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と、決意したところで、目を反らし続けてはいけないものは宙ぶらりんだった。
「あの、さ」
見たくはなくて棚上げしていたけれど、そのままで先には進めないから勢いに任せて決意した。というのに、繋ぎでしかない意味のない呼びかけを差し挟む。その間に精神を整えて、なんとか問いを口にした。
「私が助けようとした人たち、どうなった?」
どうとでもなれと駆けていた。自分の命すら知ったことかとなりふり構わなかったのだから、結果がどうなっても知ったことかと捨て置くことも出来ただろう。
だけど私は生きていて、望まれてないのに救えた命が目の前にあった。
なら望まれていたのに救えなかった命があるはずだった。すべてを救えるなどと思いあがるつもりはない。だけど私の乱暴な魔力行使の結果、奪ってしまった命からは目を反らせなかった。
「敵味方なく、すべて助かりました」
「すべて……?」
言われた意味が分からなくて繰り返すだけの私に、ダフィートはわざわざ立ち上がって地面に膝をついた。忠誠を誓うような姿に苛立ちたくなるが、これはただ、私と視線を合わせるのに一番楽な姿勢だからだと、力の籠らない身体が物語っていた。
自分では気づかなかったけれど私の視線は決意とは裏腹に下を向いていて、ダフィートにそれを選択させたのは私だった。苛立ちは自分に返って来て、静かに処理をする。
同じベンチに座っていても見上げられるダフィートとは、彼の十分な足の長さを差っ引いてもそれだけの差が生まれる身長差があった。
「敵に関しては向こう側が助けた者や捕虜となった者もおりますので現在の扱いは断言出来ませんが、あの時点においてはすべて、です」
言われたことが信じられない私の視線を真っ直ぐ受け止めて、ダフィートは力強く断言する。いまさら視線を上げられずに、私は目の前にある瞳を真実を見極めようと覗き込む。
嘘はつかないと思うが、真実すべてを語ることもない。
それが私とダフィートの関係だと思うから、手を緩めることは出来ない。
「あの戦場で失われた命は、一つとしてありません」
だからダフィートも、私の隠そうともしない疑りの視線を裏切りなどとは言わない。それどころか信じられないのは当然だと言わんばかり態度に陶酔のような甘さを混ぜられて、動揺したのは私の方だった。
「私も奇跡だと断言します」
奇跡に酔っていることを隠そうともしない瞳は、しかし力強いものだった。その二つは両立するものなのかと怯みそうになるのをグッと堪えて、目を反らさない。
力強い陶酔は、恐怖を覚えるくらい人を知らない生き物にさせるものだった。
「リズ様が周囲の魔素をすべて吸い上げられたので、戦闘を継続出来なくなったのです」
そんな風に私が堪えているのを知ってか知らずか、ダフィートはすぐに元の穏やかさを取り戻す。それに安堵する自分を知られたくなくて、話に集中する。
この恐怖は、ジルベスターがリズさん(最愛)を語るときに見せるものに似ていた。
「敵味方ともに最前線ではないことから魔素切れを想定しておらず、魔力を使う術や道具が使用出来なくなった時点で戦闘停止せざるをえませんでした。多少は混乱したかと思いますが、かなり穏当な停止だったと思いますよ」
混戦となっていた戦場にしては、に適応される穏当とは何だろうと思いながら、説明を噛み砕く。戦地でも力強く私を見上げた瞳は、私が気を失ったあとのことを目撃していたらしい。思い出すように剣に手がかけられて、カチャリと鳴った方を向く。
「剣を手に戦う者は、ほとんど地に伏していたタイミングも大きかったと思います」
あの地で帯びていたのは違う剣だったように思う。少なからず音が鳴るほどの装飾はなかった。これは私の傍に居るために選んだ剣なのだろうかと本筋に関係のない疑問を飲み込みながら、脇道にそれたくなる気落ちを抑えて本筋を歩む。
「魔素は魔力の元だけど、それだけで使えなくはならないでしょ?」
「いいえ。人は魔力があればあるだけ、魔素がない場所で活動が出来ません」
どう説明したものかと迷う表情には労りがあって、私の知識が分からないから困っているのかと察することで、辛うじて体面を守る。
多分、この先はこの世界の人間なら子供でも知っているようなことなのだろう。
「便宜上で弟子って名乗らされてるだけだし、攻撃に用いるような魔導具は全く知らないから、子供に話すレベルで良い」
私の助け舟とは言えない助け船に、ダフィートは暗闇で明かりを見つけたかのように柔らかな表情を見せた。しかし続く言葉はなんとも血なまぐさい。
「魔力は力の薄い場所へ流れる性質がありますので、特に戦場で用いられる魔導具は魔力の供給が滞る環境では魔力の放出が停止します。魔力を使えば使うだけ周囲の魔素は減りますので、戦いが長引けば周囲の魔素は自然と薄くなりますのでそのように設計されています」
