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同窓会

作者: N

 地元は嫌いだ。俺はこんなとこに生まれたくはなかった。コンビニないし、電車もバスもない。それに友達も彼女もいない。こんな土地焼き払ったほうがいいんじゃないでしょうか。

 ならばなぜ地元に帰ってきているのかといえば、この大学二年の夏に中学の同窓会があるから。同窓会は、成人式の時にやるのかと思っていたが、そうでもないらしい。

実際、会いたい友人がいるわけでもない。中学生時代は基本的に寝たふりをしていた。それでもお年頃だった俺には気になるあの子というやつがいた。その子に久しぶりに会いたい。動機はそれだけだった。

 同窓会の会場まで歩きながら、その子のことを思い出してニヤニヤしている。

 寝たふりを極め、夢想と現実を自在に行き来していた俺にも話しかけてくれるような明るい、いい子だった。

 一時期の俺は恋しすぎてやばかった。ツイッターでその子の名前を検索したりしていた。もちろんフォローなんてできなかった。彼女が写っている写真を見てはニヤニヤしていた。我ながらかわいいことをしていたものだ。気持ち悪いなどと思ってはいけない。純情だったのだ。これを批判する人間は初恋の経験がないのだろう。かわいそうに。

 ただ俺に優しいのではなく、皆に優しいだけだと知ったのにそれほど時間はかからなかったが。その簡単な事実に気が付いてしまってから、俺は彼女の名前をツイッターで検索することをやめた。だから中学を卒業してからの彼女のことは一切知らない。

 俺が中学生だった頃、ある女の子が同じ教室にいた。そしてその子はとても魅力的だった。今分かるのはそれだけである。名前は確か山崎だったと思う。

 夕方になってもじっとりとした熱さは無くならない。昼間はあんなにうるさかったアブラゼミの声はいつの間にかひぐらしばかりになっていた。天球の頂点からオレンジ色の絵の具を垂らしたような空を、ちぎれ雲が流れていく。部活帰りであろうジャージ姿の中学生二人組とすれ違って胸が詰まった。

 同窓会が開かれる店の前まで来た。旅館のような外観で、軒先にぶら下がる提灯がぼんやりと光っていた。一つ深呼吸してから、店内に踏み込む。すでに同窓会は開かれており、大座敷は騒々しかった。

 幹事らしい男に参加することを伝える。男はピンとこない顔のまま、出欠表に丸をつけた。

 見知った顔はちらほらいるものの友人と言える人はいない。手持無沙汰のまま、長机の端の方に座った。

「お前田中じゃん!」

 そういって俺を呼び止めたのは気になるあの子、ではなく、男だった。

「覚えてない?俺だよ俺。真田!」

 真田という名前に開けたくもない過去に繋がる壺が開く。中身はろくなものじゃない。

 真田は端的に言えばいいやつだった。俺を覚えている時点でかなりいいやつであることは明白。しかもサッカー部かなんかのキャプテンで、可愛い彼女がいた。 

 俺は当然嫌いだった。俺ほどの器の小ささになると自分が圧倒的に負けている徳の高い人物を前にすると、嫉妬の炎で燃えて死ぬ。俺は自分より器が同じかそれ以下の人間としか関われないのだ。つまり誰とも仲良くなれない。

「ああ、覚えてるよ。久しぶり」

 目を合わせられず、自分の座る座布団を凝視しながら話す。

今俺が会話しているのは座布団。座布団なら俺とほぼ同レベル。座布団相手ならワンチャン勝てる。

「今何してんの?」

「大学通ってるよ。そっちは?」

「俺はもう働いてんだよ。いいなあ、大学。俺も行きたかったわ」

 ここからどうやって話を広げればいいんだ。わからん。そもそもそっちから話しかけてきたんだからそっちが話膨らませてくれ。会話のキャッチボールしようぜ。俺キャッチャーな。早く投げろよ。

「そういえばさ、ほら。見ろよこれ」

 俺の前にスマートフォンの画面が向けられた。

 そこには猿みたいな赤子を抱くきれいな女性が映っていた。

「これ俺の嫁と娘。かわいいだろ?」

「うん。そうだな。かわいい」

 嫁さんの方はな。苦し紛れの皮肉は口には出せなかった。

 真田は満面の笑みで、満足そうだ。わざわざ俺にこれを見せに来るとかもしかして俺のことが好きなんじゃないだろうか。残念ながら俺にその趣味はない。誠に申し訳ない。

 正直まだ成人したばかりの俺達が結婚して子供がいるなんて世間体はよくないだろう。それでも彼の心底幸せそうなにやけ顔に、そんな後ろめたさは微塵も無い。不思議な説得力だった。俺にはない、ある種の才能。小さな頃、まだ自分がサッカー選手にでも宇宙飛行士にでもなれると信じて疑わなかった頃、彼のようになりたかったことを思い出した。

