《85》再び
「どげほっ、がほっ、こ、しゅー……、っ、はぁ、はぁっ」
もはや気絶寸前。
そんな感じの荒い息を吐きながら、僕は目の前で瀕死になってるスライムを見下ろした。
戦闘開始から……どんくらいだろう。
結構だった気も、逆に短かった気……は、しないな。うん、確実に長かった。どれくらい長かったかと聞かれれば、僕とスライムの一騎打ちが長すぎてシロが居眠りするほどに、だ。
「お、おーい、シロ。起きろ。おーい……。……ステーキ買ってきたぞ」
「……!」
いくら呼びかけても起きなかったシロは、魔法の言葉ひとつでぱちくりと目が覚めた。彼女は魔法のステーキを探して周囲を駆け巡るが、残念ながらそんなものなどここには無い。魔法ってのは残酷なもんだ。
「やぁシロ、なにか素敵な夢でも見てたみたいだね」
ヨダレの垂れた彼女の口元をコートで拭ってやると、彼女は珍しーく僕のことを睨んでくる。反抗期かな?
げしげしと足を蹴りつけてくる彼女から回避行動をとりながら、なんとか逃げ出そうとしているスライムへとアゾット剣を投擲する。
「ここまでやって、逃がすかよ」
投擲したソレは寸分たがわず奴の『核』を撃ち抜いた。
途端にやつの体は『でゅぶるるるるぅ!』と気持ち悪い痙攣を見せ、やがて、どろりと汚泥のように崩れてゆく。
《ポーン! ガルダルークを討伐しました。3000経験値を獲得しました》
《ポーン! レベルが上がりました》
インフォメーションが鳴り響く。
なんだかんだで、今までで一番の長丁場。
こんなに長く戦ってたのは……異世界含めてもそうないんじゃなかろうか。疲れ混じりのため息を漏らしてその場に座り込むと、ちょこちょことシロが近くに寄ってくる。
彼女はちょこんと僕の対面に座り込むと、『おつかれさまでした』とでも言いたげに頭を下げた。……うん、なんか中盤から完全にスピード勝負になってたし。シロじゃさすがに荷が勝ちすぎてたな。
「ま、結果よければ全てよし、ってな」
彼女が持ってきてくれたアゾット剣を受け取る。
これにて依頼は完了。
あとは、この依頼が件の『北の霧エリア』攻略に繋がってればいいんだが……まぁ、絶望的だろうなぁ。なんとなくシロが選んできたって理由で受けただけだし。
僕は今一度大きな息を吐き出して――。
【…………】
「――ッ!?」
もはや、直感でしかなかった。
何となく嫌な予感がした、死ぬ気がした。
全身の肌が粟立った。
精神を逆撫でするような不快感が走った。
――至近距離から、視線を感じた。
咄嗟にシロを抱きしめ、背後へと剣を振るう。
されどそれは硬い何かに弾かれてしまい、僕は剣を振り抜く勢いそのまま、腕力でもって大きく後方へと飛び退いた。
そして、見た。
「…………っ」
腕の中で、シロが恐怖に震えている。
そして、それはきっと僕も同じことだろう。
「お、前……はッ!」
そこに居たのは、人間だった。
いや違う、顔の部分がどす黒い闇に覆われた、ローブの魔人。
頭の先から足の先まで黒一色。
その腕には巨大な鎌が握られている。
僕はその存在を、ずっと前に見たことがあった。
だからこそ、この上なく絶望してる。
「ま、禍神……ッ!」
出会った時が、死に時だと思え。
誰もが口を揃えてそう告げる。
脅威度不明、攻略法不明、弱点不明。
加えて攻撃は全て必殺。
完全ランダムに『あらゆる場所』に出没されるとされる、移動型のボスモンスター。
「こ、この……っ」
自分の口から漏れた言葉は、震えていた。
その声にシロが驚き目を見開いて、それ以上に僕が驚いた。
――恐怖。
頭の中を過ぎった二文字に唖然とした。
この僕が、たった一つの個を前にビビってる。絶望してる。もはや勝ち目はないと最初から生を投げ出してる。生きることを諦めてる。
……なんて、そんな、馬鹿な。
「お、おい、どうした僕……風邪でも引いたか」
自分で、自分の頬が引きつっているのが分かる。
やばい、鳥肌が収まらない。
体に力が入らない、死が目前に見える。
どうした……本当に。この世界で死ぬのも嫌だけど、まだゲームの中だからと割り切れるだろう。なんで、なんでこんなに……恐ろしい。
断片的な記憶が蘇る。
それは、僕が現実世界で死んだ時の光景。
突き出した剣の切っ先。
迫る首先。
目前の勝利。
そして、燃え尽きる命。
プツンと何かが切れる音がして、視界が落ちた。
後に残ったのは『何も成せなかった』という事実だけ。どうしようもない後悔と不満とやるせなさと……絶望だけ。
それが、何故か今、蘇った。
「……っ!?」
禍神が、一歩前へと踏み出した。
その姿が、僕を殺した相手と被ってしまう。
何故、どうして。どうしてこんなに……。
思わず一歩後退り……次の瞬間、眼前を黒い大鎌が音を立てて通り過ぎていった。
「ひ――」
情けない。
