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「私、自分が誘拐されそうになったことなんて……覚えてない」


長い沈黙の後にやっと吐き出すことができたのは、そんな言葉だった。

もっと他に言いたいことがあったはずなのに、上手く表現できない。


「あまりに恐ろしい出来事だったから、あえて、忘れてしまったのかもしれないわね」


私の動揺を察しているのか叔母は案外冷静だった。

いや、冷静でいようと努めたのだろう。そのふっくらとした頬が微かに硬直している気がした。


「それに、私も兄さんも……貴女の前であのときのことを話したりしないように気をつけてたの。きっと怖い思いをしただろうからって」


まさか忘れているとは思わなかったけど、と叔母は微笑む。

そして、「良かった」と続けた。忘れているなら、それでいいのと。


「ううん、叔母さん。ダメだよ。私……忘れていることがあまりに多い気がする」


それが恐ろしい。

かつては一刻も早く母と兄のことを忘れ去りたいと思っていたのに、そうなることを待ち望んでいたはずなのに、実際そうなってしまうと、喪失したものの大きさに震えが走る。


「忘れちゃダメだったんだよ。それなのに―――――」


誘拐未遂という一回経験すれば忘れることなどできないだろうほどの強烈な出来事を忘れている。

それはもしかして、深い事情など知らずとも、その事件が母と兄に結びついているだろうことを本能的に察したからではないか。そんな気さえしてくるのだ。

……考えすぎだと分かっている。

だけど、そう思わなければ心の整理がつかない。


「きわこちゃん」


ふと名前を呼ばれて顔を上げれば、叔母は至極真剣な顔つきをしていた。


「あの誘拐未遂事件はね、ただの脅しだったと思ってるの。計画的な犯行にしてはあまりに杜撰だしね」

「そう、なんだ……?」


何せ記憶にない出来事であるから曖昧に肯くことしかできない。


「私はそう思ってる。それにね、あの後、私も兄さんもすごく警戒していたけれど同じようなことは起こらなかったのよ」

「……うん」

「だけど、本気を出せば貴女を誘拐することなど容易いのだと言われているような気がして」


とても怖かったと囁くように言われる。当時を思い出しているのか、叔母はふるりと肩を震わせた。


「きわこちゃん。さっきも言ったけど、貴女には危険なことをしてほしくないの」

「……叔母さん」


叔母が私のことを案じてくれているのは分かる。

けれど、自分が誘拐されそうになったことを含め、母と兄に関して色んなことを知ってしまった今、何事もなかったかのように生きていくことはできない。

知らない振りなど、できるはずがないのだ。

母と兄がそれほど危険な団体に捕われているというのなら、助け出したいと思うのは別に不思議なことではないだろう。これが赤の他人であっても、何とかしたいと思ったはずだ。

