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「……4人目?」


私と村田が同時に発した言葉を正確に聞き取った岩淵さんは、戸惑った様子で首を傾げる。

けれど、私たちの只ならない雰囲気に気圧されたのか、それ以上追及することはなかった。

そして、これから夜勤なのと苦笑しつつも、早々に立ち去ったのだった。

それは多分、私と村田を慮ってのことだったと思う。私たちの表情を正しく読み取り、余計な真似をすることもなく別れを告げることを選んでくれた。

電話番号の書かれたメモを村田の手に残したまま。


公園に残された私と村田は互いの顔を見合わせて、大きく息を吐き出す。

彼も緊張していたのだろうかと、詮無いことを思った。

もしくは、現在進行形で、緊張を強いられているのかもしれない。

小竹洋介に関して、何でもいいから情報を得られたらいいと思っていたのは私だけではないはずだから。

村田は、私のように個人的感情によって動いているわけではないだろうけれど、それでも依頼された仕事を納めるには情報を得る必要がある。

だからこそ、岩淵さんに期待したのだけれど。

彼女によってもたらされたのは、予想もしていなかったことだった。

まさか、ここにきて4人目が明らかになるなんて―――――。


2人の間に落ちた沈黙が、事の重大性を証明しているようだ。

陽だまりの中にいるというのに、温もりとは無縁のところに居るような気がする。

やがて、「……とりあえず、電話してみようか」と、村田が小さな紙片をひらひらと振った。

周囲は子供たちのはしゃぎ声と、遊具の軋む音で喧騒に包まれているというのに、自分の喉がゴクリと音をたてるのが聞こえる。

村田は再びベンチに腰掛けて、何の躊躇いもなくポケットからスマホを取り出した。

私が掛けましょうか、という一言がどうしても言い出せない。

そういう、微妙な感情さえ分かっているのか、村田はただ1つだけ肯いて微笑みかけてくる。

それは年の功というよりも、ただ単に経験値の違いなのかもしれなかった。彼に出会ってから、何度もそのことを考えている。

私は多分、自分で思っているよりも随分、幼い。それが、どうしようもなく心許なかった。


「電話に出てくれるかなぁ」


彼が手の平の小さな機械に耳を澄ましていたのはたった数秒だったと思う。

「留守電だ」と、音を出さずに唇だけで短く告げてから、何事かを吹き込んだ。


「宗司君のことで話しがあるって言っておいたから、その内連絡が入るはず」


いきなり用件を告げても大丈夫なのかと、思わず背中に力が入る。

それをどう思ったのか、慰めるように私の肩に手を置いた彼は、


「周りくどいことをしている時間はないし……もしも、この電話番号の持ち主が宗司君を知らなかったとすれば、ただの間違い電話だと思って放置すると思う。もしくは、親切に『間違ってますよ』と教えてくれるかもしれない。そして、このジュンイチって人が宗司君を知っているなら、絶対に折り返してくれるはず」

そう言った。

なぜそんなに自信を持っているのか分からなかったけれど、結局、村田の言う通りになったのだ。

その日の夜、村田のスマホに着信があったのだと、後から説明された。


『いつか、こんな日が来ると思っていました』と。


その言葉を聞いたとき、村田はどう思ったのだろうか。

私はなぜだか、泣き出したい気分になって、強く両目を閉じなければならなくなった。

いつか、こういう日が来ると思っていましたと消え入るように笑った棚道の声が耳の奥に甦る。

けれど彼らが、「この日」を待ち望んでいたとは思えない。

逃げ出したくても逃げられず、逃げ場がなかっただけだろう。

なぜなら彼らを追いかけていたのは、人間ではなく、過去の記憶であり、幻影であるからだ。

きっと毎日を、少しずつ追い詰められていくような心境で、生きてきたに違いない。


それは一体、どんな日々だったのか。



*

*


「僕はね、4人の中で一番出来損ないだったんですよ」


日浦純一と名乗ったその人は、穏やかに笑う。

まさか自宅に招かれるとは思わず、村田に何度も確認してしまったけれど、どうやら間違いなかったようだ。

クリーム色の外壁が可愛らしい、欧米風の戸建て住宅だった。

小ぶりな門構えの向こうには、玄関まで続く階段があり、その1つ1つに鉢植えが置かれている。

玄関周りにも花が植えてあって、名前も知らないのに、花弁をほころばせているそれを見て春が近づいているのだと実感した。その横に、三輪車が停めてあるのに気付いて、彼が家庭持ちだということを知る。

