1-4 Recollection: Run
僕達が「ソレ」に出くわしたのは、なんの脈絡もない唐突なものだった。
偶然、たまたま、奇跡的に、―――あるいは、運命的に。
それでも、そういった運命が引き起こる前に、ソレ――ソレラは、動き出していたのだろうけど。
時系列としては四時間半という制限時間ギリギリで響鳴石を手に入れて、残り三十分の間にどうにかしてギルドにたどり着こうと、先程までとは真逆の道順で帰り道をまっしぐらに走っていた頃である。
最初に気がついたのは、先頭を走っていたリズだった。
「な、なに………? あれ」
緊張した面持ちで突如立ち止まったリゼは、ギドを引き止めると真っ直ぐ先を指差した。
距離はおおよそ十メートルほど。薄暗い洞窟の中で、小さなヒト型の魔獣が、人間を食べていた。
呆気にとられ、誰も口を開くことができない中、僕はソレをまじまじと見やる。
薄汚れた濃い緑色の肌に、人間でいうところの五歳程度の背丈。腰は曲がっていて、ナイフとフォークを持つ両手は異様に長い。腰には血の付いた布切れを巻き、口から見えるのは鋭い乱杭歯。くしゃりと細められた瞳は、魔獣特有の黄金色。足元には不釣り合いな大きさの棍棒が転がっている。
特徴だけは知っていたから、ソレが何なのかはすぐに判った。
――――害人種魔獣。通称を『ゴブリン』。
知能が高く、群れをなし、非常に残虐で、しかしめっぽう弱く、騎士になりたての人々でも手順さえ踏めば簡単に対処できる、そんな魔獣。
この魔獣は、本来ならば世界核の地下五層『汚辱の洞窟』で生息しているはずの魔獣だ。そんな存在がどうして三層にいるのか。
ゴブリンは長い両手に持つ小さなナイフとフォークを器用に用いながら、人間を穿って食べていた。その行動がやけに人間じみていて、だから一層に気色が悪い。
魔獣は食事に夢中で、僕達には気が付いていないようだった。ぐちゃぐちゃと肉を切る音、そしてくちゃくちゃという咀嚼音。人間がえぐられるたびに酷い異臭が立ち込めて、あまりのキツさにレオが口と鼻を抑える。
食べられている人間は、僕達と同年代くらいの少年だった。『剣の騎士』志望だったのだろう、纏っていたはずの装甲は無残にも剥ぎ捨てられ、地面に転がった剣はバキバキに折られていた。両手足は奇妙な方向に向き、どこか見覚えのある顔はぐちゃぐちゃに潰され、腹の内側は丸見えだった。
おそらく同じ孤児院の生徒で、僕達と同じように響鳴石を取りに来たのだ。そして偶然どのようにしてか表れた魔獣に襲われ、動かぬ肉の塊となったということか。
しかし、だとすれば他の班員はどこにいったのだろうか。彼を捨てて逃げたのか、それとも―――。
「だ……だずげでぇ……」
僕達の存在に気がついた少年が、心の底から、生命力の全てを用いて絞り出したような声を出して助けを求める。どうやら生きていたらしいが、生きているのが不思議なほどの重症だ。両目の焦点を合わせずにこちらをみやる少年は、まるで人ではない別の生き物のようだった。
「ヒッ」
その光景があまりにも現実離れしていたからだろう、顔を青ざめさせて、レオは腰を抜かして尻もちをついた。ガクガクと震えたまま、その場から動けなくなる。
リズが悲痛の叫びを上げた。
「い、生きてるの!? 助けなきゃ!」
走り出したリズの腕をギドが止めた。彼の顔もどこか貧血気味で、冷や汗をかいているようだった。おそらく僕も同じなのだろう。
「行くな! どうせアイツはもう助からない!!」
「で、でも!」
「やめておこうリズ。ゴブリンだからといって、僕達ではきっと魔獣に敵わない」
そう。子供は魔獣には敵わない。孤児院の授業で、耳がタコになるまで聞かされたことだ。
貴方達は魔獣を殺せないのだから、仮に遭遇してもすぐに逃げなさいと、そう教わってきた。
だから僕は、特に考えるまでもなく叫んでいた。
「逃げるよ!!」
「無能が命令するなッ!」
ギドが腰を抜かしたレオとそもそも早く走れない僕を担ぎ上げる。
そのまま全速力のダッシュに移行しようとして―――リズが動かない。
「死にかけてる同胞を見捨てられないよっ!!」
