《19》アゾット剣
僕が矢に手を掛けたと同時。
銀夜狼はこの至近距離で先ほどの咆哮を放つべくスゥと息を吸い込むが――それは一度、既に『観て』いる。
「させるとでも思ったか?」
瞬間、僕は敏捷値にモノを言わせて矢筒から矢を取り出すと、つがえ、弓を引き絞り――そして放った。
僕の特技の一つ――それこそが『観取り』だ。
相手の動き、動作、クセ、苦手なこと、得意とすること、そしてそれらの確率。それらを全てデータとして頭の中に叩き込み、それらを戦闘に反映させる。
完全に観取ることさえ出来れば、反応して、まともに戦うことがことさえ可能ならば完封できる自信があるし、実際に戦って、そして観取ってきた相手は僕に指一本触れることも出来ずに散っていった。
まぁ、それには数多くのデータが必要となるためかなりの長期戦を見込まなければならないのだが、こと予備動作だけならば一回見ただけで十分に分かりきっている。
「フッ!」
瞬間、風を切り裂いて一本の矢が銀夜狼目掛けて放たれ、奴はそれを躱すべくその咆哮の動作を取り消した。
さすがは賢い人工知能。
咆哮をしたとしてもこの距離ではダメージを食らって無駄に終わる可能性の方が高かった。だからこそその咄嗟の判断は正しく――直後に再開したその咆哮の予備動作も、また正しいのだろう。
『グルルル……』
そう唸りながらも奴はスゥと息を吸い込む。
グググっと身体の内にある肺が膨張し、それを見た僕は頬を引き攣らせ、冷や汗をかきながらも背中の矢筒へと手を伸ばした。
(残り二本……ギリギリか)
僕は内心で呟くと、弓をぎゅっと握り、その矢を掴みあげた。
目の前十数メートルの所にはこちらへとあの咆哮を放とうとしている銀夜狼。
対してこちらの武器はただの弓。咆哮を喰らえば幾ら魔力を込めた矢でも失速し、恐らくは奴の手前で地へと落ちるだろう。
なれば――
僕はぎゅっと弓を引き絞る。
狙うは急所。ここから狙える場所だと――そうだな、眼球だろうか。
視界の半減と激痛による怯み、そしてHPバーの減少を引き起こせるその急所ではあれど、その場所は非常に小さく、そして動いている。
そんな場所を弓で狙うとなると、恐らくはかなりの技術が必要となるだろう。
――だが。
「生憎だが、その技術は持ち合わせてるんでな」
僕は、パァンッと弦を鳴らして矢を放つ。
そして少し遅れて銀夜狼の咆哮が轟き、僕の身体を大きく後ろへと吹き飛ばしてゆく。
「うぐっ!?」
堪えることは、できなかった。
僕の身体は無様で不格好な後転するように後ろへと吹き飛ばされ、転がってゆき、それと同時に僕の放った矢がグラグラと揺れ始め、失速してゆく。
それには目に見えて銀夜狼の目尻が歪む。
きっと内心はこんなことを考えているのだろう。
――そんな弱々しい弓で挑むこと自体が間違っている。
とな。
その証拠とならんばかりに僕の放った弓は減速し、次第にその鏃が下を向き、下がってゆく。
そして――その背後から現れた、もう一本の矢。
『ヴァウ!?』
それには思わず銀夜狼も目を剥いて驚きを顕にする。
――二本目の矢。
一本目の影にピッタリと重なるように撃たれたそれは、その一本目が咆哮の威力をその身一つで受けきり、そして力尽きたところで、万全の体勢でその後方から飛び出した。
一発目を発射台とするならば……、二発目こそが、僕の本命。
「だから言ったろ。その程度の技術は持ち合わせてる、ってさ」
瞬間、勢いの全く衰えていないその矢は寸分違わず銀夜狼の眼球へと突き刺さり、初めて銀夜狼は『キャウンッ!?』と悲鳴をあげる。
だが――それでも足りない。失明には至らない。
「うおらぁっ!」
あの後すぐに体勢を立て直して駆け出していた僕はウルフの首元に乗り上がると、足でその首をロックし、その眼球に突き刺さった矢を思いっきり、ねじ込んだ。
『ゥッ!? ヴワァァァァッッッ!?』
絶叫。
そんな言葉が正しいだろうか。
銀夜狼は頭を振って暴れに暴れ、僕を振り落とさんとばかりに荒れ狂う。
僕は「ぐっ」と顔を歪めながらもその矢から手を離すと、ささっとイベントリを開いて初心者の剣を呼び出した。
もう既に矢は尽き弓はどこかへと消え、武器はこの剣を残すのみとなった。
初心者の剣。
それは最弱とも呼べる弱さを誇る代物だが、その剣は絶対に壊れないという特性を持つ。
だが――
「だからって! 狼の毛皮が剣を通さないってわけでもあるまいさ!」
僕はそう言って両足へと力を入れて首をホールドすると、両手で剣が下になるようにと持ち直して、ニヤリと笑みを浮かべた。
ここは首から後頭部に向けての多くの神経が集まっているうなじの部分。
身体中へと矢を放たれ、目玉を抉られ、その上でうなじを剣によって突き刺される。
さすがのボスと言えどもそんな悪意の塊のような連撃には耐えられまい。
僕はそう考えて魔力を付与させると、真っ直ぐにうなじへと剣を突き下ろし――
ガァァァンッ!