それは決して、不思議なことではないが、なぜだか切ないような気分になった。

彼も……、兄もそういう年代なのだ。


「どうぞ、ゆっくりしてらしてくださいね」


キッチンが隣接しているダイニングへと招かれて村田と共に席に着くと、純一の奥さんがにこりと微笑んで、コーヒーを出してくれた。

事前に何か説明を受けていたのか、特に訝しがることもない。むしろ、歓迎されているような気もする。

奥さんは、「庭で遊んでるわね」と、フローリングに敷かれた絨毯に玩具を並べていた小さな我が子を呼び寄せた。

にこにこ嬉しそうな顔で母親の元へ走っていくその子の小さな後ろ姿を、純一は目で追っている。

一見、微笑ましく、何でもないような光景なのに。

その横顔が、痛みに耐えるような、もしくは吐き出せない息を呑み込むような苦しさを伴っていたから、思わず声を掛けそうになった。

けれど、こちらに視線を戻した彼は、今日が初対面とは思えないほどに穏やかな笑みを湛えていた。


「……さあ、どこから話しましょうか」


丸いテーブルには、大人用の椅子が3つと、ベビーチェアが1つ並んでいる。

普段はこのテーブルで食事をとっているのだろう。生活感の漂う室内に、彼も1人の人間であるということを教えられているような気がした。

「ここのお菓子、美味しいですから。遠慮なく摘んでくださいね」と、やはり微笑を浮かべていかにも高級そうなクッキーを勧められる。

頷きつつ、湯気の立つコーヒーをそれとなく眺めていれば、庭に面している大きな窓の向こう側から声が聞こえた。先ほど部屋から出て行った純一の奥さんと息子が手を繋いで飛び跳ねている様子が見えた。

声を張らない限り、互いの言葉は聞き取れないけれど、何事かを話しているのは分かる。


「最近、宗司君に会いましたか?」


そう切り出したのは村田だ。

その言葉に、つと顔を上げた純一は「ええ」と、迷う様子もなく告げた。

「……いつ?」

心の内に浮かんだはずの言葉が唇から零れ落ちる。慌てて「それは、いつですか?」と言い直せば、私の顔を正面から見つめた青年は「……君が、きわこちゃんか」と、呟いた。

そういえば自己紹介をしていないと、口を開こうとすれば、


「似てるね」と、言う。


私が誰なのか知っている口ぶりだ。

思わず村田の方を仰ぎ見れば、彼は黙ったまま首を振る。すると純一は、


「僕はね、いつかきっとこんな日が来るだろうって、ずっと想像していたんだ」と、既に聞いたことのあるセリフを口にした。

「だから……、僕の元には一体、誰が来るんだろう、どんな顔をしてやって来るんだろう、そして何を言われるんだろう、……そのとき僕はどうするんだろうって、何度も何度も想像していたんだよ」と視線を遠くに投げる。ぼんやりとした眼差しが、その苦悩を物語っているようだった。

睫の影が落ちた頬は痩せているわけでもなく、苦労など知らずに生きてきたかのように見えるのに、その表情はどこか諦めにも似たものを浮かべている。


「君は、宗司の妹だね?」


問われて、ただ肯く。声は、出なかった。


「もしかしたら……宗司の妹が来るかもしれないって想像しなかったわけじゃない。本当に来るとは、思っていなかったけれど……うん、だけどこれは想像の範囲内のことなんだ」


ふっと息を吐いたその人は、コーヒーカップを握り締める。

その姿には、岩淵さんが認めたような営業職の面影はない。

陰鬱な雰囲気を背負っているわけではないが、はきはきと物を言いそうな溌剌さもなければ、生き生きと商品説明をしそうな活力もなさそうだ。それは彼が普段着だからかもしれないが、スーツを纏ったところでその印象が覆ることはないだろう。

