白虎センパイと困ったコウハイ
放課後というのはどうしてこう騒がしいのだろうか。
6時間目の授業が終わると各クラス一斉に生徒が飛び出して来た。廊下は瞬く間に楽しそうな賑やかな声で満たされていく。
そんな喧噪に辟易しながら、榊原優人は独り黙々と昇降口へと向かう。
<優しい人>と書いて<ゆうと>と読むこの青年。名前に反して目つきは鋭く、言葉遣いは荒く、いつも機嫌の悪そうな表情をしている。
そして何より特徴的なのは、その真っ白な髪の毛だった。子供の頃から髪の毛の色素が薄かった優人は、とにかく周りから見て奇異な存在だった。
女性であれば雪のように美しいと形容される所だが、彼の場合はその粗暴な印象から「白虎」と呼ばれていた。その名前の印象も相成って、彼の校内での評判は地の地まで落ち込み、入学してからのこの一年間、彼に話しかける者は教師を除いて誰もいなかった。
(こうして通り道がひとりでに空いていくってのももう、もはや日常だよなぁ)
中身は至って普通の男の子な彼だが、小さな頃から怖がられ続けたせいで、人混みに道が作られていくのはもはや日常の出来事であった。
(さて、今日はマンガの新刊の発売日だったか。駅ビルの本屋寄ってから帰るか……)
「せーんぱーい!!」
「……」
歩いてきた廊下の遙か前方。南校舎の奥からこちらに走ってくる少女を認めた優人は、ただでさえ不機嫌そうな顔を更に不機嫌なものにした。周りの生徒が更に距離を置くのを感じて、彼は更に不機嫌になる。
「センパイ、今日も機嫌悪そうですねっ」
少女は、中央階段の踊り場で立ち止まった優人の前に現れると、満面の笑みで彼へ話かける。
「寺岡、廊下は走るな」
「最初の一言がそれですか。あいかわらずセンパイは優しいですねっ」
「……俺はお前を注意したのであって、心配をしたわけじゃない」
「またまたぁ、センパイ照れちゃって。カワイイんですから」
「…………」
寺岡と呼ばれた少女は優人を見上げながら、ニヤニヤとした表情を見せる。その顔を見て、優人はあえて黙り込んだ。ここで反論するのは得策でないという事を、彼はこの二ヶ月で学んでいた。
◆ ◆ ◆
寺岡という1つ下の後輩が優人に話しかけてきたのは、4月の中頃だった。この一年間教師以外に話しかけられる事のなかった優人にとって、廊下でしかも女子生徒に話しかけられるのは大事件だった。
それは周りの生徒にとっても同じだったようで、「あの娘大丈夫か」とか「食いちぎられるぞ」とかいうひそひそ声が飛び交った。そんな周りの心配をよそに、少女は優人にこう告げた。
「榊原センパイ!これ落とし物です!」
両手を突き出して見せてきたのは、優人の学生証だった。
それからというもの、何故かこの少女は優人を見つける度、声を掛けてくる様になった。
最初は「おはようございます」とか「こんにちは」とか軽い挨拶程度だったのだが、いつの間にか廊下の端に居てもこちらへ走ってきて、声を掛けてくる様になっていた。
これまで男子生徒にさえ声を掛けられなかった人間が、小柄なカワイイ女の子に声を掛けられるのだから、嬉しくないわけがなかった。ただそれ以上に周りの注目を集めている事と、女の子に対する耐性がなさ過ぎて、初めは話しかけられるのが恥ずかしくて仕方がなかった。
ただそれも3ヶ月の間毎日のように話しかけられ続けた結果、軽口を叩ける程度には慣れてきたのであった。
「それで今日は何だ?廊下を走りたかっただけじゃないんだろ」
「おーセンパイ、私の事が分かるようになってきましたね。関心関心」
優人は階段へと足を向ける。正直イヤな予感がするのでさっさとこの場から立ち去りたかった。
「わー、待って待って!センパイにお願いがあるんです」
「イヤだ」
予感は確証に変わり、優人はいそいそと階段を降り始める。その後ろを彼女が追いかけてくる。
「何でですか?私まだ何も言ってませんよ」
「お前のお願いに碌な事はない」
「そんな事言わないで下さいよー。この前はパフェ食べに行っただけじゃないですか」
「俺を騙してな」
◆ ◆ ◆
「女子独りだと行きづらいお店があるんです!」
そう言われ渋々付いていって入ったのは、パステルカラーのかわいらしい喫茶店だった。無理矢理押し込まれて店内に入ると、予想通り店内は女性客しかおらず、優人は完全に浮いてしまった。