長い金髪がばさりと揺れる。魔獣と、それが食らう少年を見たからだろう。リズを動転させて僕達とは逆方向に飛び出した。
「あのバカ!」
「ハアァァァァァ!!!」
甲高い雄叫びを上げながら魔獣へと迫るリズ。
走りながらレイピアを引き抜いて、真っ直ぐと胸の前で構える。剣を持つ左手は裏返し、腕は曲げて、左手は腰の後ろへ。リズが最も得意とする『突き』の構え。意外と冷静だと冷静に観察する僕。
その状態のまま、リズはスキルを発動させる。
「―――【閃光一線】ッ!!」
瞬間移動の如き高速移動。並の魔物であれば一発で絶命するような神速の突きが放たれる。
少なくとも、これまで僕はリズがこの技で負けたところを見たことがない。孤児院のシスターや神父にはそもそも構える暇を与えられなかったようだが、逆に言えばしっかりと構えてさえいれば脅威たりうる技なわけだ。そして今、リズはしっかりと構えているから、負けるはずがない。―――その筈だった。
ゴブリンの黄金の瞳が、リズをじっと見つめていた。血に汚れた口が、狂笑へと変わってゆく。
「ッ!?」
その瞬間を、僕は視覚で捉えることができなかった。一線の閃光が走ったかと思えば、リズがゴブリンに叩き落されていたのである。
表情を驚愕の一色に染めたギドが説明してくれた。
「アイツ……リズの一閃を受け止めやがった」
「はぁ?」
それはつまり、神速のスキルとリズ自身の剣技を合わせた彼女の最高の一撃を、躱すでもなく、いなすでもなく、ただ己の力のみで押しとどめたということか。
「そしてその上で、俺がギリギリ見切れる速度でリズを叩き落とした」
絶句する。そして魔獣は異常なのだと再確認した。
リズの一撃を受け止める頑丈な皮膚も、ギドを持って「ギリギリ見える」と言わせる移動速度も。何もかも異常だ。
弁解するならば、一応知識だけでは知っていた。僕は「鎖の騎士」志望だから、そういった魔獣の生体についても教わっている。
しかしそれでも、予想外で予想以上だった。
こうなってしまった以上僕らに逃げるという選択肢はなかった。
レオは未だに震えてへたり込んでいるし、リズは魔獣に捕まっている。二人をどうにかしない限り、僕達は四人で生きて帰れない。
二人を見捨てて逃げればなんとかなるかもしれないが、孤児院生活で培ってきた「騎士の矜持」がそれを許さない。
足を引っ張っている身を承知で、僕はギドにもう一度呼びかける。
「ギドッ! 頼んだ!!」
「だから俺に命令すんなクソ野郎!!」
それは、これまでの中で僕達が最も息の合った瞬間だったろう。
僕はレオへ、ギドはリズへ。同時に迫った僕達は、距離の違いがありながらもアビリティの差によって同時に到着する。
「嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない」
うわ言のように小さく呟くレオを僕は筋力値フル稼働で抱え上げる。
同じ時をしてゴブリンとリズにたどり着いたギドは、身の丈大の大剣を振り上げて、今にも少女を食べようとしている魔獣の顎に当てた。
移動速度に秀でたリゼに対して、純粋な力によるゴリ押しを得意とするギドのスキルは【戦の加護】。
つまり、戦いそのものに関する技能の才を底上げするスキルなのだ。それゆえにリゼや、孤児院にいる他の異能系スキルを持つ生徒らを押しのけて、単純なアビリティの値のみで「孤児院最強」の名をほしいがままにしている。
されど、その力であっても、ゴブリンを傷つけるまでには至らなかった。
掌底打ちの如くかちあげた大剣は、ゴブリンの顎を切り裂けず、そのまま停止してしまった。しかし衝撃が無かったというわけではなく、リゼの一撃では届かなかったゴブリンをギドはほんの僅かだけ、持ち上げることに成功した。
その僅かの間、少しだけゴブリンの力が緩んだ瞬間、動けなかったリズの服の裾を掴んで、強引に僕へと投げた。
吹っ飛んだリズは僕の目と鼻の先で、器用に着地し―――またゴブリンに迫ろうと動き出す。
「いやいやいや!? ちょっと待ってリズストップ!!」
「止めないでよっ! これじゃあ彼を見殺しにするのと変わらない!」
リズの愚直で素直で正義感が強いところは嫌いじゃないが、今回ばかりは流石に許容できない。
