《61》クロエ
シロの一撃が白虎の背に突き刺さり、三本あったうちの二本目のHPバーを全損させる。
彼女は絶叫する白虎の背に足をついてすぐさま離脱するが、今の一瞬でさえ彼女のHPバーは数割削られており、咄嗟の判断で彼女の場所まで貴重品である上級ポーションを撃ち届けたギンの判断が正しかったことを証明している。
「……!」
「だ、大丈夫ですかシロたま!」
すぐさま駆けつけてきたゴールドに小さく視線をやったシロではあったが、直後、背筋を怖気が走り抜けた。
咄嗟に背後を振り向けば、そこには身体中から煙を上げ、傷を回復させている白虎の姿があり、その姿に、先程までとは比べ物にならない『恐怖』を感じてしまった。
それはゴールドも例外ではなく、咄嗟にシロの手を掴むとその身体を後方へと放り投げる。
「――ッ!?」
その突然の行動に思わず目を見開いたシロだったが、直後にゴールドの体へと叩きつけられたその白銀色の腕に、更なる恐怖が彼女の身を蝕んだ。
「ご、ゴールド!」
駆けつけたアオが思わず叫ぶが、白銀色の腕が退けた先には消え去ってゆくポリゴンが小さく見えるばかりで、あの一瞬で、あの一撃で、あのゴールドが死に戻ったことを如実に表していた。
「……むぅ、間一髪、であったなシロくん。ゴールドの判断が一瞬でも遅れていれば君諸共死んでいた」
すぐさまシロの前へと躍り出て盾を構えたハイドではあったが、その肩は小さく震えており、その唇は青色を通り越して土気色に変わっている。
それもそのはず。
今彼らの視線の先にいるのは、紛れもない白虎。
体からは炎は上がっておらず、間違いなく先程までと比べれば危険度は下がっている――ように見える。だが。
「これが……殺気というものか」
見れば先程まで暴れ狂うしか脳のなかった白虎の瞳には確固たる知性と理性が浮かんでおり、その瞳は周囲をぐるりと見渡している。
まるで、誰かを探しているように。
「おいおい、やべぇぞこりゃあ……。さっきまでの勢いなら勝てると思ってたが、……なんだこれ、途端に勝ち目見えなくなったぞ」
「……ゴールドは性格はクソだけど、ステータスだけならギンくんも認めるトップクラスの前衛。それが、あんなにもあっさり負けた時点で……これはまずいってわかる」
周囲一帯へと膨大な殺気が迸る。
足が竦み、膝が震え、奥歯がカチカチと音を鳴らす。
――別物。
そんな言葉が頭を過ぎる。
明らかに先程までの白虎とは格が違う。
姿形は同じだとしても、中身は全くの別物だ。
怖い、恐ろしい。
ここがゲームだと分かっていても、それでも明確な『死』の気配に全てのプレイヤーが、シロでさえ、その威圧感の前に震え上がる他なかった。
だが、そんな殺気などものともせず、ヒュンっと、白虎の鼻先を一本の矢が掠めてゆく。
『……』
その矢に目に見えて口角を吊り上げた白虎は、無言のまま矢の放たれた方向へと視線を向ける。
視線の先、少し離れた屋根の上には、焦げ茶色の外套から影のようなローブへと装備を変更する一人の男が弓を構えており、男は白虎と視線が交差して、目に見えて大きく目を見開いた。
「うぉっ、ま、マジで……?」
その頬には冷や汗が伝っており、彼は呆然としたようにポツリと、その見知った名を口にした。
「……クロエ、だよな」
それは、彼が異世界で共に戦った、聖獣白虎の名前であった。
☆☆☆
その名を呟いた、次の瞬間。
視線の先から白虎の姿が消え失せ、真後ろから膨大なさっきが迸った。
――位置変換。
その能力にもう半ば確信しながらも背後へ向かって黒の破弓を振るうと、強烈な衝撃とともに火花が散る。
「ぐぅっ……! この卑怯者ッ!」
屋根から飛び降りながら黒弓で連続して矢を放つと、もう既に息を吸いこんでいた奴はニヤリと笑い、大きく口を開いて見せた。
その喉の奥には巨大な炎が燻っており、身体中の神経という神経が危険信号を奏で出す。
「や、やば……」
そう言った、瞬間。
轟ッ、と奴の咆哮が大気を揺らし、その口から放たれた白銀色の炎が一瞬にして僕の視界を埋め尽くしてゆく。
――やばい、これはまずい。
直感でそう考えた僕は咄嗟に糸操作で地面へと貼り付けてあった糸を収縮させると、空中でそのブレスを回避する。
正しく危機一髪。
だが、そう安心してもいられない訳で。
「クッソ、そういやブレス長続きするんだったな……!」
咄嗟に駆け出すと同時に、僕の姿をしっかりとその目に移していた白虎はブレスをそのまま追尾させてくる。
一歩間違えればやられる。
少しでも足を緩めれば追いつかれる。
たった数秒にも関わらずその永遠のように引き伸ばされた緊張感は正しく命をかけた戦場のもので、やはりとその事実を確信する。
「なるほど、三本目で意識が出てくる、って訳か」
見ればブレス発射可能時間を終えた白虎は炎を切らせながらもこちらを見つめており、その瞳は僕を痛めつけるのが楽しくてしょうがないと、そう言っているように思えた。
「上等だこの野郎」
もうこの際だ、白虎の中にクロエの意思があるのかどうかは気にしないことにする。
なんだかイラッときたからぶっ飛ばす。
それだけで、お互い十分ってものだろう。
黒弓からアゾット剣に持ち帰ると、思いっきり白虎目掛けて駆け出した。
この速度にももう慣れたもので、体全体のバネを使って駆け出す超前傾の走り方は白虎と対等――否、それ以上の速度を爆発させる。
「うオラァッ!」
『グゥッ!』
僕の振り下ろしたアゾット剣を白虎がその前脚の爪で受け止め、至近距離から僕らの視線が交差する。
「おいどうした猫、位置変換多用すれば僕くらい簡単に倒せるんじゃないのか? あァ?」
『……』
見ればその瞳には苛立たしげな感情が灯っており、その感情を見た途端に剣を引いて奴の体を時計回りに回り込む。
――位置変換。
『物』と『物』を入れ替える白虎の特殊能力であり、極めたその能力は『自分』と『空気』の入れ替え――つまりは瞬間移動すらも可能にする。
だが、それをしてこないということはつまり。
「使用制限。あるいはプレイヤー、あるいは従魔の近くじゃ使えないとか、そんな枷でも嵌められたか?」
薙ぎ払われた腕を大きく躱すと、疲れたように息を吐いた白虎はキッと僕の姿を睨み据える。
おそらく反応からして図星。
そしてその反応を隠しきれないと直感した奴は隠すことを止めて――本気で、僕のことを殺りに来る。
『グオオオオオオオオオオンッッ!!』
咆哮が轟き、白虎が屋根を蹴って僕の方へと駆け出してくる。
その圧倒的な威圧感に剣を握りしめ――直後、足元が不自然に揺れ動いた。
「な――」
白虎にこんな能力あったか……!?