私は聖人君子ではないけれど、家族を見捨てるような人間ではいたくなかった。

例え、長年離れて暮らしてきたとしてもだ。


私のような小娘が何をしたところで事態は変わらないのかもしれない。

実際、兄は既に成人しているし、分別のつかない子供というわけもでない。

そもそも今も変わらずその団体のところに居るとは限らないのだ。

もしかしたら、助け出す以前の問題かもしれない。居場所を特定できないことには、何もできないのだから。

だけど、例え、彼らが助けを求めていなかったとしても、今どこで何をしているかくらいは知りたい。

そして、できることなら、なぜ家を出たのか教えてほしい。

父が他人に、ましてや女性に暴力を奮う人間ではないことくらい知っている。

娘である私がそれを証明できるし、それは叔母も同じだろう。

激高すれば何をしでかすか分からないというのが人間だが、父は喧嘩相手を力でねじ伏せるようなタイプではなく、言葉を尽くして理詰めで諭すような人だ。

元々の気質が穏やかで、気弱とも言える。


だからこそ、疑問は尽きない。


叔母はじっとカップの中身に視線を落としていた。

それを真似るように、琥珀の水面に浮かぶ自分の顔を見つめる。

思っていたよりもずっと冷静な表情をしていたけれど、揺れる瞳がその内面をあまりにも如実に語っていた。

きっと叔母も、同じような表情をしているのだろう。


「ねぇ、きわこちゃん」

「……ん?」


おもむろに両手を差し出されたので、思わずそこに自分の手を重ねた。

テーブルが広いので指先だけがかろうじて重なっている程度だ。だからこそ、互いの手が離れないように強く握り合う。


「兄さんがどんな想いであの街を離れたか分かる?」

「……」


赤く染まった両目を向けられて、言葉に詰まった。

泣くのを堪えているのか、悲しみを堪えているのか、もしくは両方かもしれない。

責められているような気もしたし、怒りを抑えているようにも見えた。


「本当は、美里ちゃんが帰って来るのを待っていたかったんだと思う。それに、きっと戦いたかったに違いないの」


父の人となりからすれば、拳を上げて戦うような真似はできなかっただろう。

父という人間は他人に暴力を奮うような人間ではない。だけど、戦う方法は他にもあったはずなのだ。社会に出てたった数年の若輩者である私には思いつかないような手段を、父ならきっと、思いついたはずだ。


「兄さんは、美里ちゃんと宗司君を取り戻せるなら、それこそ何でもしたと思うわ。

だけど、貴女を守るためには家を離れるしかなかった。ただ息を潜めることしかできなかったのよ」


そうだ。だから私は気付かなかったのだ。

母と兄が家を出てからすぐに引っ越すことを決めた父が、どれだけ二人のことを想っていたかなんて。

二人を待つことよりも街を離れることを決断した父が、あまりにも平静を装っていたから。

自分の周りで何が起こっていたのか気付きもしなかった。


「……きわこちゃん。何もかも全部、全部……貴女のためなのよ」


貴女には母親が必要だと、そう思っていたのは他でもない兄さんなのよ。と叔母は視線を逸らす。

「私なんて何の役にも立たなかった。ただの親戚以上にはなれないもの」

寂しげな、だけど優しい口調だった。真綿で包まれるような。


「私ね、叔母さん」

「ん?」

「いつも待ってたの。物音がする度に、玄関へ行っていた。お母さんやお兄ちゃんが帰ってきたんじゃないかって」

「……きわこちゃん」


叔母が再び私の顔を見てくしゃりと顔を歪めた。


「だけど、帰って来るはずないんだよね」


だって、私たちはとっくにあの街から出ていた。引っ越した後だったのだ。

母も兄も、私たちの居場所を知らなかったに違いない。


「それでも帰って来るって信じてた。信じ込んでたの。お母さんもお兄ちゃんも「家」に帰ってくるんじゃない。「私たちのところへ」戻って来るんだって」


そんなはずはないのに。

ずっと、母に捨てられたと思っていた。兄はそんな母の味方をしたのだと。

だけど、本当は―――――本当の意味で「捨てた」のは私と父の方だったのかもしれない。

私たちは、彼らが戻って来る場所をとっくの昔に奪っていたのだから。


*

*


長い長い沈黙の後、叔母はぽつりと言った。

「ごめんね」と。


「依頼料はこれくらい。成功報酬は、今回に限って無料でいいよ」


五本指を立てて、にっこりと笑った村田という男は胡散臭そうな顔に満面の笑みを浮かべる。

「そして僕のことは村ちゃんって呼んでね」

二十代の後半から三十代前半と思しき彼は、派手な柄シャツにチノパンというお世辞にもおしゃれとは言えない格好をしていた。

真冬だというのに薄着だとは思うが、この格好にダウンのジャンバーを羽織ってきたのでさほど寒くはないのかもしれない。冷え性である私には考えられないことであるが、目の前に座っている村田という男は寒さなど微塵も感じさせない顔をしている。

