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徴発

「えーと、すいません、よく聞こえなかったんですが」

「君に頼みたいことがある。今すぐに横須賀にある大河内総研の研究所に行ってくれ」

気持ち良い昼寝を妨げられて、突然課長の机に呼び出されたかと思うと開口一番に飛んできたのはそういう言葉だった。

「何があるんです?」

「向こうで説明がある、とにかく行ってくれ」

「またまたー、課長、厄介払いしたいだけでしょう」

「否定はせん」

「そこは否定しましょうよ。悲しくなります」

「ただ、ここにいる連中で二番目に優秀なのはお前だ。その事実がある」

「いや、一番の人を送りましょうよ。誰なんです、一番」

「私だ」

身も蓋もない返答だった。

「…まあそうでしょうが、なんで課長じゃいけないんです」

「このことは極秘事項だ。お前にしゃべっている時点で、私かお前のどちらかがいかなければならん。そして、命令系統上、お前が下だ。よってお前しか行けない。納得したか」

こんな無茶苦茶な論理を展開されて納得できるわけがなかった。

「できるわけないでしょう。いったい何日間の用事なんですか」

「まあ、早く話がすめば2週間、全く済まなかったら4か月、メドすら立たなかったら5年間だな。ああ、命の危険もあるということを付け加えておく」

しかも、話はとてもではないが簡単に受け入れられるものではなかった。

「長期出張扱いにはなりますよね、あと労災は降りるんですか労災は」

「出張扱いに関しては心配するな。労災に関してはな、お前が死んだことすら公表できないような類の話だ。よって、おりることは絶対にない。絶対にだ」

強い口調で言いきられたものの、そんな条件を呑めるわけがなかった。

「いや、後に残った家族は」

「お前、お袋さんと親父さんは、昨年2人立て続けになくなったとか言わなかったか。兄弟もいなかったはずだ」

「いや、あれは、休暇を取得するための方便で…」

この男の勤務態度は、あまり褒められたものではないらしかった。

「そんなことは知らん。とにかく、こっちの頭の中では、お前に家族はいない。行ってこい」

そのことが念頭にあるのか、課長の風当たりも強かった。

「いや、彼女が」

「ここ数か月、残業に次ぐ残業をさせているのに彼女を作る暇があったのか。そいつはすごい」

「それより前に、彼女ができたとは考えないんですね…」

「公安に入るときに身辺調査はしているからな。それを忘れるな」

「ですから、兎に角いやだと言っているんです」

「君の発言に論理的な説得力はない、よって、君の発言を無視する。これは命令だ、早くいかんか。先方も首を長くして待っているんだ。こっちの体面もある。早くせんか」

結局個人の意思は無視されるようであった。

「いやです。それでもというなら、今すぐ辞表を」

「書く暇があると思うか」

「えっ…」

「もういい、最初の予定に戻す。俺が連れていく。ジタバタするな、ついてこんか」

課長は立ち上がると、襟首をつかんできた。

「なんでこんなことになるんですかぁー」


うだるような暑い夏の日の朝、公安調査庁に勤めている28歳西島(にしじま)(ゆずる)は強制的に課長に連れられて横須賀にいった。


「で、ここは横須賀のどこです」

「知らん」

「時間は」

「時計は置いてきた」

しょうもない話をしながら、2人はとある倉庫で時間をつぶしていた。

「というか、何で、研究所じゃなく、このようなところに?」

「先様から連絡があってな、直接あそこに行くのはまずいということだった。こちらとしても君と私の足取りを消す必要があったのでね」

妥当な理由ではあったため、西島は話題を変えることにした。

「課長はこんなところで油売っていてもいいんですか」

「お前と違って、日ごろ真面目にしとるからな。こんな時でも仕事は増えん」

ここで西島は、今回のことで疑問を覚えていることを尋ねることにした。

「しかし、今回の話って何です」

しかし、この質問は爆弾を誘発することになった。

「お前に黙っていたことがあってな、この話は、上から来たものじゃない。つまり、非公式のものだということだ」

国家公務員が、全体への奉仕者であることをやめるのは、職務を裏切ることに等しい。課長がそれをしたのではないかと西島は思った。

「課長、まさか」

「もちろん、反社会集団にお友達がいるわけじゃないから安心しろ。まともなところからの要請で、腕の立つやつを連れて来いという話だった」

しかしそれは杞憂だったらしい。だとすれば一体だれがこの話を公安に持ちかけてきたのかが気になった。

「だから、その話をしたのはどこなんですか」

丁度その時、倉庫の扉が開く音がして1人の男が入ってきた。3人しかいない倉庫内に靴の音が響く。

「噂をすればだ、来たようだ」

「だから誰がですか」

「話を持ち掛けてきた当人だ。まあ、会えばわかる。只見先輩お久しぶりです」

課長が声をかけると、男は足を止めた。

「すまんね、こんな辺鄙なところまで。ところで隣にいるのが例の者か」