 真田は誰かに呼ばれて立ち上がった。爽やかに手を振って、そのまま座の中心へと向かっていってしまった。さすが真田君。僕は死にそうです。

「え、もしかしてさあ、あんた田中?」

 真田への原因不明の呪詛を送っていると、先ほどの会話を聞いていたのであろう横の女が話しかけてきた。かすれた声は恐らくアルコールで喉がやけているせいだ。碌な女じゃない。

「そうだけど」

 そう言ってから恐る恐る女の顔を見る。その顔には見覚えがあった。その顔は、俺が中学生の頃好きだった子の面影を持っていた。卑屈に唇の端が吊り上がるのを感じる。

「もしかして、山崎?」

「そうそう! 久しぶりじゃん!」

 昔より痩せていた。髪の毛も伸ばして茶色になっている。それに、タバコ臭い。ピアスもでかい。しかもよれよれのTシャツにジーンズなんていう、ドンキにいるヤンキーの彼女みたいな恰好。

 俺が好きだった女の子はすっかり様変わりしていた。

「今何してんのお? 大学生?」

「うん、まあ……。そっちは?」

「アタシはね、なんていうの? シングルマザーってやつ?」

 そう言ってげらげらと笑った。

 こんな子だっただろうか。あの頃だって確かに明るかったけれど、こんな、投げやりな明るさではなかった。もっと、俺とは違うどこか綺麗な場所にいたはずだった。

「なんか、田中変わったねえ。昔から暗かったけど、更に暗くなってんじゃん」

 また汚く笑ってから、ビールを流し込む。

 「お前もな」なんて言えず、俺は苦笑いをしながらうまくもないビールに口をつけた。本当にまずい。

 何かを期待していた自分を遠くに感じた。

 遠くの席でドッと笑いが起こった。その中心には真田がいた。真田の周りには薄めの化粧のかわいい子が集っている。類は友を呼ぶみたいなものか。

 俺の横で山崎はずっと話している。自分と子供を捨てた男への愚痴らしい。アルコールとタバコの匂いに乗って垂れ流される言葉たちは、その匂いとあまりに同じで笑ってしまった。

「ねえ、聞いてる?」

 赤い顔で小突いてきた。

 彼女は酒に弱かったらしい。何となく知りたくなかった。

「あの頃は楽しかったよねえ。皆バカでさあ」

 ビールの苦みが増した。この子も同じ。過去を飾りすぎている。きっとここにいる皆がそう。何もなかった空しい日々を、青春の日々にすり替えている。過去の虚飾で、現在への言い訳を作っているに過ぎない。

例外なく俺もそうしようとしている。ただ自分にはそれが難しいほど思い出が乏しいというだけのことだ。

テーブルの上には安っぽいつまみが並んでいる。さほど酒に強くない俺はしぶしぶしけった枝豆を手に取った。彼女みたいに自分まで酔ってしまったら、そんな二人に耐えられる気がしない。

 際限なく彼女は話し続ける。中学時代にクラスメイトに告白された話。自分を捨てた旦那への愚痴と未練。全て過去の話で、今のことなど一つも出て来やしなかった。真っ赤な顔で、ビールを飲み下す。それを蔑もうとして、過去さえない自分に嫌気が差す。俺も少しずつ苦いアルコールを体にしみ込ませた。

