初めて自分で人生を決めた
まだ投稿の方法が怪しいですが、徐々に慣れていくかと思います。
バス、電車、新幹線に乗り、最後にまたバスに乗る。
移動すること6時間。私は都会の実家から離れて山奥の温泉郷で1人暮らしを始めることになった。
明日からは旅館の店員として働くことになっている。電車から見える景色をボーっと見ていた。
24歳、初めての女一人暮らし。どうなるんだろう。
どうにもならなかったらいつでも帰ろう。そんな気持ちだった。
前職は化粧品の店員。向いてなかったのか2年半で辞めた。親が勧めてくれた職場だった。
キレイな華のある仕事で、メイクや肌の調子を見たりするのは楽しく、自分に合っていると思っていた。
けどそれはどこか自分をごまかしているようにも感じた。「親が勧めてくれた仕事」という言葉に安心していたのだろう。昔から自分の好きなことや、やりたい事は親の、特に母親の目を気にしながらが基本だった。着たい服も、趣味も、仕事も、親が気に入らないことを選ぼうとすると居心地の悪い空気になり、いつからかそれが嫌で、何事も親が気に入るものを選ぶのが当然になっていた。
化粧品の仕事もそうして決めたものだった。今思うと毎日が我慢の連続で、「3年超えたら楽になる」という先輩や親の言葉を頼りに働いていたが、精神よりも体が先に限界を迎えた。
「好酸球性筋膜炎」
人体に5%ほどでいい好中球が60%以上に増えるという病気にかかってしまった。
原因は不明。手足がむくみブヨブヨになってしまった。痛みも苦しみもなかったが、なんだか今やってる事は違うんだろうなーと漠然と思った。
その後仕事を辞め、しばらくは実家でぼーっとして過ごした。
いくら 生きてるだけで充分だからといえど、さすがにこの歳で仕事もしないで生きてるのはつらいなあ。
あると思うんだよなあ。大変でも毎日楽しく過ごせる職場・・・。そうつぶやいたら「そんなんはない。」と父親にキッパリ否定されてしまった。そうかなあ・・・。
家事を手伝いながら就職しない日々が続き、アルバイトでつないでいた。
高校の時からずっとバイトさせてもらっていたコンビニと、前職の化粧品販売で身につけたスキルを活かして週2日だけ別の化粧品販売。病気は会社を辞めたとたん、みるみる治っていった。まじかー。
きっと私があのままだと会社を辞めないから体が先にがむしゃらに壊れてくれたんだな。ほんとよく出来てるなー。そんな風に思った。
毎日ぼーっとして過ごした。
生きてるのに飽きたんなら死んじゃえばいいよなーとかバチ当たりな事を普通に思った。
そう考えないと生きてるのが辛かった。自分の居場所がなかったように感じていた。
・・・もう、自分の思うままに生きよう。
親の気に入るように生きるのにはいつも限界が来てしまって長持ちしない。
否定されても自分の生きる場所は自分で決めた方がいいのかもしれない。
そう思い、パソコンの前に座り、検索した。
「温泉」「一人暮らし」
全く何も考えず、自然にそう入力していた。
今思いかえすと、答えはもうずっと自分の中にあったのかもしれない。
読んで頂きましてありがとうございます!少しずつ投稿させて頂きます。