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8

「いかがでしたか?」


部屋を出ると、いつの間に戻ってきたのか扉の前で待っていた様子の棚道が首を傾いだ。

まるで、料理の味でも聞くような口ぶりであるし、そつの無さ過ぎる態度である。

きっと彼には部屋の中でどんなことが起こっていたのか予測できているのだろう。


「いかがも何も、どうもこうもなかったですよ」


思わず苦笑したらしい村田が返事をすれば「そうですか」とさして興味もなさそうな顔で肯く。

そして、来たときと同じように三人で出口に向かった。

廊下に隙間無く敷かれた絨毯の感触を楽しむように歩いていると、ふと棚道が言う。


「……ところで、あの、君が持っていたキーホルダーですが」

「え?」


突然水を向けられて寸の間、足が止まってしまった。

もつれるようにして再び歩き出せば、その様子を見ていただろうに棚道も村田も何も言わず歩き続ける。

笑ってくれたほうが幾分かマシだったかもしれないと思いながら、自分よりはずっと歩くのが早い男性2人の後を追った。


「君はあのキーホルダーを、お兄さんの……宗司のものだって言ったけど厳密には違いますよね」


疑問系の文章であるにも関わらず、語尾は上がっていない。尋ねているのではなく、半ば確信しているのだろう。

なぜそんなことを思うのかと不思議に思い、棚道の横顔を見上げる。

彼は前を向いたまま、何かを考え込むように眉根を寄せていた。


「いえ、兄のもので間違いないです……あ、いえ、違います。本当は、私のものなんですけど」


覚えてなくて、と続ける前に棚道が明らかに驚いた顔をして私を見る。

何事かと思わず村田の方に視線を移すけれど、彼はそもそも私が棚道にキーホルダーを見せたことを知らないので不思議そうな顔をしているだけだった。


「君のもの? いや、そんなはずは……」


棚道は口元に手を当てて、すっと息を吸う。

彼はやはり、このキーホルダーの話しになるとひどく動揺するのだった。

すると村田が、「きわこちゃん、きちんと説明してあげたら?」と言う。私と棚道の会話で、だいたいの本筋を掴んだのだろう。

「……えっと?」

何を説明すればいいと言うのか。村田と棚道の顔を交互に見つめる。村田は「やれやれ」と首を振りつつ、


「それがきわこちゃんのものであることは確かだよね? 叔母さんが教えてくれたって言ってたもんね?」

「あ、はい」

「でも、きわこちゃんはそれを覚えていなかった」

「……はい」

「なぜなら、小さなきわこちゃんからそれを奪った人間がいるから」

「え、あの……奪ったって言うより、勝手に持ち出されたっていうか……」

「まぁ、家族だもんね。奪ったって言うより勝手に持っていかれたって言う方が正しいか」

「そう、そうです」

「それで?」

「え?」


「それを持ち出したのは誰だったの?」


矢継ぎ早に問われて、ほぼ言われるがままに返答していたけれど、ここまできてやっとその意図が分かる。


「―――――兄か……、母です」


そう、そうだった。このキーホルダーは兄の友人なる人物の手によって私の元へ戻ってきたけれど。

このキーホルダーを本当は誰が持ち去ったのかは分かっていない。兄が持っていたのは多分、事実だろう。だけど、だからと言って兄が持ち去ったとは限らない。


私と村田の会話を黙って聞いていた棚道は今度こそ、足を止めた。


「宗司か、母……母親って、美里、さん……?」


棚道が、彼の言う通りに施設で育ったのなら、そこで世話役を任されていた母に会っていたとしてもおかしくない。それなのに「知ってるんですか?」という言葉が出てくる。

改めて、確認しておきたかったのだ。

棚道は私の顔を見て、ただ深く肯く。そして、独り言みたいに「ああ、そうか。だからか。……やっぱり、そうだったんだ」と呟く。

その声が掠れて、今にも泣き出しそうに聞こえたのは間違いじゃない。

実際彼は、顔に載せた仮面を大きく歪ませて、肩を震わせていた。


「ちょっと待ってよ、何なの。全然、……本当に全く意味が分からないんだけど」