そしてそんな居た堪れない空気の中、優人は彼女と一緒に特製パフェを食べる羽目となった。というのが、つい数週間前の出来事だ。
「ほら、女子『独り』だと行きづらいじゃないですか」
「うるさい、黙れ。普通の高校生男子にとってあの手の店がどれだけハードル高いと思ってるんだ」
「センパイ普通じゃないからだいじょぶです」
「なに!?」
「わーウソですウソです!今日はホントに私が行きづらいお店なんです!」
「騙してたのは認めたな?」
「さーて!それじゃあ行ってみましょう!」
さあさあと背中を押す彼女に急かされ、渋々優人は彼女と出掛ける事になった。
「分かったから階段で背中を押すな。転ぶ!」
◆ ◆ ◆
「センパイこっちです!」
「……帰る」
「わー、待って下さいよ」
着いたのは一駅隣の街にあるゲームセンターだった。ビル一棟がまるごとゲームセンターになっているお店で、1階にはUFOキャッチャーを楽しむ客で溢れていた。
「ゲーセンくらい1人で入れるだろ」
「いやいや、意外とハードル高いんですってば。特に上の階って」
確かに外から見える1階とは違い、2階から上は少し閉ざされた空間となっている。階によっては格闘ゲームや麻雀ゲームに勤しむ男どもの溜まり場になっている所もある。とはいえ店員さんもいるので特に怖い事はなにもないはずでは、と疑問に思っている優人をよそに、彼女は背中を押してくる。
「まーまーとりあえず行きましょ行きましょ」
「分かったから押すな。危ないだろ」
エスカレーターで2階に上がると、そこにもUFOキャッチャーが隙間なく並べられていた。
「へぇ、種類たくさんあるんですね」
「何が欲しいんだ?」
「え、取ってくれるんですか」
ニヤニヤとこちらの顔を伺う彼女の顔に、優人はイラッとする。
「ちげぇよ、お前がやりたいのは何かって訊いてるんだ」
1階の筐体はぬいぐるみやお菓子が多かったのに対し、2階に並んでいるのは、アニメのフィギュアやキャラグッズだった。優人の中では彼女はリア充女子なので、あまりこういった物に興味を持つイメージはなかった。
「うーん、ここに来たのが初めてなので、いろいろ見てから決めます」
どうやら本当にここに来るのは初めてらしく、彼女はそれからしばらく、興味深そうにキョロキョロと景品を物色していた。彼女が歩くのに合わせて、優人も後ろを付いていく。
優人が周りを見渡すと、客はまばらで、男女ペアの客2組いるだけだった。どの客も2人の距離的にカップルのようだった。
もしかしてハメられたか。優人はハッとして彼女の方を見た。ところが彼女は「センパイあれカワイイ!」とはしゃいでいたので、ここでおちょくるつもりはないらしい。安堵すると同時に、疑って申し訳ない気持ちになった。
「センパイ、センパイっ、あれが欲しいです!」
彼女が指さす先を見ると、大きなペンギンのぬいぐるみがフックでぶら下がっていた。どうやら何かのアニメのキャラクタらしい。
「このアニメ観てたのか?」
「いえっ、一目惚れです!」
「おう……そうか」
こういった、彼女が自分の気持ちに正直な所を、優人は好ましく思っていた。それはあまり自分の気持ちを表に出す事の出来ない優人にとって、とても羨ましいものだったからだ。
そんな尊敬の目で見ていた優人に対し、彼女は手のひらを突き出してくる。
「はい、センパイ!」
「なんだこれは」
突き出してきた彼女の手のひらには1枚の500円玉乗っていた。
「お願いします♪」
「……俺、うまくないぞ」
「センパイならきっとだいじょぶです!」
彼女の自信の根拠はまったく分からなかったが、優人は逡巡の後、その500円を手に取ると筐体に投入した。このまま拒否しても彼女が引き下がらないという事はこの3ヶ月で学習済みだった。
―――。
――。
―。
「わー、センパイありがとうございます!」
「………………」
結局通算5セット2500円(自腹2000円)を掛けて景品をゲットした優人は、天を仰いでいた。一応先輩としての威厳を保てた事に安堵するも、どっと疲れが押し寄せてきた。
「UFOキャッチャーなんて、今後やらん」
「まあまあセンパイ、カッコよかったですよ。目は獲物を狩るトラそのものでしたけど」
「茶化すんなら返せ」
優人が右手をひゅっと前に出すと、軽快なステップで彼女は後ろへと飛んだ。
「イヤですよ。これは私のです」
