バルファーとカシア
1082年秋、あれから1年が過ぎ、カシアの気持ちを確認する日がやって来た。
忙しいバルファーは、月に1度だけエントンの屋敷を訪れて、カシアとデートを重ねてきたのだ。
そして今日、カシアから正式な返事を貰うことになっている。
「なあエントン、カシアは俺の気持ちに答えてくれるだろうか?」
今日もいつもの如く、釣糸を垂らしている2人である。
相変わらず釣れそうにないが、さっきから何度も溜め息をつくバルファーに、ずっと訊こうと思っていたことを質問する。
「殿下、その前に確認しますが、ご自分の身分をカシアに話されましたか?」
今日の日を、そわそわしながら待っていた妹の様子から、答えは良い結果であろうと予想はできたが、そんなことより、最も重要なことを知らない妹が不憫だった。
「いやまだだ。返事を聞いてから話すよ。この1年、カシアは私の身分を尋ねなかった。そしてあの後も結局、社交界にデビューしなかったから、私が王子だと気付いてはいないだろう」
カシアが社交界にデビューしなかったのは、自分とのことを考えてくれているからだと、バルファーは思っていた。
しかし、カシアが社交界にデビューしなかった理由は他にもあった。社交界にデビューするのにはお金が掛かるのだ。ドレスだけではない。靴や鞄、装飾品など必要な物があるのだが、兄エントンは、そういう事情に疎い上に、お金のことはカシアに任せていたので、エントンもバルファーも、カシアの真意に気付いてなかった。
「殿下、もしも妹の返事がイエスとしても、うちは子爵にすぎません。国王様が了承なさらなければ結婚はありません。その時の妹の気持ちはどうなるのですか?」
エントンは釣竿を置いて、バルファーの方を見て真剣に訊ねた。
「王家の決まりでは、貴族であれば子爵でも構わないはずだ。それに私はカシア以外の女性と結婚する気はない」
きっぱりと言い切るバルファーの言葉を聞いても、不安感しかないエントンである。まさか、殿下が本気だとは思わなかったので、反対するタイミングを逃してしまった。
俺の妹が王妃とか、あり得ない話だと思っていた。しっかり者で頭も良いと思う。しかし母親もいない環境で育ち、華やかな世界など知らない妹が、王宮でやっていけるとは思えないのだ。
「お前は反対なのか?」
グレーの瞳を曇らせて、不服そうにバルファーが訊いてくる。
「殿下のことは信用できます。しかし王家に嫁ぐことは反対です。恐らく周りは認めないでしょうし、苦労するのが目に見えます」
などと真剣な話をしていると、竿が大きくしなった。それも2つの竿が同時にだ。
「エントン、もしも私の魚の方が大きかったら、カシアを嫁にくれ!」
「はっ?釣れたこともないのに、よくそんなことを!では、俺の方が大きかったら、カシアは諦めてくださいね」
「うっ、私は絶対に負けはせぬ!」
2人は本気で竿を握り、必死の形相で魚と格闘する。競争になるとお互い負けたくない、負けず嫌いの2人である。
もしもこの場にカシアが居たら、激怒していたのは間違いないだろう。
結局魚を釣り上げたのは、バルファーだけだった。明らかに、掛かっていた獲物はエントンの方が大きかった。しかし、最後の最後でばらしてしまった。
「これで決まりだな」
満面の笑みで勝ち誇るバルファー。
「まだ、カシアがイエスと言うとは限りませんよ」
つい負け惜しみを言うエントンだった。
「カシア様、ドレスはそれで良いのですか?今日は女性にとって、一生で一番大切な日ですよ。もう少しオシャレされてもいいのに・・・」
「これで良いのよリンダ(ドッター婦人)。バルは私のドレスを気に入った訳ではないし、それに、これが一番新しいドレスなの。それよりお料理の準備を急ぎましょう」
リンダは使用人だが、カシアの母のような存在でもある。11歳の時に両親を亡くしてからは、ろくな給金も払えないビター家の管理人として、夫婦でずっと仕えてくれているのだ。
昼も近付いた頃、エントンがバルファーを連れて戻ってきた。
レガート国では、男性が女性にプロポーズするのは、女性の家族と昼食を取ってからと決まっている。食後にお茶とお菓子が出てきたら、親は賛成している合図で、お茶だけだと親は反対している合図となる。
どちらにしても、お茶が出されたところでプロポーズし、女性がイエスなら皆でお茶を飲み、ノーなら飲まずに帰るという運びとなる。
緊張しながらも昼食が終わり、リンダがお茶を運んできた。ワゴンの上にお菓子も乗せられているのを見て、バルファーはエントンに視線を送り、口角を上げて感謝した。
バルファーは立ち上がりカシアの前に立つと、ひざまずいて指輪を取り出し、右手の上に載せて差し出した。