古い喫茶店の一角を陣取っているのだが、他に客はいないので遠慮する必要もなかった。

大声で話したとしても聞いているのは寡黙なマスターだけだ。


「……それって五万円ってことですよね? それとも五十万円ですか?」


こういう人物に仕事を頼むのが初めてであるから相場というものが分からない。

今回の打ち合わせのために電話で何度かやり取りをしたのだが、そのときは「どのくらいの費用がかかるかは会ったときに説明するので」と言われて教えてくれなかった。

客を逃さない為に、とりあえず会って話しをしてみるというのは彼らの常套手段なのかもしれない。

仕方なしにネットで色々検索してみたけれど、会社によって費用はまちまちだと明確な答えは得られなかった。

この「村田」という男を紹介してくれた学生時代からの友人にも確認したけれど「うーん、分かんない」と軽く首を振られてしまう。


「もちろん五万円だよ」

「それは、安すぎないですか?」


私が依頼するような調査にはだいたい数十万円かかることは分かっている。

事前に、それだけの準備はしてきた。


「いいんだよ。その代わり、ゆかりんに僕のことよろしく言っておいてね」


語尾にハートマークまでつきそうなほどに甘ったるい声を出して首を傾げる村田は、年相応というよりは随分若い感覚で生きているようだ。些細な仕草がどことなく幼い。

それとも相手を油断させるためにあえて、そういう態度をとっているのかもしれなかった。


ゆかりは村田さんのこと、いい人だって言ってましたよ?」

「だから、村ちゃんって呼んでってば。これはいわば仕事というよりはプライベートに近いんだから」


紫というのは、村田を紹介してくれた学生時代からの友人のことだ。

彼女は仕事柄、非常に顔が広い。

「医者と弁護士は知っておいたほうがいいって言うけど、私はその中に税理士と探偵を入れるわ!」と豪語していたのは、つい先日のことである。

同じ中学校で、クラスメイトだったために仲良くなったわけだが、そのまま高校、大学と仲良くしていた。

いわゆる幼馴染というやつにあたるかもしれない。

彼女は、高校卒業後すぐに始めたアルバイトを本業とすべく、大学を中退している。

周囲の人間、特に彼女の家族は「大学を中退するほどではない」と彼女を諌めようとしたのだけれど、「この道で生きていくなら、25歳でチイママ、28歳でママにならなくちゃ」と己の意志を貫いた。

その為に彼女がどれほどの努力をしてきたのか、歴代の恋人たちよりも一番近くに居たと言っても過言ではない私が証明できる。

彼女が長年勤めていたお店は、大企業の「役付き」と言われる人間が利用することも多く、彼らと話しをあわせるために新聞から大衆紙までありとあらゆる読み物に目を通していた。

最近は外国から訪れる客も多いのだと英会話教室に通い、現在は日常会話程度であれば問題ないのだと笑う。


「男ってね、女に反論を許さないようなところあるじゃない? まぁ人それぞれだとは思うけど。反論したり諌めたり、あるいは行動を修正するような行いは「正妻」か「本命」だけに許されることなの。なぜなら、対等だから。だけど、二番手、三番手はそうもいかないのよ。男にとっての都合のいい女でなくちゃならないの。だけど、男って本当にわがままで、相手には従順でいてほしいけれど中身のない会話はしたくないものなのよ。つまり、反論は許さないけれど、適当に相槌を打たれても面白くない。賛辞は欲しいけれど、上辺だけの賛辞には心が躍らない。つまり、そういうこと」


学生時代よりもずっと磨きのかかった顔と仕草で、妖艶に笑った紫は「新聞を読んだところでその知識をひけらかす機会なんてないわよ。だけど、難しい会話でも意味が分かっていたら案外面白いものよ」と言った。人生を楽しむ為には意味のない時間を過ごしたくない。だからこそ、どんな時間でも楽しむ為のした準備としてあらゆる読み物に手を出すのだと、両目をきらきらと輝かせて微笑する。


だから私は、彼女のことを好ましく思うのだ。

大学を中退したときに両親とは縁を切ったと怒りさえ湛える瞳で語った彼女だが、なかなか重い人生を送っている割に卑屈さが見えない。

いつも前向きとは言えないが、暗い道を歩くときも彼女なら微かな光を見つけることができるだろうと思わせる何かがある。

そんな彼女が紹介してくれた村田だからこそ、何となく信じてみてもいいと思えた。

その相貌はどこか軽薄さが漂ってはいるのだけれど。


「それでねぇ。事前に郵送してくれたあれやこれやで、僕なりに色々調べてみたんだよね」


村田は喫茶店に現れたときに背負っていたリュックから、いくつかの資料を取り出した。

そして、預けていたノートやキーホルダーも返される。


「ノートの内容については……信憑性は置いておくにしても、ヒントはたくさん隠されてた」


本当は、兄のノートを預けることに抵抗があった。肉親である自分が目を通すのでさえ罪悪感が伴ったのだ。それを他人に見せる行いが正しいとは思っていない。兄がこのことを知ったら激怒するだろう。