村田がほんの僅かに声を張り上げて、半ば対峙する格好になっていた私と棚道の間に立つ。


「キーホルダーが本当は誰のものだったかきちんと説明したんだから、棚道さんもちゃんと話してくれませんか? それが一体……宗司君とどう関係があるのか」


既に玄関ホールまで辿り着いていたので、その広い空間に村田の声が響く。

他の誰か……代表の世話をしていると言っていた女性に聞こえるのではないかと思わず周囲を見回した。

聞かれてまずいことを口にしている自覚はないが、なぜか、誰にも聞かれたくないと思ったのだ。

棚道は、それはそれは大きな息を落とした。それは、吐き出された空気の塊が足元に転がり落ちて、どこかに逃げていくのが見えるほどに。


「―――――村田さんの、さっきの話しにまだ返事をしていませんでしたね」

「さっきの話?」

「ええ、林に埋めた神様のことを知らないかと」

「ああ、あれね。そうですね、さっきはうまく誤魔化されてしまいましたけど」


「……答えから先に述べるなら、―――――知っていますよ」

「……」

「貴方たちがなぜ、あのことを知っているのかは分かりませんが」


それは、と私が答えようとするも、棚道はただ首を振った。


「いいんです。別に責めてるわけじゃありません。そんなことはどうでも。些事ですよ。誰があのことを明かしたかなんて」


一つだけ呼吸を置いて、彼は「それに、いつかこういう日が来ると思っていたのです」と視線を落とす。

決して明るくはない玄関ホールのせいで、彼の顔全体に影が落ちた。その暗い眼差しがどこを見つめているのか私には分からない。


「こういう日、とはどういう意味ですか?」


村田が傍に居てくれて良かったと、心底思う。

私ではきっと、聞きたいことも、聞くべきことも、何一つ口にはできなかっただろう。


「その前に少しだけ、思い出話をしましょうか」

「え?」


棚道の突然の提案に村田が面食らっている。

支離滅裂なわけではないが、話があちこちに飛ぶのは私たちを惑わせようとしているのか。本音を隠すために、あえてそうしているのかもしれない。


「私たち……施設で育った子供たちはね、口には出さなかったけれど、待っていたんですよ」

「……待ってた?」

「ええ、そう。誰かが迎えに来てくれるのを信じて……待っていたんです」


それは例えば、迷子になった小さな子供と同じようなものだと彼は言った。

泣きながら、大声で親を呼びながら、それでも絶対に迎えに来てくれると信じている。

もしかしたら迎えに来てくれないかもしれないなんてことは、想像すらしていない。


「親ならば自分の居場所を突き止めて当然だと思っている」


だけど、それが子供なのだと。棚道は静かな声で告げる。


「私の親はある日突然出奔したのだと、先程話をしましたが、私はね……それでもずぅっと、親が迎えに来るのを待っていたんですよ」


自分を置き去りにした親に対して、憤慨していた。嘆いていたし、失望してもいた。だけど、迎えに来ないかもしれないなんてことは想定していなかったのだ。

一人残された施設で、窓の外を眺めながら思う。

今日は迎えに来なかったけれど、明日まで待ってみよう。明日が駄目だったら明後日まで。明後日が駄目だったら来週まで。来週が駄目だったら来月まで。

そんな風に、自分で期限を設けながら健気にも待ち続けたのだと、棚道は顔を上げた。

赤く染まったその瞳が私の顔を捉える。

彼が今、何を思っているのか分からない。何を伝えようとしているのかも。

だけど、彼の気持ちが痛いほどによく分かった。


誰も居ない玄関で、母と兄の帰りを待ち続けた幼い頃の自分の姿が甦る。


後一時間待ってみよう、後二時間、今日は帰って来なくても明日は帰って来るかもしれない。そんな風に待ち続けた日々を思い出すのだ。


「宗司は私とは少し違いましたね。だって、母親である美里さんがずっと一緒だったのだから」


母親が傍に居るのであれば、迎えを待つ必要はない。


「だけど、時々思い出したように玄関の方を振り返るんですよ。それは例えば、外から帰ってきたときとか。玄関から中に入って、数歩進んだ後にふと、振り返るんです」

「……、」

