2
「思ったより元気そうですね」
病室に見舞いに来た仁科は優姫の顔を見るなりそうつぶやいた。
もちろん入院しているのは優姫だ。今は昼食を終え、上体を起こしていた。
全身の骨が疲労骨折や圧壊骨折し、内臓への深刻なダメージも多くあった。医療用スマートセルとどこかの誰かが用意しておいたハイパーコンピュータによる損傷による症状変化の予想が無ければおそらく優姫は今この場にはいれなかったはずだ。
「なんだ? ICUにいた方がよかったか?」
「似合わないからやめた方がいいですよ」
苦笑を3割混ぜた微笑を浮かべた仁科。その言い分に首を傾げる。
「似合わないってなんだよ……」
ずいぶんな言い様に肩をすくめていると、ふわりと鼻腔をくすぐる清涼な香りに首を巡らせた。
仁科が手に持っていた花をベッドサイドテーブルの花瓶に差したのだ。
「それ、本物の花か?」
「ええ」
「デジタルマニアなのに、持ってるものは全部リアルだよな、あんた」
「まぁ、そうですね」
朗らかな笑みを浮かべる彼女は、一瞬だけぶ然となりながらも、傍らの椅子に座った。
「で、なんかわかったのか?」
「……あなたに教える必要はないのですが、まぁ、いいでしょう」
秘匿回線で何重にも暗号化されたファイルが転送されてきた。
それを優姫は慎重に解読して開くと、実に味気ないテキストファイルだった。
「『音構』『音楽による人類の解放』『世界の統合』。なんだこれ?」
「サルベージできたのは、これだけです」
二人は菅野を追いつめる事ができた。物理的にも電子的にもだ。愛海が歌を完成させたことによりD3Cは完全無害化され、事件は終局した。
中毒症状を起こし、パニック映画のゾンビのように白濁した目で妄執的に二人を襲おうとする菅野。そのBCCにハッキングを試み、真相を掴もうとした結果が、たった今優姫が開いたテキストデータだった。
驚くことに彼の大脳新皮質とBCCはその容積のほとんどが暴走状態のスマートセルにより溶解されていたという。解剖医が前代未聞と興奮していたそうだ。D3Cの副作用にしても経過が早すぎる。明らかに何ものかの意図によって消されたと見ていいだろう。そもそもあのプライドの高い菅野が、破れかぶれに自身にD3Cを服用するとは考え辛い。
復旧できるモノなんて何もないと思われていたが、天才クラッカーが事件終息から今朝までの丸一週間を費やして何とかそこまでこぎつけたようだ。
「この音構ってのが、バッググラウンドだろうな」
「ええ。しかし、推測の域を出る事無いでしょう」
軽く目を閉じた仁科も、おそらくこの一週間不眠不休だったに違いない。この仕事の怪物は人体の疲労を微塵も見せる事はない。しかしもう一度開いた大きな目はかすかに充血していた。
きっと彼女は自身の持つコネクションや能力をフルに使い切り、事件は本当に解決された。
政治や企業の方では事件中に拡散されたネタの落とし前として、かなりの数の辞職者と逮捕者を出し、大混乱を招いている。今まで手の及ばなかった重役までもが、彼女の手により一斉に摘発されているのだから、この事件だって、結局は仁科笑という一介の捜査官の思惑だったのかもしれない。それも逮捕され過ぎて行政機構すら危ぶまれるだろうと思われていたが、ギリギリのところでそれを免れているあたり、何ものかの関与は疑いようがない。
「……俺が退院したら、退院祝いと、あんたの誕生日会やらないと」
「……はい?」
「結局、ちゃんと祝えてないし。そうだ、そしたらちゃんと歌ってもらおう」
「……そうですね」
嘆息するようにつぶやいた仁科と、楽しみだなぁとつぶやく優姫はフェイストップのウインドウに視線を向けた。