「ごめん、ちょっと酔い覚ましてくる」

 話し続ける山崎を置いて、外に出た。

 夜になっても熱気は足元に留まっていた。頭上の星の耳鳴りみたいな瞬きがやけにうるさい。げえげえ鳴いているカエルの声で頭痛がした。

 ぬるい風の中で、少しずつ頭が冷えていく。自分の愚かな妄想を笑ってけりをつける。

 そのまま暫く突っ立っていた。あっけなく叶ってしまった目的も、拍子抜けするほどしょうもない結末も、何もかもが馬鹿馬鹿しかった。

 店の入り口からどやどやと人が出てきた。もう同窓会はお開きらしい。

 真田が二次会に行く連中を集めている。その群れの中を、山崎が千鳥足で抜け出てきた。

 同じ中学校に通っていたのに、どこで俺達は枝分かれしていったのだろう。どこで選択を間違えていったのだろう。

 恐らく母親の腹から生まれたときから。その時から俺達は、真田のような人々が住む世界とは違う世界に生まれていた。

「二次会行くの?」

 山崎が千鳥足でふらふらしたまま尋ねてきた。

「いや、いいや」

 すっかり白けてしまっていた。

「じゃあ、アタシも帰る。送ってって」

「タクシー呼ぶよ」

「やだ。歩いて帰る」

 酒臭い息が顔にもろにかかる。

 この女はあの頃の山崎とは違う。そう思いながら、肩を貸した。

「わかったよ」

 目を合わせないよう、前だけを向いて歩き始めた。

 同窓会の喧騒はすぐに離れていく。俺と彼女の二人だけが、暗いほうへと向かっていた。

 田舎の夜道には人がいない。田んぼのあぜ道に腑抜けた間隔でたつ街灯の青白い明りが、冷たい月と混じり合って、境界がぼやけている。

 彼女はジーンズのポケットから煙草を一本取りだして、火をつけた。紫煙の匂いが鼻をつく。

 しばらく黙って歩いていたが、ふと山崎が口を開いた。

「中学の時のあんた、嫌いじゃなかったよ」

 アルコールで澱んだ目で遠くを見ながら、山崎がぽつりと言った。

「四六時中ビクビクしててかわいかった」

「それにさ、アタシのこと好きだったでしょ。バレバレだよ。中学生の恋心なんてさ」

 酒臭い息を吐いて笑う。俺はただ黙って歩き続けた。

「本当に変わったよねえ」

 そう呟く彼女の目尻が月明かりを反射して光った。俺は今日初めて彼女を綺麗だと思った。

「ねえ、いつからだと思う? いつからこんな風になっちゃったんだと思う?」

「もう、覚えてないよ」

「アンタはいつ、諦めたの?」

「だから、もう覚えてないって」

「才能、なかったのかなあ」

「きっとね」

「もっとうまくやれるはずだったんだけどなあ」

 もう短くなってしまった煙草を吸いながら、自嘲気味に笑った。

「今、アタシの子供、施設に入ってんの。アタシが殴っちゃうから。だから今、アタシの部屋、誰もいないよ」

「うん」

「アタシのこと好きなんでしょ?」

「好きだったよ。すごく」

「ねえ、泊ってきなよ」

 こんな女に恋をしていた自分が滑稽に思えた。きっとあの頃の自分が今の彼女を見たら、失望し軽蔑するだろう。でも、彼女が変わったように、俺も変わった。

「どうしようかな」

 この後どうなろうとどうでもいいような気さえしていた。

 彼女の部屋は汚かった。部屋に散らばるビール缶と捨てられないままシンクで腐った生ごみ。その腐臭と香水の甘い匂いが混然一体となって、むせ返るような臭いが部屋に充満していた。

「日本には一億人も人が住んでるんだって」

 周りにゴミが散らばった布団に寝転がりながら彼女が言う。

「アタシさ、昔は皆に優しかったでしょ?」

 彼女は仰向けになって天井を見ているようで、その実もっと遠くを見ていた。

「一億人の中から、選ばれたかったんだよ、アタシは」

「この世界にはいい人なんていくらでもいるから。アタシはその人達に負けないように、必死に誰かに選ばれようとしてたんだ」

「酔いすぎだよ」

 俺の言葉は届きやしない。

「でも、選んでくれなった。誰も。なんでかな。あんなにがんばったのに。ねえ、なんでなの?」

「キスしてよ。ねえ。いいでしょう。アタシのこと好きだったんでしょう? お願い。キスしてよ」

 見開いた両目から、やけに綺麗な透明の涙がぽろぽろとこぼれていた。

 仰向けに寝転がる彼女に折り重なるようにして唇を重ねた。彼女の身体から発されている、腐った果実のような粘ついた甘い匂いが俺の肺を満たす。これが今の彼女の香りだった。

 俺はその先にはいけなかった。いこうとした。それでも何か得体の知れない感情が俺を引き留めた。目の奥が痛んで、耳鳴りがした。

 結局体を引き離した。そのままの姿勢で彼女を見る。彼女もまた俺を見ていた。

 彼女の目は怒りに燃えていた。事実、炎が見えた。ただその炎は、あちこちからかき集めたような頼りないやけっぱちなものに見えた。

 彼女はいきなり立ち上がると、ドアを指さした。

「帰ってよ。二度とこないで」

 どうしようもない寂寥に押しつぶされ、何も言えないまま彼女の部屋を出た。湿った田舎の夏の夜の空気が顔を撫でる。ドアが勢いよく音を立てて閉まるのが背中越しに聞こえた。

 家へと向かう道を一人で歩いた。あの時俺を制止したものは思い出なんていう安っぽい感傷だったのだろう。Tシャツの首元から白い月明かりに浮かび上がるように、彼女が吸っていた煙草の香りがした。

 その匂いを嗅ぎながら、彼女のことが好きだという事実を痛感せずにはいられなかった。

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