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つい先日までは雪の中を歩いていたというのに、やけにいい日和だった。

ウールのコートで歩いていると汗ばんできそうだ。

そんな日に村田が指定した待ち合わせ場所は、小竹洋介が入院していた病院近くの公園だった。

そこは、電車とバスを乗り継いで二時間ほどで行ける距離の、近くはないけれど遠いとは言えない場所だったと思う。


「―――――はじめまして」


広い公園には子供たちの好みそうな遊具が点在し、家族連れの姿が目立った。

空気中に漂うのは心地良い風と子供たちの笑い声だ。

ジャングルジム、滑り台、シーソーという、恐らく小学校の校庭に並ぶのと同じような遊具があるだけだというのに、子供たちは気にしている様子もなく、むしろ楽しそうだ。

見える景色が違えば、気分も違うものなのだろう。

薄い雲の浮かぶ青空の下に広がるのは、何とも穏やかな日常で、目に眩しいほどだった。


「貴女、きわこって人?」


端の見えない広い公園に、ぽつぽつと置かれたベンチの1つ。そこに、その人は腰掛けていた。

体の形に添う、ほっそりとしたコートは流行のものとは違ったけれど、きっちりと髪をまとめた彼女にはよく似合っている。服を着こなしている、といった感じだ。

事前に、村田から聞かされていたので「岩淵さんですか?」と問えば、にこりと微笑を浮かべる。

そこに、示し合わせたように村田が姿を現した。

私と彼女が顔を合わせるところから、どこかで見ていたのだろうか。

こんなに開けた場所で隠れる場所などないから、私が気付かなかっただけで、もしかしたら最初から近くに居たのかもしれない。

でなければ、岩淵という女性が私の名を呼ぶはずがないのだ。

だって、この待ち合わせ場所を指定したのは村田であり、彼女と連絡を取っていたのもまた彼であるのだから。

すなわち、彼女が私のことを確認するなら「村田さんの、お連れの方ですか?」が正しいのではないか。

もしくは「村田さんからお伺いしておりました」から始まるのが普通ではないだろうか。

まぁ、そのあたりは個人によって異なるとは思うけれど、私の顔を見た途端に「きわこ」という名前が出てくるのは少しおかしい気がする。


「とりあえず、座って話しをしようか」


そう提案したのは村田で、挨拶もそこそこに本題へ入った。


「岩淵さんは、小竹洋介さんのことをよく知っているんですか?」


切り出したのもまた、村田だ。岩淵さんを真ん中に挟んで、横並びで座っている。

「よく知っているというか、まぁそれなりに……」

困ったような顔をして手元に視線を落とした彼女の横顔にはどこか寂しさのようなものが感じられた。

看護していた人間が亡くなったのだから、その人のことを忍んでいてもおかしくない。


「亡くなったというのを、聞いたんですが……それは一体、いつ頃のことですか?」


今度は私がそれを、彼女に確認する。

岩淵さんと会うことを聞いていたからこそ、いくつかの質問を用意してきた。今度ばかりは、村田だけに任せるわけにはいかないと思ったのだ。

これは、「私のこと」だから。

私が自分で聞いて、答えを得なければならないと考えた。本当は初めからそれくらいすべきだったのだけれど、多分、色々な意味で覚悟ができていなかったのかもしれない。

だからこそ、ここまでの道程を、他人任せにしてしまった。


「そうね、三、四週間くらい前かしら。つまり……一ヶ月は前ね」

「―――――一ヶ月?」


想像していたよりも、かなり前だ。

日付を確認するまでもなく、小包が手元に届いた日よりもかなり前であることが分かる。

身を乗り出して村田の顔を確認すれば、彼もどうやら同じことを考えているらしい。ちらりとこちらを一瞥して再び前を向き遠くを見据えた。


「……荷物が、届いたんです。小竹さんから」


子供たちの笑い声の隙間を縫うように告げれば、岩淵さんはさして驚く様子もなく1つだけ肯く。

そして、「それ、私が出したの」と、さして重要なことではないかのようにさらりと教えられた。


「小竹さんがね、自分にもしものことがあったときにはこの小包を出しておいてほしいって言われていたのよ。だけど……本当に申し訳ないんだけど、自分のロッカーに入れたまま忘れていて……」