「妹の声が聞こえた気がするって、そう言っていましたよ。待ってって、泣いてる声が聞こえるんだって」


体の内側がずくずくと痛みを訴える。全身の血管が炎症を起こしているようだった。

その痛みを和らげようとするみたいに村田が私の背を撫でる。


「だからそう、私たちにはそういう日常を変えるための『何か』が必要だったんです」

「何、か?」


棚道の言葉をなぞる私に彼は微笑んだ。その顔は、数時間前に私たちを迎え入れてくれたときと同じだった。非の打ち所の無い、完璧な笑顔である。


「私たちに悪い神が憑いていると、館長は仰った……」

「館長というのは?」


すかさず突っ込みを入れる村田に、棚道はさして動じることもなく「代表のことです」と告げる。

欲しがっていた答えの一つが、こうもあっさり見つかるとは。


「館長の、いや、代表の言葉がまさしく天の声に聞こえたのですよ。悪い神を土に埋めてしまえば、それまでとは違う自分になれると、そう言われて……」

「それで、林の中にその『悪い神様』というやつを埋めることにしたんですか?」

「ええ、まぁ、そうです。もちろん、自分たちで決心したわけではなく、大人たちに説き伏せられたんですけどね」


兄のノートに書かれていたこととは若干違うような気もしたが、同じ出来事でも、視点が変われば見える風景が変わる。そういうこともあるだろう。

一つだけ共通しているのは、兄と同じく、棚道もこの出来事をひどく冷静に捉えているということだ。

感情の高ぶりも見えなければ、動揺の一つさえ見て取れない。


「貴方たちがどこまでご存知なのかは知りませんが、私たちは……私と宗司と他二人はいわゆる幼馴染というやつで……他にも同級生はいましたけど、それほど仲良くはしていませんでしたね。私たちだけが、特別に仲が良かった。だからこそ、あの儀式に選ばれたのかもしれないと思っていたんですけど。

―――――真実はもっと別のところにあったのかもしれません」

「……真実?」


村田が怪訝そうに眉を顰める。


「これがお前たちの神様だよ、と見せられた白い包みを箱に詰めたときに、その違和感に気付けばよかったんですけどね。私たちは何せ子供でしたから……大人たちの言うことは大抵、正しいのだと……思い込んでいたのです。そもそもこの団体は、偶像崇拝を禁止しているのに……神を模したものを、私たちに見せるなんて。おかしいですよね? だって、明らかに矛盾しているでしょう?」

「……」

「まぁ、この団体の信念なんてそんなものなんですけど……信仰している宗教なんてあってないようなものと言うか、その時々によって主張をころころ変えるのでね」


苦笑した棚道が再び、大きく息を吐く。

「立ちっぱなしで申し訳ありません。部屋を用意しておけば良かったですね」と。

しかしこのまま移動するつもりはないようで、肌寒いホールに留まる。


「それで、神様を箱に詰めて林の中に運び込んだんです。それはね……ひどく疲れる作業でしたよ。私たち子供たちだけでは到底、成し遂げることはできなかった。それを予想していたのでしょう。大人が二人手伝ってくれたんですけど、それでも、ものすごく時間がかかりました」


兄の記述にも、神様を土に埋める作業はとても疲れることだったとある。

だけど、その作業を手伝った大人が居たとはどこにも書かれていなかった。


「それで……そのキーホルダーですけど」


ここまできてやっと、私のキーホルダーの話しに戻る。


「それは、神様を埋めた帰り道に拾ったんですよ」

「……拾った?」

「ええ、そう。拾ったんです。行き道にはなかったと思います。けど、帰り道にそれを見つけたんです。獣道の真ん中に、ぽつんと落ちていて」

「そう、なんですか?」

「ええ。そしてそれを見つけた宗司はひどく動揺して……その場で嘔吐しました」


その話しは私も知っている。兄のノートにも書かれていた。疲労で、何度か嘔吐したと。

……だけど、このキーホルダーをそのときに拾ったということであれば、やはりこれは私のものではないのかもしれない。そもそも、これを私のものだと言い出したのは叔母であり、そう言っているのも彼女だけだ。これが誰のものかを証明する手立てはない。

