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「実を言うと、あの時の事は、ほとんど覚えていなんです」
「そのようですね。実際、他の方もそろってそう仰っています」
「ええ。でも、ひとつ言えるのは、彼女の歌が、世界を変えたんです」
「なるほど。具体的には、どのような?」
「その、なんていうのかな。”世界”が、変わったんです」
当時、戦後最大規模と言っていい騒乱事件の当事者たちは、口を揃えていた。
突然歌が頭から離れなくなって、もっと聞きたくなり、そして聞けない怒りが膨れ上がった。
怒りで赤く染まっていた中、突然それが起きた。
歌と共に流れた、グラフィックイメージ。
緑とも蒼ともつかない、さざ波のようにも、草原を駆け抜ける涼風のような、淡くそれでいてひどく心地よいイメージ。
少女の声で歌われた慈しみと春風の賛歌は、たちどころにして赤い視界を吹き飛ばしていた。
だれもが、彼女の歌を聴き留め、立ち尽くした。
そんな絵空事、起きるわけがない。
あの瞬間を見ていなかった誰もがそう答えるだろう。
だが、その瞬間をとらえたのだ。
300万人がいたあの街の中でただ一人、自分だけが捉えた。
「この私だけが、映した!」
当事者たちのインタビュー映像を編集しながら、小さく鈴鹿茉奈はほくそ笑んだ。
彼女の報道チームだけが、その瞬間を映した。
混沌の巷を風のように駆け抜けた彼女の歌声と、それに撫でられたすべての人々が手を止め彼女の歌をただ聞き続けた瞬間を、茉奈だけが捉えたのだ。
たしかにあの瞬間、彼女の歌が耳に入った瞬間、茉奈も感じていた異質な高揚感はなくなった。すっとなんの前触れもなく消えてなくなった。
冷静さと、ただ静かで穏やかな己と、彼女の歌声。それだけになったのだ。
怒りも、高揚もなくなり、ただただ、彼女の歌だけを聞いていた。
あの感覚は、どうしようも表すことができない。編集の為何度となくその瞬間を見たが、状況を伝えきれていなかった。
「これじゃ、体のいい再現Vと変わらない……」
己の力の無さに、今初めて歯噛みした。
今までは自分は才能はある。機会がなかっただけだと思っていた。
違ったのだ。実力がなかったのだ。だから、第一志望にも落ちた。
第一志望であったビッグスマイルファクトリーの代表取締役社長、向上新生が面接時に言った言葉が脳内に反芻される。
「創作物が面白いかどうかは、君自身が今までどう生きて何を糧に知識を蓄えて来たかによって決まる物だ。君は、上質な人生を歩んできたのかな?」
能有る鷹のつもりで生きてきた。それがつもりだけだったことに、今気付かされた。彼が言っていた言葉の意味を、理解してしまった。
自分が優秀な人材だとうぬぼれ、おごり高ぶるばかりで、上質な知識も経験も積まず、斜に構えたプライドだけが肥大していた。
「いや、だったら、ここでやるんだ。ここで、本当の鷹になってやる」
ゆらりと燃え上がった負けん気に、茉奈は握りこぶしを作る。悲観するのは、自分のキャラクターではない。跳ねっ返りの鼻っ柱が高い高慢ちき。それでいい。だからこそ前を向ける。
「上等じゃない。私がこの放送局を立て直してやる」
目標は決まった。ならば最短かつ最良の方法をとる。それが鈴鹿茉奈である。