本当にごめんなさいと、罰の悪そうな顔をする。

自分の身近に看護師が居るわけではないけれど、彼女が激務をこなしているだろうことは想像ができたのでそれを責めるつもりはもちろん、ない。

そもそも小竹洋介に依頼されたことは、あくまでも「お願い」であり、強制されたことではないはずだ。

彼女は善意で、荷物を受け取ったのだろう。

そして、それはつまり、村田の推測は正しかったというわけだ。

小竹は他人に荷物を預けるからこそ送り主のところにきちんと自分の名前を記した。そこに知りもしない人間の名前が書かれていたなら、きっと岩淵さんは不審に思うだろう。

わざわざ住所や電話番号まで確認することはないだろうけれど、名前くらいは目に留まるはずだから。


「……小竹さんは、天涯孤独という感じで……、ご友人の方がお見舞いに来ていたけれどそれだけだったの。だから、かわいそうねって同僚と話しをしたりしていたのよ。噂の種にするのは失礼なことだって分かっていたんだけどね……けど……そうねぇ、彼がもっと年配の方だったら、そういうこともあるだろうって納得したかもしれないわ。

家族と疎遠になっているとか、友人とは何か事情があって連絡が取れないとか、親戚とは連絡すらとってないってことも珍しくないし。

……でも彼は……あんなにお若いのに。ご両親さえ顔を出さなかったから。

いえ、ね、聞いてみたんだけど……親はいないって言うでしょう?」


質問しているような口調なのに、私や村田に聞いているというよりは自分自身に問うているようだった。


「寂しい方だったわね」と、ぽつりと零す。


「本当はね、規則上、患者さんから個人的に何かを受け取ったりはしないんだけど。

……ほら、金銭の受け渡しがあったなんて誤解を招くようなことはすべきじゃないしね。

そういうのは後々、トラブルになりやすいのよ。

だけど彼には、他に誰もいないようだったし、どうかお願いですって頭を下げるものだから。看護師としてではなく、あくまでもただの知人としてあの荷物をお預かりしたのよ」


送り先の宛名が女性だったから、もしかしたら彼の大切な人かもしれないって思ったし。ね。と視線をこちらに向けた。

「彼女には自分の病気のことを伝えていないんだろうって、勝手に想像して。ええ、そうね……何だか、悲しい恋愛映画を見ているような気分になって。本当に……」

尻すぼみになった声が震えた吐息に消される。

小竹洋介と彼女がどのような関係を築いていたのか知らないが、互いを信頼できるほどには近しい存在になっていたのかもしれない。

彼女がきっと、自分の託した荷物を送ってくれるだろうと。確信を持って、依頼したのだ。

実際、その通りだった。


「……私、小竹さんには会ったこともないんです」


彼女の想像を打ち消してしまうようで申し訳ないが、変な誤解を与えたままなのも心苦しい。

思わず訂正を入れれば、


「……ええ、そうね。貴女の顔を見て分かったわ。私も長年「女」をやっているんだもの。貴女たちの関係が色気のあるものじゃないことくらい分かるわ」


ふふ、と力なく笑う。

そういうものなのだろうかと納得していると、村田がさりげなく本題へと誘導する。


「さっき、友人の方が見舞いに来ていたと言っていましたね?」

「……え? ええ」


予想外の問いだったのか、岩淵は少し奇妙な顔をしていた。けれど、誤魔化すこともせずに肯く。


「名前とか、ご存知ですか?」


重ねて問えば、ますます訝しげな顔をして黙り込んだ。

彼女はあくまでも「小竹洋介」の話しをするために、ここへ来たのだろう。それが、唐突に第三者の話しを持ち出されて戸惑っているのかもしれない。


「詳しい事情はお話しできないんですが、岩淵さんにご迷惑はかけないとお約束します」


村田が真摯な顔つきで言うけれど、相変わらずの派手な柄シャツのせいか説得力に欠ける。

岩淵さんも視線を外したまま、何かを考え込んでいる様子だ。

けれど、ふっと顔を上げて私と村田を交互に見比べる。


「……いえ、迷惑がかかるとか、そういうのはある程度覚悟していますから」


村田さんのことはよく知りませんが、貴方の上司には昔お世話になったのよ。と困ったように笑みを浮かべた。「でも、ごめんなさい。そうね、今……貴方がたのことを疑ったかもしれないわ。怪しい人かもって」と、吐息を飲み込むような素振りを見せる。