もしかしたら叔母が勘違いしている可能性だってある。


「それでもそのときは充足感があったんです。言われたことを成し遂げたし、これで変われると……思ったりもした。だけど、施設に帰って数日した頃に気付いたんです」


―――――宗司の様子がおかしい。


「……おかしいというのは?」

村田が問えば、棚道は小さく首を振る。


「おかしいというのは、そのままの意味です。何だか、そう。変だと……感じたのです。

人が変わったように見えるというか、それまでとは違うというか……。

けれど、それが儀式を終えた人間の正常な反応だと説明されれば、納得するしかない。そもそも、自分を変えるというのが、この儀式の目的だったはずだから」

「……」


淡々と話しを進める棚道の様子に、異常なことを口にしているという自覚はないのだろうか。

じっとその顔を見据えていれば、私の考えを読んだかのように彼は視線を逸らす。


「他の人間はどうだったか分かりませんが、私はだんだんと……自分たちはもしかしたらとんでもないことをしたのではないかと不安に思うようになりました。あれが本当に、その名の通り『儀式』というやつで……魔術のようなものだったとしたら、それはとても恐ろしいものだったんじゃないかって」


―――――そのとき、玄関ホールの柱に掛かっていた振り子時計が、ボーンボーンと音をたてた。

棚道は振り返り時刻を確認すると「ああ、もう時間だ」と呟く。


「まぁ、魔術なんてものはかけられていなかったようですけど」


何せ私たちは子供だったから、と今日何度目かの言葉を吐く。

そして、私たちの間に落ちた僅かな沈黙を振り払うように言った。


「……私たちが神様を林に埋めた後に交わした、約束のことを知っていますか?」


動き出した棚道にあわせて、私と村田も玄関の方へ移動する。そろそろお開きなのだろう。


「……約束、ですか……?」


反応を示したのは村田だ。

私も言葉には出さなかったけれど、ICレコーダーに吹き込まれていた兄の友人を名乗る人物の言葉を思い出していた。

「さすがに、約束のことは知らないんですね」

けれど、私たちの反応を見て勝手に結論付けた棚道は「ふふっ」と小さく声を漏らす。

決して馬鹿にされているわけではないと知っているのだが、その吐息は少し、自嘲気味だった。


『約束を守るようにと、』


玄関の扉を開け放ちながら棚道はぽつりと告げる。


「幸せになった人間を恨まない、幸せになった人間を憎まない、幸せになった人間の邪魔をしない」


私たちは将来、自分たちの道が分かたれることを知っていたんですよ。と続ける。

いつまでも一緒にいることはできないと、察していた。だって、家族とさえも離れ離れになったのだからと。


「私、こんなに人と話したのは久しぶりです。……話せてよかった」


その言葉が別れの挨拶なのだと、何となく分かる。

半ば押し出されるようにして、玄関の外へと出された。

室内とは違い、口の中が凍ってしまうほどに寒い。それでも、車止めの屋根があるので幾分か冷たい風を避けることができる。

脱いでいたコートに袖を通しながら寒さに耐えている間、村田が棚道に「有意義な時間を過ごすことができました」と無難に挨拶を述べた。

そして互いに握手を交わす。

二人の様子を見守っていれば、そっと棚道が手を差し出してきた。

さして疑問も抱かず、単なる握手だろうとその手を握れば、


「子供にとっての神様って何だと思います?」と問われる。


子供にとっての、というところで声を強めた棚道の顔を、ごく近い場所から見据えた。

単純に、意味が分からなかったのだ。

今日の私はいつもの何倍も頭が回らない。棚道があえて、回りくどい言い方をしているからなのか、それとも私の想像力が足りないのか。

村田のように、棚道の言わんとしていることを理解することができない。


「君が、君のお母さん……美里さんのことをどのくらい覚えているか分からないけど、彼女は本当にいい人でした。優しくて明るくて、だけど少し……おっちょこちょいだったかな。そういうところも好感が持てたし、実際、施設の子供たちは皆、美里さんのことを慕っていましたよ」