それに―――、
「よく見なよリズ。彼はもう死んでいるっ!」
思いの外に、言葉にするのは簡単だった。しかし、その意味合いは重かった。
助けを呼ぶ懇願こそが、彼が最後にできることだったのか。崩れているようにしか見えない口をあんぐりと開けながら、少年は絶命していた。
リズが顔を青くして目を伏せ、拳を洞窟の壁に打ち付ける。
「クソッ」
その内心にあるのは少年を救えなかった罪悪感か。
「ほら、逃げるよリズ」
僕はそう言って、リズにレオを預けた。筋力も俊敏さも足りてないから、僕に人を背負って逃げる余裕はない。
ちょうどその時、ゴブリンを相手していたギドが到着する。背後に見えるのは、誰かの返り血を浴びた狂気の獣。ただし僕達への興味は薄れたようで、その場に留まり死んだ少年を食べていた。
血と肉と鉄の異臭と異様な音。それらに惹かれて動けない僕達は、しかしギドの叫びによってはっとする。
「お前らっ!! グダグダしてないで走れっ!!」
ギドの叫びと同時に、四人揃って僕達は全力で逃げ出した。
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ゴブリンから逃げた僕達だったが、実のところ「何処」に逃げるかは決まっていなかった。本来ゆくべき「略式の祭壇」への道はゴブリンによって閉ざされていたし、あそこ以外の世界核から脱出できる地帯を僕達は知らない、というか、厳密には僕達が利用した祭壇とは異なる場所それ自体は把握しているのだが、僕達はそれを起動するために式を知らないから、迂闊には動けないのだった。
とはいえ、一番の問題は僕とレオだ。ご存知無能な僕はゴブリンだけじゃなく角猪でさえ相手取れないし、レオは恐慌にあるため動けない。
よって現在僕達二人は、入り組んだ洞窟の一角で腰をおろして休んでいた。
洞窟のど真ん中に敷かれた紙切れから、一面を照らす術式の光が舞う。
半球体となった青い弱光は紙を中心に広がって、僕達を包み込んでいた。
その紙は、媒体用紙という、ただ霊力を込めるだけで過程を無視して霊術を表すというアイテムだ。高価だが、それでも「回数制限内であれば何度でも霊術行使ができる」という性質故にコスパは高く、騎士の間でも重宝される代物である。
本来ならば孤児院では使い方を学ばないアイテムだったが、戦闘力皆無な僕は特例として三枚、皆の戦いを補助するためのものをシスターマリアから受け取っていた。
そして、これより発現したその霊術は、第一聖書によって表される『ミスディレクション』という術式なのだった。その効果は認識の阻害。使用可能な回数は三回。スクロールから発せられる光に包まれた対象は、効力が続く間魔物の意識から外れ、結果魔物は僕達を認識ができなくなる。
『ミスディレクション』によって角猪を避けているからこそ、僕達はこうして腰を落ち着けていられるのである。
「おそらく、あのゴブリンはまた僕達を追いかけてくると思う」
未だにガクガクと震えるレオの背をさすりながら、僕はそう言う。
震えながらも、しっかりと話しを聞いていたらしいレオは、ビクリと身体を揺らして僕に抱きついた。
あのような死地は子供ではきついだろう。そもそも一度死んだことのある僕や、死と隣り合わせの生活を送ってきたギドくらいしかその中で冷静にいられないのだと思う。
現にリズは感情任せにゴブリンに飛びかかったし、レオはこうして恐慌に陥っている。特に元々芯が強くないレオは乱心がひどく、普段の穏やかな性格とは打って変わってどこか幼児退行したような態度を取っていた。
「やぁ……。なんでぇ…………?」
長耳の民特有の色素の薄い顔を僕の胸に埋めて、レオは声を上げて泣き出した。
しかし、普段からのギャップで可愛くはあったけど、残念ながら堪能している暇はない。
ちなみに、ここでいう「可愛い」とは異性的な意味合いではなく、あくまで歳の離れた子供に対する「可愛い」である。これでも僕は前世も含めればだいたい三十路の大人だ。ロリコンでもあるまいし、レオやらリズやらは美少女だけど、異性として認識してはいない。ないったらない。
