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甘えているのは自分だという自覚があるのだから、甘えずに済む状況を目指そう。とは言っても、その先もダフィートの世話にならざるを得ないから申し訳なさはつきまとう。せめて凹んで迷惑をかけないように気を引き締めて、当面の目標を探る。
「出来るだけ早く移動したいんだけど、どれくらい体力が戻ったら大丈夫とか目安はある?」
「早馬でも二日の距離ですので、半日は状態を起こせる状態が最低限ラインでしょうか」
「二日って一般的には大変な移動にあたる?」
最低ラインとか言われても、馬を使った移動も分からない上に、魔法まである世界だ。基準となるものが分からなく過ぎて質問が増える。ただ、馬車なのは間違いないから、馬に乗れなくても問題はないはずだ。
「リズ様の御年齢ですと懸念することはあまりないとは言えますが、馬車移動は慣れないと大変だと聞き及んでおります」
「なんで伝聞?」
「自領が広さばかりはあるのもあり、物心がついた頃には慣れておりましたので」
それはそうかと納得して、姿勢の良い姿を眺める。良いところで育ちましたという感じは私の世界でも通じるものがあって、綺麗に整えられた襟足を後方から眺める景色が物語っていた。だらりと椅子の背にもたれているから見える景色で、それだけで違いは明確だ。
でも私としては科学的には進んでいる車の方が馴染みがあるのだから、自分の知っている価値観があっても、ここは異世界だった。空間全てが魔法で構築された元凶の住処から戦場と来て、やっと共有できる価値観が存在する場所に身を置いているから、今更、差異を確認する作業をしている気がする。
「魔法での移動が基本の魔導士には、馬車は堪えがたいという者もいるようです」
馬車に慣れているか慣れていないかで言ったら、慣れていないのは確実だ。戦場までの移動は魔法で、そこから戦場では随分馬車で移動したけれど、普段と違う状況下すぎて経験値に加算して良いのか分からない。至れり尽くせりだったけれど、ダフィートのような明確に頼っても大丈夫な人はおらず常に精神が高ぶっていて、馬車移動に気を回す余裕はなかった。
「休憩は多く取る予定ですが、身体を横するには路面状況が良くない場所も多いので、座った状態でバランスを維持できる時間が長い方が安心です」
だけど言われた通り、揺れる箱の中でただ座っているだけでも姿勢を維持するのは大変なのは分かる。悲しいくらい指摘が正しくて、己の無力さしか感じない。現にこうして揺れもしない状態で背もたれを活用しきっていて、大きなことは言えない身なのだ。
倒れてしまいそうになったら支えてくれるだろうけれど、それを見越して甘えることに慣れ切ってしまいたくないし、そもそも同じ車内にと望むことすら甘えだろうか。
一人で馬を駆った方が楽なのかもしれない。そんな疑問を抱いてしまうほどの姿勢で真っ直ぐ伸ばされた背の持ち主は、優しいと知っているからこそ聞くことすら躊躇う。私は乗馬が大変なのかも分からないから、彼がどう答えても"正解"なのかが分からない。
「ギリギリ行けそうで行動するのは止めよっか」
「懸命だと思います」
ただ、ダフィートは無理をしない選択をすると安心したように微笑むから、それだけは"正解"だと思うことにする。
こちらの世界の常識が分からなかったから結果として無茶と思われてしまう行動で驚かせがちな身としては、自覚した無茶は慎みたいのだ。大半の無茶は私としては自覚がないのだから特に。
なにせ魔力切れを起こしたのもあって相当に無茶をする人間だと思われているらしく、私の行動に焦燥して、その焦燥を隠しきれていない自分にも動揺している様子が可哀そうになってくるから、自然とそう思ってしまう。
そんな同情というか罪悪感というかを私から引き出している自覚があるなら相当な策士だけど、その結果の選択は甘えたくないという強がりで曇った目で判断するよりも良いものばかりだから、優秀な策士の手で転がっていた方が良いと思う自分すらいる。ダフィートがどういう人物なのか手探りなのは、私だって同じだった。
だからかダフィートにとっての私が、私にとってのダフィート程度には誠実に映っていたい。彼を疑うのなら、自分は誠実だったと胸を張れる時でも遅くはない。
「どうされました?」
だらりと背もたれに懐いていれば、姿勢を保つダフィートの本来の髪色がキラキラしている様子が堪能出来た。初めて見た時のシチュエーションがそれだったからか、光に透ける薄茶が輝くのが好きだった。地味な色味が見せる美しい光景は、彼が持っている本質のようだった。
それを眩し気に見上げているだろう私を気遣う問いに、なんでもないと首を振る。
混血の地位向上のために私の傍に居たいと言った男は、だからこの世界の誰より誠実だ。何を求めているかも伝えずに求めたり、"私の何か"を虎視眈々と狙っている距離を取っているだけのやつらよりもずっと。
ダフィートが報酬としているものが分かりやすいから信頼できるし、私も見返りを用意する努力が出来る。なお、同じくらい自分の欲望に忠実なのはもう一人いるけど、あいつの場合は強引が過ぎるから当然ながら除外だ。あいつの欲しいものに対する思考はタガが外れすぎているし、それを誠実なんて言えるわけがない。
ダフィートも信頼の担保に初手で命を差し出してくるのは勘弁して欲しいけど、命を握る相手を大魔導士本人じゃなくて私に指定したところも強かで好ましい。私だって信用似たる人物とは言いがたいが、どう考えてもあの男に比べれば信用出来るし。
そうすると、彼はやっぱり賢くて、強かだ。そして優しい願いを鋭い意思で抱えている。
その上で叶うならば叶って欲しい願いだから、少しでも助けになれるのなら嬉しいと思う。だから彼への見返りを用意するのは苦ではないし、多少は多く支払う気分にもなる。
それくらい、こちらを気遣う穏やかな笑みを見せる男の望みは叶えられるべきものだ。
それがどんなに困難なことかすら分かってないけれど、この穏やかさに反比例するのだろうな、とは綺麗な輝きを見ながら思うのだった。