今度はいきなり母のことを語りだす棚道に、首を傾げるしかなかった。

はっきりと思い出すことのできない母のことを他人の口から語られるのが心底、不思議だったのもある。

「彼女が母親だったらいいのにと、友人たちとよく話しをしていました。それを最近、よく思い出すのです」

そう言って微笑した彼は「それでは、元気でね」とゆっくり扉を閉めた。


何だか、最後の最後で腑に落ちない気分になり、右へ左へと首を傾げてしまう。

村田を見やれば、やはりどこか変な顔をしている。

しかしこのままここに居たところで新たな手がかりは得られないだろうと「帰りましょうか」と声を掛けた。

車止めを抜ければ、ちらちらと舞っていた粉雪が顔に降りかかる。

思わず空を見上げて、淡い曇天に白い花びらが舞うその幻想的な風景に魅入っていれば、


「―――――ああ、そうか」と、村田が声を上げた。


いつからそうしていたのか、歩き出していた私とは反対に彼は立ち止まっていたようだ。

その顔が青褪めて見える。彼は私よりもずっと薄着なので寒いのかもしれない。


「きわこちゃん」

「……はい、」

「きわこちゃん」


たった数歩離れただけなのに、やけに遠く見えた。

ぶるりと悪寒が走って、村田の顔にいつもの軽薄な笑みが乗っていないことに気付く。

真剣な眼差しに、青褪めた顔、色を失った唇。何か、とても重要なことを口にしようとしている。


「何ですか? 村田さん」


早く言ってほしい。だけど、聞きたくない。

まだ何も言われていないというのに、村田の常とはあまりに違う表情が恐ろしくて震える。口の中でがちんと奥歯が音をたてて、それに呼応するように、足の関節が悲鳴を上げた。


「子供にとっての神様っていうのは……何だろうね?」


棚道に問われたことと同じことを言われて、思わず村田の方へ歩み寄る。

「そんなの……分かりません! 私には、そんなの……!」叫ぶような格好になったのは、この息の詰まるような状況が耐え難かったからだ。

考えることを放棄したことが、いかにずるいことなのか分かっている。

だけど、知っているのなら教えてほしい。


「大人にとっての神とはまさしく奇跡を起こし、天罰を与え、生殺与奪を握る存在であり、唯一無二の絶対的な存在でしょう? 信仰する宗教によっても解釈は様々だから……僕には上手く言えないけど……だけど、子供にとっての神様なら何となく分からない?」

「……何、ですか?」

「きわこちゃん、考えてみてよ。これは多分、君が自分で答えを出さなきゃいけないことなんだ」


村田の声にはどこか焦燥が滲んでいて、それでいて、縋り付いてくるような頼りなさがあった。

どくどくと沸騰するような血流が耳の奥で音をたてる。焦りを覚えているのは私も同じだった。

時間制限などないはずなのに、一刻も早く答えを出さなければならない気がしてくる。


「……子供にとっての神様というのは、命運を握る存在?」

「うん、うん、そうだね」


肯く村田の顔を見上げる。だけどきっと、それだけではないのだ。


「唯一無二で、悪いことをしたら罰を下す、それでいて、願いを叶えてくれる……?」

「うん、うん……」


見下ろす村田の双眸が閉ざされる。何かを堪えるかのように、彼は、強く目を閉じた。


「それって、何かに似てない? 神様じゃなくて、もっと身近なものだよ。子供にとってはもしかしたら、神様よりも怖い存在で、神様よりもずっとずっと優しい存在」

「……それって、」

「うん、そうだね」

「それっ、て、」


言葉を吐き出すのと一緒に息が漏れる。泣いているわけでもないのに、喉がひくりと音をたてた。


「―――――子供にとっての神様っていうのは、親、なの……?」


自分の声だというのに、不快で仕方ないのは雑音が混じっているからだ。

気道が狭まって、ごろごろと嫌な音をたてている。

屋外だというのに空気が薄い。気のせいだと思うのに苦しくてしょうがなかった。


「林に神様を埋めたとき、行き道にはなかったのに、帰り道にはそのキーホルダーが落ちてたって言っていたよね? 行き道に見落としたのではなく、それが本当だったなら……その道を通った誰かが落としたってことにならない? もしくは、誰かが故意に置いたのか……」