そんな内心の弁明はおいておいて、それでも鼻に近づいたレオの髪の良い匂いをしっかり堪能した後(白百合みたいな匂いがした)、僕はレオの肩を掴んで引き直し、彼女の翡翠色の瞳を見た。
「いいか、ゴブリンはまたすぐに僕達を追ってくる。奴らは基本得た食料を食べきるまでその場から動かないが、逆にいえば食べ終えたら獲物を探して彷徨い始めるってことなんだ。そして、不幸なことに僕達はあのゴブリンに目をつけられている。奴だけなのか、それとも群れ単位で三層まで上がってきたのかは知らないけど、どちらにせよ僕達が取れる方法は大きく分けて二つだけだ」
つまり、戦うか、逃げるかということ。
そして『戦う』という選択肢は、自殺しにいくようなものだから極力とりたくない。
しかし『逃げる』という選択肢もまた、可能性が低いものでもあるのだが。
前述の通り、僕達には逃げ場が無い。よって他の探索騎士を探すためにギドとリズが駆け回っているが、おそらくそれも無為に終わってしまうだろう。
今の時刻は昼の十三時で、ここにいた騎士は全員ギルドにて昼ごはんを食べているはずだ。世界核で食事を取る騎士なんていうのは数ヶ月間深層に潜り続けている聖騎士くらいで、特に三層は簡単に地上へと戻れるため、あくまでも悲観的に、そしてそれでも藁にもすがる思いで、ここにとどまっている魔獣を容易く殺せる騎士を探しているのだった。
「じゃあ、どうするの? ………ですか?」
どうやら状況を説明したことで幾らか理性が戻ってきたらしい。レオは澄んだ瞳で僕を見返して、そう尋ねた。
「さて、ね。まあ一応、考え自体は纏まりかけてるんだけど…………」
そこでちょうど良いことに、騎士を探していたリズが帰ってきた。僕は『ミスディレクション』を解除して、リズに呼びかける。
「お疲れ様。どうだった?」
しかし、そんな僕の言葉に聞く耳を持たず、リズは僕にもたれかかった。ブロンドの髪が鼻にかかって、いい匂いがする(ひまわりのような匂いだった)。
「おおっと」
「アー………もうヤダよぅ…………」
【閃光一線】を続けざまに使ってきたのだろう。とはいえ絶え絶えに肩で息をしながらも、そこにある表情は意気消沈。おそらく騎士は見つからなかったのだろうが、とりあえずリズを座らせて、僕は彼女の話を聞く。
「どうしたの?」
そう尋ねてみれば、リズはかっと目を見開いて僕に詰め寄った。
「そうだそうだ大変なの! ゆっくりだけど、ゴブリンがこっちきてるッ!!」
「ふーん」
「あれ、驚かないの?」
「―――ゴブリンは執念深い。アレは食事中は動かないが、目をつけた獲物は地獄の底まで追ってくる。匂いを辿って俺たちに向かってくるのは、当然のことだろう」
済ました顔をしながら、しかし苛立ったように眉を立てて、戻ってきたギドは僕がレオに話したようなことをもう一度言った。
「ギドさん、どうでした?」
「見つからなかった」
荒く息をはいて、どっかりと腰をおろしたギド。そこにあるのは普段の不機嫌さとは違った、真っ直ぐに真剣な顔があった。
「もう、戦うしか道はないぞ」
「でもあんな怪物と戦って、私達は生き残れるのでしょうか?」
パニック症状も随分と和らいで、しかし先を見据えた恐怖から顔を引きつらせるレオ。その姿は今にも恐慌へ逆戻りしそうな感じだが、気力で抑えているのだろう、同じように真剣な顔つきでそう尋ねるレオだったが、ギドの表情には厳しいものがあった。
「無理だな。だから焦っている」
焦っていたのか。道理で協調的なわけだ。
皆が唸って、生き残る道を考える。
リズは首を傾げて、レオは腕を組んで、ギドは眉を歪ませて、僕は思考を整理する。
―――これこそが、僕らが愚かだった理由。
切羽詰まっていても、切羽詰まっていたからこそ、僕達は、今その場所が世界核の中であることを忘れていた。
逃げ道は無く、勝ち目の無い戦いを行うことにのみしか活路を見いだせなかった状況下。ゴブリンの対処法を考えるあまりゴブリンが迫っているという事実を完璧に完膚なきまでに忘却するという愚行を犯したまさにその瞬間。
―――ソレは現れた。
「え?」