だけど、そうなることを承知で、ノートを村田に託したのだ。


「それでねぇ、君の叔母さんの話しに出てきた「団体」については割りと早く目星がついたんだよね」


ひゅっと息を呑んだせいで、胸が痛む。

叔母と話しをしたその週末、事の顛末を紫に話した。彼女はうんうんと肯きながら、余計なことは一言も口にせず「こういうのはプロに任せたほうがいいよ」と村田を紹介してくれたのだった。

「叔母さんが危ないって言うなら、きっとその通りなんだよ。素人がたった一人で動いたって怪我するだけだよ」と、その場で村田に連絡をとってくれたのだ。

母と兄についてはなるべく正直に話しをしたつもりだが、それでも説明が足りたとは思っていない。

だけど彼女は、私が話した以上のことを聞きだそうとはしなかった。

ただ、私のことを心配してくれた。

嫌味な言い方をするならば、彼女は本当に人の心を掴むのが上手い。

実際私も、心を掴まれた一人である。


「きわこちゃんが当時住んでいた家の住所から、その近辺で活動していた非営利団体を調べて……お母さんの名前とか、親しくしていた知人とか? まぁ……もろもろの情報を集めて分析して、実際に足を運んだりして。そういうことをしていたら、いとも簡単に見つけられたわけなんだけど。

……お父さんには内緒なんでしょ?」

「あ、はい……」

「きわこちゃんは今、一人暮らしなんだっけ」

「はい」

「お父さんに聞けばもっと早く話しが進んだかもしれないんだけど」


責められているような気もしたけれど、その声はあくまでも淡々としていた。彼にしてみれば、ただ事実を口にしただけなのかもしれない。


「えーと、昔のパンフレットなら手に入ったから見てみるといいよ。いかにも真っ当そうな感じだよ。爽やかで明るい写真がいくつも掲載されてる。これだけ見るとさ、お金をかけたホスピスって感じかなぁ。実体はそんなもんじゃないけど」


渡された数冊のパンフレットは、大きめの広告を縦に折り曲げて小さくしたような、観光地のバス停などに置かれているものによく似ていた。

冊子ではないので嵩張らず、持ち歩きしやすいだろうなという印象を受ける。

テーブルの上に置かれていたコーヒーカップを端に避けて、渡されたパンフレットを開いた。

古いものだという割りには、一度も開かれたことがないような真新しい感触に少しだけ怯む。

破ってしまわないように慎重に広げると、そこには幾つかの写真が掲載されていた。


「……この世界には、神様なんていません……?」


妙なキャッチコピーに目を引かれる。

彼らはたしか、新興宗教団体を名乗っていたのではなかったか。

そうだとすれば「神はいない」というのは、矛盾しているような気がした。


「まぁ、それが気になるのは分かるんだけどね。彼らは偶像崇拝を否定しているだけなんだ……って、宗教観については難しいところだから端折らせてもらっていい? それよりもこっちを見て」


