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だが疲れ切っていたのは間違いはなくて、意識は一瞬のうちに途切れて、次の瞬間には誰かの呼び声を聞いたような感覚を味わった。
まったく時間が経っていない感覚なのだけれど、意識は完全に眠りに飲み込まれ、身体が動かないから寝ていたのは間違いない。呼びかけもどこか遠くに聞こえながらまどろんで、簡単に意識を失いそうになっている。
そんな風に過ごす間にも呼びかけの声は大きくなっていた。そして自分の置かれていた状況を思い出す。
「起きてる! 開けて!」
思い出した瞬間、飛び起きる。ここで去られたら一大事だ。恥も外聞もない大声を上げて布団を跳ね飛ばすと、扉にへばりつく。
幸いにも声は届いていたようで、去らないでいてくれて一安心だ。救命胴衣にも等しい相手を逃したくなくて焦りすぎて、救命胴衣がダフィートだったと困惑の声が返って来て初めて気づいたくらいだった。
「開けて……? イシュカは呼び鈴を説明してはおりませんか? 鍵の役割もございますので、作動させて頂ければ……」
「説明はして貰ったけど、魔力を込めるのが無理!」
勢いでダフィートを遮ってしまって、申し訳ない気持ちがやっと冷静さを呼び戻してくれた。
その冷静さには沈黙が痛い。だけど静寂の後に聞こえた右往左往する使用人の喧騒は、それ以上に痛かった。
「マスターベッドルームは一度すべてをリセットしなければ開きません。魔導士を呼びますので、最低でも1時間はご不便をおかけすることになります」
バタバタとした喧騒をバックに、ダフィートの冷静な声が聞こえる。
誰一人想定していない事態なのが良く分かって申し訳なさは増したけど、1時間なら悪くはない。そう思ったのに、それが覆されたのは一瞬だった。
「魔導士が捕まらない場合は明日以降になるかもしれず……すみません……」
明日以降って明日以降だよね!?
当たり前のことを叫ぶ力もなく、呆然とした私と同じくらい呆然としたような声が振り絞るように聞こえる。謝らせるようなことではないと思いつつも、それを訂正する余裕はない。絶望しきっている間に
「戦時中で魔導士が少なく……」
とまで言われてしまっては、そりゃ外の喧騒はこんだけ煩くもなるな、と、現実逃避を兼ねて納得して途方に暮れる。でも同時にどこか開き直れてもしまった。
そんなことなど気づけない扉の向こうは、黙りこくった私に増々焦りを募らせたようだ。
「王都に居ります父に仕えている家令は当家の魔道具はすべて扱えますので、最悪、一週間ほどで開けられます!」
最悪って言っても、それって文字通り死の宣告に等しくないか?
安心するようにと叫んだのかもしれないが、結果は真逆な気がする。向こうが焦れば焦るほど、妙に落ち着いてきてしまって珍しいダフィートの様子に笑ってしまいそうにもなる。ちょっと声が裏返っている気もするし、初めて聞く声と態度かもしれない。
とは言えこの際、風呂とかトイレとかの社会的死については目をつぶるけれど、どう考えたって食事や水は文字通りの身体的な死としか思えない。試してなかったけど窓は開くのか? そう思って窓を振り返るけど、最低でも四階程度の高さはあったはずだ。
あそこから運び入れるにしても魔法がないのなら明らかに高所手当対象だし、私の命のために他者の命を危険に晒すのは望んでいない。
「魔石を借りても壊す可能性が高いし……」
「魔石があれば開けられますか?」
「断言出来ない。試行回数が増えるだけ……」
多分、一回壊せばそれまでな大本の魔道具を壊すよりは壊せる最大数が多くなるだけだ。ぼそぼそと思考を口からダダ漏れさせていたけれど、扉一枚隔てた先には届いている。これで防音だったら考える余裕さえ失っていただろうから、それは良かったとも思う。
「何か必要なものがございますか!?」
しかし考え事をしているから少し唸ってしまったら、間髪入れずにこれだ。唸ると言っても深呼吸のなりそこない見たいなので、分かりやすい音は立ててはいない。それでも耳ざとくこうなのだから、かなり集中して伺われていた。
「ええ……と、待って、今、考え中……」
流石に可哀そうで状況を伝えてから、思考に戻る。
