5
懸念が払拭されてからは外野の雑音に反抗したり逃げたりしながら黙々と回復とリハビリに努め、気づけば病院脱出は目前だった。
ちなみに髪を染めようかとは一度ならず検討して、方法はあるかと聞いている。答えは
「魔術ではなく草木で染める方法もございます」
とシンプルかつ有り難いもので、私の理解の及ぶ範囲で髪色を変えられるのは嬉しかった。元の色ならともかく、今の色素の薄い色なら草木染でも行ける気もするし、検討の価値はある。魔力の所為でボロボロになっている現状では、アナログなものはそれだけで安心感があった。
だけどその後に
「大魔導士殿のお色を害することは賛成いたしかねます」
と全く嬉しくない意見を差し挟まれ、勢いは失速して脱力した。
思わずダフィートを睨んでしまったけれど、うっすらと苦渋の乗る顔は、私の異世界基準で非常識な行動へというよりは、苦言を言わなければならない自分へのもののようで、怒りの気持ちも失速して、さらに身体から力は抜けた。
言うに事欠いて、お色を害すると来たか。言い回しから何から癪に障る言葉である。
だけど私は最終的に染めるのは止めた。
分かりやすく“大魔導士のもの”の方がダフィートにとって都合が良いのも分かるから話半分に聞いてはいたが、ダフィートに都合の良いことは私も都合が良くて、私のプライドを無視すればプラスの方が多かったからだ。特に安全面は無視出来ない。
少なからず国内には大魔導士の持ち物を奪おうとする輩はおらず、国の中心へ向けての移動ならば進めば進むほど安全とのことだった。だったら生ぬるい視線がなんだ、と言い切れはしないけれど、衝動は理性が駆逐して、なんとか踏みとどまった。私だって自分が可愛い。
そんな選択は髪色だけではなく服もそうで、手元にはこの世界に誘拐されてから使っていた民族衣装風の服も届けられていた。誘拐犯の家で最初に用意されたというか、歴代のカークライトが使って蓄積したのを勝手に発掘したものだ。誘拐犯が誘拐犯なので、魔術師の家が劣化とは無縁だったのは助かった。
そうして無頓着な誘拐犯を尻目に拝借した服は、シンプルながら時折差し挟まれる鮮やかな色彩は目を楽しませてくれるし、動きやすさが段違いで好みなら断然こちらだ。だがこの国の意匠ではなく、つまりは異物な文化の代物だった。
だけど結局、持ち物に名前を付けるかの如く、大魔導士様色の髪にダフィートが用意するのが難しいという戦場で着ていたワンピースを着て、私は病院を去った。
そうした私の病院脱出は、ダフィート曰く、鬼気迫るものがあったと、退院してダフィートの家での自室が定まってから言われたことがある。
大きな目標を達成して少しずつ気心が知れるようになったから過去を振り返ることが出来たのだろうけど、それにしても引きつる口元を抑えていたのは可哀そうだったと思う。だけど私は私で死活問題だったんだから仕方ない。引きつる口元を私も見ないふりをするので、そっちも見苦しかっただろう私の必死さは忘れて欲しい。
鬼気迫るは無様のマイルドな言い換えだったとは思うんだけど、正確に言えば移動の馬車での旅も散々で、迷惑をかけ通しだった。なのにそちらについては口にしなかったから世間話の一つとして提供された話題に、私は何食わぬ顔で笑顔を維持出来た。
道中は水を飲むことすら辛くて、レモンやらオレンジやらを絞って味をつけてくれたりしてあの手この手で工夫をしてくれて、手間をかけ通して踏破していたのだから、手柄を誇ってくれてもいいくらいなのに優しい人だ。
「……魔道具はお使いになれ……ない……?」
そして最後に極めつけのこれである。
疲労困憊で辿り着いた館は貴族の館らしくどこもかしこも魔道具で溢れていて、その一つも私は使うことが出来なかった。大魔導士サマの弟子を歓待するのに用意したあれそれが無意味と知って、旅路の果てにダフィートは動きを止めていた。
困惑の表情が痛い。だが幸いにも父の代から混血であるアルフェリドリーの家は、本館の方が魔道具に頼らない作りをしているらしく、使用人総出で引っ越しが決められた。到着日早々手間をかけさせてしまって、私のために魔道具の揃った別館を用意していてくれたらしい手間を無にしてしまった。
別館といえど貴族の客人を迎え入れる専用だから本館よりよっぽど作りが良いらしく、しきりに建物に不備が多いと詫びられたが、大方の予想を裏切って別館が使えない原因は私だし、何かを壊す前で良かった。露見したのは恥ずかしくて仕方のないシチュエーションだったけど。
