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夕焼けに染まる学校の教室。赤い日差しが差し込み、長い影を作る。
「今日も”王子”は大活躍だった!」
「あれは同じ人間とは思えない!」
「バスケ部の男子に圧勝してた!」
次々と上がる、ある人物の話し。学園中で”王子”と呼ばれる少女の話。
彼女は常に学園の中心だというのは、ここでも変わらない。
ここは現実ではない。
電子世界の小部屋。電子世界に存在する学園生徒専用SNSのチャットルームだった。
教室をイメージした部屋には、およそ30名の人物が立ち話や机を囲んで話したりと各々好き勝手に話しに花を咲かせている。
全員が仮装を着こみ、学校とは別人の匿名人物になりきっている。それでも学園を続けている滑稽さは、思春期特有のものかもしれない。
その友達自慢の教室を傍観する人物が一人。
誰からも見られない、影のような存在。
「現実の英雄と嘘の偽物じゃ、比べ物にならない……」
その影は誰からも聞こえないような小声でつぶやき、夕日の差し込むスライドドアを横に引いた。教室を出ていく。
部屋を出ると、世界は一変する。
まるで深い海の底のような。広大な宇宙のような、無限に広がる電子世界の公共区域。無数にある限定通信区域や通信販売区域を繋ぐ、いわば道路。
影だった彼女は両手を広げて、その世界を泳ぐように飛ぶように、上とも前ともつかない方向へ進み漂う。
空間の中には無数の情報が溢れかえっていた。
夜空の星々のように、広大な空間に無数に浮かぶそれら。少しでも気になる光には手を伸ばせばどれだけ遠くにあるように見えても、すぐに手に入れられた。情報で満たされ、何でも知りえる。距離という概念と際限がない世界。それが電子世界だった。
「ずっと、ここにいれればいいのに……」
彼女は呟いて目を閉じた。海原を揺蕩うように、空を舞う一枚の木の葉のように、膨大な情報の中を当てもなくさまよう。
わずらわしさから、なにもかも解放された自由と開放感にまどろむ。
しかしそれもどこからともなく聞こえたアラームの音にかき消される。
「もう、時間……」
彼女はため息を吐いて、メニュー画面を呼び出す。『ログオフ』の文字を選び、もう一度名残惜しそうに電子世界の空気を仮装の胸に吸い込んだ。視界が一瞬にして切り替わった。
目を開けると、一枚の大きな鏡があった。自分を、地味で矮小でどこにでもいる少女でしかない本当の姿をありのままに写す鏡だ。
3メートル四方の狭い部屋。彼女から見て左手にドアがあり、正面の壁は一面が鏡。それ以外はコンクリート打ちっぱなしの地味なもの。
『愛海様。お時間です』
現実世界の目前、何もない空中に文字が浮かぶ。脳髄に埋め込まれた生体コンピューターが脳内の視覚野に直接投影している立体映像だ。
彼女がうなずくと、黒髪は一瞬にしてディープピンクに変わり、機能性一点張りのつなぎ型の自動環境適応服が煌びやかな装飾が施されたパステルカラーのワンピースドレスに変化した。
そして完璧なメイクが施された目が開かれると、そこは3万人が収容された巨大ライブ会場。
全員がスタンディングで歓声を上げる、その中心のステージに彼女は立っていた。
「みんな! いっくよーーーッ!!」
虚構に塗り固められていてもいい。真実はたやすく埋もれ、誰からも忘れ去られる。父の時のように。