「ええ、そうです。おい、西島、挨拶せんか」

どこかで見たことがある顔だと思いながら、誰なのか思い出そうとしていた時に話を振られたため、一瞬西島は返事に手間取った。

「あ、初めまして、公安調査庁の西島です。で、課長誰なんです、この人」

悩んでもどうしようもないことであるため、尋ねることにした。

「失礼なことを言うんじゃない。この方は」

「私から言ったほうがいいと思う。内閣官房長官、只見(ただみ)(あきら)だ」

「えっ」

本人から言われて西島は、目の前の男が敏腕と名の高い現内閣の官房長官だったことを思い出した。

「お前、一応、新聞やテレビくらい見ているんだから気づかんか。すみません、いろいろと気の回らないやつで」

「まあそうでなくては、今回のことは務まらんからいいよ」

笑いながら、官房長官は与太話を続けた。

「皮肉なもんですね。公安に勤めながらぼんやりしているような人間で、かつ、腕が立って勘が良いやつという指定されたものに見事あうのは自分の部下とは、悲しいやら、うれしいやらです」

苦笑いをしながら、課長も続く。

「あのー、軽く自分のことを貶された気がするんですが」

西島は、本来の官房長官の性格を見ているような気分に思えた。

「今回の件は、極秘だ。この話の責任者は私でもある。うだつは上がらないが、腕は立つという人間の特別編成だがいいだろう」

そんな西島の発言を無視して官房長官は話を戻した。

「全貌が全く見えないんですが、一体全体この話は何ですか」

そんな官房長官に、冷ややかな視線を向けながら西島は先を促した。

「日本の誇る優秀な学者をほとぼりが冷めるまで護衛するんだ。これから始まる戦争が終わるまでな。そして、君は、唯一その学者を最後まで護衛する人間なるだろうということだ」

最後の一文について、西島は聞かなかったふりをすることにした。

「そんなに、世界各国から狙われるような優秀な学者って日本にいましたっけ」

「いるんだよ。しかも世界をひっくり返すような論文を書いた人が」

「誰なんです」

「西島君といったね、世間に未練はあるかい」

「それは、もうたっぷりと」

「うん、聞きしに勝る猛者だな。しかしな、この話を聞いたときから君は後戻りできない。それは分かっているな」

「課長、そうなんですか」

「君、私の話を聞いていたか。説明はしたよね」

「さすが君のことだな、しっかり要点を外して概要を伝えたようだ」

「先輩、馬鹿にせんでください」

「言葉には気をつけろよ。国元が知れるぞ」

「先輩」

「まあそんなことは冗談だからどうでもいい。とにかく、これから先を聞いたら、君は関係者だ。否が応でも、してもらうよ。で、その学者だが研究内容は軍機に指定された。アメリカ軍のね」

「それなら、アメさんにでも保護してもらえばいいじゃないですか。なんで、うちの国が極秘でしないといけないんです?」

「そいつには先見の明があった、悲しいことにな。自分の研究が世界のパワーバランスを崩すことを恐れたらしい。アメリカの研究所から、ロシアに高飛びしたんだ。研究成果を握ってな。挙句、ロシア滞在中に、中国にその情報を大金で売り渡した。その後に、研究成果の一部を、イギリスやフランス、インドなどにも持ち込んでいたことも判明した。もともとはこの国の出身だ。おかげでうちの国に大量のスパイが入り込んで状況は最悪だ。議員の4分の1は与党、野党問わず買収され、公官庁のほとんどに鼻薬が回っている。無法地帯なわけだ、今の日本は」

「道理で最近うちの部署が忙しいわけですね」

「まあ、君らが忙しい原因の一端はこれだな。それはそれとして、そんなことをやらかした人間を、国際社会の追及から日本政府は匿うことはできん。こんなにスパイがいる状況下では尚更不可能だ」

「成程、官房長官の構想としては、うちの国が極秘で行うのではなく、個人的にこの国のどこかに匿うということですか?なかなか面白い発想をしますね」

「鋭いところを突いてくるね、君も。残念ながら少し違うな、正しくはこの国では匿わない。そんな危険なことはできん。国内に匿うと必ず察知される」

「じゃあどうするんです。どこにいても危険でしょう」

「それが君の任務にも影響するから、そこは後で説明する。とにかく危険な任務になるということは言っておく。君、やってくれるか。まあ、いやだといっても、ここまで説明した以上何が何でもさせるがね。それなりの報酬は個人的に約束しよう」

「報酬ってどの程度ですか…」

「君の望むことなら、刑法に触れない範囲と国家予算の4分の1の金までどうにかする。総理の椅子でも問題はないぞ」

「わかりました。やります。確認したいんですがこの任務の期間に幅があったのはなぜです?」

その時、官房長官はあたりをぐるっと見回した。それと同時に西島もここが監視されているという感覚を受けた。

「それもここでは答えられん。場所を変えよう」

「先輩、私が運転します」

「ああ、そうしてくれ。大河内総研横須賀水産研究所まで頼む」

「わかりました」

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