「……は?」
――弾かれた。
その衝撃によって僕の身体は思いっきり後ろへと弾かれてしまい、足のロックが疎かになったのを感じたのか、銀夜狼は頭を思いっきりブルブルと振って僕を振り落とす。
「ぐっ……」
僕の身体は数メートル吹き飛ばされて地面へと叩きつけられ、鈍い悲鳴と共にHPバーがジリジリと削られてゆく。
――だが、正直今はそれどころではない。
「弾かれた……? どうして……」
僕はそう呟きながらも身体を起こす。
魔力付与はしていた。
毛皮を突き破って肉まで深々と突き刺さるよう角度も的確に調整していた。
だが――弾かれた。
僕は意味不明な現状に困惑しながらも顔を上げ、銀夜狼の方へと視線を向ける。
――そして、全てを理解した。
「……なるほど、ナイトって、そっちだったか」
視線の先にいたのは正しくシルバー『ナイト』ウルフ。
夜ではなく――騎士の方。
身体中を覆っていた銀色の体毛はまるで鎧のように形状を変更しており、先ほどのうなじの部分から足下まで、次第に硬質そうな鎧が完成してゆく。
僕はそれを見て確信した――恐らくこのシルバーナイトウルフは魔法を使うのが通常の攻略法なのだろう、と。
この状態……鎧モードとでも言うべきか。これが仮に残りHPが三割を切って初めて使われるのだと仮定しても、残り三割のHPを前衛職が削りきるとなると――間違いなく、一階層で製作可能な武器では不可能だ。
ましてや僕の持つのは初心者の剣である。
「……万策尽きた、って感じかな」
僕はそう呟くと、立ち上がって剣を構える。
弓はない。先ほどの攻防でどこかへと飛んでいった。
回収出来る時間は……まぁ、普通に考えてないだろう。そんな隙を見せれば間違いなく殺される。
強い剣でも買っておけば。そんなことを思ってしまったが、どんな剣でもこの鎧を真正面から貫くことなど不可能だろう。ならば、耐久度を気にしなくていい分この剣の方がマシだろう。
僕はそう考えて無理矢理に頬を吊り上げる。
「さて、どこかに隙間でもあればいいんだがな」
僕はそう呟いて、銀夜狼へと駆け出した。
☆☆☆
「ハァァァァァッ!」
最初と比べて随分と弱くなったその青い光。
それ纏う剣が鎧の隙間――腕関節の部分へと寸分違わず入り込む。
――だが。
『ヴァォッ!』
瞬間、全くと言っていいほど効いていなさそうな銀夜狼が僕めがけてその前脚を振るってくる。
――失敗。
僕はその考えが頭をよぎると同時にその関節部からスッと剣を抜くと、その前脚の一撃を剣の腹を使って受け流す
ガガガガガッ!
顔のすぐ近くから物凄い破壊音が鳴り響き、バチバチと小さな火花が宙を舞う。
全く大した攻撃力で、こうして受け流すことに全ての力を使わなければ太刀打ちすることも出来やしない。
僕は受け流し切り、剣への負担が減ったと感じた瞬間にその前脚を思いっきり押し返した。
すると受け流された際のバランスの崩れも相まって銀夜狼は見事にバランスを崩し、僕はぎゅっと剣の柄を握りしめる。
「今度は――ッ!」
放つは突き。
その突きは鎧の隙間――矢が突き刺さっている方の目の部分へと真っ直ぐに向かってゆく。
確かに今のような銀夜狼の体毛は尋常じゃないほどに硬い。文字通りの太刀打ち出来ないほどに。
だが、こと目に関していえばそれも違うだろう。
目の周囲の防具には必ず好き間が開いていなければならない。それには大なり小なりあれど、開いていなければ見えないのだからあるのが当然なのだ。
その上、これほどまでの防具が展開された上でなお突き刺さったままでいるこの矢――
ズシャァァァッ!