そう口に出したのは、リズだったか、レオだったか、それとも僕だったのか。どちらにせよ、ギドが轟音とともに吹き飛んでいったという事実も、それを行ったのがあのゴブリンであるという事実も変わることはない。
「――――ガッ!?」
風が一迅凪いで、右方の壁に減り込んだギドは口から血を吐いた。
全身鎧の腹部は押し潰され、割れた隙間から血液が滲み出る。
明らかな重症。そのままニュートンの万有引力の法則に従って落下するギドと、それを呆然と見つめることしかできない僕達。
ゴブリンは、僕達から三メートル前後離れた場所にいた。少年を食らった時は地面に転がっていた、鈍色の棍棒は無造作に振り抜かれ、その口元には相変わらずの狂笑。
誰も口を開くことができなかった。誰も動くことができなかった。
しかし、それでも、誰もが停止しているこの状況で、おそらく誰よりも冷静な僕は、静かに状況を理解する。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
「イヤァァァァ!!」
「………………ッ」
ギドは激痛を紛らわすように痛いとわめき、またも恐慌に陥ったレオは泣き叫ぶ。唯一正常だったリズは、しかし先程の戦いを思い出したのか、動けないようだった。
魔獣の狂気。唾液を垂らしながら嗤うゴブリン。
シスターは、魔獣に相対したら逃げろと言った。しかし逃げれる状況ではない。そして戦える状況でもない。
つまりは十中八九の絶体絶命。三人には、「ゴブリンに食べられる」という未来像しか浮かんでいないのだろう。
だけど。
それでも。
僕は諦めるわけにはいかないのだった。
それが、『彼女』との約束だから。
『いい? 貴方はもうすぐ死ぬのかもしれないけれど、それでも生き抜くことを、生き足掻くことをやめてはいけないの。
それは生きながら死んでいるのと同義で、それはかつて生きようとした人々への冒涜だわ。
せめて胸を張って死ねるように、しっかり生き続けなさい』
上から目線で、僕を見下ろしながら、あの日、かっこよく笑いながら、そう芝居じみた言葉を宣った『彼女』を思い出して、僕はくしゃりと笑った。
それを見たゴブリンは標的を僕に変えて、長い棍棒を振りかざす。それを僕は知覚することなんてできなかったが、予測することができた僕は大きく不格好に飛び退いた。それと同時に、僕はカバンからおもむろに媒体用紙の一枚を取り出す。
直後に感じた激痛。急所にこそ当たらなかったものの、それでも右足首の骨を砕いたらしい。
構うものかと、僕は霊術を発動させた。
「―――『フラッシュ』ッ」
リゼのスキルと同じ響きを持った、使用可能回数が五回もあるその霊術の効果は、単純な目眩まし。しかしゴブリンは薄暗い洞窟の中に生息する魔獣。暗闇には慣れていて、逆に明かりには慣れていない。ということは光には敏感なはずで、本来以上の効果が望めるはずだ。
「――――!?」
道の奇声をあげながら、ゴブリンは両の手で双眸を塞ぐ。
その隙に、僕はゴブリンの頭を掴む。
―――そして、トンと。
僕は頭を掴んだまま、後方にもう一度とんだ。
「……え?」
ゴブリンは異様に軽かった。それは一緒に跳んだのが僕だったからなのか、元から軽いのかはわからなかったが、筋力で劣っている僕にも持つことができた。
死んだような顔をする三人を押しのけて、僕とゴブリンは着地する。
「ルキくん!?」
リズがハッとして、僕の名を呼んだ。
ゴブリンを挟んで、僕とリズは向かい合う。
これでいい。これで三人は、ゴブリンから逃れることが可能なはずだ。
ゴブリンが邪魔で、祭壇に戻れないならば、そしてゴブリンと戦ったところで勝ち目がないのならば、どうにかして、ゴブリンを超えればいい。
最もその「どうにか」が難問だったが、三人はなんとかなった。
僕はリズに『ミスディレクション』のスクロールを投げ渡す。効果は後二回残っている。これを使いながら祭壇を目指せば、生きて帰れるはずだ。
「どうしてっ――!?」
僕が何をして欲しいのか、いや、そうして結果、僕がどうなるのかに気づいたのだろう。悲痛な顔をしたリズが叫ぶ。
僕はリズに笑いかけた。
「僕が時間を稼ぐ。その間に、リズは霊術を使って、二人と一緒に逃げろ」