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小竹洋介なる人物を捜し出すには、さほど時間はかからないだろうというのが村田の見解だった。

どうやら彼には心当たりがあるらしい。

家に届いた小包の伝票を写真に収めて村田に見せたのは私自身であるが、さも小竹洋介を知っているかのように話しを進める村田に首を傾げる。

彼のことを知っているのであれば、わざわざここまで足を運ぶ必要などなかったはずだ。

直接洋介に会いに行って、兄の居場所を聞けばいいのだから。

そんな疑問が顔に出ていたのか、村田は、


「いや、僕も小竹洋介の居場所を知っているわけじゃないし……、だけど、名簿から割り出した彼の住所から、色々推察できるんだよ。これは多分施設に入る前の住所で、今だってきっとそこには住んでいないだろうけど、この住所がもしも本籍だったとしたら、彼を捜し出すのが随分楽になる……、それに彼は多分……」と、視線を遠くに投げたまま答えた。

何か考え事をしているようで、つらつらと言葉を並べながらもどこか上の空になっている。

それは、ほとんど独り言に近かった。だから、はっきりと聞き取ることのできないくぐもった声に耳を澄ませる。

けれど、それもほんの少しの間だけだった。

考えがまとまったのか、ぼんやりとしていた眼差しは霧散し、光を取り戻した双眸が私の顔を見据える。

その視線は、しっかりと焦点を結んでいた。

そして、ぽつりと告げる。


「……きわこちゃんへのお願いは、」

「はい」

「……できれば過度な期待はしないでほしいってことかな」


つまり居場所を突き止めたところで会えるかどうかは分からないということだろう。

昨今は個人情報の保護が声高に叫ばれているし、相手があえて身元を隠していることも考えられる。

そういう場合、居場所を突き止めることによって何らかの事件を誘発することにもなりかねない。


「彼らは犯罪者ではないけれど、特殊な環境で育ったようだから……それを周囲の人間に知られないように生きている可能性もある。僕たちは確かに、君のお兄さんを捜すという目的で動いているけれど、だからといって誰かの人生をぶち壊すような権利もない」


それに、小竹洋介の場合、あの得たいの知れない団体から身を隠している可能性もあった。

もしも彼が未だに団体に所属したままなのであれば、私たちが洋館を訪ねたときに姿を現していてもおかしくない。

私は彼の顔も背格好も年齢さえよく分からないけれど、彼はきっと私のことを知っている。

なぜか、そんな確信があった。

そして多分、ICレコーダーを手にした私が、小包の送り主を捜し出そうとすることくらいは予測できたはずだ。……もしかしたら、それを期待していたのかもしれないとさえ思う。

だからこそ、姿を見せなかったというのはつまり、あそこには居なかったということなのだろう。


「きわこちゃんも、分かっているとは思うけど」

「……はい。そうですね、それは、確かに……そうかもしれません」


誰かの人生をぶち壊す権利はない。

その言葉にはっと胸を掴まれたような心地になる。それは確かにそうで、間違いではない。むしろ正しいことだと言えるだろう。

だけど、それなら、私はどうなるのだろうという想いも過ぎる。

母と兄を奪われた。それなのに、何の権利も与えられないのかと。

そもそも小竹洋介がどの程度、私の兄に関わっていたのかさえも分からない。だけど、レコーダーに吹き込まれていた音声からすると、彼は兄と「ある約束」を交わしていたことが分かる。

そしてその約束が、棚道の言っていたものと同じなら。

小竹洋介もきっと、林に神様を埋めに行った子供たちの内の1人なのだろう。

村田だって、それに気付いているはずだ。


「……きわこちゃん?」


だけど、そんなことを口にしてもしょうがないとよく分かっていた。だから、そっと肯くに留まる。

先方に了解をとってからの面会になるので、もしかしたらもう少し時間がかかるかもしれないということだった。彼の提示した一週間という期間が短いのか長いのか私には判断できない。

きっと短いのだろうとは思うけれど、気が急いている今は、やけに長い日数のような気がした。

考え込んでいると、その沈黙をどのように受け取ったのか、村田が「その間、きわこちゃんはお留守番ね」と念を押す。家から出るな、ということではないだろうが、勝手な行動をとらないように釘を刺したようだ。