「カシア、僕と結婚してください。イエスならこの指輪を取り、正式な婚約の証として、その指につけてください」
カシアはバルファーに礼をとった。そして震える手で指輪を取り左手の指につけた。
「おめでとうございますカシア様!お茶をお注ぎいたします」
リンダは嬉しくて嬉しくて、目に涙を浮かべながら、バルファーのカップにお茶を注いだ。本来なら母親が男性をもてなすのだが、リンダが代わりを務めてくれた。
「カシア、いろいろ準備もあると思うので、式は来年の6月にしようと思う。君のお披露目は、5月に母上の誕生会があるので、その時が良いと思う。両親には直ぐに会わせたいのだが、今、隣国ミリダに行っているので、もう少し待って欲しい」
「はい、分かりました。今までバルの家のことを尋ねなかったけど、本当に私でもいいの?」
ずっと不安に思っていたことを訊いてみた。バルの家の方が爵位が上だと察していたので、家の名を尋ねるのが、本当は怖かったカシアなのだ。
「もちろんさ。指輪の家紋に誓って、君と結婚するよ」
婚約指輪の内側には、貴族であれば家紋を、庶民であれば家の名を記すのが一般的である。そのため結婚指輪と違い、婚約指輪は石の装飾など無い、シンプルなデザインになっている。
カシアは恐る恐る指輪の家紋を確認した。伯爵家以上ならグラスの印が、侯爵家以上なら剣の印が入っているのだ。
「えっ!王冠?」
カシアはもう一度確認する。やっぱり王冠の印がある。しかも、こ、これは・・・レガート国旗と同じ。というか、王家の紋章!!?
「カシア、すまない。俺がきちんと伝えておくべきだった。バルはレガート国の皇太子、バルファー・ル・レガート様だ」
顔面蒼白の妹を見て、こうなることを予想していたエントンは、深く頭を下げて妹に謝罪した。
◇◇◇ 闘技場 ◇◇◇
1083年2月、王宮近くの闘技場で、レガート軍と警備隊の精鋭たちによる、毎年恒例の武術大会が開かれていた。
「クエナ様、ご子息マヌル様は本当に優秀でいらっしゃいますな。先程の弓の試技など、全て命中されたのを見ていたものたちが、王家一の腕前と申しておりました」
カワノ公爵は王弟クエナと、闘技場の観覧席でクエナの長男、マヌルの話をしていた。
「弓だけは、バルファーには負けないと言っておったな」
息子を誉められた王弟クエナは、カワノ公爵からの酒を受けながら上機嫌である。
「ご次男のハキル様は、イントラ連合の高学院に御入学されたと聞きました。王族一の秀才だと世間で噂になっているようです。・・・本当にもったいないですな」
カワノ公爵はフーッと息を吐き、わざとらしく肩を落とす。
「何がもったいないのだ?」
王弟クエナは、酒を飲む手を止めて尋ねた。
「クエナ様は、バルファー王子の噂をご存じですか?」
「いや、どのような噂だ?」
それからカワノ公爵は、バルファー王子のだらしない噂(公務をサボって街をふらつく)や、24歳にもなって結婚しない理由(身体的欠陥や男好き)について、貴族の間でも不安視する者が増えていることを話した。
「そんな噂は聞いたことがないが……」
「恐れ多くて、誰も言えないだけなのです。それともうひとつ、大臣や高官たちに囁かれている話がございます」
カワノ公爵は、あくまでも自分の耳に入ったのは、その一部にしか過ぎないのですがと、前置きをして話始めた。
「王弟クエナ様のご長男マヌル様が、次期国王であられたら良かったのに、という話と、国王アナク様に対する不満が強くて、このままでは地方の貴族たちが、反乱を起こすのではないか、という話なのです」
「なに!反乱だと?」
驚きと衝撃で、王弟クエナは顔色を変え、自分の口を塞いだ。
「私は心配でなりません。隣国で領地争いの不穏な気配がある時に、反乱など起これば、我がレガート国はどうなってしまうのかと」
カワノ公爵は、真剣な眼差しで王弟クエナを見詰めながら訴えた。
「そ、それは一大事ではないか!首謀者は誰だ?軍は何をしているのだ?」
カワノ公爵は、国の一大事をこのような場所では話せないので、今宵自分の屋敷に来て欲しいと頼んだ。
了解を得たカワノ公爵は、「お待ちしております」と小声で挨拶をして、全身をマントで覆った供の者と席を立った。
カワノ公爵は、北風の強い闘技場を出て、供の者と馬車に乗り込んだ。
「ドリル様、これでよろしかったでしょうか?」
「ええ、上出来ですよ。さすがは開祖様が選ばれた方です。今宵貴方は、正義のために戦うリーダーとなるのです!王弟クエナ様と、クーデターを起こす時が来たのです」
そこには、マントを脱ぎながら、冷たい笑みを浮かべるギラ新教大師、ドリルの姿があった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字等ありましたら教えてください。




