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と、昨日申し訳なさを互いに感じながら館を移したと言うのに、一晩寝て起きたら再び館を移るようにお願いされるなんて思ってもみなかった。気まずい思いもだけれど、使用人総出の移動は見ているだけでも結構な労働で、もう一度なんて勘弁して欲しいのが正直なところだ。
まったく手伝わせては貰えず食堂に軟禁状態だったけれど、扉越しにまで大変ささは伝わったし、手を出させて貰えなかったからこそ疲れる部分もあった。だけどダフィートの様子はお願いと言うより懇願が正しい。顔は強張っている上に顔面蒼白で、無下に扱うことは出来なかった。
そもそも私以上に大変なのはダフィートとその家の人たちだし、なんとなく察していたけれど、ダフィートは苦労人だと思う。
使用人たちを大事にしているようだし、私の否やは文字通り命を奪う。最悪を想像してなお、その上を行っている中間管理職状態でしかないし真摯に向かってあげる他ない。
「フランツィスクスの御曹司がお越しになられると連絡がありました」
だからと詳しく事情を聞こうと口を開く前に、説明が続いた。私の言葉を待つ時間すらなくて、本気で焦っているらしい。
それもそのはずだと口にされた名前に思ったけれど、ツィの方はどっちだったけ? となっているうちに
「大魔導士殿の御家系です」
とナイスアシストが入って、やっと状況が飲み込めた。
何が面倒だって、大公としての肩書はフランフィエタ大公が正式らしく、まだフランは氾濫する。横文字は何とか覚えても、どれがどっちかの線引き問題は前回正解したっけ? 間違えたから気を付けようと思ったんだっけ? みたいな記憶の混乱もあって正解に辿り着けていない。爵位の名前と実際の家名が違うのにも慣れないのに、フラン無双は正直、勘弁して欲しい。
「えーと……次期大公閣下よね? 次期なら敬称はまだ閣下じゃないか……現在だと何になるの?」
病院からの旅路、そして閉じ込めからの館の大移動というミッションを経て、また少し気安くなって問いかける。
ある程度の恥は見せてしまったし、人となりも見せて貰ったし、その点では過酷な旅路も良かったと思う。
「次期大公であらせられますが、敬称で言うのならすでに侯爵閣下ですので、閣下で間違いありません」
なんだそれ、意味が分からない。
それでも口を挟まなかったのは、ダフィートが苦渋としか言いようのない表情をしていたからだ。口を挟まないだけで、私も同じような表情をしている自信はある。
「大公家となると所持する爵位も一つではありませんので、すでに相続されているものがございます」
継承の円滑化だったり、仕事上の問題だったりで権限を分割することは珍しくないらしい。特に後継が優秀ならば周囲からも歓迎される傾向にあり、件の次期当主は大歓迎されての相続だと補足があった。その上でここまでを私がちゃんと理解に至ったの確認して、ダフィートは恐怖の事実を語る。
「ですがそのすべてに大公の嫡男であることが勝りますので、閣下が一概に正しいとは言えません」
一概に正しくないとは、正しいのか正しいのかハッキリして欲しい。
「じゃあどう呼べばいいの?」
「空気を読むしかないかと」
「……無理では?」
「……無理です」
前途多難が過ぎないか!? と大声を発したくなっているけれど、
「すみません……本当に私は貴族関係のことには疎くて……」
と心底申し訳なさそうに言われたら、口をつむぐしかない。二日連続で申し訳ない顔の限界を更新させている身としても、腹を括るしかなさそうだった。
ダフィートにとっても話したことのない雲の上の大貴族だという大魔導士家系の方のフランが今更やって来るというのなら、完全他人事を決め込める立場ではないと思うし。
「えーと……その方の歓待は別館でするとして、私の移動は必須じゃないのでは?」
「魔道具で整えられていない館で御身をお預かりしてるなどと知れれば、横槍も考えられます。そしてそうなった場合、対抗する手段が当方にはございません」
この際、私はともかく、大魔導士が認めていてもダメなのだろうか。
そう過るも、相手はあいつの生家で、どういった力関係なのかは不明だし、危ない橋は渡れない。
本館と別館は、外からの美しさに遜色はない――と言いたいけど、本館の方がちょっと無骨だとは思う――けれど、水回りが一階にしかないとか、生活面では違いは大きかった。この世界でその差がどう捉えられるかを推測すると、敬称一つ正解が分からない私たちには、取れる選択肢は一つなようだった。
「実家と不仲そうだしね……」
「大魔導士殿の意向はフランツィスクス家を通すのが通例なので初耳です」
「そうなの? まぁ、具体的に聞いたわけじゃないくて、私の主観なんだから外しているかもだけど。そもそもあの男と仲良く出来る人間が居ないだけかもしれないし」
口を開けば嫌味か人をからかってばかりだから、と、今までだったからここまでドストレートに自分が被害を被っていない感想を口にはしなかったな、と思いながら口をつく。随分と心を許しているらしいなと自嘲して、でもあまりにもあまりなことを一緒に乗り越えてきたようなものだから仕方ないとも納得していた。
とりあえず出来ることをという結論に縋って、朝食もそこそこに慌ただしく二度目の館移動に精を出すことにして。同時進行で大貴族の歓待準備をしなくてはならずに本気で人が足りなかったらしく、ダフィートに苦虫を何十匹と潰させながらも手伝えたのは嬉しかった。