「分かっています」と頷きつつも、思わず反論しそうになるのは、何もできないということがこれほどにもどかしいことだとは思わなかったからだ。

これまでの人生で、これほどまでに兄の存在を感じたことはなかった。

もしも本当にその手を掴めるのだとすれば、何が何でも、この手を伸ばすべきだと思うからこそ、待っていることしかできないこの状況が歯痒いのである。

それを誤魔化すように口をついて出た言葉は、ただの弱音で。


「……村田さん、私、兄になんて言えばいいですか?」

「ん?」

「兄を見つけたとして、一体、何を言えば……」


ただ単に感動的な再会になるとは思えない。

母のことを置いておいたとしても、私は兄の顔を見て平静でいられるだろうか。

そこに湧き出す感情は、果たして肉親への情だけだと言えるのか、自分でも分からない。


「それは僕には……決められないかな」

「はい、」

それは当然だ。馬鹿なことを聞いたと、自分でも分かっている。


「だけど、ただ、言えばいいと思う」


そっと吐き出した私の息を追いかけるような速度で、村田はきちんと答えを返してくれた。


「捜したって」


それで、言えるならこう伝えればいいと微笑する。


「待ってたよって」


それだけで全部伝わると思うよ、と言われて、泣き出しそうになるのを堪えなければならなかった。

『待ってたよ』

それは、これまでの人生で、ただの一度も言葉にはできなかった想いだ。

そして、絶対に口にしてやるものかと、強く否定してきた言葉でもあった。

誰も帰ってこない玄関に座り続けて、母と兄を待っていた幼い頃の自分。

その姿を思い出す度に胸を締め付けられるような感覚になる。己のことだというのに、小さな女の子が足を抱えて座り込む様子はひどく寂しいものだと思う。

帰って来ないと分かっていたなら、早々に諦めることができただろう。

だけど、私は随分長い間、待ち続けていた。

居間に置かれたテレビの声は届かないし、音楽を聴くような機材もない。しんと静まり返った土間に、自分の吐息だけが響く。そのことを、はっきりと覚えていた。

時々遠くから聞こえるのは、玄関の外を通る自動車やバイクの音だけだ。

その音に耳を澄まして、もしかしたら、その自動車を降りて2人が帰って来るのではないかと空想してみたりして。

それがますます寂しさを助長させた。


「……そうですね、それもいいかもしれません。言ってみます。兄に会うことができたなら」


そうだ。きっと棚道が言っていた通り、あの頃の私は、何1つ疑っていなかったのだろう。

迎えに来ないなんて、思ってもいなかった。

帰って来ないなんて、想像もできなかった。

二度と会えないなんて、そんなことが起こるはずはないと信じていた。

だから、そう。


―――――待ってた。


私は多分、ずっと待っていたかったのだ。



*

*


一週間待つようにと言われたので、カレンダーに丸をつけて覚悟を決める。

連絡が入るまでは、普段と変わりない生活を送るように心がけた。

この数日間に起こった出来事は、これまでの生活からは想像もできないようなことで、精神的な負担も大きかったと思う。

想像もできなかったことがたて続けに起こったのだから当然だ。

村田というよく知りもしない人間と行動を共にしたことも、疲労を呼んだ一因だろう。

初対面の人間の前では、多少なりとも緊張するし、警戒心だって抱く。

そういう決して普通とは言えない状況の中で、更に、あんなことが起こっては。


私は、父子家庭というある種、特別な環境で育ったわけだが、それも世間一般の感覚からすればさして珍しい。現代社会においては特にそうだろう。

母と兄のことを、初めからいないものとして扱ってしまえば、私はごくごく普通に育ってきたと言える。

母親代わりとなる人が居たからこそ尚更、そうだ。

そんな普通の生活を一変させた、あの小包。

「あの小包」が届かなければ、村田のような調査員に知り合う機会もなかったと言える。

年齢が離れているので、ただの友人として誰かに紹介されることもなかったに違いない。

友人の紫だって、こういう事態が発生していなければ、村田のことを話題にすることさえなかったと思う。

彼女は、自分のお店に来るお客さんについて軽々しく話しをしたりはしないのだ。

そうやって考えれば、本当に、この短い期間でこれまでの人生を一変させるような出来事が次々に起こっていたと言える。

だからこそ、あえて日常を取り戻す努力をする必要があった。

このままだと、何もかもが変わっていく。私にはそれを止めることができない。

なぜかそんな気がして、ひどく恐ろしかったのだ。

自分の置かれている環境もそうだけれど、自分自身も、何かに塗り替えられていくようだった。

確かに、これまでの人生でも「自分を変えたい」と思ったこともあったけれど、こんな風に己の意志とは関係なく「変えられ」たかったわけではない。

人が自分を変えようとするとき、もがき苦しむものだと叔母は言っていた。