疲れているのだと、漠然とそう感じた。


「……その顔、」


静まり返った空気を震わせた声の持ち主は、どこか緊張している面持ちで、私と村田の顔を眺めている。


「僕が……いや、僕と宗司がどこで育ったのか……もう、知っているんですね?」


疑問文でありながら、肯定する必要さえないかのようだ。事実、純一は私たちの返事をきくこともなく、ゆっくりと語りだす。


「僕の連絡先は看護師さんから聞いたと言っていましたよね? つまり、洋介のことも知っているんでしょう。……それなら、高志のことも知っているんでしょうね」

「……高志?」

聞き覚えのない名前を復唱すれば、純一は1つだけ肯く。

「棚道高志です。彼はまだ「あそこ」に居たでしょう?」


首を傾げた純一に「ええ、そうですね」と返事をしたのは村田だ。

すると彼は、何かに納得したかのように再び頷いて「そうか、そうですね」と呟いた。

微笑を浮かべたままのその顔は、ひどく穏やかだというのに、それと同時に思いつめているような雰囲気もある。その様子を眺めていれば、彼は右手で、胸のあたりを抑えて細く息を吐き出した。


「僕は別に、隠れて生きてきたわけではありませんし、今だって隠れているつもりはありません。それはきっと他の3人もそうでしょう。だけど……」

「だけど?」

「僕たちは、意図的に会わないようにしていたんですよ」

「そう、なんですか?」


兄のノートを読めば、彼らがとても親しい友人同士だったことが分かる。

同じ施設で寝食を共にし、それこそ四六時中一緒に居たような4人だ。それはいわゆる兄弟と呼ばれる関係に等しいと、当事者でなくても想像がつく。

そういう関係は、大人になっても途切れることなく続いていくものではないだろうか。

例え疎遠になったとしても、全く連絡を取らないというのも不思議なことだ。


「それは、林に埋めた神様のことが関係していますか?」


努めて、何でもないことを聞いているのだという顔をした。

けれど、テーブルの下に隠した指先が大きく揺れる。それを抑えようとして、両肩に力が入るほどだった。

だから、よく震えずに言葉を発することができたと思う。言葉を一つ吐き出す度に舌が乾いていくような緊張感を伴っていたというのに、つっかえることなく声にすることができた。

はっと、息を呑むような顔をしたのは純一のほうで。

それでも、「そのことまで知っているんですね」と微笑を消すことはない。

ここまできてやっと、彼が平静を装っていることに気づいた。

動揺を悟らせないように、笑っているのだ。


「たった一日の出来事で、人生が大きく変わってしまう。そんなことがあるなんて、あの頃の僕たちは知らなかった。今日という一日を終えたら、また同じ明日がくる。……それが特別なことだなんて、思ってもみませんでした」


ふと、窓の外に視線を移した純一は、しゃぼん玉を飛ばして遊んでいる己の息子に目を細める。


「あの日のことを言葉にして説明するのは難しいですね。あの場に居た全員の顔を覚えていて、何を喋って、どんな行動をしていたのか順を追って思い出すことはできるのに、いざ言葉にしようと思うと……説明できない」


