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「私立武蔵国原学園で一級電子犯罪が起きています。電子戦部隊に出動要請を出してください!」
仁科は珍しくどころか、公安局に配属されてから初めて声を荒げて上司を恫喝した。
「どうした? 天才様。らしくない」
高年に差し掛かった男は顔をしかめて身をわずかに引いた。
仁科は苛立たし気に、両眉を跳ね上げて上司である男を睨み付ける。その手は彼のデスクを叩くと同時に、報告書と各処への出動要請などの必要書類一式も叩きつけられていた。内容には一分のミスなく、完璧な精度で完成させられている。本来なら一秒のロスなく彼女の要請は通り、実行されるはずだ。
「そんな事は、今どうでもいいんですよ。あなたは私の言う通り署名して上にこの書類を提出せばいいんです。わかってますか?」
普段はほがらかな笑みを浮かべている彼女の剣幕に、彼はそれでも飄々と聞き流すようなそぶりを見せた。
その仕草に、仁科の手が左の脇へ伸びた。
さすがの男も喉を詰まらせ慌てて手を前に差し出す。
「まて、まてまてまて! 落ち着け! 聞け!」
「いい加減な事であれば、貴方を失脚させた上で外患罪で起訴しますよ? 私、それくらいできますからね?」
「ざっけんな。こっちにゃ家庭があンだよ! 俺の立場にもなってみろ!」
くそったれとつぶやきながら、冷や汗でぬれる額を拭った。
「……どいつもこいつも……ッ!」
その言葉で察しを付けられないほど、仁科は稚拙でもなければ世間知らずでもない。
それでも矛先を向ける先が欲しくて、力任せに上司のデスクを蹴り飛ばして、嵐のようにコートを引っ掴んで部屋を出た。
「あーあ、ホント、部下からのパワハラって退職理由にならねぇかな?」
男は周囲に散乱した紙束から、胃薬の箱を取り上げた。机は新しい物を申請しないと、とても使えないだろう。
部屋を出た仁科は携帯端末を操作しながら、庁舎の外へ向かう。
「ジュ・トゥ・ヴ。公安審査会に打電。電子戦部隊へ出動要請を出せるように算段をつけておいてください」
警察庁の持つ対電子犯罪における最大戦力である、機動警察隊に所属する電子戦部隊は電子戦では日本屈指の戦力を有する。
しかし仁科の所属するバーチャルネットワーク規制委員会と警察庁では省は同じでも庁が違う。その出動要請には親族順位のように順を追わないとならないのだが、今はそれが出来ない。時間が足りなすぎる。それにその頂点からの”お達し”が出ているのだ。敵うはずがない。
『またそんな手段を思いついて。ほとほと悪知恵も多才ですね』
やれやれとあきれるような声を漏らす、人間臭いにもほどがある人工知能に、雑務をすべて押し付けた。
本来は完全に規則違反である手段だが、今はそんな事を悠長に云ってられる事態ではない。別の省である法務省の公安審査会から横やりを入れさせ、公安組織の職務違反をエサに強制的に動かす。
その為に仁科は事前にコネは作ってあった。後の代償はかなりの痛手になるが、それでも今は悠長に日和見する組織のケツを蹴っ飛ばさなければならない。今このタイミングであの2人を失うのというのはあまりにも大きすぎる損失だ。それは避けなければならない。
今愛海たちがいる学校のローカルエリアが完全に外部から隔絶され、通信網上の空白地帯となっている。何者かの手によって情報封鎖されているのは間違いない。企業オフィスや、銀行施設でなら日常的だ。それが学校で起きている。ありえない事態だ。
「テロですか……」
ましてそこにいるのが今一番の最重要人物である愛海である。事態は悠長に対処していいレベルではない。
考えに没頭するあまり、仁科はその横を通り過ぎた人物に気付かなかった。
「もう遅い。無様に舞台から転がり落ちろ」
男の呟きに、仁科は気付かなかった。