人が操作出来ない状況下で、魔素を消費し続けるのを防ぐ仕組みなのだとしたら納得はする。噛み砕いた説明の合理性は情報の信用度にしても良さそうだった。なにせ私はこの世界の常識もなければ、戦場で用いられるものについての知識はゼロに等しい。一つ一つ吟味にしていかなければならなかった。
人を傷付けることを好まなかったと察せられるリズさんと、リズさんにしか興味のない男が積み上げた蔵書は、攻撃性がなかった。まぁ、後者の人物については本人が歩く核兵器みたいな暴力性を持っているから不要だった可能性も無きにしも非ずと今は思っているけれど。
「それは人も同じで、魔力が体外へ流れ出ることはありませんが、体内の魔力の流れが狂って魔力の行使に支障をきたします。魔力が身体に行きわたらず最悪死に至ることもありますから、魔力が枯渇する前に停戦を選ぶ他なかったと思います」
高山病みたいなものだろうか。
生きているだけですべての生き物は魔力を使っているのだと大魔導士は言っていた。私の読んだ限りのどの本にもそうとは書かれてはいなかったけれど、あの男が断言したのだからそうなのだろう。酸素欠乏に似た何かが身体に起きるのならば、戦闘なんて続けられないのは納得だ。
「もちろん、魔素の枯渇を見越して剣士がおりますが、あの戦闘は双方ともに予期せぬ開戦でしたので……」
河川や山脈などの分かりやすい国境が存在しない中で、絶えず前線が引き直されていたから進路の選定が難しくて、エンカウントしてしまった。各地でそんな予期せぬ戦いが続いていたのは、病院に運ばれてから常に溢れる怪我人で知ることとなっていた。だからこそ快進撃を続けて順当に前線を押し上げる大魔導士の存在は、日に日に重要度を増しているのを嫌でも感じている。
「リズ様が居られたのです。戦地とは言え、歩兵で泥仕合を想定する位置であるはずもなかった。あんなところで死ぬとは思っていた人間は誰一人居なかったでしょう」
それでも死ぬのが戦争で、なのに死なないと思えるのが人間だ。
愚かさを自嘲するように表情を変えてから、ダフィートは普段通りの実直な表情に戻った。
「剣で戦う他がなかったのです。魔導具の展開には時間がかかりますし、使用距離に適正もある。相手方も同じ状況だったのでしょう。つばぜり合いの小手調べが膠着してしまって、後戻り出来なくなってました」
そして互いにとっての不幸は続き、想定外の魔素を吸い上げる日本人が居た。状況に我慢が効かなくて、大魔導士の弟子として庇護されている癖に駆け出した女が。
人を殺していないかの確認は、亡くなった命がなかったから喜んで良いのかは分からなかった。
だって戦火続いていて、怪我人は運び込まれる。病院だから死体は運び込まれないけれど、死体となった人もいただろう。それでも私は喜びたいから喜ぶことにする。
少なからず、私が殺めずに済んだのは良かった。これがこの先、どう作用するかなんて分からないけれど、こればかりは大魔導士サマの大躍進の前に、取るに足らない一戦となるのを祈るしかない。
奇跡を量産して欲しいと願ってしまうけれど、そんなのもお門違いなのは分かっていた。
「リズ様のお身体を犠牲としてしまいましたが……」
喜ぶにしては不適切な表情をしていたのかもしれない。何かに気づいたダフィートは、文脈を切ってまで座っていても気を抜くと上半身が揺れてしまうこちらを気遣うように手を差し出すから面食らう。
だがそれは、下を向きすぎて身体を支え切れなくなっていた自分に気付いたことで納得した。前屈みになりすぎている身体は、ダフィートの支えを必要としてた。そんなことにも後から気付く愚鈍さが嫌になる。考えすぎな性格なくせに足元が疎かで、意地っ張り。
そうして結局、迷惑をかけるのだから、差し出される前に問いかけた。
「生き残って良かった?」
それが残酷な問いなのは戦場での瞳を知るから分かっていたけれど、この世界での判断基準が分からない私は、彼に頼るほかない。どんな返答があったって私は喜ぶと決めたけど、自分の価値観でしか動けない私がこの世界にどんな影響を与えるのかは知っていたかった。
それが未だに関わる気もないのに関わってしまった私のせめてもの誠意で、今後の戒めだった。
そんなことを考えながら答えを待つ私の前で、ダフィートは何かを思案するように視線を外してから、噛みしめるような返答を口にした。
「はい」
その小さな二文字が、私を支える。きっと、差し出された手以上に。
断罪を求めて問いかけていた己の愚かさを飲み込んで、もたらされた答えを正しく受け入れられるように手を重ねる。力を入れる私に合わせて押し上げてくれる手に感謝して、上体を起こした。
「なら、うん、良かった」
自分の無鉄砲さを反省しながら完全には直す気がないのもあって上手く笑えないけれど、嘘はついていない。
一人でも救えたのなら、それは凄いことなのだから。