こちらに視線を戻した彼は、「だって、僕たちは……自分たちが何をしたのか、いまだに理解できていないのだから」と言った。

その顔を見つめていれば、顔に貼り付けたような笑みが消える。


「……高志はどうでしたか?」

「―――――棚道さん?」

「ええ、彼にも、聞いたんでしょう? あの……『神様』のこと」


注意深く彼を見ていれば、「神様」と口にするときにだけ視線が揺らいだ。ほんの僅かに、虹彩がぶれる。

それは彼の心中を、そのまま映し出しているかのようだった。


「棚道さん、は、」


説明しようとして言葉を失う。

あの洋館で棚道が私に何を言ったのかはっきりと思い出すことができるのに、今しがた純一が口にしたように、言葉にしようとした途端に喉を塞がれるような感覚に陥った。

それは多分、声に出すのが、恐ろしかったからかもしれない。


「……そう、そうなんですね」


まだ何も言っていないというのに、純一は私と村田の表情から何かを読み取ったようだ。

「彼は、見つけたんだ……」と呟く。

そして、テーブルに肘をついて、両手で顔を覆った。

今まさに、とんでもない出来事に直面したかのように。


「……見つけた?」


純一の言葉を咀嚼するかのように呟いた村田が首を傾げる。

けれど、純一は俯いたまま何も返事をしない。

代わりに、狭いとは言えない庭ではしゃぐ、幼い子供の笑い声が響いた。楽しくて仕方がなくて、この先に訪れる未来には暗闇などないと訴えてくるような声だ。


「答えを、見つけたんでしょう。あの日の、答えを」

「答え」

「ええ、そうです」


顔をあげた純一は、目元に影を落としていた。

赤く滲んだ目の端が、泣き出しそうになるのを必死に堪えているのだと教えてくれる。


「あの日僕はね、こう言われたんですよ。悪い神様がいなくなれば、きっと迎えに来てくれるよって」

「……迎えに?」

「ええ、そうです。だって僕達はずっと待ってたんだから。……誰かが迎えに来てくれるのを」


迎えに来てくれるなんてことは、ただの戯言だと気付いていたという。

だけど、何度も何度も、それこそ呪文のように言い聞かせられていたら、本当はそうなのかもしれないと思い始める。それこそ呪いのような言葉だったと語った。

それは恐らく、純一だけではないだろうと。


「きっと、僕たちそれぞれに色んなことを言って聞かせたに違いないんです。別々のことを、それらしく言って、その気になるように仕向けた」


子供たちは良くも悪くも純粋で、結局、大人たちの言いなりになるしかなかったのだ。


「夕暮れになるとね、いつもあの日のことを思い出すんです。はじめは、楽しかった。4人で林に入って……右も左も分からなかったけれど、大人が一緒だったから安心感もあった。そう、あれは冒険みたいだった……」


当時を懐かしむように双眸を緩めるのに、今にも涙が零れてしまいそうな顔をしている。

純一は、握っていたコーヒーカップを持ち上げて唇につけた。私と同じように、口の中が乾いているのだろう。

だけど、陶器と歯ががちりとぶつかるような音がして、彼の両手が大きく震えていることに気付く。

泣いてしまったほうが楽かもしれないと、そんなことを思うのに。かける言葉を見失っていた。

彼はそのままコーヒーを飲むことなく、カップをテーブルの上に戻す。

がくがくと震える右手を隠すように、左手で押さえ込みながら胸の前に持っていった。


「白い布に包まれた、大きな……とても大きな荷物が車から運び出されて、それを箱に詰めるように指示されました。あの瞬間まで、僕たちは、自分たちが何をさせられようとしているのか知らなかったんです。

―――――いや、その後もずっと、自分たちが何をしたのか知らずにいた」


しんと静まり返った室内に、純一の声が響く。

庭に出ているはずの彼の奥さんと息子は、どこか離れた場所に移動したのか、姿が見えない。


「……本当に?」と、話しの続きを促したのは私で「棚道さんも確か、同じようなことを言っていたと思います」と続けたのは村田だった。

純一は、テーブルの一点を見据えたまま何度か口を開く。

何事かを言い淀んでいるような印象を受けた。


「―――――白い布の端が、少し汚れていたんです」

「汚れていた?」


確認するように問えば、純一はそっと肯く。


「既に日が落ちていたから、黒くくすんで見えました。だけど僕は、あまり気にしなかった。何せ、林の中でしょう? 泥か何かでもついたのだろうと、誰かに確認することもなく……それを、見なかったことにした。あの、大きな木箱を土の埋めた後、林の獣道を辿りながら……そのことが、何度も頭を掠めたのに……思い出さないように努めたんです。あれは、何でもない。何でもなかった。きっと、気のせいだ。見間違いだ」


頭の中で、聞いたこともない少年の声が再生される。

見間違いだと何度も繰り返す、怯えて、震えて、怖がっている子供の声だ。


「あのとき、宗司が道の途中で何かを見つけて、高志とその場に残ったんです。何分か後に、僕たち……僕と洋介に追いついたんですけど、宗司は……様子がおかしかった。でも、誰もそれを指摘しなかった……いや、違いますね。指摘することができなかったんだ」


