76
敵の用意した舞台で、愛海は歌を歌い続けていた。
そしてその目の前には、周囲には、ただの地獄が広がっていた。
見知らぬ誰かが暴力を振るい、振るわれた者は怒り狂い応戦を始める。
自分なんかが分不相応にも願ってしまった、愚かな承認欲求。それの結果が、今目の前に広がっている。
幸いにして、災厄を振りまきながらも、自分にはそれを取り除く手だてが残っているといわれた。
本当に大丈夫なのだろうか。不安は一向に消えない。考えて考え抜いて描いた音楽は理論上ドラッグの波長と相殺するはずだ。
効果が出るまで時間がかかるだろうと、優姫や仁科、ラヴァーの3人から見解を聞いている。
だから、早く。1秒でも早く、こんなバカげた騒乱は終わらせたい。
それだけを願い、ただ脳内で描いた通りに歌を紡ぐ。
暴力は嫌いである。見ているだけで苦しくなる。殴られる者の痛みを考えただけで、可哀そうで苦しくなる。だから愛海は暴力というモノが大嫌いで認めたくない行為だ。
もっと効率的に。もっと的確に。
耳だけではなく、視覚でもとらえればさらに効率がいいはずだ。人間は入力の半分以上を視覚から得ているのだから、そちらからも入力すれば、抗ドラッグの効果はさらに増し早く
自分の歌声をグラフィックパターンに起こす。
もちろん歌を止めるわけには行かない。処理速度が足りず頭の奥、BCCがある部分の近くに鋭い痛みを感じた。
自分一人では無理がある。外部の協力が必要だ、単純回線では妨害の可能性がある。
ミラー回線を駆使し、日本中のBCC代理演算ビジネスを利用しているユーザーのリソースを拝借。分担並列処理し、グラフィックを作成。それを現在この情景をネット越しに見ている傍観者たちの通信に忍び込ませて逆流入させる。
分担処理を終えた映像データを回収し、それをこの場所を中心に放送する。
爆発的に広がる映像が、街を飲み込もうとする。
緑と青を基調にした、さざ波の様な慈愛のイメージ。歌声に合わせたそれ。凶暴化した人々が、徐々に手を止め、視線を向け始める。
成功した。
分担された自分の感情の一部が安堵のため息を吐く。
だがまだ終わりではない。まだ、完全に終息するまで、止めるわけにはいかない。
「クソガキィイイイイッ!!」
歌声を劈く、破裂音。愛海はそれが銃声だと気付く事はなかった。
「え……?」
愛海の細い膝が力なくかくんと折れる。地面に両ひざをついて、それからじんわりと腹部が熱を持った。
『愛海ッ!?』
『逃げてください。今すぐ!』
チャット上のふたりが慌てふためくのがわかった。
歌を、歌わないと。
そう思うのに、唇は、空気を吐き出せない。
ぱくぱくと口を動かすばかりで、歌声がまるで出てこない。
はやく、うたわないと。
視界がゆっくりと黒く塗りつぶされていった。