―――――苦しいのは、辛い。


できることなら何も変えたくないと、そういう想いが過ぎる。

朝起きて、仕事に行って、余裕があれば友人と買い物に出かけたり食事をする。そういう毎日を取り戻すべきだと考えた。

これまでの自分を見失わないように、努力すべきだと。


けれど、村田から連絡が入ったのはわずか三日後のことだった。


『見つけたよ』


あっさりとそう告げた村田は、待ち合わせ場所を指定するとすぐさま電話を切ろうとする。

思わず引き留めてしまったのだが、私の依頼とは別に人から頼まれごとをしているらしく「すごく忙しい」と溜息を吐く。

普段の陽気さは一切なく、確かに、息切れさえ聞こえそうなほどの疲労が滲む声だった。

私の依頼を破格の値段で受け入れたツケが回ってきているのではないかと思う。そもそも彼は、休日を返上して仕事をしている節がある。

何だか申し訳ない気分になって言葉を探していると、彼はおもむろに呟いた。


『きわこちゃん、ごめんね』と。


『本当は会ったときに伝えようと思ったんだけど、君にも心の準備が必要だと思うし……先に話しておくね』

「―――――はい、」

『これだけは僕にも……どうにもできなかった。あのね』


小竹洋介は、亡くなったんだって。


胸の辺りを強く握り締める。服の上からでも、心臓の動きがよく分かった。

言葉を失う。何ひとつ、出てこない。

電話の向こうの村田はそれが分かっているのか、淡々と話し続ける。


『レコーダーの音声、途中で何度も咳き込んでたでしょ? あれは、ただの風邪なんかじゃないって、そんな感じがしたんだ。親戚がね、同じような病気で長いこと入院してたから。結構な、重病だよ。だから、本名さえ分かれば、彼が入院しているはずの病院を特定できるんじゃないかって考えた。そして、あの名簿の住所から……、もしかしたら、小竹洋介はかつて住んでいた街に帰っているかもしれないって思ったんだ。自分が、もしも不治の病だったとして、最期にどこで過ごしたいのかと考えれば……何となく分かる。きっと、幼少期を過ごした最も思い出深い場所だろうって。まぁ、それはただの勘だし、いいお医者さんの居る病院を選ぶ人も多いだろうから……当てにはならないだろうけど、捜してみる価値はあると思った』


そして村田の予想はおおむね正解だったということだろう。


『だけど今は本当に、「誰か」を捜すのが難しいね。正当な手段で個人情報を探るのは至難の技だよ。まぁ、僕らみたいな人間にはツテっていうものがあるから何とかなるものなんだけど。それに、ネット社会のおかげで情報だけは溢れているし……』


本当に欲しい情報はなかなか手に入らなかったりするんだけど。と息を吐いた村田が黙り込む。

これまでずっと無言だった私の反応を探っているのかもしれない。

けれど、てっきり会えるだろうと思い込んでいた相手が、実はもうこの世にいないのだと聞かされて。

どういう反応をすればいいのか分からなかった。

耳に残っている彼の声が、死んでいる人間の声だと知らされて。

そら恐ろしいものを聞いたような気分になったのも事実である。

そしてそれ以上に、兄に繋がる唯一の手がかりを失ったことに思いのほか衝撃を受けていた。

その人の死を憐れむわけでもなく、悲しむわけでもない。

ただ、その喪失を残念だと思う。

そんな自分に、驚いてもいた。

私はこんなにも、薄情で冷たい人間だったのだろうか。


『―――――それでね、きわこちゃん』


長い長い沈黙だっただろうに、村田はそれを責めることなく、話しを続ける。


『小竹洋介が入院していた病院の看護師さんと連絡がついたんだ』


はっと息を呑んだ自分の呼吸音が受話器の向こうに響いた。

村田は『……大丈夫?』と、あくまでも落ち着いていて、動揺した自分がおかしいような気さえしてくる。

落ち着け、落ち着け、何度も繰り返しながら村田の話しに耳を済ませた。

彼は何事もなかったかのように、私たちの待ち合わせ場所に彼女も来る予定なのだと教えてくれる。

彼女が小竹洋介についてどれだけの情報を持っているかは分からないが、もしかしたら人となりくらいは分かるかもしれないという。


『だって、知りたいでしょう? お兄さんの友達が、どういう人間だったのか』


それはきっと、私の兄の人格を知る手助けになると言った。

悪人の友人が、悪人であるように。善人の友人が、やはり善人であるように。人は自分と同じ性質の人間に惹かれるものだと語る。

『いや、違う。惹かれるのではなく、惹かれやすいのかな?』

まぁ、とにかく、話しを聞いてみるのも悪くないと思うよ。と村田は続けた。

ただ頷くのにも慎重さを必要とするくらいに、吐き出す息が震えている。

きわこちゃん? ともう一度名前を呼ばれてやっと、会ってみますと声を出すことができた。




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