村田に指差された方を見ると、子供たちだけが納まった写真があった。

アスレチックのようなものに登って、こちらに向かって笑っているだけの何でもない日常を切り取ったものだ。卒業アルバムの中に並んでいる一枚だと言われても違和感はない。


「分かりやすく言うと、この団体はね児童養護施設を経営していたようなんだ」

「……分かりやすく言うとって?」

「うん、さすが。いいところに食いつくね」


村田は読めない顔をして、じっと私の顔を見つめていた。


「―――――ところでさ、聞きたいことがあるんだけど」


私の問いには答えず、今度はにっこりと笑う。どこかのショーウィンドーに並んだ陶器人形のようだ。

貼り付けたような微笑がそら恐ろしい。その一方で、聖母のような慈愛も見てとれる。

彼が人生経験豊富な大人だからだろうか。どうやら、対峙している相手に己の心情を悟らせないような術を知っているようだ。


「何十年も前に別れた家族を捜す理由って何? そんなに気になるものなのかな?」


背後で、カランカランとドアベルの鳴る音が響いた。

新しいお客さんが入ってきたのだろう。そのせいで自然と声を潜める格好になる。


「理由なんかないです。あえて言うなら『家族だから』気になる。それだけですよ」

「……ふうん」

「納得できませんか?」


首を傾げれば、村田はふっと息を吐き出した。


「ううん、本当は理由なんかどうでもいいんだけどね。これは業務の一環として聞いたわけではないから。ただ単に気になっただけ」


僕の家族は行方不明なんかじゃないし、身近にもそういう人間はいないからと続ける。


「僕にも妹がいるんだけどね。僕がもしも君のお兄さんと同じ立場だったとしたら、妹は僕を捜すのかなぁって考えちゃったよ」

「……捜すと思います」

「そうかな?」

「はい。だって兄妹ですから」

「兄妹だから、ね」

「はい」


向かい合って座っている二人の間に奇妙な沈黙が落ちる。村田は相変わらず笑みを浮かべたままだ。

だけど先ほどとはどこか違う。


「……まぁ、僕の好奇心も満たされたことだし、さっそく話しを進めていこうか」


テーブルに並べたパンフレットを見るともなしに眺めながら、村田は茶色に染めた髪を揺らす。一般企業に勤めている男性であれば「明るすぎる」と咎められる髪色かもしれない。

だけど彼のはっきりとした顔立ちにはよく似合っている。瞳の色も日本人にしては明るい気がするので、元々色素が薄いのかもしれなかった。


「ええと、それで……ああ、そうそう。この擁護施設なんだけどねぇ、親や親戚のいない子や何らかの事情で親元から離れて暮らさなきゃいけない子が入っていたみたいなんだけど」

「はい」

「この子達には一つの共通点があったんだ」

「……それってまさか、」


自分が誘拐されそうになったことを思い出す。

そのことは既に話しているので村田も私が何を思ったのか察しがついたのだろう。

けれど彼は首を振って「誘拐してきた子をこんなところに集めてたら、それこそ大事件になっちゃう」と笑った。


「この擁護施設の名前は『夢と希望と創造の家』って言ってね」

「夢と希望と創造……」

「ここに入っている子供たちの親は皆、この団体に所属していたみたい」

「そう、なんですか……、それじゃぁ託児所みたいなものなんじゃ……」

「ああ、そうだね。もしかしたらそれに近いかもしれない。けど、彼らは託児所みたいに帰れる家があったわけじゃなく、この場所こそが家だったんだ。そもそも迎えに来る親もいなかったしね」


村田は一つだけ息を吐き出して、再びパンフレットに視線を落とした。


「お兄さんのノートに」


そして、脇に置いていた兄のノートを手に取る。

パラパラと捲って、「街で出会った母の知人は、僕たちをとある建物に連れて行った。車で移動したのだが、自宅からはかなり距離があったように思う。母が傍にいることで安心しきっていた僕はすっかり寝込んでいて、そのことを、後からひどく後悔したものだ。僕はそのとき、自宅へ戻るための道順を確認しておくべきだった。だけど、いくら後悔しても既に手遅れだ。

全ては記憶の彼方に埋没してしまい、思い出すことさえできないのだから」と、淡々と読み上げた。


「この『とある建物』って言うのが、施設のことなんじゃないかと思うんだよね」


この建物のことを、兄は『美しく、荘厳で。御伽噺に出てくる白亜のお城に似ていると思った』と記している。

パンフレットを見る限り、お城ほどに豪奢な造りとは言い難い。

けれど、建物の白を基調とした色合いがそう見せたのかもしれないと思う。


「この建物の中で、同年代の子供たちを紹介されたとも書かれてるから。僕の予想は当たっていると思う」


村田は茶色の瞳を細めて、ふと視線を上げた。

笑っているように見える。だけど、何かを見極めようとしているようにも思えた。


「それでね……確認しに行こうと思っているんだ」

「……え?」


彼は今度こそ、可笑しそうに「ふふふ」と笑い、


「きわこちゃんも行ったほうがいいと思う。いつもは依頼人を同行させたりしないんだけど。君は特別だよ」と、立ち上がる。

そして、ささっと手際よく資料をまとめて鞄の中に突っ込んだ。


「この団体が一体何なのか、見極めに行こうよ」






















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