そう思いながら足元を見れば、白虎との戦闘に夢中になりすぎたか、いつの間にか左足には一本のメタリックな縄が括りつけられていた。
そしてこんなものは、どう考えても白虎の力ではなく。
「ギャハハ! おいおい、どうちましたかぼくぅ〜?」
「チョー受けるんですけどー! 見ろよあいつの顔! カッコつけて一人出て行っておきながら、ぎゃはは!」
「へっ、調子乗った罰だな! さっさと死んじまえ!」
見れば遠くの屋根の上には縄の端を持った奴を含め多くのプレイヤー達が集まっており、今、ここに至っての妨害行為に青筋がブチ切れ、憤死してしまうんじゃないかと危惧してしまう。
――糸操作。
間違いない、今日、このためだけにあのスキルを習得した馬鹿がいる。
確かに上級者向けの力ではあるが、それでも元からある糸や縄を少しずつ動かすことなら初心者でも十分に出来るはずだ。
「クッソ……!」
咄嗟に白虎の突進を身を投げ出して回避するが、やはり足元の縄は解けず、突進を回避した一瞬に出来た小さな隙に手元のアゾット剣で思いっきり縄へと斬撃を繰り出した。
だが。
「……これは、マズイかも」
硬い感触が手元に返ってくる。
見れば……やはり鋼鉄製、しかも課金アイテムによって作り上げられた縄なのか、アゾット剣をしても数ミリ削れたかどうか。これを断ち切るとなると間違いなく一分近くかかってしまう。
そして、それを見逃してくれるほど目の前の相手は甘くはない。
『グルルルル……』
顔を上げれば目の前には白虎の顔が迫っており、奴はじっと僕の瞳を覗き込んでいる。
遠くからプレイヤーたちの嘲笑が聞こえ、さらに遠いところではハイドやらアオやらの、聞き覚えのある怒声が聞こえてくる。
「……もう、本当に面倒なことになったなー、おい。普通にお前と戦ってみたかったんだけど」
白虎は言葉を返さない。
ただ、一メートルも離れていないすぐそこでじっと僕の瞳を見つめており、僕はフッと笑って――自らの足首を斬り落とした。
『……ッ!?』
静かな驚愕が伝わってくる。
ちょっかい出してきたプレイヤー達を一瞥して全員の顔を覚えると、影のローブの端を破って切断した足首を縛り付ける。
「うし、縄は解けたし、厄介者の顔は覚えた。HPも足一本じゃまだまだあるし、出血多量の恐れもない」
――なら戦えるってことだ。
立ち上がり、切断した足首を屋根の下へと放り投げる。
続いて縄を屋根の下へと放り投げる。所詮は初心者、あれだけの重量の糸を家の下から上にまであげることなんて出来るはずもない。
つまり、これで邪魔は何一つとして無くなったわけだ。
「言うまでもないと思うが、僕を舐めるなよクロエ。あんな奴ら後で僕がレッドマーカー覚悟でぶっ殺してやる。だから今は僕と戦え」
あんな奴ら後からいくらでもぶっ殺せる。
けれど、この時間は今だけなんだ。
今を逃したら、きっとコイツと戦う機会なんて一生現れない。なればこそ、今戦わずして、いつ殺し合うというんだ。
――それとも何か。
笑ってそう続けた僕は、至近距離で白虎へとアゾット剣を突きつけて。
「片足の僕とあの雑多。どっちが強いかなんて分かるだろう?」
目に見えてニヤリと笑った奴は、仕切り直すようにして僕に背を向けて歩き出し、十数メートル離れたところで立ち止まり、ふっと僕を振り返る。
やっぱりクロエは何も話さない。
それで正解だ。いくら仲間だろうと、気の許せる間柄だろうと、一緒に死地を乗り越えてきた相棒だろうと。
今の僕らはお互いの命を削り合う敵同士。
ならば、再会の言葉なんて必要ない。
フッと笑ってクロエを見据えると、改めてアゾット剣を構え、両足で地面を踏みしめる。
「行くぞクロエ。悪いがいっぺん死んでもらうぞ」
僕らは地面を踏みしめ、一斉に駆け出した。




