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魔獣の塔と僕と夢・後編

 雪の中を、一人の男が歩いている。

 分厚い皮の鎧に、これまた分厚いコートを着込んで、目深にフードを被っている。背負ったザックの他には、腰に下げた剣のみ。軽装もいいところで、雪山を歩くには心許ない。けれども男は歩み続ける。前へ前へと雪を掻き分け進む。前へと進む、理由があるから。ただひたすらに、前へ。

 そして男は、吹雪の向こうにようやく見つけた。高く聳える塔を見た。腰の剣をかたりと揺らす。柄に積もった雪が落ち、獅子の意匠が顔を見せた。


 僕の夢はまだ覚めない。随分と時間が過ぎて、僕も大分大きくなった。まだまだキュマイラの巨体には敵わないけど、もう一人で狩りも行けるし、戦うことだって出来る。僕は足で押さえつけた獲物の肉を食らう。首が二つある犬なんて、見たことなかったけど、味は悪くない。

 ここ最近、キュマイラやシメールは殆ど顔を見せない。ちょっとだけ寂しいとは思う。この塔に、言葉を話せる存在は彼女達しかいないのだから。だから話しかけくれるのは嬉しい。僕自身は、言葉を発することは出来ないけど理解は出来る。彼女達がいない塔で聞くのは、獣の唸り声と仕掛けが動く重い音だけ。退屈はしない。獣達は容赦なく襲ってくるし、僕はそれを返り討ちにする。お腹が空けば、僕も襲い、勝つ。そしてお腹がいっぱいになったら、なるべく襲われなさそうなところで睡眠を取る。日々を生きて、生きる為に生きている。それだけで、いい。

 その日はなんだか騒がしかった。獣達はなんだか騒ついていたし、引っ切り無しに仕掛けが動く音がしていた。時折、重く響く鉄を打つような音が聞こえてくる。僕にはそれがなんだかわからないけど、酷く胸騒ぎを覚えた。何かが変わってしまうんじゃないかと、思った。僕は走り出した。

 とはいえ、僕に出来ることなんて、ないのだけれど。

 この塔は、数日置きに構造が変わるし、それを意図して操作出来るのはあの姉妹だけ。どういう理由でそうなっているのかはわからないけど、目的地にすぐに行けない点で不便だ。普段はそうでもないし、むしろ新しい場所を発見出来て楽しい。けど何かがあったのだ。そんな時、目的地にすぐに行けないのはもやもやする。どこをどう走ったのか覚えていないけれど、おそらく下の方。大広間の中に、崩れ落ちた明るい金色の鬣が見えた。シメールだ。夥しい量の血液が地面に広がっていた。辛うじて身体が上下しているのを見て、もはや虫の息というのは火を見るより明らかだ。

 僕はシメールに近付く。優しそうな、大きな瞳が僕を見た。

「……ああ、あんたかい、ネメア。どうにも、情けない。やって来たんだ、終わりが。あんたは覚えているだろう? キュマイラがあんたにした、約束……」

 覚えている。覚えているとも。僕は片時も忘れたことはなかった。それが、やって来た。

「男が来た。強い男だ。強さは申し分ない。そして、倒れたあたしを気遣ってくれた。やられた方が悪いのにね。ありゃあ……いい、男だ。それに、何より、あの剣……」

 ごぼ、とシメールは血の塊を吐き出す。もはや猶予はいくらもない。すぐにでも治療しなければ、死んでしまう。けれど僕にはどうすることも出来ない。己の口を開け、彼女の傷口を舐めることしか。血の味が、口内に広がる。美味しくも、なんとも感じず、ただ悲しさが心を埋め尽くす。

「ああ……ネメア。優しい仔。行っておやり、そして見極めておくれ。姉さんはあれで寂しがりだから、看取っておやり。あたしは大丈夫。もう、十分さ」

 がこん、と何かが駆動し、目の前に扉が現れる。初めてここに辿り着いた時、見た扉。キュマイラに初めて会ったとき、開けた扉。僕は口を離し、歩き出す。扉はすでに開いていた。その向こうに、歩くだけ。向こうから剣撃の音と、吼える声。重厚な炸裂音が響いてくる。僕がその向こうに消える前に、小さな声が聞こえる。

「……ああ、でも、やっぱり寂しいね」

 僕は振り返らない。

 駆け抜けて、それを見た。

 薄暗い広間は、キュマイラの炎によって明るく燃えている。まるで、炎に覆われた舞台のように、そこから獲物を逃がすことも増援も許しはしないと言いたげに。その中心に彼はいた。重厚な皮の鎧を身に纏い、その手に一本の剣を携えた、戦士。巧みな技術は、獣にだって劣らない。キュマイラの腕や尻尾、炎を打ち、弾き、避ける。それでも、鎧も剣も、傷が増えていく。火に照らされたキュマイラは、まさにここの主と呼べそうな程、恐ろしい。普段と違って、相手を打ち倒すことだけを考えているかのようだ。その身体に、傷のないところはないと言えそうな程、ボロボロだ。どれ程の激戦だったのか、その身体で示している。互いに血を流し、打ち合う。戦士が打ち込み、獣が牙を剥く。互いに一歩も譲らない。けれどそれは、終わりがないのなら。どちらかが死ぬまで、戦いは止まらないーー止まれない。戦士が構えた。まるで獣のように、低く、低く。背後に伸びた剣が炎に照らされる。獅子の意匠が炎を反射する。対峙するキュマイラも、おそらく最後なのだろう。覚束ない足取りで、駆け抜ける。その時、初めて彼の声を聞いた。全霊を込めたそれは、優しく暖かな、叫び声。振り抜かれた剣はキュマイラの心臓部を見事に刺し貫いていた。どお、っと身体が地に沈む。