そして、


「名前は知らないのよ」と言った。


看護師の間では「妖精さん」と揶揄されていたのだと。

挨拶くらいはするけれど、大抵が、いつの間にかお見舞いに来ていて、知らない内に帰っている。病室にその人の居た気配は残っているけれど、小竹本人に聞いてみれば「今、帰っちゃったよ」と笑う。そういうことが続いたので、本当は存在していないのではないかという話しになったのだとか。


「私たちもね、小竹さんのご家族なら病状の説明なんかで話しをする機会もあっただろうけど……ただのご友人であれば、やっぱり挨拶程度になっちゃうから。個人的な話しをしたことはないわね」

「そう、なんですか」


村田には「過度な期待はしないように」と言い含められていたにも関わらず、落胆を隠すことができない。

その「友人」なる人物が、兄のような気がしてならないからだ。


「小竹さんが亡くなったときもね、確かにその場に居たんだけど……いつの間にかいなくなっていて」


ただの友人であるから、小竹洋介が危篤になったからといって連絡を入れたわけではない。

それなのに、容態が急変したそのとき、まるで予想していたかのようにその場に居合わせたのだと言った。


「特別親しいお友達のようだったから、もしかしたら虫が知らせたのかもしれないわね」


感心したように目を細める岩淵さんとは違い、「特別親しい友人」というところに温もりよりも息苦しさのようなものを感じる。

彼らと面識があるわけでもなく、顔さえも分からない。赤の他人よりももっと遠い場所に居るような錯覚を覚えるのに、そう思ってしまうのは、ほんの少しだけ彼らの境遇を知っているからなのか。


「―――――他には、誰か見舞いに来たりしませんでしたか?」


おもむろに立ち上がった村田がジャケットのポケットに両手を突っ込んで、岩淵さんの正面に立つ。

そんな彼の顔を見上げながら彼女は首を傾いだ。筋の浮いた細い首に、本当は見かけよりもずっと痩せているのかもしれないと思う。


「誰かとは……ええ、と……?」

「小竹さんの見舞いに来ていたのは、そのご友人だけですか?」

「ええ、そう……あ、」


はっと目を開いた岩淵がハンドバックを膝の上に置いて、中を漁り始める。

どこか焦った様子のその姿に、何事かと、村田も前かがみになって彼女と一緒にバックの中を覗きこんだ。

やがて折り畳みの財布を取り出した岩淵さんは、それを広げながら、


「1人、お見舞いに来たわ」と言う。


その言葉に意識を奪われる。吸い寄せられるように、彼女の手元を見つめた。

「あった、これ」

お札入れのところから取り出したのは小さな紙きれだ。

それを村田が受け取る。


「―――――電話番号?」


そう言いながら、私にも見せてくれた。

そこには確かに、携帯の番号らしき数字が並んでいる。


「小竹さんが亡くなる一週間くらい前だったかしら。彼の病室の前に、男性が立っていてね」


仕立てのいいスーツを着ていたから印象に残っているのだという。

まるで病院に営業へ訪れた製薬会社の人みたいだったと岩淵さんは目を細めた。

会社帰りにお見舞いに来たというなら、そういう格好も有り得るだろうが、時刻は昼過ぎで。見舞いというには浮いている。やはり新人の営業が迷い込んだのかと、声を掛けようとしたそのとき。


「小竹さんをいつもお見舞いに来ていた人が……あの、妖精さんがね、通りかかって……掴みかかったの」


それはそれはすごく剣幕だったと、続ける。


「私はその人の声さえまともに聞いたことがなかったから、びっくりしちゃって。ほら、さっきも言ったけど、挨拶程度の仲だったし。あんなに長い文章を喋れるんだって、妙に感心したのよ」

