邂逅
「只見先生、お待ちしておりました。所長は、例の部屋におります」
「おお、ご苦労さん」
大河内総研横須賀水産研究所につき、車を降りると3人はすぐに出迎えを受けた。
研究所から警備員が来て、護衛につきながら、所内へと移動する。
「こんなところに軍事機密を見つけるような研究者がいるんですか?大河内総研の水産研究所は、海洋生物研究の第一線の研究所として有名ですが」
長い廊下を案内されながら、西島は課長と、官房長官に尋ねた。
「西島君、『雄弁は金なり、沈黙は銀なり』という言葉は知っているかね」
その発言に前を歩いていた官房長官が振り向いた。
「言葉だけは」
「複数の解釈があるんだが、個人的に好きな解釈はね、金は銀に比べて実用性がない。つまり、おしゃべりよりも無口のほうが実用性が良いというものだ。言いたいことは分かるな」
つまり、うるさいから黙れということである。
「わかりますが、間接的に言うのではなく直接言っていただければありがたいのですが」
しかしながら、西島の口から飛び出してきたのは減らず口だった。
その言葉が頭に来たのか、官房長官は速度を落として、振り向いた。
「…なんで君がこいつを推薦したのかよくわかったよ」
その言葉に、課長は苦笑いを浮かべた。
「察しの通りです」
「なんでこんなやつが公安のような組織に長らくいたのかがわからんな。よく君もこんなやつが部下に配属されることを了承したな」
「先輩逆ですよ。こんなやつを使える人間が自分だけだっただけです」
苦い顔をしたまま課長が裏話を暴露した。
「ま、そうだろうな。君は苦労人の素質がある」
こう言って官房長官はにやりと笑うと、前に向き直った。
エレベーターに乗り地下に行き、更に廊下を進んだところで、官房長官は立ち止った。目の前には、「所長室」と書かれたプレートがあった。
ノックをして、官房長官がドアを開けた。
「失礼するぞ」
「よし、待っていた」
中から、よくとおる低い声が聞こえてきた。
中にいたのは、初老の男と、若い女性だった。
「大河内、これが最後の人間だ」
「こいつらは信用できるのか」
なかなか失礼なことをいうものだと西島は感じた。
「誰ですこの人?まあ想像はつきますが」
小声で西島は課長に尋ねた。
「大河内総研所長、大河内薫氏だ。国内に絶大な影響力を持ってて、官房長官の支援者でもある」
「こっちは、自分の後輩で、その横にいるのが、まあ、今回の人間だ。2人とも公安の人間で信頼がおけるセクトの人間だ」
課長と西島が小声でしゃべっている中で、会話は進んでいた。
「お前の眼鏡にかなったのなら大丈夫だろう。例のことももう隠しておけないしな。急がなければならん」
「わかっているさ。もとはといえば、こっちのせいだ。迷惑をかけてすまない」
「治にあっては乱を呼び、乱にあっては治をもたらすような人間がいるだけだ。気にすることはない」
「ま、その話はまた後でだ。西島君、こちらは知っていると思うが大河内総研所長、大河内薫氏だ。そして、こっちが君の護衛対象だよ」
そういって、官房長官は、大河内所長の隣に座っていた、若い女性に目を向けた。丁度、官房長官と、親子くらいの年の差があるように思われた。なかなかの美人である。
「只見桜博士だ。生物工学の第一人者であり、今回の騒動の発端だ」
西島は、その女性に見とれていたが、官房長官の言った言葉に、注意が向いた。
「え、今、只見と言われましたか」
それに対して、官房長官は不本意そうな顔をした。
「君の思っている通りだ。私の娘だよ」
この発言には課長も驚いた顔をした。
「「ええーーーーーーーっ!!」」
奇しくも課長と西島は同じ挙動をしてしまった。
「何だ、悪いか」
官房長官の機嫌も少し傾く。
「いえ、意外だなぁと。先輩のことですから、子女にも徹底して帝王学でも授けたのかと」
課長が慌てて取り繕う。
その向こうでは大河内がにやにやと官房長官に視線を向けていた。
「まあ、今にされた反応じゃないからいいが…。とにかく、娘のことを宜しく頼むよ」
渋い顔をしながら官房長官が言う。
「わかりました」
そういう西島も、心の1割が浮いているようだった。
「ところで、西島君」
ここでいきなり官房長官の声が低くなったかと思うと、西島を部屋の隅に引きずって行った。
「もちろんだが、手を出すんじゃないぞ」
首の横には、親指が突き出されて添えられていた。
「わかっています。わかっていますからその手をやめてください」