怖かったから。と、純一は胸に添えていた右手を強く握り締める。

それから全員で施設に戻り、お風呂に入って、すぐに布団に入ったのだと言った。

そのときまで、誰も、一言も発さなかったのだという。


「だけど、眠れなくて。多分、全員がそうだったと思います。いつもは施設に居るはずの……美里さんも、いなくて。それがひどく、不安を煽ったから……」


そして、その不安は的中していたのだ。


「そしたら、洋介が言ったんです。……俺たち、約束をしないかって」


学校の教室みたいな広い部屋に、布団を並べて眠っていた。他の子供もいたけれど、寝静まっている。

だから、1つの布団に集まって、円を描いて座り込んだのと覚えている。と、話す。

目を閉じれば、その光景が目の前に浮かぶようだった。

思いつめた顔をした4人の子供たちが、互いに手を繋いで顔を寄せ合い、ひそひそと言葉を交わす。

強く握り締めた指の先は白く染まり、冷たく冷え切っている。その緊張感や、よく分からない焦燥に胸が迫った。当事者でもないのに、心臓が脈動を早める。


「幸せになった人間を恨まない、幸せになった人間を憎まない、幸せになった人間の邪魔をしない」


それを諳んじたのは純一ではなく、村田だった。

だけど、私も彼と同じようにはっきりと記憶している。

棚道の教えてくれた約束が、強烈に頭に焼きついたのだ。


「……そう、そうです。よくご存知ですね。高志が、教えたのかな」


だけど、その約束はそれで全部ではありません。と、純一は再び視線を外した。

誰もいなくなった庭には、優しい太陽光が降り注いでいる。真冬のように柔らかすぎず、真夏のように強烈ではない、ちょうどいいくらいの陽射しだ。


「その3つの約束を決めたのは、宗司です。だけど、その前に、洋介が言った言葉がある」

すう、と息を吸った彼の呼吸音がよく聞こえた。

耳を澄まさずともその声がはっきりと聞こえる距離感に居るというのに、息を止めずにはいられない。

ただの一言も聞き漏らしたくなかった。

純一も恐らく、しっかりと聞き取って欲しかったのだろう。それまでとは少し声色を変えて、はっきりと告げる。


―――――俺たち4人の中で、誰か1人は絶対に、幸せになる。


「そう約束しようって」

「……4人の中で、誰か、1人だけ……」


それはあまりに謙虚すぎる。誰が聞いてもそう思うだろう。だから、思わずそれを口にしようとしたけれど、純一に阻まれた。


「あのとき既に、分かっていたのかもしれません。全員一緒に幸せになることなどできないと。

自分たちが何をしたのかさえよく分かっていなかったのに、とんでもないことをしでかしたのだという強迫観念のようなものはあった。だからこそ、思ったのでしょう。

このままでは多分、自分たちは正しい道を歩いていけないと」


そして、おもむろに立ち上がる。


「僕たちは、自分たちの行いを確認したわけではないんです。誰も、口にしなかったから。

あの箱に納めたものが何なのか、自分たちは一体何を埋めたのか、大人たちが僕たちに何をさせたのか、確認することはなかった。

……何でか、分かりますか?」

「……」

「はっきりと知るのが、怖かったんです。ただ、それだけ」

「……」

「知りたくなかった。知ってしまっては、もうどうにもならないと分かっていた。僕たちは子供だったけれど……何も分からないほど幼いわけではなかった。だから、あえて目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤んだ」


それでも拭いきれない恐ろしさを払拭するために約束を交わしたのだ。

誰か1人であればきっと幸せになれる。それを信じて、生きていく必要があった。


「それなのに、僕は今でも考えることがあります。あのときもしも、誰か1人でも……真実を暴く勇気があったなら。現実に立ち向かえる強さがあったなら。僕たちはきっと、今よりももっと、楽に生きることができたんじゃないかって」


林の中の暗い道を辿って、埋めたものを掘り起こして、中身を確認すべきだった。

こんな風に、得体の知れない恐怖を抱える前に、自分たちが向き合わなければならないものをしっかりと見極めるべきだった。と、純一は背を向けて、部屋の隅に置かれたオープン棚の前に立つ。


「正体の分からないものほど、恐ろしいんですよ。きっと、そうに違いない―――――」











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