僕の放った突きが矢を押しのけてその鎧の隙間へと深々と突き刺さる。
ぶしゅっと鮮血のようなポリゴンがはじけ、シルバーナイトウルフがその状態になって初めて悲鳴を上げた。
『ヴァァァァァァァッ!?』
「よし! やっぱり当たりだったか!」
銀夜狼――シルバーナイトウルフはたしかに強いが、それでもまだ第一階層のボスである。全能神ゼウスの作ったゲーム。強い武器がなければ前衛として勝ち目がないような、そんな物理的に勝てない仕様になっているはずが無い。
だからこそ、僕は様々な場所と切り結び、何度も失敗し――そして今回、その弱点を発見した。
「よし、このまま一気に――」
僕はそう口を開く。
そして――視線の隅に、その白銀色の腕を捉えた。
「……へ?」
気がついた時には僕の視界は一転しており、身体中へ猛烈な衝撃と痛みが襲い、何に叩きつけられたのか、ガハッと口から大量の空気が吐き出された。
直後、僕の身体は地面へと倒れたのであろう。軽い衝撃とともに土の匂いが鼻をかすめる。
(い、一体……、何が……)
僕は先ほどの光景を思い出しながらも、グググっと力を入れて視線を銀夜狼へと向ける。
するとそこには痛みに身体中を震わせながらも腕を振り切った様子の銀夜狼が居り、僕はやっと現実に思考が追いついた。
「この……野郎ッ、当たらないからって……、相打ち覚悟で殴ってきやがったな……?」
僕はそう言いながらも、何とか木に手をかけて立ち上がる。
チラリと見れば、先ほどのダメージが予想以上に大きかったのだろう。銀夜狼はこちらには目を向ずに剣の刺さったままになっているその頭をブンブンと振っていた。
僕はその武器が無くなったという現実に内心で舌打ちしながらも、その木の後ろへと回り込み――腰を下ろした。
「はぁ、はぁ……」
僕は荒い息を整えながらもメニューを開くと、それと同時に左上へと視線を向けた。
するとそこには残り数ドットの状態から少しずつ気持ち程度に回復しているHPバーがあり、僕は迷うことなくイベントリから初心者用HPポーションを取り出した。
そうして出てきたのは、緑色の液体の入った試験管。僕は左手で器用に栓を外すと、迷うことなくそのポーションを飲み干した。
のだが――
「うぇっ!? ま、まずぅっ……」
そのあまりの不味さに僕は思わず声を出してしまった。
どうせこちらの方向に居るとはバレているから大した影響はないと思うが……って言うかなんだよこの緑色の液体。不味すぎだろ。もしかしてゴブリンでもミキサーにかけたんじゃないだろうか?
僕は口の中に残ったその苦々しい物体Xを何とか飲み干すと、背後へと意識を集中させた。
(まだ……こっちには来てないか)
感覚としては恐らく痛みに慣れてきて、そろそろ行動に移るくらいの頃合だろうか。
まぁ、現状は武器もなければHPもMPも尽きかけている。HPは辛うじて持ち直したものの、逆境ということには変わりない。
(何かないか……、この状況を打開できる何かが……)
僕は必死に頭脳を回転させる。
倒す方法――魔法――いや、今の僕は使えない。
ならば武器――弓と矢――今手元にはない。
なら剣は――今は銀夜狼の眼窩に突き刺さっている。
イベントリ経由で回収は――何かがソレを所有している場合は回収できないと、たしかヘルプに書いてあった。
ならば弓を手元に回収するのは――だめだ。数本回収したところでそんなもので倒し切れるわけがない。
他に使えるものは――このローブとポーション、そして体術くらいか。
可能性が一番高い勝利への筋道は、今すぐ振り返って何とか眼窩から初心者の剣を抜き、今度はもう片方の瞳に突き刺す。そうすれば運が良ければそれでHPバーが燃え尽きるだろう。
だが――
「不確定要素が多すぎる……。もしもそれで倒し切れなかったらもう一回これを食らうことになる……」
そうすればどうなるか――死に戻りである。
HPバーは全開には程遠い。ポーションだって使ったら一気に回復するわけでもないみたいだし、二本三本と飲んでも効果は薄そうだ。
それに――それを待ってくれる相手でもあるまい。
気がつけば銀夜狼の気配は完全に動きを止めており、こちらの方をじぃっと見つめているのだろうという事は安易に想像がつく。
考えろ。
考えろ。
最後まで、考え続けろ。
なにか他に手はないか。
コイツを倒せる――武器はないか?
『ピコンッ!』
瞬間、僕の頭の中に機械音が流れる。
レベルアップでも、称号獲得でも、クエスト発生でも、そのいずれのどれにも当てはまらないその音。
けれども僕はその着信音のような音には聞き覚えがあり――ふと、この世界に来た直後のことを思い出した。
「メニューを開いたのは――メールが、送られてきたから……?」
ならば、僕はそのメールを開いたか?
答えは簡単に出る――否だ。
「まさかっ!?」
僕はメニューを開くと、今まで完全に忘れていたそのメールボックスの文字をタップする。
一番上の欄に『アスパ』という名前が書いており、なるほど今のメールは彼女からのものだったのだろうと想像がつく。
その下には運営からの『初めてゲームをプレイする方へ』というメール。
そして――
「やっぱり……あった」
その送り主は――『全能神ゼウス』。
僕は最初にこの世界に来た時にこう思った。
何故あのゼウスが、なんの説明もなしに、なんの謝罪もなしに、この僕をこんなゲームの中へと閉じ込めたのか、と。
それだけゼウスを僕は信頼していたし、彼女のことだから『GM権限』なんてスキルまでくれちゃったらどうしよう、とまで考えていた。
なのに、何も無かった。
だからこそ困惑したが――
「僕が見逃していただけ、ってことか?」
僕はそう引き攣った笑みを浮かべると、そのゼウスからのメールをタップした。
そして――
《ポーン! 全能神ゼウスからの贈り物『アゾット剣』がイベントリへと送られました》
僕の頭の中に、そんな声が流れてきた。
次回、決着。




