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電子世界の歌姫  作者: 夜桜月霞
悲観的な歌姫
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 すべてが緩慢に動く世界。その中で優姫だけはわずかに遅い程度で動ける。知覚速度は80倍。1秒を80倍に引き伸ばした世界が『ソードダンサー』を全力稼働させた優姫の感覚。


 20メートル近くもあった彼我の間は、一跳躍でなかった事になる。


 今の優姫は自分の体の筋肉繊維の伸縮を一本ずつマイクロメートル単位で独立制御できていた。完全なる身体の電子制御化である。


 もちろんそんなことは人体のもつ脳だけではとても不可能である。それをBCCネットワーク上で稼働させている簡易AIとクラウドサーバーの代理演算を使い可能にさせていた。


 最適化され、最少労力で最高の効率をはじき出すように制御された体が、菅野のけん銃を握る腕を蹴り上げる。


 蹴り上げた足の感覚が、相手の手首の骨を最低7ヵ所粉砕した事を検知した。


 突然目の前まで飛んできた優姫に瞠目した菅野だが、それも一瞬にも満たない。


 けん銃が蹴り飛ばされたとわかるや、反対の手で自分を蹴った優姫の足首を掴んで力任せに放り投げた。


 飛ばされた瞬間、空中で身を捻り乱闘していた青年の肩に足を着いてもう一度跳ぶ。


 充血しきった目で、加速状態にある優姫を睨んだ菅野。視線はしっかりと優姫を見ていた。


 そして突っ込んできた優姫の顔面へ向けて毒々しい色に変色して腫れあがっている腕を叩き込んだ。


「くそ!」


 しかし黙って受ける義理はない。握りこぶしを掴み、軌道を変える。それと自分の運動エネルギーを載せて菅野の後頭部を蹴り飛ばす。


「それが! どうした!?」


 確実に脳を揺さぶった。それだけではない。毛細血管だって破裂していてもおかしくない威力が出ていたにも関わらず、平然と受け止められた。


「な、」


 驚く間もなく、服を掴まれて優姫は成す術もなく地面へ強かに叩きつけられる。


 反射的に受け身は取れた。だが威力が高すぎた。体中の空気が口から吐き出される。心肺への信号がエラーとなり、呼吸が止まる。あばら骨と左肩甲骨に亀裂が発生した事が情報として上がってくる。


「か、ぁは」


「この、クソガキがぁあああ!!」


 渾身の力が込められた菅野の足が、優姫の腹部に突き刺さる。


 冗談のように優姫の体が吹き飛び、暴徒の数名を巻き込んでさらに飛ぶ。


 地面に突っ伏すと、ダメージを受けた腹部を中心にエラー通知が無数に上がる。それと同時に血液が混じった吐しゃ物を吐き出しながら、それでも最初のオーダーである菅野の撃滅を達成する為、体は半ば自動的に立ち上がり、樹形図式に菅野の行動パターンを想定し次の動きを考案する。


「エラー通知全カット」


 そんな通知はいらない。痛みは今この瞬間には必要ない。


 菅野は撫でつけていた髪を直しながら狂笑を浮かべ、優姫に向かって歩を進め始める。


「おい。さっき、俺に死ねとかなんとか、言ってなかったか? あ?」


 爆ぜるように踏み込んだ菅野によって、間合いが、一瞬で埋まった。虚を突かれた優姫は一瞬反応に遅れる。眼前に現れた菅野は変色した右手で優姫の左頬を強烈に殴りつけた。


「クっ!?」


 咄嗟に衝撃と同じ方向へ跳んだ。威力は半減させることができたが、それでも脳が揺れた。思考にノイズが走る。


 しかし自身の体を操作するのに必要なリソースは、すでに外部へ委託している。


 着地と同時、威力を消しつつ、しゃがみこみ全身の筋肉を縮める。


 追撃にきた菅野。そのすぐ横を地を滑るように移動し、背後から菅野の裏膝を蹴り飛ばす。


 姿勢を崩した菅野。優姫は地に手を突いて、全身のバネを使って菅野の側頭部を蹴り上げた。つま先に伝わる乳様突起が叩き折れる感触。確実に脳を揺さぶった。これで立てるはずがない。


「それが! どうしたぁああっ!?」


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