 そして、炎が消えた。僕は一目散に駆け出した。警戒して、戦士が身構えるが、関係ない。彼女に刺さった剣は半ばから折れ、どうにも引き抜くことは出来ない。ならばとその周りを舐める。シメールと同じ、血の味がした。

「なんだ、見てたのか。約束、覚えているね?」

 キュマイラは僕に気付くと、声をかけてくる。少し枯れた、小さな声。

「強き人よ。よくぞわしを打倒した。後は、この仔が見極めるよ。お前が本当にあの剣を持つに相応しいか……いや、その剣を受け継いでいたのなら、申し分ないんだろうね」

 こちらをじっと見ていた戦士、その手には刀身のない柄だけがある。やはり見間違えなく、獅子の飾り。

「キュマイラよ」

 そして、彼は僕の隣に膝をつき、キュマイラの瞳をじっと見つめた。やはり間違えてなかった。落ち着いた、優しい声。

「この場所を守っていてくれて、ありがとう。先祖に代わり、礼を言う。そして私と戦ってくれたことにも、感謝を」

「よせやい……わしはただ、あの子がよく眠れるようにしてただけだよ」

「それでも、感謝を」

「そうかい」

 キュマイラは目を細める。

「ほら、ネメア、行きなさい。わしはもう駄目さ。それでも、これでいい。あの剣を、託すに相応しい実力がこの戦士にはある。そこからが見れないのは……ちと残念だけど、それでも、これでいい」

 最後にぺろりと舌を出し、僕の頬を撫でて、キュマイラは動かなくなった。同時に、仕掛けが動き凍り付いた扉が現れる。僕は動かない。けれど、戦士は動いた。膝をついたまま、掌を額に当て、黙祷する。恐らくは、それが彼らの慣習なのだろう。

 僕は身体を動かす。そうだ、約束を果たさないと。思慮深く、優しい。けれど人の前に立つに相応しいかどうか。

「お前は……そうか、すまないな。種族が違うし、どうなのかわからないけど、この魔獣は、お前にとって大切な存在だったのだな」

 移動し始めた僕を見て、彼は頭を下げる。

「許してくれとは言わない。それでも、私にはやらなければならないことがあるのだ」

 彼はあくまで真摯に言葉を紡ぐ。優しい言葉と、その兜の隙間から見える真っ直ぐな瞳に、僕は頷く。ああ、そうだ。彼は充分に示した。強さも優しさも。その使命に満ちた瞳は、僕を納得させる。そもそも、彼女が自ら招き入れない限り、彼がここに辿り着くことはないのだから。だから始めから決まってた。そして、僕も納得した。ならば託そう。僕は扉の前に立つ。かつて自分で開くことの出来なかったそれに、身体をぶつける。じわり、と額に傷が出来、血が垂れる。けど、こんなのへっちゃらだ。彼女達の最後に比べたら、痛くない。扉がゆっくりと、ぱきぱきと音を立てて開いていく。その向こうに、見えた。凍り付いた剣。

 僕は彼を振り向き、一つ、吼える。

 この向こうにあるぞと知らせるように。

 僕は扉の横に座り込む。


 そうして、彼は凍り付いた剣を引き抜いた。まるでそうあることが正しいと、剣が言うように、彼の手に、自然に収まった。驚く程あっさりと、彼女達の理由は、彼の手に渡ったのだ。僕はそれを見届けた。もはや理由もないけれど。

「お前は……」

 彼は僕を見る。

 僕も彼を見る。

 僕は動かない。僕はそこから動きはしない。この後、どうすればいいか、なんて知らない。僕は僕のしたいことをする。僕はじっと彼の目を見る。変わらぬ澄んだ瞳に僕が映る。白い狼。雪原紛れて獲物を食らう獣。それが僕。僕のしたいことは。


「では、達者で。また、来るよ」

 そう言って、彼はこの塔から去って行った。最後まで、僕を気遣ってくれて。残された僕は独り。もはや話せる獣もいない。退屈だ。退屈だけれど、僕はここにいよう。せめてこの、長い長い夢が覚めるまで。彼女達の墓を守り続けよう。それが、僕のしたいこと。

 僕は長い夢を見る。覚めない夢を、見続けた。

これで完結です。これ以上は、私は夢を見てないので、どうなったのかわかりません。きっと死ぬまで、あそこにいるのでしょう。

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