ぬいぐるみをぎゅっと抱きかかえてホールドすると、彼女は口元をぬいぐるみに埋めた。
「せっかくセンパイが取ってくれたんですから、誰にも渡しません……」
「え?何だって」
「何でもありませんっ!」
さっ次つぎ!と右手を突き出しエスカレーターへと向かう彼女の背中を見て、頭を掻きつつ、優人は後へと続いて3階へと向かった。
◆ ◆ ◆
「…………帰る。ぐっ!?」
「センパイの行動パターンは読めてるので、ベルト掴んでおきました」
「せめてそこは服のすそにしろよ!?」
「いやぁ、割と本気で逃げられそうだったので」
エスカレーターで3階まで上がって来た2人は、彼女の先導でフロアの奥の方へと向かった。するとそこには『男性のみの入場お断り』の立て札が立っていた。いわゆるプリクラコーナーである。
「ていうか、ここまでスイスイ来たけど、ここ(この店)に来たの初めてじゃなかったのか」
「いいえ。さっきは、ここ(2階)に来たのが初めてって言ったんです」
てへっと舌を出してごまかす彼女。殴ってやろうかと一瞬思った優人であったが、すんでの所で思いとどまる。
「いいから早くプリクラ撮ってこい。俺はここで待ってるから」
「何言ってるんですか。センパイもほら、行きますよっ!」
「バカ!おいベルトを引っ張るな!」
右手にベルトwithセンパイ、左手にペンギンを抱えたまま、彼女はプリクラコーナーへズンズンと進んでいった。
「さあさあ、どーぞどーぞ」
「ちょっ、だから押すなって」
のれんの様なものをくぐって、無理矢理中に押し込められた優人は、真っ白な照明に目を細めた。
正面にはディスプレイとたくさんの白い照明が燦然と輝いており、後ろには無地の壁があるだけの無機質な空間だった。グループでの撮影を考慮したものだろうか、優人が想像していたよりも広い空間が広がっていた。
ピロンという音がした瞬間、目の前のディスプレイが変わりいらっしゃいませとしゃべる出す。
「すぐ始まっちゃいますから、カメラの方向いてて下さいねー」
のれん(?)をくぐって現れた彼女は、慣れた様子でディスプレイの前に立つ。
「ほらセンパイ、こっちですって」
空間の端の方に立っていた優人が、腕を引っ張られディスプレイの正面に立たされる。彼女とは少し身長差があるので、自然と身体が下へ引っ張られ、彼女の顔に接近する。
仏頂面の優人もこの顔の近さにはドキリとしてしまう。
「はい、これ半分持って下さい」
そんな事などつゆ知らず、ディスプレイの方を向いたまま、彼女がペンギンをさしだしてくる。どうやら2人の間に置きたいらしい。
それにしても彼女の顔が近い。これだけ広いのに何故ここまで近づく必要があるのか。優人には不思議で不思議で仕方がなかった。というかものすごく恥ずかしかっただけだった。
だが、先輩の威厳としてそこはあえて口にしない。
スピーカーから、「いっくよー」という間延びした声が聞こえてくる。
「ほらセンパイ、前向いてっ!もっと近づいて!」
「お、おぅ」
促されるまま、優人は為す術なく身体を寄せる。
はいっチーズ。パシャッ!もう1度いくよー
「ぷっ、センパイ顔怖いです。スマイルです、スマイル!」
「うるせえ、これはもともとだ」
いくよー。はいっチーズ。パシャッ!次はポーズを変えてー。はいっチーズ。
―――。
――。
―。
◆ ◆ ◆
「はぁーーーーーーーーー」
ブースから出た優人は、目の前にあったベンチに座ると大きなため息をついた。
男子高校生として何か大切なものを失った様な気がした優人であったが、彼女の方は特にリアクションもなかったため、意識しているのは自分だけだという事実に更に落ち込まずには居られなかった。
「おまえ、プリクラになるとキャラ変わるのな?」
ブースの外、筐体の壁際に置かれた椅子に座って何かしている彼女に、優人が話しかける。
「いつもはみんな慣れてるから何も言わないんですけど、センパイは、ワタワタしてて不安しかなかったので、お節介焼いちゃいました。かわいかったですよ」
ふふっと笑いつつ、彼女はペンのようなものを持って、何やら操作していた。
「ところでそれ、何やってんだ」
「あ、これですか。お絵かきしてるんです」
優人が立ち上がりのぞき込むと、そこには大きなディスプレイと先ほど撮ったとおぼしき画像が映し出されていた。
「こうやって、このペンで文字を書いたり、スタンプを押したり出来るんです。こうやってこれをここに置くと……ぷっ」
