襲撃
「先程も言ったと思うが、君の仕事は、只見桜博士の護衛だ。絶対にこれは護り抜いて欲しい。いつまでそれをしてもらうことになるかもわからないし、君がどんな目に合うかも保証できん。だが、やってくれ。君しか適任者がおらんのだ」
前半からは、強い意志を感じさせた大河内所長の言葉は、後半には嘆願に、執念に近いものになっていた。同時に、西島の手を両手でしっかりと握った。その手の力は強く、一瞬悲鳴を上げてしまいそうなほどだった。
「西島君、私からも言わせてもらう。彼女は、日本にとって大切な人間だ。この件は、我が国の不沈がかかっていると言っても過言ではない。本来ならば、大人数で送り出したいところだが、そうもいかん。これを乗り切れば、日本にすべてが有利になる。それまでの辛抱を気味に背負わせることになるが、耐えてくれ。ここからは、私事だが、娘のことをよろしく頼む」
官房長官の目も真剣だった。今までの値踏みするような視線も消えて、純粋に信頼を寄せる視線を向けていた。
西島も、ここまで引っ張られてきて、戸惑っていたところがあった。しかし、この2人の表情を見て、その迷いも振り切らざるを得ないのではないかと感じ始めた。
「わかりました。ここまで来て、逃げるわけにも行きません。公安調査庁の人間として、日本国民として死力を尽くさせていただきます」
この返答に大河内所長も、官房長官も満足したらしい。大きくうなずいて、くり返し手を取り、しっかりと握った。
「やってくれるか、本当にありがとう」
「大いに頼むよ」
代わる代わるそのような言葉をかけられ、まだ困惑していた西島が周りを見ると、溜息を付いたような表情を見せている只見博士と、潜水艦のセイルの上から身を乗り出してニヤニヤしている日下艦長が見えた。日下は西島と目を見合わせると、肩をすくめて艦内に戻っていった。感極まっている所長と官房長官は、一連の周囲の目には気づいていないようだった。
西島は、感極まった男たちを奇異な視線で見つめる、周りの視線にいたたまれなくなった。
「わかってます、わかってます。それで具体的に、行動するときはどのようにすればよいのでしょうか。許可をとったりする必要性などは?」
「ああ、それを言っとかねばならなかったな」
思い出したように官房長官が言った。
「各国との無用な摩擦を避けるために、行動範囲は、日本の排他的経済水域内もしくは、公海としてくれ。国際海峡の航行時は、潜航したままでも良い。ただし、潜航している限りは絶対に見つかってはならないように注意せよ。ま、これは君に言ってもしょうがないがね。日下君によろしく伝えておいてくれ」
それに、大河内所長が加えて言った。
「連絡は、1週間に1度、今から書く帯域で行う。ちょっと待ってくれ、今書き出す」
そう言うと大河内所長は、紙を取り出して数字を書き込み始めた。そして、10個ほどの数字を書き終えたかと思うと、西島に尋ねてきた。
「今書くものはあるか」
「一応あります」
「じゃあ、これを今すぐ写してくれ」
そう言って、大河内所長は紙を渡してきた。
「これで、盗聴される危険性は一段階下がったが、それでも心配な点がある。これ以上の周波数については、また、送信する」
その話を聞きながら、西島は周波数を写し終えた。
「終わりました。一回目の通信はいつ行いますか?」
紙を返しながら西島は尋ねた。
「そうだな。今日から一週間後の午前5時でどうだ?」
「わかりました」
ちょうどその時だった。
「大河内所長、出港準備整いました。いつでもいけます」
【部長】と書かれたヘルメットをかぶった作業着の男が所長に話しかけた。
大河内所長は、その方を一瞥すると、西島に再度向かい合った。
「準備も整ったようだ。もうそろそろ『敵』もこっちの動きを知ったことだろう。追手が研究所にたどり着くのは時間の問題だ」
「そういえば、聞いていなかったのですが、『敵』って具体的にどこなんです?」
それに、官房長官が答えた。
「今この場にいない全員と思え。お前の上司でさえも、だ」
「いえ、『誰』ではなく『どこ』なんですが」
難しい質問だったらしい。官房長官は少し考える素振りを見せた。
「うーん、大河内総研を除いた、全世界の政府機関、民間企業、非営利団体だな。とにかく、今ここにいる人間以外は信用するな。たとえ、日本政府であってもだ」
大河内所長も大きくうなずいた。
「何回もいうが、敵だらけだ。どうにかうまく対処してくれ。こちらも今年中には、どうにかしたいと思っているから。これを活用しろよ」
大河内所長は、そういって鍵を渡した。
「これは?」
「例の潜水艦の火器管制システムの2つある鍵のうちの1つだ。手作りで鍵と錠の部分を作ってあるから、失くすなよ」
「わかりました。気をつけます。それでは…」
そう言うと、西島は博士を促して、潜水艦の方に動き始めた。
「桜、必ず帰ってこい」
後ろから、官房長官が声をかけた。よく考えてみれば、直接思いやった言葉は、これが最初であるように西島には思われた。
「はい」
小さな声で、振り返ることなく博士は答えた。
西島は、後ろをちらっと振り返る。そこには、「冷たくあしらわれたッ」と愕然としている親バカの姿があった。その表情は、大河内所長と西島の他には誰にも見えていないようだった。
西島のその視線に気づいたのか、官房長官は顔面に威厳を取り戻し、冷たい表情に戻り、憤怒の視線で西島を睨んできた。今にも、視線で殺されそうである。幸い、視線に人を殺す力はなかった。
西島は吹き出しそうになるのをこらえて、適当にほほ笑みを浮かべて前に向き直った。
しかし、
「西島君、次はないぞ…」
耳元でそういう声がしたと思うと殺気が真後ろで立った。
日頃の成果で、反射的に、博士の立っていなかった右側から腕を回して、後ろに振り向いた。
そのときには、官房長官は元の所に立っていた。もちろん、腕が当たった感触もない。音もしなかった。
しかし、どう考えても今の殺気は官房長官から放たれたようにしか感じられなかった。
(本当に何者だ、あの人は!?官房長官をやっているよりも寧ろこっちのほうが怖い!海外のそういう連中にも通用するんじゃないか?)