「……何て、言っていたんですか?」


問えば、しばらく考え込んだ後、


「今更何しに来たんだ! 帰れ! お前の来る場所じゃない! とか?」


視線を彷徨わせながら、1つ1つの言葉を区切るようにして声を張る。そのときの声音を再現しているのだろう。


「それはあんまり穏やかじゃないですね」


村田は苦笑しながら、岩淵さんに渡された小さな紙を指先で摘んで陽に透かしている。意味があるわけではなく、手持ち無沙汰なのだろう。


「ええ。今にも殴りかかるかと思ったわ」

「……でも、殴らなかった?」

「そう。結局、あの……こういうとき名前を知らないと不便ねぇ……、小竹さんのお友達が病室に引っ込んじゃったから」


いかにも営業マンらしい男性は廊下に取り残されたらしい。

そして、ふと岩淵さんの存在に気付き、


「その電話番号を渡されたの」


え? と声を上げたのは私で、村田は「なるほど」と肯いている。

今の流れで、どうして電話番号を渡されることになったのか分からない。村田は分かっているのだろうかと、彼の顔を見上げれば、眉間に皺を寄せていた。


「……もしも小竹さんに何かあったら、連絡がほしいって言われたのよ」


しかし、その人が本当に小竹洋介の知り合いか分からないし、つい先ほどまでのことを考えれば素直に「はい」とは言えない。何せ、小竹の元に頻繁に顔を出す男が、全力で拒絶した相手だ。変な輩とも限らない。

逡巡していれば、

『洋介に確認をとってみて、もし駄目だって言ったら、この番号は捨ててくださって構いません』と彼は言った。


「それで、つい受け取っちゃったのよね」

「……」

「だってね、泣きそうな顔、するんだもの」


かわいそうになったのよ。と岩淵さんは、小さく息を吐いた。

「駄目ねぇ。年を取ると。何でも感傷的に捉えちゃうのよね」


ふと落ちた沈黙の間を、子供たちがすり抜ける。村田を押し退けるようにして走っていくその後ろ姿に、兄のことを思った。

兄も、兄の友人たちも、あんな風にはしゃぎまわって遊んだりしたのだろうか。

ノートには、林の中で虫を捕って遊んだと書かれていた。追いかけっこをしたとも。

文章だけを追えば、そこには何の苦しみもなく、昔を懐かしんでいるだけのように思えるのに。

今、もう一度あのノートを見たなら、そこに書かれているのはただの思い出だけではないことが分かる。


「それで、小竹さんには……?」


バックの中に忍ばせている兄のノートに思いを馳せていると、村田が岩淵に問うた。


「ええ、もちろん言ったわよ。……だけど、あんまりいい顔をしなかったわね。やっぱり、電話番号は捨ててほしいって言われちゃって……」


そのまま、捨てるのを忘れて財布の中にしまっていたのだと言う。

個人情報にあたるから、病院内でうかつに捨てることもできないし、自宅で燃えるゴミにでも出そうかと考えていたと。


「……小竹さんと、その男性は……一体、どんな関係だったと思いますか?」


この場で、実際に彼らを見たことがあるのは岩淵さんだけだ。その目で見て、どんな関係に見えたのか知りたかった。話しを聞くだけでは、険悪な仲のように思える。だけど、本当にそうなのだろうか。


「よく分からないっていうのが正直な感想ね」

「―――――喧嘩していたのに、ですか?」


仲が悪いように見えたわけではないということなのか。


「ええ、そう。あの……ええと、あの人……何て言ったかしら……じゅん、うーん……」

こめかみに人差し指を当てて難しい顔をした岩淵さんは、


「じゅんいちっ! そうそう、ジュンイチって言ってたわ」と、私の手を掴んだ。

突然のことに戸惑っていれば、彼女は僅かに相貌を柔らかくする。

「電話番号を渡してきた彼の名前は、そう。……ジュンイチよ」


「ジュンイチ」


村田がその名を口の中で転がすようにして言った。


「そのジュンイチさんがね、小竹さんに伝言を残していったの」

「伝言?」

「そう、伝言よ」


何て? と聞きたかったのに、声にならずに口の端から空気が漏れる。

岩淵さんはきっと、己がどれほどに重要なことを口にしようとしているか気付いていないだろう。

だけど、私と、恐らく村田も分かっている。

今、この瞬間、私たちを取り巻く空気が重みを増した。


「―――――約束を守ってくれて、ありがとうって」


それを聞いて、小竹さん、泣いちゃったのよ。と、彼女は言った。


「怒ってるわけじゃなかったと思うの。でも、ただ単に悲しんでいるわけでもなかったと思うのよ。だって、小竹さん、何だかほっとしたような顔をしていたもの」


そして、私と村田は唐突に、理解する。



「4人目だ」


私の兄、棚道、小竹洋介、そして、ジュンイチ。

林に神様を埋めに行った、4人の内の、最後の1人だ―――――。








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