魔石のように魔力を介在出来きるものがあれば良い。そう思いついたときによぎったのは、私の髪をあげたら、人魂みたいに燃え上がらせて魔力を固定化した大魔導士様だった。
人様の髪をウットリと扱うあの男の所業は気持ち悪かったけれど、今はその動作を必死に思い出す。基本動作は葉っぱを使った魔力コントロールの練習と同じだったはずだ。あそこまで完全な固定化が出来なくても、魔導具に吸って貰う一瞬だけで良い。そう考えれば魔石の代用にはなりそうだった。
「魔力を固定化すれば、魔石っぽいのを作れると思う」
そもそも魔石が魔素を凝縮して物質化したもので、魔力から固定化するのはなんか違う名前があったはずだけどこの際、名称は後回しで良い。手法の方が重要だった。
髪を使うのはコアとなる物質が必要だからで、それならば潤沢にある。
髪ならば壊れても良いのだから、禿げる前に成功して欲しいと祈るだけだ。
「この部屋、ハサミある? ナイフでも良いけど、髪が切りたいの」
「ペーパーナイフでしたらライティングディスクにございます!」
「ごめんなさい! 人体に生えている方の髪!」
同音異句はこれだから! と思うも、向こうがパニックに陥っている以上に私の発音違いの可能性が高いから謝罪から口をつく。
異世界移転の標準装備かと思いきや、言語インストールが微妙で発音がおかしい時がある――らしい。私自身はおかしくても周りの反応からしか気づけない。だから面倒なこともあるけれど、全く分からないよりはマシだから文句はつけないでおく。
この不完全な言語インストールは魂(と、仮定している。色々説明を受けても調べても本質は分からなかった)から引き出した情報らしく、それがまたリズさんの生まれ変わりだか何だかの可能性を高めていた。お蔭で一応の師匠が面倒くさいことになっているが、それはあいつが悪い。
「リズ様!?」
そんな風に定期的に一応の監督者に切れて私が髪色に欝々としていたのを知っているからから、制止するような呼びかけが聞こえる。だがそれは的外れだ。今はその名前が逆効果なのも含めて。
だけど望みの為には放っておくわけにもいかないので訂正を入れる。
「魔力を固定化する核にするだけだから!」
私の説明に安堵したのか、落ち着きを取り戻した声が帰って来てから検討が始まったのが聞こえた。部屋を整えたという人が呼ばれて、受け渡し可能なものについて話し合われている。それしかないなら試してはみるけど、ペーパーナイフは流石に無理だと思うから、私は大人しくそれを聞いていた。
「剃刀の刃のみでしたら扉の下を通せるかもしれません」
暫くしたら協議の結果が伝えられる。結局、刃物の類はこの部屋にはないらしく、試していくしかないらしい。本来ならこんな形で閉じ込められたりしないし、刃物が必要なら用意して貰えるのだからそれも当然だと思う。
本当に迷惑をかけて申し訳ないなという気持ちと、協議をしても扉を壊す選択肢が取られていないことに緊張度は増していた。魔力が扱えるのが前提すぎて、故障のことが考えられていない。魔力的な対応が通じないのなら見た目通りのただの扉に戻るだけだから、気にする必要もないのだと思う。魔術師の館は怖すぎる。
「差し入れ終えたとお伝えするまで触れないで下さい」
恐怖を抑え込みながら最もな指示に従って扉の下を見つめていれば、コピー用紙数枚分くらいの薄い板がちょっと顔を出した。指示があってから爪でカリカリとやれば、簡単に引き出すことが出来きて、第一段階が簡単に突破出来た安堵を握りしめる。あとは自分次第なのが辛いけれど、魔力をぶつける以外の選択肢がない身としては頑張るほかない。
「受け取れた。これならいけそう」
「刃が薄く扱いにくいですから、お気を付け下さい」
「大丈夫。不幸中の幸いで髪が長いから、切りにくくはない」
髪は適当に引っ張っておけばいいから、利き手で親指と人差し指で刃をつまむことに集中すればそう難しくはない作業だった。試しにザクっと行けば、簡単に切ることが出来て挑戦回数は確保された。あとは髪を失い切る前に結果を得たい。
「固定化の方法は覚えてはいるし、あとは出来るかだから待ってて」
そうして私は、髪を10cmほど犠牲にして脱出することが出来たのだった。