本当に、信じたくないほど情けない悲鳴。
僕の口から、そんなモノが漏れだした。
「……!?」
シロが驚いたように僕の肩を揺する。
「だ、ダメだ、シロ……逃げろ! 頼む。逃げてくれ! コイツには勝てない! なんでか……なんでだ? なんで、勝てない……?」
頭の中がぐわんぐわん揺れている。
どうして僕は、こんなにも恐れている。
こんなにも相手へと恐怖を抱くなんて有り得ない。
僕がこんなに恐れることは、きっと――。
そこまで考えて、僕は全てを察した。
「……そう、言うことか」
次の瞬間、僕を【影】が貫いた。
口から赤いエフェクトが吹き出し、シロはその目を見開いた。
影……そう、影の槍だ。
禍神の足元からは影の槍が伸びており、それは僕の胸を貫通し、赤いエフェクトを撒き散らしている。
【…………】
「……これ、僕の……能力じゃねぇか」
そうだ、これは前世の僕の能力だ。
現実世界で僕が使っていた力だ。
直前まで気がつけないような隠密能力も。
一撃必殺の、大鎌も。
そして、影を操る魔法も。
なにより、この身体能力も。
全部全部……現実世界の僕、そのものだ。
「お前、は……」
僕は、闇に染ったその顔を覗き込む。
そこには何も存在しない。
ただ、闇。
黒色だけが広がっていて、そこからは何も読み取ることが出来そうにない。
僕は思わず苦笑すると、同時にHPバーが完全に尽きた。
そして、気がつけば僕は、街のど真ん中で倒れていた。
――死に戻り。
マーレの町に来てから、都合二回目の死に戻りだ。
ふと、僕と一緒に飛ばされてきたシロが心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。その瞳には不安が揺れており、僕は無理矢理に笑って見せた。
「……大丈夫。やるべきことが、見えただけさ」
最初から思ってた。
僕は、なんのためにこの場所へと送られたのか。
本来であれば死んでるはず。それが、どうして精神だけをこんな世界に飛ばされてるのか。こんなゲームの世界で生き続けなけりゃならんのか。
ずっと疑問だった。
けど、禍神ってのに向き合って、分かったこともある。
「僕は、アイツが怖い」
本来であればありえない感情。
なにせ、現実世界ではチートにチート重ねたようなラスボスと決戦してた僕である。そんな僕が、今さらこんな世界のチープなチートにビビるとかまず有り得ない。
だから、『何に対してなら怖がるのか』と考えた。
そして、理解した。
「僕は、死ぬのが怖いんだ」
僕は、殺されて。
身をもって、死ぬってことを味わって。
死ぬ事の本当の恐ろしさを知った。
この世界で幾度となく死にかけて、死んで。
一層に、死ぬ恐怖ってのを理解した。
だから、僕が恐れるとすればそれだけだ。
そして、僕は禍神という存在に恐怖した。
なら、禍神が『どういうものか』なんて……簡単に想像がつく。
「……もしも、この世界が僕のためだけに造られたのだとしたら」
そして、僕の精神が残っておきながら、すぐに蘇らせない『理由』があるのだとすれば。
その理由はきっと、僕が恐怖を克服すること。
死の恐怖を、乗り越えること。
そこにあるんだと、僕は思う。
「もしも禍神が、僕の『死への恐怖』を具現したものだとしたら」
僕の恐れる『死』という概念。
それを限りなく具現化したチートの貯蔵庫。
ランダムに現れ、万人に死を呼ぶ本当の意味での死神。
それを、倒すこと。
恐れることなく、真正面から打ち破ること。
それが、僕があの世界へと舞い戻る条件。
僕が、この世界に来た本当の理由。
僕が成長するための、大切な一歩。
「……だったら、いいんだけどな」
いや、良くはないか。
とりあえず『もしかしたら』って可能性は提示してみたものの、これが全部妄想でしたー、とか言われても全然納得できる。なにせ、れっきとした証拠がひとつもない。単に、僕が死と禍神両方にビビってるって可能性もあるしな。
……けど、目標にしても問題は無いだろう?
僕は拳を空へと突き上げると、口の端を吊り上げた。
「――禍神を、ぶっとばす。そして元の世界に戻る」
……けどま、今の僕じゃアレには勝てない。
だから、正攻法で力を積んで、ゼロから一つずつチートを重ねて。
もう一度、胸を張ってチートの化け物として、奴の前に立ってやる。
そして、次こそは、勝つ。
「さぁ、シロ。次はリベンジだ。もう絶対負けねぇ」
「……!」
彼女はコクリと頷き返す。
ふと、元の世界へと彼女を連れて帰れるのか……とも思ったが、そこの所はおいおい考えるとして、ひとまずは強くなること。
そして、あの化け物を倒すこと。
それだけを見て。前に進もう。
心の底から、そう思った。
というわけで、禍神倒すまでは続きます。
多分、ゲーム攻略完了前には倒しちゃうと思います。