心の底で、なんで官房長官をしているんだ、この人、と思いながら、西島は答えた。
「ならよろしい」
魂の底まで凍りそうな殺気を放っていた官房長官は、その気配を跡形もなく消すと、元の立ち位置に戻った。
下手をすると、今までのどんな仕事よりも、西島は命の危機を覚えたかもしれなかった。
「桜、一応、お前の護衛の人間だ、挨拶ぐらいはしておけ」
官房長官が促して、西島の前に、只見博士を連れてきた。
「只見桜です。この度は宜しくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ、全力で事に当たらせていただきます」
鼻の下を伸ばしながら、西島は返答した。それを横目に課長が脇腹をつついてきた。
「西島、お前本当に大丈夫か?」
「いえいえ、大丈夫ですよ!」
「その反応を見ていると、更に心配になってきた…。お前、この任務が終わった時に殺されないといいな」
ため息をついて、課長は西島の横を離れていった。
「では、官房長官、自分はこれで失礼します。それと、西島」
「はい?」
課長は、西島の肩を叩きながら言った。
「死ぬなよ」
「…はい」
その言葉に、西島は神妙に答えるしかなかった。
「おいおい、そんなことを真に受けるなよ。大事なことではあるがね」
課長が部屋を出て行った後、大河内所長が肩を叩きながらそう言ってきた。
そして立ったままの西島を促して、ソファーに座らせた。
それを確認した官房長官が話し始めた。
「西島君、君にこれから話すことを知っているのは、ここにいる人間だけだ。このことは、ことが終わっても言うんじゃない」
「課長にもですか」
「そうだ。うちの娘がした研究が世界をひっくり返したということは分かっているな。その研究は日本でも行う予定がある。つまりそういうことだ」
「つまり、この状況が終わって無事に帰国した後は、日本がその研究を行うということですね」
「いや、違う。日本のスタンスとしては、研究は行わないし、その研究を活用した兵器も作らないというようにする。しかし、その期間中に極秘裏に研究所を設立する。勿論運営は大河内総研になるだろうが」
西島は軽く混乱してきた。
「つまり、今回私が、只見女史を護衛するのは、まさか、安全に研究所を設立するまでということですか」
大河内所長はそれに深く頷いたが、同時に官房長官は首を振った。
「それは第二の建前だ。実際はそれよりも裏がかなりある。最後のほうには、政治家の潰しあいだな。とにかく、君がこの案件を遂行してくれればいいというのが我々の一致した意見だ」
「そいで、私は、どこに娘さんと駆け落ちすればいいんです?」
もうこれ以上、緊張感に耐えられなくなって西島は冗談を飛ばした
「…に・し・じ・ま・く・ん。君は立場が分かっていないようだ…」
ただそれは、悪手だったようである。官房長官が不意に立ち上がったかと思うと、公安の人間であるにしじまでも対処できない速さで、後ろまで回ったのである。そして気づいたときには、首筋に冷たいものが当たっている感触がした。只見桜は既にこっちを向かず、気まずそうな顔で明後日のほうを見ていた。
「その手の冗談は笑えないからな。それを肝に銘じておくように」
「………は、はい」
銃口を首に押し当てられている状態では拒否することもできなかった。ちらりと大河内所長のほうを見ると、彼は、尊敬するような眼差しを送ったかと思うと目を閉じ、首を横に振った。悪手だ、ということらしい。
「とにかく、国内に匿う場所はない」
それを知ってか知らずか、官房長官は、銃を下ろすと、元の席に座りなおした。
「そこで、我々は、防衛省が大河内総研に開発を委託していた、新型の推進装置を備えた潜水艦を流用することにした。一応、1か月前に、ここで解体されたことになっているから、この艦は存在しないことになっている」
これには西島も驚かされた。公安も、国防の動きについては知っていたが、公安でもその潜水艦は解体されたというように言われていたからである。
「本当ですか!!」
そして、冷静さを取り戻した途端に、西島はもっと嫌な推論に行きついた。
「まさか、自分も潜水艦に乗るということじゃありませんよね」
そしてそれに帰ってきた答えを西島は一生忘れそうになかった。
「君はいったい何を言っているんだ?護衛対象が潜水艦に乗るというのに、護衛である君が乗らなかったらどうしようもないだろう」
何をばかばかしいことを、とでも言いたげな口調で、官房長官は言い切ったのである。