と言うのも、誰も根本的な原因に誰も気づかずに事態は進行してしまっていたからだ。決定的になったのは人に世話をされるのが嫌い――というか慣れていないのは知られているから、私付きになったと紹介されたメイドさんが、私の新たな自室で一通り着替えの場所なんかを案内しただけで
「何かございましたら、呼び鈴を鳴らし下さい」
と、手のひら大のオブジェを指して恭しく頭を下げて退出してくれたことだった。
あっさりとしたその対応は本当に有り難かった。下着を含むデリケートな部分の説明も受けていたからか、ダフィートは気を使ってすでに居なかったから、それなりに気を張っていた私も礼を返して一人になった安堵に息をついたのだ。
久々に一人きりの空間をひとしきり満喫した後、ふと思い出したのが件のオブジェだった。
明らかに指していたのはコレだったけれど、呼び鈴か? と疑問を抱きながらボタンを探す。ファミレスの呼び鈴だって、ボタン式でも鈴って言うもなと思い直して観察しても、ボタンらしきものは発見出来なかった。
透明度が高いこと以外は、水晶かアクリルかも分からない物体が台座の上に乗っている。何かの賞のトロフィーだと言われれば納得するような細工がなされていて、綺麗だとは思うがツルツルすぎて突起が存在しないことが重要だった。
「これ、もしかして詰んだのでは……?」
閃きが連れてきたのは絶望だった。慌てて部屋の扉に張り付けば、予想通り開けることが出来ない。取っ手をどれだけガチャガチャ回しても、扉の構造に噛み合わずに空を切っている感じしかしないし、わざと音を立てているのに気づいて人が来る気配もなかった。
これは魔力を流さなければ開かないとは推測するが、周囲を見てもどこに魔力を注ぐのかも分からない。それか呼び鈴が一種のカギとして連動している可能性もある。だけどそれを試すことすら出来なかった。
「流石にご飯とかでは呼びに来てくれると思うけど……」
宛がわれた部屋を思い浮かべながら、気づいて貰えるまでの時間を考える。いっそ寝た方が良いと思いながら、眠気も疲れも吹っ飛んでいた。
現実と向き合いたくないけど、トイレも付属してるが流せない可能性が高い。結果が分かっていながら必死に呼び鈴だというオブジェを探るけれど、やっぱりボタンは存在しなくて、魔力を流す系だ。
元自室の病室はともかく、病院自体は平民も混血も収容される建物で過ごしていたから忘れていた。そもそも私があの男の居城に残れなかったのは、魔法陣・魔道具の類を全く扱えないからなのだ。
使えるときもあるけれど、結構な確率で魔力を流しすぎて破壊してしまう。
大魔導士とまで呼ばれる男の魔法陣や魔道具の溢れる住処でどうやって過ごしていたかというと、ジルベスターに魔力が込められる石に魔力を込めて貰って、それを魔力を必要とするものにくっつけていた。
思い出したくもなかったが、私の魔力調整力は石以下なのだ。
なお、魔力を込められる石も三個ほど壊している。ジルベスターは基本的には私の失敗を面白がっていたが、私が使っている魔力が周辺の、要は自分の家周りの魔素だと思いだしてからは真顔になったので、私の破壊活動は三個で止まった。私としてはかなり真面目に取り組んだつもりだったんだけど、この件に関しては大魔導士様とジルベスターを揶揄することは難しいくらい手を煩わせたから、それ以上、練習したいとは言えなかった。
代わりに葉っぱを使った初級も初級な魔力コントロール練習法を教えて貰ったが、成果は呼び鈴とやらにトライして成功する自信がないどころか、壊す可能性が高いから手を出さない程度のものだ。
人体に魔力を注げたのは本当に、“やらなければどちらにせよ死ぬ”と“死に際すぎて注ぎ込める魔力が石や魔法陣の比ではない”の二点が揃ったからだ。あとは破れかぶれ。
絶対に二度とやりたくない。……同じ状況になったらやれる自分でもいたいけれど。
「あーもう、石っころのくせに!」
だがそれがお安くはない貴重なものだとは分かっているから、お試しで魔力を注ぐ気にもなれない。
「心頭滅却しよう。寝てれば時は勝手に過ぎてくれる」
移動の疲れは身体中に詰まっている。
ベッドに横になって、あとは疲れに任せよう。これが新生活一発目の行動にはしたくはなかったけれど、愚かな判断をするよりましなのでギュッと目を閉じる。トイレも風呂もそこにあるのに使えないのは悲しすぎたけれど、悲しみをずっと感じているよりは幾分ましだった。