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自動運転機能が解除された車が群集の中に飛び込んだ。
「おいおいおい! なんだあれ!?」
人垣に飛び込んだ車は6人も人を撥ね飛ばして止まると、ドアが蹴破られるように開いた。
はねられた人たちは痛みを感じないように、再度起き上がろうとするが、明らかな重傷である蠢くのが関の山で立ち上がれずにいた。
邪魔だと叫びながら中毒者たちを蹴り飛ばして、降車した男は乱れた髪を振り乱し憤怒の顔で愛海のいるステージを睨んだ。
『まずいですね。あそこまで理性を喪失しているとは思いませんでした』
私もすぐに向かいます。と仁科。
「クソガキィイイイイッ!!」
罵声と共に男が手に持ったけん銃をまっすぐ愛海に向け、撃った。先ほど車で突っ込んだことも踏まえて、もう菅野に理性のタガは完全になくなっている事がうかがえる。
「愛海ッ!?」
その瞬間、優姫は飛び出していた。
身体に無意識の内にかけられているあらゆるリミッターをカットし、さらにホルモンを調整し筋力を一時的に強化。世界記録レベルの跳躍を見せ、群衆を飛び越えた。
優姫の頭の中は、真っ白になっていた。倒れた愛海を見た瞬間に、理性は掻き消えていた。
そのすぐ隣まで駆け寄り、小さな彼女の体を抱き寄せる。
「愛海! 愛海! おい、しっかりしろって!」
大きな目は、今は閉じられていた。意識は完全になくなっている。その証拠に彼女が発露させていたグラフィックや音楽が鳴りやんでいた。
「そんな、そんな……」
最悪のシナリオが頭をよぎる。
どうするべきだ。どうしないといけない。処置方が頭の中を埋め尽くす。手を動かそうとしたとき、にゅっと自分の視界に満面の月面顔が現れた。
「じゃまだ! どけ!」
振り払おうとした腕が、月面顔をすり抜けた。それは幻想。白いタキシードを着た月面顔をした男は、現実には存在していない。
「いいえ。どきませんよ。なぁに、ご安心くださいませ」
「え?」
「愛海様は大丈夫です。服が弾を止めています。いやはや。9ミリでよかったですな。357SIGや45ACPであれば、衝撃で内臓にダメージを受けていましたよ。あははは」
そこで優姫の視界に愛海の状態が表示された。場違いなほど陽気なサイバーエージェントが優姫へ侵入して、それを映し出していた。
怪我はない。内臓にも外傷はない。しかし音速に匹敵する弾丸が当たり、衝撃で一時的に失神しているだけだ。これならすぐに回復するだろう。
そうと分かると、彼女を失う恐怖が瞬く間に冷めて行き、毎秒80ペタフロップスを超える演算速度を持つ頭脳を取り戻していく。しかしそれと入れ替わるように腹腔の底から溶岩よりもなお熱く煮えたぎる憤怒が、噴火するように膨れ上がっていく。
抱き上げていた愛海の体をゆっくり下ろすと、優姫は立ち上がり振り向いた。
「覚悟はできたな?」
愛海の安全はひとまずジュ・トゥ・ヴに任せようと判断した優姫は、むしろ笑顔で菅野を見た。怒りの限界値は、すでに振り切っていた。
優姫のBCCが、小脳にある指令を出した。出せる限りの全力起動を命じるコードだ。
体内で調合されたホルモンにより心拍数は上昇し、全身の筋肉に新鮮な酸素が送り出される。常人であればとっくに新たに生成したアドレナリンで中毒死している量であるが、それをカロリーを消費しての熱代謝を猛烈なサイクルで行う事で無理やり回避する。
10分間の活動後には生命活動すら危ぶまれるであろう、その指示は、戦闘に必要のない機能のカットと部位の解体・エネルギーへの転換だった。
「死ぬことだけは、許してやる」
そしてその状態で、優姫は男に向け跳んだ。