「おいこら!」
優人の頭の上に、白いネコ耳が描かれていた。
「センパイ、ネコですよネコっ!髪白いからホントの化け猫みたい……ヒゲも描こう……ぷぷっ、カワイイです……」
「おい他人の写真で遊ぶな!ん?これで俺も描けるんだな」
優人はもう一つあったペンを手に取ると、適当にスタンプを選び、彼女の顔へと乗せる。
「これでどうだっ」
「わーちょっと、ちょびヒゲ生やさないで下さいよ~」
「仕返しだ」
「分かりました!じゃあセンパイの目をこうしてキラキラに……ぷぷっっ」
「おい、目がデカい!気持ち悪いからやめろ、それ!」
◆ ◆ ◆
「はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
撮影後よりも更に深いため息をついてベンチに座り込む優人。結局あれから制限時間いっぱいまで、お互いにいたずら描きを続けた。
段々と感覚がマヒしてきた2人は、途中から趣向を変え、お互いを美化する方向で辱めようとあれこれいじくり始め、「ほら見て下さい!センパイカッコいいです!」、「ほら見ろ!お前カワイイぞ!」などと恥ずかしい台詞の応酬をするハメになった。
そして冷静になった今、優人は後悔の念で押しつぶされそうになっていた。
「はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「センパイっ、終わりましたよ」
顔を上げると両手に何やら紙のようなものを持った彼女が立っていた。右手に持っていた分を優人に差し出してくる。
「こっちがセンパイの分です」
受け取るとそれはさきほどのプリクラだった。
ネコ耳にウサ耳。ヒゲに目巨大化。お互いいたずら描きしてひどい事になっている物ばかりだったが、中央の1枚だけはシンプルなエフェクトと、手書きとおぼしき丸文字でこう書かれているだけだった。。
『センパイありがと! 2019.10.xx』
「すっごく楽しかったです。センパイも楽しんでくれましたか?」
その言葉を聞いて、優人は今日の彼女の目的を理解した。
よくよく思い出してみると、前回とは違い今回は、あまり周りの目を気にする事なく過ごす事が出来ていた。
というのも、2階のUFOキャッチャーはあまり客がいなかったのと、みんな自分のプレイに一生懸命でこちらを見る事もなかった。3階のプリクラは個室になっているので、そもそも他人からはこちらの姿が見えない。
つまり彼女は今回、人目を気にする優人に気を遣って、ゲームセンターという場所をあえて選んだのだという事に気付いたのだった。
おそらくこれは彼女なりの罪滅ぼしなのだろう。それに気付いた優人は、ふっと表情を緩めてこう言った。
「ああ、楽しいさ。とてもな」
「セ……」
「せ?」
「センパイが笑った!!何かすごく怖いです!」
せっかくこちらが感慨にふけっていたのに、空気をぶち壊しにされた優人は、わーわー騒ぎ始めた後輩に向かって大声を上げた。
「おいこらお前!それどういう意味だ!」
「わーセンパイが切れたー!いつもの顔だー!」
ハハハハ。と笑う出す彼女を見て、優人は苦笑いで返すしかなかった。
「それじゃあ!センパイも楽しんでくれてるみたいなので、まだまだ行きますよー」
「え、これで終わりじゃないのか」
「何言ってるんですか!ここはまだ3階。もっと高みを目指しましょう!おー!」
先ほど同様右手を掲げてエスカレーターを目指す困った後輩の背中を見つめながら、優人は深くため息をつく。
「やれやれ……」
優人はもらったプリクラを、しわくちゃにならないようにカバンの中の教科書の間にそっと挟むと、傍らに置かれたままのペンギンの頭にぽんっと手を置いた。
「おまえのご主人、困ったヤツだな」
ベンチから立ち上がった優人はペンギンをスッと抱えると、その白い頭を掻きながら、先を急ぐ残念な後輩のもとへと歩き出すのであった。
小説という物をほぼ初めて書きました。あらすじにも書いたとおり、事件もオチもない、ただたた2人のやり取りを書いただけの小説でした。何かすみません……。
こういうウザい面倒な後輩とか幼馴染みとか年の差とか、そういうお話が好きです。
次あるか分かりませんが、こんな感じで平凡な日常ものを時々書ければ良いなと思っていますので、もし次もあればよろしくお願いします。