底冷えするような表情の官房長官は更に言った。
「いいか、私は人を動かすのは嫌いなんだ。そこのところをよく理解しておくんだな。では行け」
ぶっきらぼうにそう言うと、大河内所長を引きずるようにして、官房長官はドックの上の階層に登っていった。
それを見ながら西島は「行きましょう」と博士に声をかけて、潜水艦に向かった。
一通り苦労して潜水艦のセイルに登ると、ちょうどその時、建物が揺れたように感じた。
「今のはなんでしょう?」
只見博士が尋ねたことから察すると、気の所為ではないようだった。
只見博士の腕を引っ張り上げながら、西島はその疑問に答えようとした時、建物がまた揺れた。
その時セイルのハッチからのっそりとに日下艦長が身を乗り出してきた。
「研究所が襲撃を受けているらしい。まだここまで辿り着くことはないようだが、死者も出始めている。急いで中に入ってくれということだ」
そう言って、「ま、艦の中が狭くなるから入りたくないなら入らなくていいぞ」と言い捨てながら、ハッチの中に、艦長は姿を消した。
「博士、急ぎましょう」
そう言って急いで博士をセイルの上まで引っ張り上げ、ハッチの中に押し込み、西島は潜水艦の中に降りた。
ここまで来て、西島には気がかりなことがあった。
(仕事場のPCに入れてるゲーム、セーブデータ後少しなんだけどな。いない間に課長、絶対に調べて消すだろうな)
そんな事を考えながら、西島は潜水艦のハッチを閉じた。
そうして下に降りると、そこは発令所であった。
「今回はお世話になります。西島です」
そう言って、日下に改めて挨拶をした。
「この艦の艦長の日下だ」
ここで、西島は現在の状況を確認しようとした。
「今一体何が起きているんです?」
日下も難しい顔をした。
「通信越しなのでよくわからないが、研究所内に武装した集団が押し入ったらしい。現在警備のものが対応しているそうだが、技量が半端なものではなく、ここに到達するのも時間の問題らしい」
中々驚くべきことである。それほどまでに重要な人物なのかと只見博士の方を見たが、感情のない表情をしているだけであった。
ただ、西島からすると、民間の研究所にしては、ここの警備のレベルも、並大抵のものではないと感じられた。
「それはまずいですね、護衛という点からしても、今すぐに出発するべきと考えますが」
「そうしたいのは山々だが、今から作業を始めても、出航できるようになるのは1時間後だ。それまでに、必ずやられている。いくら潜水艦とはいえ、支援がないところでは戦えなくなる」
状況は刻々と差し迫っているが、すぐに動ける状態にもないらしい。潜水していない潜水艦で籠城か、先行きが暗くなった西島だったが、その時に思いついたことがあった。その方法が使えるのか、確認してみる事にした。
「ここのドックは地下にあるという考えでいいんですか?」
「そうだ。ここは地下45メートルの地点にある」
「つまり、ここのドックから出るときというのは、ドック全体に水を満たしますね」
「そうだな」
「このまま武装した集団をドックに案内して、その上で、水を注水するということはできませんか?」
この案に、艦長も豆鉄砲に撃たれた鳩みたいな表情をした。まさに奇策であった。
「ちょっと待て、つまり、武装集団をこの潜水艦の近くまで呼び寄せるのか!?」
「そうです」
「面白そうだな。所長に言ってみようじゃないの」
そして、日下艦長は悪い笑みを浮かべて、通信員にこのことを伝えるように告げた。
しばらくやり取りがあったかと思うと、日下艦長は西島に振り返った。
「やるそうだ。君も中々極悪に頭が回るね」
褒めているのか貶しているのかわからなかったが、一応褒められたと西島は思うことにした。