当家へお越しになりたくなければ、可能な限りご希望に添わせて頂きます。安全面でご不便をおかけすることはあるかと思いますが、精一杯尽くさせて頂きます」



 そう言って微笑んで見せる姿に、言いようのない不安からのダフィートに関係しない理不尽な怒りは消えていた。しかし身の振り方を決めることは出来ない。

 彼が私の側に居たいと語った理由が、重さを増した気分だった。



―――コンコン


 私が黙り込むから居心地が悪くなっている病室に、救いかのようなノックが響く。私が説明を望んだから地図が届けられたらしい。ダフィートが部下らしき人と室内に入らせず扉前でやり取りを完結させているのをぼんやりと聞く。室内の空気を良くしようとしたダフィートの努力は、一言も発しない私によって無に帰されていたから、部下らしき人に入室しないで済んで良かったね、などと明後日な祝福までしていた。

 私だったらこんな張り詰めた室内に入るのなんて嫌だ。

 そうと分かりながら、私は態度を改めることもせず黙りこくっていた。



「時をあたらめられますか?」



 地図を受け取るために立ち上がってたダフィートの声が、高い位置のまま問いかける。私が頷けば、そのまま退室してくれるだろう。

 だが見知らずの相手にしか祝福の言葉を抱えられない私は、少し考えて首を横に振った。

 何も知らないままよりは知っていたかったし、この呪いも、私の怒りも、いつまで経っても解けないことは分かっていた。ならば心身ともに疲弊しきったときに聞いて、何も考えず倒れるように眠ってしまった方が良い。

 目の前に居なければ感情がこの世界の住人で、勝手な呪いをひっかぶったダフィートへ向けない確信がないから、おちおち悩むことも出来なかった。



「失礼いたします」



 良いからさっさと説明しろとばかりに首を振って下を向いたままの私の視線の先に、地図が広げられる。呪いを知ってしまった私が自分を避けているのが分かっているからか、ダフィートはもう膝を折ったりはしなかった。

 そのことを好ましく思いながら、視界を地図でいっぱいにして、事実だけに集中する。



「こちらが現在地で、目的のエルスラムはこちら。現在の戦線はこのようになっております」



 個性をなくしたような淡々とした声に合わせて、指が位置を指し示した。声も指も誰のものでもないのだと意識して、引かれる線を追う。

 彼への嫌悪とこの世界への嫌悪を、混同するわけにはいかなかった。



「大魔導士殿が参戦された時点での戦線はこうでしたので、現状はかなりのペースで押し上げているのがお分かり頂けるかと思います」



 地図の縮尺は分からなかったけれど、元は自領だったというエルスラムからの距離を、一人の魔導士の参戦で三分の二は押し上げている。だから大魔導士などと呼ばれるのかと思いながらも、この世界の戦力とやらは不明すぎる。



「ですが敵も戦場を分散させるのは得策ではないと、兵を集中させ始めています。籠城された街を奪還するとなると、こうはいかないでしょう」



 彼の口から洩れる敵、という響きに意識が持っていかれそうになるが、なんとか踏みとどまる。確か籠城戦は攻め方の三倍の労力が居るとか聞いたことがあるな、とそちらに意識を持って行けば、やはり訳が分からないのがこの世界の戦力、というか大魔導士殿の力だ。



「むしろあいつがこんなに戦局を左右するのはなぜ? あちらにも魔導士は居るでしょう?」



 あまりの戦力差の理由を確かめる。あのクズが優秀なのは元から分かっていたが、たった一人でここまで戦局を変えられるほどだとは思っていなかった。たった一人がこんな力を持つのなら、私を押しつぶした戦場は何だったのだろうとよぎる。戦争全体だってそうだ。

 しかし今は可能な限りの感情を排除して、疑問を解消することに専念する。



「魔導士には得手不得手がございます。攻撃、防御、移動、医療、様々な分野が絡み合っておりますが、大魔導士殿はその不得手がありません」



 その辺りのことは既に、クソ野郎の膨大な蔵書が教えてくれていた。

 しかし実施に使う人間は一人しか知らないから、ダフィートの説明に耳を傾ける。私からしてみれば、ド初級らしい火を指先に灯すだけのものだって最高難易度だ。

 調整することが出来ずにただ叩きつけるだけしか出来ない私とは大違いなのだから。



「不得手がない。すべてを修められておられるから、大魔導士と呼ばれるのです」



 そしてダフィートは、何故あの野郎が評価されているかを口にした。それは私にも頭では理解できるもので、しかし本質的には理解できないものだった。

 一を修めていない私には、すべてを修める偉大さが理解できない。

 その疑問をダフィートは戦を知らない箱入りだと思ったから、噛み砕くように明後日で、しかし結果的に正しい捕捉となった説明を続けた。



「移動を得意としている魔導士は伝令として大変貴重なのですが、直接的な戦闘には向きません。対して大魔導士殿は、移動を得意としているどの魔導士よりも長距離を移動しながら、一個大隊級の攻撃魔法を操られます」



 戦場に赴いてからは、文字通りの転戦なのだろう。たまに私の様子を見に来てはどこかへ一瞬で消えていた男は、それが求められるだけの能力があって、その力を存分に発揮していた。

 それを語るダフィートの声は淀みない。語ることがいくらでもあるのだと思わせるに足るものだった。



「魔力変化の察知能力も大変優秀で、戦況の変化を見逃しません。一例を上げると――」



 しかしダフィートは、そこで初めて淡々と事実を読み上げるようだった声を少しだけ個人的なものにして小さく差し入れる。彼が口を開く前に決意を補強するように息を整えていたから、私は何を言われても大丈夫なように、身構えることが出来ていた。



