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タクシーの中で仁科はこっそりとスカートのホックを外した。
「たべすぎました……」
誰にも聞こえないように独りごちる。
「ハシタナイですよ、笑さま。監視カメラに録画されてますよ?」
「カメラもマイクも乗る前から欺瞞情報を流していますから、問題ありません」
仁科にとって、足跡とは常に消して歩くものだ。習慣づいているが故に、ほぼ無意識にクラッキングを繰り返し、公共サーバーから自分の痕跡を消している。もしこの瞬間に彼女の生命が脅かされたとして、彼女の身元を証明できるものは何もない。それが公安局の中でも特に危険な橋を渡る者の定めだ。
「それにしても、珍しいですね。むしろ初めてではありませんか? 笑さまが人と馴れ合うなんて」
運転席というものが本来ない完全自動運転のタクシーで、右前の座席で運転手のふりをする月面顏の男。ホロディスプレイ上でフロントガラスに落書きして作ったルームミラーを調節して仁科の顔を覗き込んだ。
「さあ、なんの事ですか?」
「嘘がお下手ですね。あはは。いつもの調子が出ませんか? それは結構。氷と鉄で出来た少女が人に戻っていく。素晴らしいじゃないですか!」
言っている意味がわからないと、仁科はゴミデータを丸めて月面顏にぶつけた。
「そういえば、メールが来てますよ。完全秘匿回線から、一通」
「そういう事は早く言ってください」
脳内でメール画面を呼び出す。
思ったより根が深い。これは秋津洲をひっくり返すことになるかもしれない。
文面を理解すると同時に、内容は溶けて消えた。痕跡は何ひとつ残っていない。
調査を続行してください。全ての悪は断罪します。
仁科はふうと息を吐いて、背もたれにもたれかかる。
「海と空、ですか……」
どうしてか、少女の顔が、懐かしい笑顔と重なった。
「疲れているのでしょうか?」
ため息を吐いて、まぶたを少しの間だけ閉じた。
「庁舎に着いたら、お起しいたしましょうか?」
「はい」




