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愛海は手に持ったホットミルクを眺めていた。
5ヶ月前に投稿した歌。はるか以前に世界的大ブームとなったあるボーカルユニットの楽曲をアレンジして歌ったものだった。
瞬く間に再生回数は増えた。唯一自分を認めてくれた、唯一の家族であった父が死んでから、誰に認められることもなかった自分が、初めて顔も知らない他人に評価された。
それがうれしくて、おだてられるがまま歌を歌い続けた。そしてあの男の助言のまま@MMとしての活動を始めた。
的確なプロデュース、コマーシャル性を持った選曲と新しい楽曲の提供。人気は飽和しきったミュージック業界を瞬く間に席巻した。
今思えばカルト的なファン層は、自分の歌に仕込まれた毒性故にあったのだ。
全身を鉛の鎧のように押しつぶす虚無感。
浮かれていた自分の愚かしさに、あきれを通り越して殺意さえ芽生える。
「おや、お口にあいませんでしたか?」
テーブルの向かいに座る、月面顔。
一世紀半も昔の映画をモチーフにされたエージェントが、愛海の顔を覗き込む。
「なあ……」
「はい?」
白の三つ揃えと、顔のある月面。ジョークとしか思えない外見とは裏腹に、テナーに片足を突っ込んだバリトンの声は、ひどく彼女を落ち着かせた。もう二度と聞くことが出来ない人の声に、少しだけ似ているからかもしれない。
「あいつは、わたしをその……、助けるために、戦ったのか、な?」
優姫と仁科の人間離れしたスペックは知っている。
彼女たちの身体能力なら、あの程度の包囲、簡単に脱出できたはずだ。
それでも二人は戦い、そして優姫は手を血に染めた。人を、殺したのだ。
人を殺す。
その意味を改めて考えて、愛海は身震いした。
ドラッグで重度中毒症状に陥り、もう助からないとしても、それでも、人を殺した。
その意味は、重い。
「わたしの、せいで……」
知らず自分の体を抱き、震えていた。
「愛海様」
顔を上げると、月面顔が微笑んでいた。
「そうです。あなたの為に、お二人は戦い、そして優姫様は、手を血に染めました」
変えられない事実。突きつけられた事実に息を飲み、そして胸の痛みに雫がこぼれた。
「事実を受け止め、そして、あなたは前を見なければならない。もう二度と、こんな事を起こさせてはいけない」
先ほどと何も変わらない、優しい声色。
「愛海様、あなたが本当に人を救いたいと思った時、なにも迷わず突き進むのです。あなたならできる事です」
手を差し出すと、触れられないはずの、仮想現実に映し出されているだけの立体映像に過ぎない彼の手が、彼女の手を優しく包み込んだ。
「う、うん……」
「結構」
にっこりと満月のような笑みで、彼は立ち上がる。いつの間にか音楽が流れていた。
ピアノ曲。
静かで冷たい旋律は、それでいて優しく、曇天を割る光のように希望を思わせてくれる。
「……まだ、祝福はうけてない。それにもう、わたしは孤独じゃない」
「いずれ必ず、祝福は訪れます。おっと、それはたしかに!」
祈りが届き、祝福が訪れる。とでも言いたいのだろうか。ただのAIにしては趣向の凝っている選曲に、愛海は思わず微苦笑していた。