「お弟子様を救われたのも、魔力変化を察知されたからでしょう」



 しかし警戒に反して、口に出されたのは私が助かった理由だった。

 この世界を恨むような内容じゃなくて良かったと一瞬安堵して、しかし現実の前には無力だった。

 見殺しにしてくれれば今の状況はなかったのに、あれはそれをせずに私を助けに来たのだろう。なぜ助けたのだと、感謝をする前に恨みを孕んだ疑問が再燃してしまう。

 一瞬でも安堵できた自分を大事にした方が良いとは思う。だけどそれが出来なくて、歯を食いしばる。私を助けた誰かための理由と能力で、誰かが殺されているのが現実で、どうやって受け入れれば良いのかが分からない。



「現状のように同時多発的に戦端が開かれている状況において、彼より場を制する魔導士はございません。遊撃手として、彼ほど優秀な存在は世界中を探してもいないでしょう」



 そこまで言わしめるのならば、私を助けるのもそう難しいことではなかったのかもしれない。

 盛大にあたりの魔素を吸収して魔力を使って、魔力変化というのなら結構なものだったと思う。手あたり次第、術者――つまり私だけど――の状態などおかまいなしだったから、あの戦場に魔術師が私一人ということはなくても、魔力変化で状況を察することが出来た。


 そもそも周辺の魔素を全部吸い上げれば、誰にも魔力を使わせないで済むだろうとも思っての行動だった。魔素の吸い上げだけは褒められたのだから、影響は小さなものではなかったとは思う。

 魔素や魔力の感知能力どころか、一回の魔術師の平均が全く分かってないから思う、としか言えないのだけれど。

 それでも自分も他の戦場にありながら察して、一瞬のうちに移動することが出来るのならば、確かに『大魔導士』と呼ばれるだけの能力だとは理解出来た。



「では逆に、奪還戦となると今のような快進撃はないと思っていた方が良いのね?」

「帝国(相手)次第となります。拠点とはなれますが、エルスラムよりも奪われてはならない要所は戦線上に複数あります。移動のお得意な大魔導士殿の動きを見て、どう反応するかは未知数です」

「囮だと思われることもある、と?」

「はい。その辺りは混血の街を帝国がどう見積もるかにかかっております」



 どう見積もるというのだ。血が混じっているというだけで殺すようなお国柄と言ったのは目の前の男だ。戦略上の拠点でないのなら、囮としか思わないのではないか。

 その困惑が伝わったのだろう。なんてことない常識を口にするように、ダフィートは空気を振るわせることを拒むような穏やかさで告げる。



「ですが我が国にとっては最重要拠点です」



 何故そう言い切れる。混血というだけで捨て置いたのは我が国とやらも同じだろうに。

 だがその疑問は、呪いからダフィートを解放しようとした私と同じくらい感情を制御された声でもたらせられた。



「大魔導士殿が興味を持たれた。その一点だけで」



 抑え込んだものの重さは想像しきれない。混血の人々にとっての故郷としての価値だとか、奪還にかける意気込みとか。

 だけど、そんなのはいつだって当事者から素通りで決められた物事の前には灰燼に帰す。私がまともに動かない身体で寝そべっているのもそうで、私はダフィートと同じような声で問いかける。



「……時期は読めない、ということね」



 顔が見られないから存在に神経を集中させれば、ダフィートは確かに頷いた。

 ならばもう、私が何かを我慢する必要はない。退出を促せば、跪こうか逡巡した動きが視界の隅に入る。

 それでも息をひそめるように一礼をして、彼は部屋から出て行った。








 はらわたが煮えくり返る。なのに暴れる体力も文句を言う体力もないから、行き場のない感情がどこへも出ていけなくて荒れ狂って吐き気を催す。それでも一向に感情は落ち着かなかった。

 扉の締まる音がして一人きりになった室内で、私は何に怒っているかもわからずに怒っていた。

 あいつと関わるといつだってそうだ。こっちは元から関わりたくなんてないのだから、放って置いて欲しいのにこうなる。

 恨み言は尽きぬほどある。どころかあとからあとから無限に湧いてくる。だが、それでも――



「この戦争に参加したの、リズさんのためなんだろうなぁ……」



 参戦した前線の位置は、時の止まった世界地図の中で、この国のかつての国境だった。

 そして大魔導師の蔵書は、世界情勢などの一般教養についてはリズさんが生きていた時代で時を止めていた。魔法や魔術に関するものは常に刷新されて、同じ本の版違いがあるくらい貪欲に新しいものが揃えられていたのに。

 だからその落差は意志だろう。お陰で私は、この世界を本から知ることが出来ずに何世代も前の常識しかない。


 魔法以外の蔵書はリズさんのものなのか、リズさんを失ったから興味をなくしたかは分からないけれど、その偏りに文句を言うことは出来なかった。

 今だって文句は言えない。それどころか、自分勝手極まりない迷惑をかけられながら、恨み切るのが難しい。戦争なんかに関わらずに、引きこもっていてくれたら私のこの苦しみは存在しなかった。だけどそれはあいつも同じで、周りが戦争なんてしないでくれたら、いつまでも引きこもっていたのだろう。


 私は、もしかしたらあいつも、なんで戦端が開かれたかも知らないままに、住処の時を止めてまで戦場(こんなところ)に居る。

 それでも知ってしまった世界を無視することも出来なくて、泣くに泣けない喉の痛みだけが私の理性を繋ぎとめていた。









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