きちんと返事をしようと思ったのに声にならない。唇が震えただけだった。


「だけど、こうも考えられるよね? 彼らが抱えていた荷物から……転がり落ちたのではないかって」


はっ、はっ、と漏れた呼吸が白い塊になって目の前を塞いでいく。

村田が今、どんな顔で喋っているのかも分からない。


「きわこちゃん、きわこちゃん……っ」


腕を掴まれた反動で、膝から崩れ落ちる。

村田は半身を屈めた状態で私の体を支えていた。


「目を、閉じないで。耳を、塞がないで、きちんと理解して。君が望んだことだから」


君が、答えを求めたんだよ。と、息のかかるほどの距離で彼は言った。

何度も瞬きを繰り返して、油断すると歪みそうになる視界を振り払っては引き戻す。

目を逸らしてはならないのだ。村田の言う通り、私が望んだ。

兄が今どうしているか、何を考え、どんな風に過ごしてきたのか知るべきだと思ったから。


「僕はね、君のお兄さんのノートを読んだとき、白い布に包まれた神様は両手で抱えきれるくらいの大きさだと思っていた。それこそ、小さなお人形のようなものを想像していたんだよ。

だけど、棚道さんは言っていたね? 大人2人に手伝ってもらったと。

それはもしかしたら、子供たち4人だけでは運べないほどに大きなものだったからじゃないか?

神様を埋めた後、とても疲れたと、君のお兄さんも棚道さんも同じことを言っている。それは、簡単に埋められるほどに小さなものではなかったからだ。

大人が2人と、子供が4人で運んでもそれだけの疲労を伴うものとは―――――?」


大人が1人ずつ前後を支えて、両サイドを子供が2人ずつで支える。

それほどに大きなもので、何となく、それが……縦長のものに思えてきた。

どうにも耐えられなくなって目を閉じれば、暗闇の中、それを運ぶ6人の姿が浮かんでくる。

夕刻から夜に向かって藍色に染まる空の下、彼らは、神と呼ばれたそれを運んだのだ。


『彼女が母親だったらいいのにと、よく友人たちと話しをしていましたよ』


ついさっき耳にした棚道の声が甦る。昔を懐かしむというよりも、それがまるで罪悪であるかのような顔をしていた。


『子供にとっての神とは、何だと思いますか?』


林の中に神様を埋める、儀式だと。

棚道はそう言っていた。


「ひ、ひつぎ、」


―――――棺だ、


彼らは林の中に、棺を運び込んだのだ。


―――――その中に納まっていたのは、神様であり、神というのはつまり、


肩にかけていたバッグが滑り落ちる。だけど、それも構わず、村田の手を払って前のめりに立ち上がった。

「きわこちゃん、」

前がよく見えない。滲んだ視界が、白く染まって。

何度か転びそうになりながらも、来た道を戻った。


「何をしたの、何を、一体何をしたの、」


心の声か、うわ言か。繰り返す言葉が寒空の中に霧散する。

背後で村田が何かを叫んでいるけれど、うまく聞き取れなかった。


「何をしたの……! 何をしたのよ……!! 私の母に何をしたの!!」


ステンドグラスの嵌った分厚い扉に手の平を打ち付ける。

バン、と鈍く、小さな音が響いた。

鍵の掛けられたその扉が開かれることはない。


「私のお母さんに、何を、したの……!!」


叫んだつもりだったけれど、声がうまく出てこなかった。

息ができない。苦しくて、息ができないのだ。

ばんばんと拳を扉に打ち付ける。だけど、何の反応もない。


「私の兄に、お兄ちゃんに……何をさせたの!」




「一体、何をさせたのよ―――――!!!」



















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